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言の葉の樹 (ハヤカワ文庫 SF ル 1-10) 文庫 – 2002/6/30
- 本の長さ319ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2002/6/30
- ISBN-10415011403X
- ISBN-13978-4150114039
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2002/6/30)
- 発売日 : 2002/6/30
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 319ページ
- ISBN-10 : 415011403X
- ISBN-13 : 978-4150114039
- Amazon 売れ筋ランキング: - 361,691位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者最新の Ekumen Series. 地球人 Sutty が Ekumen の観察者として惑星 Aka に行って見ると,そこでは過去の文明が禁止され,独裁会社国家がやみくもに宇宙船を作ろうとしている社会だった.この話は一般に中華人民共和国の風刺として捉えられているが,あの国だけだろうか.日本は明治維新と 1945年の敗戦の二度の変革を機に,固有の文明を捨て,特に漢字簡略化と使用制限により,言葉の表現力を極端に弱体化することで,過去の輝かしい文学の伝統から自らを切り離した.これこそ Aka政府のやったことではないか.Sutty は Ekumen と協議して Aka 政府と交渉に入るが,我々はもう多分後戻りはできない.何しろこれを憾みに思う人がもう歳をとりすぎているからだ.
2011年5月26日に日本でレビュー済み
「現代の世界状況に関する政治的寓話」(訳者)と位置づけられる〈ハイニッシュ・ユニヴァース〉シリーズですが、本書では特に欧米の文化人類学者が途上国を訪れて参与観察するような形で話が進められています。文化と文化のせめぎあいの中で、支配体制確立のため封印ないし破壊された伝承的文化を発掘しようとする主人公は、差し詰め人権抑圧状況を調査するために東アジアの某大国に派遣された国連職員といった感じでしょうか。
SFを読んでいるなと実感できるのは、最初と最後の50ページずつくらいで、間の部分はSFであることを忘れてしまいそうです。クライマックスは最後の主人公と監視官の会話でしょうか。それぞれの辛い過去を吐露しつつ、文化、宗教、政治などに関する深い語りが続きます。
読み手によって好き嫌いがはっきり分かれる作品かと思います。私はあまり抵抗なく読み進みましたが…
それと、描写に極力性差を感じさせないような作者の配慮をけっこう感じました。ここにはマッチョなヒーローもいなければ、彼の庇護を必要とする美女もいません。代わりに同性愛者がいたりします。
主人公は権力を持ち、しかるべく教育を受け、自分で考え決定する若い女性。この辺のフェミニスティックな仕掛けも、読者の好き嫌いが分かれるところでしょうか。
SFを読んでいるなと実感できるのは、最初と最後の50ページずつくらいで、間の部分はSFであることを忘れてしまいそうです。クライマックスは最後の主人公と監視官の会話でしょうか。それぞれの辛い過去を吐露しつつ、文化、宗教、政治などに関する深い語りが続きます。
読み手によって好き嫌いがはっきり分かれる作品かと思います。私はあまり抵抗なく読み進みましたが…
それと、描写に極力性差を感じさせないような作者の配慮をけっこう感じました。ここにはマッチョなヒーローもいなければ、彼の庇護を必要とする美女もいません。代わりに同性愛者がいたりします。
主人公は権力を持ち、しかるべく教育を受け、自分で考え決定する若い女性。この辺のフェミニスティックな仕掛けも、読者の好き嫌いが分かれるところでしょうか。
2021年8月6日に日本でレビュー済み
本書は、惑星アカにエクーメンの観察員として滞在しているテラ出身の若き文化人類学者サティの調査と発見の物語です。
ル・グィンの小説を読むのは『内海の漁師』に続いて10冊目です。
『内海の漁師』は90年代の作品を収録した短編集でしたが、本書は2000年の発表です。ル・グィンは20世紀の最後にどのような物語を描くのでしょうか。
また、本書は〈ハイニッシュ・ユニヴァース〉シリーズでは『闇の左手』と『所有せざる人々』に次ぐ3冊目の長編です。前の2作の評価の高いだけに本書に対する期待はいやでも高まります。
惑星アカは宇宙に孤立したまま長い歴史を育んでいたが、エクーメンとの接触以来、100年程で急速に科学技術を発展させて、今やハインに自前の宇宙船を送り出すまでになっている。しかし、文明開化の過程で旧来の文字や文書を廃棄し、伝統的な文化をすべて否定して、合理主義一辺倒の社会となっていた。
主人公のサティは、惑星独自の歴史や風習の調査を目的とする観察員であるにも関わらず、調査の対象となる歴史的遺産がほとんど処分されてしまっているという状況の中で自己の存在意味を見失っていた。
そんなある日、彼女は、上司であるエクーメンの使節トング・オヴからひとつの要請を受ける。それは、彼が以前から何度もアカの政府に要望していたある辺境地域の調査希望が認められたので行って欲しいというものだった。アカに4人しかいないエクーメンの職員の中では彼女が最適任だと彼は言う。
首都のドウザ・シティ周辺では見ることができない歴史的遺物がその辺境地域には残っているらしい。なぜ、アカの政府は突然それを認めたのか。サティは一抹の不安を感じながらもその任務を承諾し、一人旅立っていく。
文明開化で近代化に夢中の惑星アカはまるで明治維新の日本のようだが、これは日本のことだけでなく、レベルの差がある文明が接触した時に、世界中で過去、しばしば起こった事態なのかもしれないと思う。
サティは、中央アジアの山岳地帯を思わせる辺境地域で、その地の人々に交じって暮らしながら様々な発見をしていくのだが、そこに〈ハイニッシュ・ユニヴァース〉シリーズに関連するたくさんのエピソードが絡んでくる。
例えば、サティが生まれ育ったテラの状況。当時のテラは一神教を信奉するユニストという政治集団が独裁体制をとっており、サティが幼かった頃、彼女の家族は隔離地区で迫害されていたこと。
テラ出身の使節としてハインから初めて派遣されたダルズル(『内海の漁師』に収録されている短編の登場人物)がその体制を打破したこと。
その社会変革の開放感の中で、サティはパオという女性と出会って一緒に暮らすようになり、将来は二人で抑圧のないアカに行きたいと話し合っていたが、実際にサティがアカに到着した時には、星間航行時差の関係でアカはサティが想像していた社会とは変わってしまっていたこと。などなど。
一方、アカの行政組織の中にも意見の対立があり、一人の男がサティの行動を監視していた。
それらの問題が複雑に入り混じって影響を及ぼし合っている実情が少しずつ分かってくるが、アカの伝統的な文化の中で暮らしているサティの独白の形で語られるため、非常にわかりづらく読み難かった。
おそらくフィールドノートを意図しているのだろうが、日々の出来事が淡々と語られる形でストーリーが進んでいくためドラマチックな盛り上がりや興奮に欠ける。
一方で、主人公の観察結果や推察が詳細に記載されているため実際の調査記録のような現実感がある。同時にそれは、主人公の疑問や戸惑いを読者も共有することにもなる。
本書は、設定や構成、展開など『闇の左手』と似ている点が多い。評者は終盤まで、もしかしたら本書は『闇の左手』を越える傑作かもしれないと思って読んでいたが、読了した今は、やはり前2作を越えるものではなかったと思っている。
前後で矛盾する表現や回収されていない伏線も気になった。しかし、これは小説としての構造よりも優先するものがあるということなのだろうか?
でも、やっぱり『闇の左手』は別格。
ところで、ル・グィンが描く異星の社会は実在していてもおかしくないような強固な存在感を持っているが、疑問を感じる点がないわけではない。
例えば、惑星アカには大陸が一つしかないためアカに異邦人は存在しないという設定があるのだが、大陸ほどの大きさがあれば、複数の種族、文化が生まれるのは必然ではないだろうか?
どうもご都合主義の設定のような気がしてならない。それとも、作品は思考実験なのでそれも有りと考えるべきなのだろうか。つまり、任意の条件を設定した上でその条件を満たす社会を完璧に作り上げるという手法。
なお、本書の原題は“THE TELLING”であり、これはアカの文化の基本は“語り”であり、それが何よりも重要視されていたということから付けられたと思われる。
一方、邦題の『言の葉の樹』は、アカで昔から語られてきたたくさんの“語り”の言葉が、木の葉、枝、幹のように複雑にからみあって人々の体や世界を構成しているという古いアカの文化を表現しているようだが、これって、文化というものは森や木と密接な関係があると考えるル・グィンの思想そのものではないだろうか。
本書の評価を4点にしたのは、ル・グィンが描こうとしていることの多くは理解できるし、評価もするけど、全体を見ると、あまりにも複雑すぎて、現在の自分はこれ以上は評価しきれないというのが正直なところ。
本書を読んでいた時、100分de名著は『華氏451度』だった。 偶然だけど・・・
ル・グィンの小説を読むのは『内海の漁師』に続いて10冊目です。
『内海の漁師』は90年代の作品を収録した短編集でしたが、本書は2000年の発表です。ル・グィンは20世紀の最後にどのような物語を描くのでしょうか。
また、本書は〈ハイニッシュ・ユニヴァース〉シリーズでは『闇の左手』と『所有せざる人々』に次ぐ3冊目の長編です。前の2作の評価の高いだけに本書に対する期待はいやでも高まります。
惑星アカは宇宙に孤立したまま長い歴史を育んでいたが、エクーメンとの接触以来、100年程で急速に科学技術を発展させて、今やハインに自前の宇宙船を送り出すまでになっている。しかし、文明開化の過程で旧来の文字や文書を廃棄し、伝統的な文化をすべて否定して、合理主義一辺倒の社会となっていた。
主人公のサティは、惑星独自の歴史や風習の調査を目的とする観察員であるにも関わらず、調査の対象となる歴史的遺産がほとんど処分されてしまっているという状況の中で自己の存在意味を見失っていた。
そんなある日、彼女は、上司であるエクーメンの使節トング・オヴからひとつの要請を受ける。それは、彼が以前から何度もアカの政府に要望していたある辺境地域の調査希望が認められたので行って欲しいというものだった。アカに4人しかいないエクーメンの職員の中では彼女が最適任だと彼は言う。
首都のドウザ・シティ周辺では見ることができない歴史的遺物がその辺境地域には残っているらしい。なぜ、アカの政府は突然それを認めたのか。サティは一抹の不安を感じながらもその任務を承諾し、一人旅立っていく。
文明開化で近代化に夢中の惑星アカはまるで明治維新の日本のようだが、これは日本のことだけでなく、レベルの差がある文明が接触した時に、世界中で過去、しばしば起こった事態なのかもしれないと思う。
サティは、中央アジアの山岳地帯を思わせる辺境地域で、その地の人々に交じって暮らしながら様々な発見をしていくのだが、そこに〈ハイニッシュ・ユニヴァース〉シリーズに関連するたくさんのエピソードが絡んでくる。
例えば、サティが生まれ育ったテラの状況。当時のテラは一神教を信奉するユニストという政治集団が独裁体制をとっており、サティが幼かった頃、彼女の家族は隔離地区で迫害されていたこと。
テラ出身の使節としてハインから初めて派遣されたダルズル(『内海の漁師』に収録されている短編の登場人物)がその体制を打破したこと。
その社会変革の開放感の中で、サティはパオという女性と出会って一緒に暮らすようになり、将来は二人で抑圧のないアカに行きたいと話し合っていたが、実際にサティがアカに到着した時には、星間航行時差の関係でアカはサティが想像していた社会とは変わってしまっていたこと。などなど。
一方、アカの行政組織の中にも意見の対立があり、一人の男がサティの行動を監視していた。
それらの問題が複雑に入り混じって影響を及ぼし合っている実情が少しずつ分かってくるが、アカの伝統的な文化の中で暮らしているサティの独白の形で語られるため、非常にわかりづらく読み難かった。
おそらくフィールドノートを意図しているのだろうが、日々の出来事が淡々と語られる形でストーリーが進んでいくためドラマチックな盛り上がりや興奮に欠ける。
一方で、主人公の観察結果や推察が詳細に記載されているため実際の調査記録のような現実感がある。同時にそれは、主人公の疑問や戸惑いを読者も共有することにもなる。
本書は、設定や構成、展開など『闇の左手』と似ている点が多い。評者は終盤まで、もしかしたら本書は『闇の左手』を越える傑作かもしれないと思って読んでいたが、読了した今は、やはり前2作を越えるものではなかったと思っている。
前後で矛盾する表現や回収されていない伏線も気になった。しかし、これは小説としての構造よりも優先するものがあるということなのだろうか?
でも、やっぱり『闇の左手』は別格。
ところで、ル・グィンが描く異星の社会は実在していてもおかしくないような強固な存在感を持っているが、疑問を感じる点がないわけではない。
例えば、惑星アカには大陸が一つしかないためアカに異邦人は存在しないという設定があるのだが、大陸ほどの大きさがあれば、複数の種族、文化が生まれるのは必然ではないだろうか?
どうもご都合主義の設定のような気がしてならない。それとも、作品は思考実験なのでそれも有りと考えるべきなのだろうか。つまり、任意の条件を設定した上でその条件を満たす社会を完璧に作り上げるという手法。
なお、本書の原題は“THE TELLING”であり、これはアカの文化の基本は“語り”であり、それが何よりも重要視されていたということから付けられたと思われる。
一方、邦題の『言の葉の樹』は、アカで昔から語られてきたたくさんの“語り”の言葉が、木の葉、枝、幹のように複雑にからみあって人々の体や世界を構成しているという古いアカの文化を表現しているようだが、これって、文化というものは森や木と密接な関係があると考えるル・グィンの思想そのものではないだろうか。
本書の評価を4点にしたのは、ル・グィンが描こうとしていることの多くは理解できるし、評価もするけど、全体を見ると、あまりにも複雑すぎて、現在の自分はこれ以上は評価しきれないというのが正直なところ。
本書を読んでいた時、100分de名著は『華氏451度』だった。 偶然だけど・・・
2007年12月7日に日本でレビュー済み
久々に読んでいて苦痛な本でした。
一度、本から離れると戻る気が起きない。
おかげで読み終わるのにずいぶんと時間がかかってしまいました。
主人公に感情移入がまったくできませんでした。抑圧されて、で、で、何?爽快感ゼロ。
そういう作品なんだろうけど、ガツガツ読む、次の展開が楽しみ!みたいな感じの本ではありませんね。達成感も感じられないし。
世界観も、何か某国を感じさせるんだけど微妙にずれている感じがするせいか、違和感を最後まで感じつづけてしまいました。
読んだ後に気がついたのですが闇の左手と同じ人が書いていたのですね。
20年以上前に読んだ作品なのですっかり忘れていました。
そう言えばかの作品も読むのが苦痛だった記憶があります。
一度、本から離れると戻る気が起きない。
おかげで読み終わるのにずいぶんと時間がかかってしまいました。
主人公に感情移入がまったくできませんでした。抑圧されて、で、で、何?爽快感ゼロ。
そういう作品なんだろうけど、ガツガツ読む、次の展開が楽しみ!みたいな感じの本ではありませんね。達成感も感じられないし。
世界観も、何か某国を感じさせるんだけど微妙にずれている感じがするせいか、違和感を最後まで感じつづけてしまいました。
読んだ後に気がついたのですが闇の左手と同じ人が書いていたのですね。
20年以上前に読んだ作品なのですっかり忘れていました。
そう言えばかの作品も読むのが苦痛だった記憶があります。
2002年6月25日に日本でレビュー済み
ローカス賞受賞作
本書は、『内海の漁師』につづくル・グィンのハイニッシュ・シリーズの新刊翻訳(原書The Telling, 2000年)です。
惑星ハインから宇宙に進出してさまざまな植民地を形成した人類は、しかし母星の文化が衰退したのを期に母星との連絡を断ってしまい、独自の文化を築く。はるかなる時を経て、再び宇宙に乗り出したハイン人は元植民地星の文化を再発見することになる...というのがハイニッシュ・ユニバースの背景ですが、さすがに文化人類学者を父に持つル・グィンならではのSF文化人類学ですね。
本書は、「過去の文化を否定している惑星で、密かに伝えられる伝統に触れた女性観察員サティの喜びと運命」を描いています。『闇の左手』などハイニッシュ・ユニバースのファンはもちろん、初めての人でも楽しめるロマンティックな物語になっています。
本書は、『内海の漁師』につづくル・グィンのハイニッシュ・シリーズの新刊翻訳(原書The Telling, 2000年)です。
惑星ハインから宇宙に進出してさまざまな植民地を形成した人類は、しかし母星の文化が衰退したのを期に母星との連絡を断ってしまい、独自の文化を築く。はるかなる時を経て、再び宇宙に乗り出したハイン人は元植民地星の文化を再発見することになる...というのがハイニッシュ・ユニバースの背景ですが、さすがに文化人類学者を父に持つル・グィンならではのSF文化人類学ですね。
本書は、「過去の文化を否定している惑星で、密かに伝えられる伝統に触れた女性観察員サティの喜びと運命」を描いています。『闇の左手』などハイニッシュ・ユニバースのファンはもちろん、初めての人でも楽しめるロマンティックな物語になっています。
2010年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
70年前エクーメンからの使者を受け入れ、技術革新を行うべき、既存の社会、文化を徹底的に破壊した惑星アカ。 そこにエクーメンのオブザーバーをしてやってきたテラ出身の若き女性、文化人類学者、言語学者のサテイ。 彼女はインド人で、カナダ出身。子供の時代の当時のテラの狂信的な宗教の支配、それによる文化の破壊、人々への迫害やその後の社会変革、テロ行為などを経験していた。
この小説を読んでいるとSFというより、現実の地球にあった、また起こっている出来事のこと、開国とか文化大革命とか原理主義とか、そういうこが
いろいろと頭に浮かんでくる。 それを受け入れて読めばおもしろいし、期待するものが違うと受け入れにくいと思う。
現実の地球ではない世界、地球人ではない人々が出てくるのがSFの醍醐味だとするとこの小説はあまりにも地球的だ。
”闇の左手”と同じシリーズということもあって、比較したくなるけど、同じように最後は希望の光がちょっと見えてくるかな、でも悲しい終わりもあるな、といったところ。
読んで損はないと思うけど。
この小説を読んでいるとSFというより、現実の地球にあった、また起こっている出来事のこと、開国とか文化大革命とか原理主義とか、そういうこが
いろいろと頭に浮かんでくる。 それを受け入れて読めばおもしろいし、期待するものが違うと受け入れにくいと思う。
現実の地球ではない世界、地球人ではない人々が出てくるのがSFの醍醐味だとするとこの小説はあまりにも地球的だ。
”闇の左手”と同じシリーズということもあって、比較したくなるけど、同じように最後は希望の光がちょっと見えてくるかな、でも悲しい終わりもあるな、といったところ。
読んで損はないと思うけど。