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すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ハヤカワ文庫 FT) 文庫 – 2004/11/9

3.8 5つ星のうち3.8 13個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 早川書房 (2004/11/9)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/11/9
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 191ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4150203733
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150203733
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 13個の評価

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ジェイムズ・ジュニア・ティプトリー
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カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2007年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1970-80年頃に筆者が、メキシコのユカタン半島にあるキンタナ・ロー
州での体験をつづったエッセイです。

筆者が現地で聞いた、夢なのか現実なのか定かでない都市伝説のようの
ような幻想的な話を、自分自身を語り部としてつづっています。
海にまつわる不思議体験に満ちた本ですが、SFやFT的な要素はほとんど
ありません。面白い本ではあります。

この本の筆者は、海(自然)とマヤ文明をこよなく愛しています。開発
に伴い、海(自然)もマヤ文明も失われていくことに対しての悲しみとあ
きらめがない交ぜになった挽歌のようなこの本です。

ユカタン半島の原風景と、マヤ文化をかいま見ることもできます。
「キンタナ・ロー州民話(現代版)」といった趣もある内容です。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年4月13日に日本でレビュー済み
本書は2004年に翻訳出版された日本で6冊目のティプトリーの短編集。米本国では1985年に出版された長編『輝くもの天より墜ち』の翌年、1986年に出版された5冊目の短編集“TALES OF THE QUINTANA ROO”の全訳。
 内容は、ラクーナ・シェルドン名義で1981年から1983年にかけて2つのSF雑誌に発表されたユカタン半島の“キンタナ・ロー地方”を舞台とする連作のファンタジー短編3作に作品案内のような序文をつけたもので、書籍の方はティプトリー名義で出版されているようだ。

 評者はティプトリーの著作(の日本語翻訳版)を米国での出版順に読もうと思っていたので、本来なら『輝くもの天より墜ち』の方を先に読むべきなのだが、『星ぼしの荒野から』の終盤にしんどい話が続いたので、続けて長編を読む気になれず、収録されている各短編はこちらの方が早くSF誌に発表されているので、執筆順からするとこちらが先だろうと(自分に)言い訳をして、気楽に読めそうな本書に逃げる。

 期待どおり、読んでいる時には気楽に読めた。ティプトリーらしい重たさ、冷たさ、残酷さといった特徴がほとんどなく、長さも短編としては適当で、気軽に読める。
 物語の舞台は、問題作「男たちの知らない女」の舞台となっていたユカタン半島の海岸沿いで、キンタナ・ローと呼ばれる地方(州)だが、作品のテンションは大違い。3篇それぞれ少し雰囲気が異なる味の軽めのファンタジーで、ストーリー構成は3篇とも良く似ている。
 どの作品も、ラクーナ・シェルドン本人であるらしい主人公の物語で始まるのだが、それに続いて、作者=主人公がその地に関係する人物と出会う話があり、そしてその後、その人物から幻想的な話が聞かされるという形を取る。つまり、三段階の物語が語られており、階層が進むにつれて幻想の度合いが増すという形になっている。
 それぞれの物語の基調となっているのは、少しずつ文明に汚染されていくキンタナ・ローの自然と、その地に暮らす人々の歴史。そして、その地の真の住民になることはできないが少しずつ受け入れられているような主人公の日常。
 そこにあるのはそれまでの作品のような重大な事件や激しい対立ではない。描かれているのは、いかにも自然愛好者的な環境破壊に対する憤りと、若干マイルドな怪奇と幻想的な物語。
 本書を読み終えた時に感じたのは、ティプトリーの新境地というか、従来の作品群とは別の側面。特にジェンダーとセックスに関する尖がった作品群からは想像もできないような穏やかさだった。
 長年世話を続けてきた母親を看取ったこと。と、女性作家であることを隠す必要がなくなったこと。この2点によって、それまでの尖がったところが丸くなってきたのかなと思った。

 しかし、巻末の越川芳明氏の解説“マヤ族と大自然の逆襲”を読むと、評者(自分)がいかに文章の表面だけを読んでいたかということを気付かされる。
 ティプトリーは、評者のように中途半端な気持ちで読んではいけないのではないかと思い始める。評者としては邦訳されたティプトリーの著作、計八冊はすべて読むつもりでいるが、それを読み終えたら、新刊が出ない限りティプトリーを離れて他の作家の作品に移る予定でいる。
 しかし、この解説などを読んでいると、ティプトリーから離れることは許さないと言われているような気がする。読むからには、生涯かけて付き合うぐらいのつもりで読まなければならないのではないかと。

 本書の後も、ラクーナ・シェルドン名義で書かれた短編が3篇あるようだけど、本書の続篇ではないのだろうか? どんな話なのか分からないけど、読むのが楽しみ。

 以下、各話の感想など。

キンタナ・ローのマヤ族に関するノート  約6枚
 本書のための書き下ろし。序文のようなもの。
 物語の舞台となっている“キンタナ・ロー州”(メキシコのユカタン半島の一部)と、そこに居住するマヤ族の特異性についての概要。

リリオスの浜に流れついたもの(アシモフ誌 1981/09/28)  約90枚
 ある日わたしは、海岸沿いを一人の男が歩いて来るのを見つける。どこからやってきたのか?普通ならとても歩いてこれる場所ではない。彼は日陰での休息と多少の水を乞う。見かけよりもはるかに若いようだ。わたしは、食事を提供し、彼はその対価として経験を語る。それは、一夜の夢か幻のような話だった・・・
 テッド・チャンの「商人と錬金術師の門(2007)」を思い出した。入れ子構造の物語。物語の中の物語の中の物語。まるで夢を見ているよう。雰囲気はもろファンタジーで、SF志向のティプトリーらしくない。
 『星ぼしの荒野』には、ラクーナ・シェルドン名義の作品は環境保護関連だと書かれていたが、それ以外の点ではそれまでのシェルドン名義の4篇とは似ていない。あえて言うなら、「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!(1976)」だろうか。あまりSFらしくないという点で似ているかもしれない。
 作品の雰囲気で言えば、ティプトリー名義でも本篇の前年に発表された「スロー・ミュージック(1980)」にちょっとだけ似ているかも。
 一方、完全なファンタジーとは言い難い。とても普通の人間とは思えないような青年が登場し、幻のようにいなくなってしまう場面は現実的とかSF的とは言い難く、ファンタジー的だが、一夜の夢、又は無意識の願望実現小説的なところもある。 挿絵がなんと言えない緩い雰囲気を醸し出している。

水上スキーで永遠をめざした若者(F&SF誌 1982/10)  約55枚
 陸の孤島のような場所にも道路が作られ、少しずつ景色は変わっていく。しかし、まだ観光客が押し寄せて来るようなことはない。わたしは誰もいない入り江を訪れ、トゥルムの遺跡を遠くに眺めながらスノーケリングを楽しんでいた。
 そこにやって来た〈アンヘリケ号〉。わたしは昔馴染みの船長、ドン・マヌエルと酒を飲みながら懐かしい日々の話をする。船長は彼の昔の仲間である純血マヤ族の青年、アマドマーロ・コーのことを語り始める・・・
 悠揚迫らぬ口調で語られる幻想譚。 大いなる謎を秘めた古代マヤの遺跡が眠る土地。そういう土地柄であれば、何があっても不思議はない。

デッド・リーフの彼方(F&SF誌 1983/1) 約60枚
 久しぶりにコスメル島のレストラン〈エル・プソ〉に寄ってみると、アメリカ人のダイバーが大勢押し寄せるようになっていた。わたしは地元の人が集まるテーブルで、オーナーが店の一番古い客の一人だという少し年下のなかなか感じの良い白人男性と相席することになった。
 食後、彼はわたしを散歩に誘う。彼もダイバーで付近の穴場や最近の環境破壊について話が弾む。彼はブリティッシュ・ホンジュラス人、すなわちベリーズ人だという。
 彼はわたしが気づかないまま巻き込まれかけていたトラブルを解決し、その後、私の求めに応じて3、4年前のデッド・リーフでの出来事を語り始める・・・
 自然保護と環境保全をベースにしたSF的な怪談話かと思いながら読み終えて、そのまま解説を読んだのだが、これほど裏のある奥の深い話だったのかと驚く。やっぱり、全然読めていなかった。

〔解説〕 マヤ族と大自然の逆襲  ラテンアメリカ文学  越川芳明  約16枚
 巽孝之と小谷真理の著作での指摘を引き継いで、ティプトリー自身の中にいる「怪物」について自説を語る。
 そうか、そういうことだったのか。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年5月18日に日本でレビュー済み
1987年 世界幻想文学大賞 アンソロジー/コレクション部門 受賞作。

本書は、ティプトリーが女性であることが判明してからの作品で、ユカタン半島キンタナ・ロー州を舞台とした3つの連作短編からなっている。語り手となるのは、心理学者と思しき老人。彼が出会う海に魅入られた人々の怪異譚ということになるだろうか。カリブ海やその周辺の風景が、幻影に溶け込むがごとく美しく描かれていている。まぶたに焼き付くような色彩表現には懐かしさに似たものを感じた。

語り手の老人はティプトリーの男性としての分身なのであろう。彼が出会う人々との交流を読み解いていくと、ホモセクシャルな関係を連想してしまうのは考えすぎなのかな。ティプトリーはエキセントリックなところもあったようだから。

解説では、CIAの創設スタッフだったティプトリーの、アメリカの対中南米政策へのうしろめたさを示唆している。なるほど、”マヤ愛好症”のティプトリーによる海洋幻想小説(ファンタジーかな)でありながら、アメリカ的生活様式の流入に対する嘆きを感じてしまう。幻想的なフワフワ感に、現実のやるせなさを混ぜ込んだ短編集である。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルは長いけど、ページ数は少なく活字は大きく、さーっと読めます。
メキシコはユカタン半島東海岸のキンタナ・ローを舞台に、
グリンゴと呼ばれ蔑まれても、居座っているアメリカ人の主人公が聞きかじった不思議な話が三つ。

いかにもリゾート地らしい漂うような時間の流れ方に、
海中で幻惑されてもいいような気になってきます。
幽霊ものというよりは、確かに幻想的。

人間は自然に復讐されて呵るべきだという作者の意思が感じられたりして、
少しぞっとします。

でも実は、作者の経歴、死の理由などの方が衝撃的でした・・・。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年1月21日に日本でレビュー済み
1986年世界幻想文学大賞アンソロジー部門の受賞作。3つの短編から構成。
舞台はメキシコ、ユカタン半島にあるキンタナ・ローという実在の地。これを読むまで知りませんでしたが、キンタナ・ローは観光地として有名らしく、googleで検索すると美しい砂浜の写真がいくつも見つかります。
物語はいずれも海を舞台にした不思議なものですが、キンタナ・ローの風景写真を見ると、そんなことが起きてもおかしくはないような気がしてきます。
それにしてもティプトリーは、(勿論翻訳者の腕もあるでしょうけど、)文章が巧いですね。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年1月26日に日本でレビュー済み
今まで読んだ中では、一番おとなしいジェイムズ・ティプトリー・Jrでした。彼(?)のSFのイメージを持つと肩透かしを食らうかもしれませんが、これはこの本の「話中話」のスタイルがさせているのかもしれません。
でも、作品に登場する「未知なる物」の異質さはリアル。SFのガジェットが外れたことで、著者の意図がよりわかりやすく伝わります。
改めて、今まで読んだ著書を読み返したくなる一冊でした。FTかと思ったのですが、自分では違うような気がするので星4つですが、小説は文句なしに面白いです。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年11月6日に日本でレビュー済み
著者自身によって付けられた巻頭のノートによれば、メキシコのキンタナ・ロー州に住む古代マヤ族の末裔は、メキシコの他のインディオ達に比べて精神的な独立性を保っているようだ。
本書は、そんなキンタナ・ローを舞台にした、3つの掌編から成る連作集である。

・「リリオスの浜に流れついたもの」:浜辺のパティオに隠遁した心理学者の元へ、一人のアメリカ人の若者がやってくる。一匙のメープルシロップの引き換えにと、若者が語り出した体験談は実に奇妙なもの。彼が浜辺から見かけた漂流するボートには、折れたマストに女性が縛り付けられていた。必死で救助し浜辺へ戻った彼は気を失うのだが、意識を取り戻してみると、助けた相手は男性に変わっていたのだ・・・

・「水上スキーで永遠を目指した若者」:エビ捕り漁船のマヌエル船長が語る不思議な話。マヌエルは、若い頃に名ダイバーのコーと一つの冒険を行った。水上スキーに乗ったコーをマヌエルがボートで曳いてコスメル島から本土までの横断一番乗りを果たそうとしたのだ。しかし、夜明け近くに二人がトゥルムの遺跡の近くに差し掛かったとき、ボートのエンジンは二つとも停止し、コーは消えてしまった・・・

・「デッド・リーフの彼方」:ベテランのダイバーが語る不気味な話。彼は観光客達によってこれ以上ないぐらいに汚されたサンゴ礁”デッド・リーフ”の先に未踏のダイビング・ポイントを求めて、とあるカップルと共に向かうことになった。そこは期待を超える自然の宝庫だったが、恍惚郷の中でいつしかカップルをを見失った上に潮に流されてしまった彼は、海の底に巨大な女の姿を見出した・・・

体験を語る「話し手」の人となりや背景は当然ながらそれぞれに異なるが、実際には読者が担うことになる「聞き手」については細かい設定の必要性がないにも関わらず、不思議と共通性があり、全ての掌編においてキンタナ・ローに滞在し、現地人から「グリンゴ」なる別称で呼ばれながらもに一定の距離を保って馴染んでいるアメリカ人が登場する。
恐らくはこの「聞き手」達は著者自身の投影なのだろう。
創設期のCIA所属にしていたという、作家として一風変わった略歴を持つ著者が、キンタナ・ローを含む南米地域に関する知識を持っていることに不思議はないが、自ら「マヤ愛好症」を名乗る彼女は、アメリカによってコントロールされた民主化や、それに先立つ大公開時代のヨーロッパによる殖民などに、個人として精神的な引け目を感じているようだ。
カリブ海に面したキタンナ・ローは、多くのアメリカやヨーロッパ人にとってリゾート地でしかないのかも知れないが、著者はそこに息づく古代マヤの息吹と、宇宙開拓が始まろうとする現代にあってさえ、今なお謎を残す海洋との交点に幻想を生み出している。
SFの分野では幾つもの受賞暦がある著者だが、本書も幻想文学大賞に輝いており、ただならぬ視点の鋭さが感じられた。
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