人類の進化ってなんだろう?理解できなかったものを理解できるようになる。
出来ることが増える、行動範囲が広がる、そういうことなのかな。
与えるだけで一方的だった存在と戦えるまで知恵をつけることもある。
その解としての策はちょっとシンプル過ぎるのでは?って思ったけど、
今現在の私達が使うテクノロジーが当時の予想より圧倒的に進んだ分野、
あまり変わらなかった分野として顕現した結果そう感じるのかもしれない。
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3001年終局への旅 (ハヤカワ文庫 SF ク 1-35) 文庫 – 2001/3/15
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2001/3/15
- ISBN-104150113475
- ISBN-13978-4150113476
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2001/3/15)
- 発売日 : 2001/3/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 333ページ
- ISBN-10 : 4150113475
- ISBN-13 : 978-4150113476
- Amazon 売れ筋ランキング: - 320,780位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年4月15日に日本でレビュー済み
「2001年宇宙の旅」サーガというか、四部作というか…の最終編である。
この四部作は2001.2010.2061.3001とすこしずつ時間線が違っているというか、歴史と事象がずれているような曖昧な所があるのがプルースト的だが、この最終編は2001年で宇宙に放り出されて退場(つまり誰もが死亡したと思っていた)フランク・プールを再発見&30世紀の技術で再生させ、20世紀人の常識的視点で未来のガイドをさせている所、そしてその目線が20世紀の宇宙の眼差しを維持し、同時にそれが千年後の未来になって「歴史への眼差し」になっている所がクラークの詩的な文体で、また少々ひねくれた大英帝国式ユーモアの筆致があった。二重三重におりたたまれた時間への目線がある。
内容は、正直、老年に達し、功成り名遂げたシリーズの常で(アシモフの「ファウンデーションへの序曲」「誕生」や、宮崎駿「君たちはどう生きるか」と同様の自己の歴史をたどり直す回顧としての要素が強かった)それほどSFとして新奇でも鬼面人を嚇す内容でもなく、またSF史に名を留めるような水準でもない。
また、レビュアー皆様指摘されるように、老年の欧米人の常か、絶体神のごときものへの回帰が見られるのも、東洋人としては「ああ、やっぱりそうしたモノが出てくるのね。老年になるとそうした古層だか原型だかが精神の底辺から露出してきてしまうのね」といった感慨はあるのだが、そこはそれ文化の違い、および老年の衰退ということで華麗にスルーしてしまい、もう一つの老年の特徴、人類の生物としての本質への回帰として
どれほど知性を究めようとも、宇宙の奥底まで達しようとも
人類にとって重要なのは、愛と死。これだけだ
これがSFとしての本質というより、作品としての本質だと思う。
こうした人類の本能、生き物として感性と知性を総合した結論を持つにいたったことを、詩人としての資質があったアーサー・C・クラークの最終的な到達点として、震撼する思いだった。
ええ、正直、SFとしてはそのモノリスを作った種族とかは、クラーク自伝「楽園の日々」で書いていたように「ホラー映画でボロをまとった薄汚い怪物が出てきたとたん、恐怖の神髄は一瞬にして消え失せてしまうではないか」(原文ではなく大体の意味)と言っていたように、幽霊の正体見たり枯れ尾花的な幻滅になってしまうので、そこはそれ一神教文化、それもイスラムでも東方正教会でもない西方教会型の意識の癖、としてスルーするとして…。
SFは論理と知性で進化と変化を組み立てる文学、と思われる。
しかし、クラークがそうした知性だけではなく感性も含めた総合性を最後に披瀝したことは、もっと注目に値する、と思う。
その意味で彼は最後まで天才だった、と。
この四部作は2001.2010.2061.3001とすこしずつ時間線が違っているというか、歴史と事象がずれているような曖昧な所があるのがプルースト的だが、この最終編は2001年で宇宙に放り出されて退場(つまり誰もが死亡したと思っていた)フランク・プールを再発見&30世紀の技術で再生させ、20世紀人の常識的視点で未来のガイドをさせている所、そしてその目線が20世紀の宇宙の眼差しを維持し、同時にそれが千年後の未来になって「歴史への眼差し」になっている所がクラークの詩的な文体で、また少々ひねくれた大英帝国式ユーモアの筆致があった。二重三重におりたたまれた時間への目線がある。
内容は、正直、老年に達し、功成り名遂げたシリーズの常で(アシモフの「ファウンデーションへの序曲」「誕生」や、宮崎駿「君たちはどう生きるか」と同様の自己の歴史をたどり直す回顧としての要素が強かった)それほどSFとして新奇でも鬼面人を嚇す内容でもなく、またSF史に名を留めるような水準でもない。
また、レビュアー皆様指摘されるように、老年の欧米人の常か、絶体神のごときものへの回帰が見られるのも、東洋人としては「ああ、やっぱりそうしたモノが出てくるのね。老年になるとそうした古層だか原型だかが精神の底辺から露出してきてしまうのね」といった感慨はあるのだが、そこはそれ文化の違い、および老年の衰退ということで華麗にスルーしてしまい、もう一つの老年の特徴、人類の生物としての本質への回帰として
どれほど知性を究めようとも、宇宙の奥底まで達しようとも
人類にとって重要なのは、愛と死。これだけだ
これがSFとしての本質というより、作品としての本質だと思う。
こうした人類の本能、生き物として感性と知性を総合した結論を持つにいたったことを、詩人としての資質があったアーサー・C・クラークの最終的な到達点として、震撼する思いだった。
ええ、正直、SFとしてはそのモノリスを作った種族とかは、クラーク自伝「楽園の日々」で書いていたように「ホラー映画でボロをまとった薄汚い怪物が出てきたとたん、恐怖の神髄は一瞬にして消え失せてしまうではないか」(原文ではなく大体の意味)と言っていたように、幽霊の正体見たり枯れ尾花的な幻滅になってしまうので、そこはそれ一神教文化、それもイスラムでも東方正教会でもない西方教会型の意識の癖、としてスルーするとして…。
SFは論理と知性で進化と変化を組み立てる文学、と思われる。
しかし、クラークがそうした知性だけではなく感性も含めた総合性を最後に披瀝したことは、もっと注目に値する、と思う。
その意味で彼は最後まで天才だった、と。
2015年1月28日に日本でレビュー済み
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創造主に喧嘩売って後は千年後・・・
いつかは通らなきゃいけない道だって言うのだろうか?
作品として、幼年期の終り、に戻っていったのだろうけど、
それが繰り返すべきネタだったというのは、やはり枯渇した部分を感じざるを得ない。
いつかは通らなきゃいけない道だって言うのだろうか?
作品として、幼年期の終り、に戻っていったのだろうけど、
それが繰り返すべきネタだったというのは、やはり枯渇した部分を感じざるを得ない。
2023年1月12日に日本でレビュー済み
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西暦3000年の科学技術がどんな形になっているかの予言書的に購読しました。西暦1000年の人が現代にタイムスリップしたらあまりのカルチャーショックに驚くと思いますが、今から約1000年後は現在の技術や構想の上に成り立つ事から、それほど驚きはしないという考え方に納得しました。
2020年9月8日に日本でレビュー済み
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地球や人類の未来を案じたSF作品。人は何処から来て何処へゆくのか…。映画化望みます。
2020年12月2日に日本でレビュー済み
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謎を提示した2001年、映画に合わせて調整しながら一部の伏線を回収した2010年、袋小路の2061年。
3001年は、一旦ほぼ全ての伏線を回収するとしながら、個人的には大いに矛盾を感じる結末だった。
フランク・プールが冷凍催眠状態で発見されるのは、21世紀人の目を通して(読者に伝わるように)31世紀の社会と技術を紹介する観点で良い設定である。しかし、魁種族がなぜ人類を滅ぼそうとしているのか、本当に滅ぼそうとしているのか、という重要な部分が殆ど明確に書かれていない。
また、2010年までの小説では、デイブ・ボーマンは超光速で移動し、超光速で通信できる身体に転換された筈です。なのに、3001年で人類がモノリスを破壊したことが魁種族に伝わるまで450年も要するなんてあり得ない。実際には、破壊を見届けて「独り立ち」と見なされたか、数週間以内に報復が来るかのいずれかではないか。
2001年~2010年で、魁種族がどうやってデイブ・ボーマンを超光速で移動させたかについて、明示的な説明をしなかった(謎のままで残した)ために、その設定が3001年では欠落したのだろう。
著者は、4部作は厳密にはシリーズではなく変奏曲だと考えているようだが、SF 小説で超光速の可否に関する設定を黙って変更するのはアカンでしょう。
とはいうものの、2061年がつまらなかった分、そこそこ楽しんで読めました。
3001年は、一旦ほぼ全ての伏線を回収するとしながら、個人的には大いに矛盾を感じる結末だった。
フランク・プールが冷凍催眠状態で発見されるのは、21世紀人の目を通して(読者に伝わるように)31世紀の社会と技術を紹介する観点で良い設定である。しかし、魁種族がなぜ人類を滅ぼそうとしているのか、本当に滅ぼそうとしているのか、という重要な部分が殆ど明確に書かれていない。
また、2010年までの小説では、デイブ・ボーマンは超光速で移動し、超光速で通信できる身体に転換された筈です。なのに、3001年で人類がモノリスを破壊したことが魁種族に伝わるまで450年も要するなんてあり得ない。実際には、破壊を見届けて「独り立ち」と見なされたか、数週間以内に報復が来るかのいずれかではないか。
2001年~2010年で、魁種族がどうやってデイブ・ボーマンを超光速で移動させたかについて、明示的な説明をしなかった(謎のままで残した)ために、その設定が3001年では欠落したのだろう。
著者は、4部作は厳密にはシリーズではなく変奏曲だと考えているようだが、SF 小説で超光速の可否に関する設定を黙って変更するのはアカンでしょう。
とはいうものの、2061年がつまらなかった分、そこそこ楽しんで読めました。
2013年10月26日に日本でレビュー済み
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brain caps,four space elevators,,infection of monolith with the virus and the withdom of men ,but what will be the fate of humanity after nine hundred years ?
2011年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ひさびさにSF読みました。
クラークを読んだのは18年ぶりぐらいか?
最後に読んだのはたしか「楽園の泉」だったか…
たいしておもしろいとは思わない。文体も古く感じられる。
でも、往年のクラークファンは読んでみるべきかも…
最近SFファンになった人には勧めません。
クラークを読んだのは18年ぶりぐらいか?
最後に読んだのはたしか「楽園の泉」だったか…
たいしておもしろいとは思わない。文体も古く感じられる。
でも、往年のクラークファンは読んでみるべきかも…
最近SFファンになった人には勧めません。