中年になると発狂する、遺伝性の病気を保有する女性と、そんなことは露も知らずに結婚した不運な主人公。
ベトナム戦争の体験を、本書全体に流れる通奏低音としつつも、決して暗くなることなく、ストーリーは軽快に展開していきます。特に印象に残ったのは、ユダヤ人を、聖書の半分だけで人生を乗り切ろうとしている気の毒な者と評する一方、その聖書については、壮大なスケールでキリスト教の創世記に立ち返り、人間の愚かさや西欧的思考のあり方を批判しています。そこにはSF作家のヴォネガットならではの発想が見られます。
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ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF ウ 4-15) 文庫 – 1998/4/1
カート ヴォネガット
(著),
浅倉 久志
(翻訳)
- 本の長さ431ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1998/4/1
- ISBN-104150112274
- ISBN-13978-4150112271
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1998/4/1)
- 発売日 : 1998/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 431ページ
- ISBN-10 : 4150112274
- ISBN-13 : 978-4150112271
- Amazon 売れ筋ランキング: - 117,965位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2003年7月29日に日本でレビュー済み
「私」ユージン・デブス・ハートキは、ターキントン・カレッジの元物理教師。湖対岸の刑務所からの集団脱獄に関係したかどで投獄され、種々雑多の紙片に、断片的な自伝を書き留める。本作はそれをまとめて並べなおしたもの。
切れ切れのセンテンスを積み重ねていく手法、時間軸を縦横無尽に駆け回る描写、ユーモアのセンスなど、ヴォネガット特有のスタイルが生きています。
正直『青ひげ』などと作風に違いがないので、地味なのか、あまり注目されませんが、繰り返される「ベトナム」のギャグはすごい面白いです。
SF文庫でありながらSFじゃないのはいつものことです。
また、同タイトルの映画とは全然関係ありません。
切れ切れのセンテンスを積み重ねていく手法、時間軸を縦横無尽に駆け回る描写、ユーモアのセンスなど、ヴォネガット特有のスタイルが生きています。
正直『青ひげ』などと作風に違いがないので、地味なのか、あまり注目されませんが、繰り返される「ベトナム」のギャグはすごい面白いです。
SF文庫でありながらSFじゃないのはいつものことです。
また、同タイトルの映画とは全然関係ありません。
2007年12月30日に日本でレビュー済み
90年代に入ったヴォネガットは、もうおとぎ話を書けないほど、
母国に対する怒りと悲しみが深くなってしまったようだ。
これまでのヴォネガットには、どんな内容のものであれ
ファンタジーがあった。偶然の産物があった。
涙を誘うペーソスあふれる愛の対象があった。
ところが、「ホーカス・ポーカス」にはそれがあまりない。
登場人物はすべて架空だし、設定も奇想天外なのに、
シリアスで、絵空事になっていない。どちらかといえば、
その翌年書かれたエッセイ「死よりも悪い運命」や「国のない男」のテイストに近い。
ヴォネガットのエッセイを読むと思い出すのがマイケル・ムーアの映画だ。
確かに面白いし、皮肉が利いている。痛快で、どこか悲しい。
けれど、ムーアにしてもヴォネガットにしても、これらの作品は
自国民のために発表しているのだ。
アメリカ人による、アメリカ人のための、アメリカ人のエッセイであり、映画である。
日本人であるわたしは、そこに少々居心地の悪さを感じる。
これを壮大なたとえ話として、自分の置かれた境遇・・・
日本の問題に置き換え、それらを眺めることはできる。
けれども、やっぱりどこか違う気がする。
「ホーカス・ポーカス」が、ヴォネガットのエッセイに近いと思ったのは、
ストレートすぎるほと、差別に対して訴えてくるからだ。
これまでも彼が作品を通じて訴えたかったことが、
フィクションというオブラートに包んでいては、
もう自国民に伝わらないと思ったからかもしれない。
母国に対する怒りと悲しみが深くなってしまったようだ。
これまでのヴォネガットには、どんな内容のものであれ
ファンタジーがあった。偶然の産物があった。
涙を誘うペーソスあふれる愛の対象があった。
ところが、「ホーカス・ポーカス」にはそれがあまりない。
登場人物はすべて架空だし、設定も奇想天外なのに、
シリアスで、絵空事になっていない。どちらかといえば、
その翌年書かれたエッセイ「死よりも悪い運命」や「国のない男」のテイストに近い。
ヴォネガットのエッセイを読むと思い出すのがマイケル・ムーアの映画だ。
確かに面白いし、皮肉が利いている。痛快で、どこか悲しい。
けれど、ムーアにしてもヴォネガットにしても、これらの作品は
自国民のために発表しているのだ。
アメリカ人による、アメリカ人のための、アメリカ人のエッセイであり、映画である。
日本人であるわたしは、そこに少々居心地の悪さを感じる。
これを壮大なたとえ話として、自分の置かれた境遇・・・
日本の問題に置き換え、それらを眺めることはできる。
けれども、やっぱりどこか違う気がする。
「ホーカス・ポーカス」が、ヴォネガットのエッセイに近いと思ったのは、
ストレートすぎるほと、差別に対して訴えてくるからだ。
これまでも彼が作品を通じて訴えたかったことが、
フィクションというオブラートに包んでいては、
もう自国民に伝わらないと思ったからかもしれない。