このシリーズが大好きでした。完結してしまったのが寂しい。
可能なら、是非また続きの物語が読みたいです。
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ミステリ・オペラ (上) (ハヤカワ文庫 JA (811)) 文庫 – 2005/8/25
山田 正紀
(著)
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- 本の長さ602ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2005/8/25
- ISBN-10415030811X
- ISBN-13978-4150308117
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2005/8/25)
- 発売日 : 2005/8/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 602ページ
- ISBN-10 : 415030811X
- ISBN-13 : 978-4150308117
- Amazon 売れ筋ランキング: - 692,010位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月28日に日本でレビュー済み
<一部のネタバレあり>
主に手記の語り手である善知鳥(うとう)良一と、それを読む萩原桐子の二人の視点で物語は交互に進む。しかも善知鳥が書いたとされる文書は、列帖装のものと折本の二種類あって、同じく昭和12年の満洲を描き、共通の登場人物や地名が出てくるものの、片や小説風、片や日記風である。
桐子パートは、彼女がいわゆる信用できない語り手で、パラレルワールドがどーのこーの、時間を行き来がどーのこーのと正直うざい。
とは言え、今日では推理小説で信用できない語り手というのはよくある話で、もはやアンフェアだなんて騒ぎになる事もない。手記と合わせて三視点の文章にそれぞれ不思議な事象が起こり、物語の中で何が現実で何が虚構なのかを混乱させてくるのもウェルカムだ。
ただし、最終的にそれらを整理して提示する著者を信頼しての話である。
戯言を別の戯言で包み、重層的にゴテゴテに育てる趣向は、明らかに『黒死館殺人事件』というか、小栗虫太郎作品へのオマージュであろう。たしか小城魚太郎の名前は、小栗作品にセルフパロディとして登場していたよーな。
ただし小栗作品では、あまり深く考えずに衒学趣味に身を任せておけばよかったが、本作ではそうはいかなかった。本作の複雑なゴテゴテには、流すわけにはいかない核があるからだ。
いわゆる"南京大虐殺"である。
一応本書中に、この事件には"虐殺派"と"虐殺否定派"がいて、まだ結論は出ていない(上巻P.441)といった記述もあるが、全体を通して、南京の虐殺はあったという"事実"のもとにプロットが出来上がっている。
この問題に関しては、戦争中から外部への宣伝が得意で、重慶爆撃の僅かな誤爆にもギャーギャー騒ぎたてた蒋介石が、南京にはまったく触れなかったということと、戦時国際法などお構いなしに、日本の各都市への大規模空襲と二発の原爆で、老若男女の非戦闘員を数十万人規模で虐殺したアメリカが、東京裁判で日本の悪辣さを示すにあたって、都合よく喧伝された"事件"だったことを見ても、相当胡散臭いわけだが、同時代に書かれた筈の善知鳥良一の手記では、「皇軍はそれに対する報復として、全軍をあげて殺戮、放火、破壊作戦に突入したのだといふ」(上巻P.167)と記し、関東軍の実力者、早見風弘の台詞として、「遺憾ながら、わが皇軍が南京城に攻め込んだときに、軍規にかなりの混乱があったと聞いてゐます」(下巻P.20)と匂わせている。
早見はかわいそうなキャラで、当時満洲に逃げてきた大勢の白系ロシア人を受け入れたとしながら、それは彼らの貴金属を没収するためだったとされてしまう始末であるw
そしてどうにも判らないのが、満洲パートの様々な不思議事件を演出した"犯人"の動機とも言えるのが、南京に入城するある皇族へ見せるために、心ならずも犠牲者を演じたことの悔しさだという。
なんだって?
一般人以上にケガレを嫌う皇族が、大量の犠牲者が散乱していることを望んだということ?
実際に"虐殺"された屍は、すでに処理済みだったということ?
もはやなにが言いたいのかわけがわからん。著者も混乱しているのではないか。
この奇妙な主張の押しつけが、ゆっくり幻想に浸ることを疎外しているし、この幻想に一定の結論を与えるギミックとして用意された検閲図書館と黙忌一郎が、さらに不条理を大きくしている。【注1】
検閲、言論弾圧、発禁が横行するこの国にあっては、
誰かがその外部に立って、"歴史の真実"を記録する必要があるわけで、
その任を追わされているのが検閲図書館なのだった。(下巻P.340)
このくにの歴史において、最大の検閲、言論弾圧、発禁を行ったのはGHQだが、一体黙忌一郎はその時なにをやってたんだかw
この長大なミステリ?においては、何度か検閲図書館について語られるが、黙忌一郎や検閲図書館を企画した人たちは、公文書というものが存在することをまったく知らないようだwww
あまり言及すると本書の感想の域を超えるので、最低限触れるだけにしておくが、"虐殺"があったかなかったか、何人までなら虐殺じゃなかったかと言えるのか、なんて考えるのはナンセンスである。
戦死者ではなく、虐殺された人数をカウントするなら、まず最低限のルールに乗っ取ったうえでの、「戦争」行為自体を認めて、そのうえで「虐殺」の定義をしなければならない。
虐殺はあった!と唱える人たちで、これができている人を見たことがない。
「一人の命は地球よりも重い」的に情緒MAXに叫んでいるだけである。
こどもならそれでもよいが、理性的、教養的でありたい大人として、南京事件を知らないのは問題外としても、ただ々々当時の事件についての資料や日本史を読むだけではダメである。
少なくとも中世以降、現代に至るまでの欧米中華の戦争史や民族のキャラクターについてイメージできるようにならないと、「被害者が証言しているじゃないか!」なんておこちゃまな主張しかできないようになる。
少しでも人間という生物を知れば、"証言者"や"当時の日記"をそのまま鵜呑みにできないことは明らかである。
もちろん当時の新聞記事も、注意深く偏向を引き算して、他の資料とつき合わせねばならない。
そこで重要になってくるのが、特に主張や言い訳の入る余地のない、当時の連絡書、仕様書、命令書といった大量の公文書である。
聞いてるか、黙忌一郎www
【注1】 ついでながら、宿命城の所在地についても理解ができない。満洲の北西奥に位置する筈だが、地下には始皇帝関連の遺物??? 彼の活動域からは優に1000キロは離れていると思うが……。
主に手記の語り手である善知鳥(うとう)良一と、それを読む萩原桐子の二人の視点で物語は交互に進む。しかも善知鳥が書いたとされる文書は、列帖装のものと折本の二種類あって、同じく昭和12年の満洲を描き、共通の登場人物や地名が出てくるものの、片や小説風、片や日記風である。
桐子パートは、彼女がいわゆる信用できない語り手で、パラレルワールドがどーのこーの、時間を行き来がどーのこーのと正直うざい。
とは言え、今日では推理小説で信用できない語り手というのはよくある話で、もはやアンフェアだなんて騒ぎになる事もない。手記と合わせて三視点の文章にそれぞれ不思議な事象が起こり、物語の中で何が現実で何が虚構なのかを混乱させてくるのもウェルカムだ。
ただし、最終的にそれらを整理して提示する著者を信頼しての話である。
戯言を別の戯言で包み、重層的にゴテゴテに育てる趣向は、明らかに『黒死館殺人事件』というか、小栗虫太郎作品へのオマージュであろう。たしか小城魚太郎の名前は、小栗作品にセルフパロディとして登場していたよーな。
ただし小栗作品では、あまり深く考えずに衒学趣味に身を任せておけばよかったが、本作ではそうはいかなかった。本作の複雑なゴテゴテには、流すわけにはいかない核があるからだ。
いわゆる"南京大虐殺"である。
一応本書中に、この事件には"虐殺派"と"虐殺否定派"がいて、まだ結論は出ていない(上巻P.441)といった記述もあるが、全体を通して、南京の虐殺はあったという"事実"のもとにプロットが出来上がっている。
この問題に関しては、戦争中から外部への宣伝が得意で、重慶爆撃の僅かな誤爆にもギャーギャー騒ぎたてた蒋介石が、南京にはまったく触れなかったということと、戦時国際法などお構いなしに、日本の各都市への大規模空襲と二発の原爆で、老若男女の非戦闘員を数十万人規模で虐殺したアメリカが、東京裁判で日本の悪辣さを示すにあたって、都合よく喧伝された"事件"だったことを見ても、相当胡散臭いわけだが、同時代に書かれた筈の善知鳥良一の手記では、「皇軍はそれに対する報復として、全軍をあげて殺戮、放火、破壊作戦に突入したのだといふ」(上巻P.167)と記し、関東軍の実力者、早見風弘の台詞として、「遺憾ながら、わが皇軍が南京城に攻め込んだときに、軍規にかなりの混乱があったと聞いてゐます」(下巻P.20)と匂わせている。
早見はかわいそうなキャラで、当時満洲に逃げてきた大勢の白系ロシア人を受け入れたとしながら、それは彼らの貴金属を没収するためだったとされてしまう始末であるw
そしてどうにも判らないのが、満洲パートの様々な不思議事件を演出した"犯人"の動機とも言えるのが、南京に入城するある皇族へ見せるために、心ならずも犠牲者を演じたことの悔しさだという。
なんだって?
一般人以上にケガレを嫌う皇族が、大量の犠牲者が散乱していることを望んだということ?
実際に"虐殺"された屍は、すでに処理済みだったということ?
もはやなにが言いたいのかわけがわからん。著者も混乱しているのではないか。
この奇妙な主張の押しつけが、ゆっくり幻想に浸ることを疎外しているし、この幻想に一定の結論を与えるギミックとして用意された検閲図書館と黙忌一郎が、さらに不条理を大きくしている。【注1】
検閲、言論弾圧、発禁が横行するこの国にあっては、
誰かがその外部に立って、"歴史の真実"を記録する必要があるわけで、
その任を追わされているのが検閲図書館なのだった。(下巻P.340)
このくにの歴史において、最大の検閲、言論弾圧、発禁を行ったのはGHQだが、一体黙忌一郎はその時なにをやってたんだかw
この長大なミステリ?においては、何度か検閲図書館について語られるが、黙忌一郎や検閲図書館を企画した人たちは、公文書というものが存在することをまったく知らないようだwww
あまり言及すると本書の感想の域を超えるので、最低限触れるだけにしておくが、"虐殺"があったかなかったか、何人までなら虐殺じゃなかったかと言えるのか、なんて考えるのはナンセンスである。
戦死者ではなく、虐殺された人数をカウントするなら、まず最低限のルールに乗っ取ったうえでの、「戦争」行為自体を認めて、そのうえで「虐殺」の定義をしなければならない。
虐殺はあった!と唱える人たちで、これができている人を見たことがない。
「一人の命は地球よりも重い」的に情緒MAXに叫んでいるだけである。
こどもならそれでもよいが、理性的、教養的でありたい大人として、南京事件を知らないのは問題外としても、ただ々々当時の事件についての資料や日本史を読むだけではダメである。
少なくとも中世以降、現代に至るまでの欧米中華の戦争史や民族のキャラクターについてイメージできるようにならないと、「被害者が証言しているじゃないか!」なんておこちゃまな主張しかできないようになる。
少しでも人間という生物を知れば、"証言者"や"当時の日記"をそのまま鵜呑みにできないことは明らかである。
もちろん当時の新聞記事も、注意深く偏向を引き算して、他の資料とつき合わせねばならない。
そこで重要になってくるのが、特に主張や言い訳の入る余地のない、当時の連絡書、仕様書、命令書といった大量の公文書である。
聞いてるか、黙忌一郎www
【注1】 ついでながら、宿命城の所在地についても理解ができない。満洲の北西奥に位置する筈だが、地下には始皇帝関連の遺物??? 彼の活動域からは優に1000キロは離れていると思うが……。
2012年3月17日に日本でレビュー済み
「本格探偵小説のあらゆるガジェットを投入」して、「完璧な」本格探偵小説が出来上がるのなら良いが、山田正紀の場合は当然そうはいかない。伝記ミステリーと、SFと、推理小説をキメラ的に融合することで出来上がったのは「本格探偵小説のごった煮SFスパイス和え」である。『ドグラ・マグラ』、『Yの悲劇』、『僧正殺人事件』、『黒死館殺人事件』、そして「加賀」警部補、「鬼が貫くとか、鬼の面、とかいふ意味合ひの、変つた名の警部」に加えて、「この世に不可能なことなど何もありません」という台詞など、古今東西の著名な推理小説のタイトルや台詞の引用を散りばめつつ物語は展開する。犯罪状況を構成するトリックは、文脈抜きに語ったならばあきれられること必至の、殆どが「掟破り」かあるいは「反則」すれすれであるのだが、しかしそれが物語の中では不思議に存在感を保つ。と言うのも物語全体が既に十分破天荒であるからだ。ジャンルを超越し、もはや「物語」とでも言うしかないストーリーが、昭和13年と平成元年の二つの時空において同時に進行する。そして「平行宇宙」論が時空の間隙を結ぶ。いまではその存在の可能性が当たり前のように語られる「平行宇宙」(または「分岐宇宙」)については、実は実在と認識の混同という致命的な欠陥が存在し、その点においてこの理論は成立しえないどころか根本において誤っていると思われるのだが、それはまた別の話である。ともかくも分裂した時空が重ね合わされるラストシーンは、一枚の風景画のように鮮やかである。
2008年8月31日に日本でレビュー済み
歴史小説じゃないので、探偵小説の時点でフィクションになると思う。
探偵小説でしか語れぬ真実もあるんだぜ、という科白が何とも心憎い。概略を述べると、読む人の楽しみを奪うことにもなりかねませんので、ただ一言『絶対に面白い。是非読んでみて。』としか言えません。
探偵小説でしか語れぬ真実もあるんだぜ、という科白が何とも心憎い。概略を述べると、読む人の楽しみを奪うことにもなりかねませんので、ただ一言『絶対に面白い。是非読んでみて。』としか言えません。
2018年2月4日に日本でレビュー済み
購入した人たちがどれくらいの割合で最後まで読んだか、データを集めてほしい。
読み切った私は時間を返してほしい。
先ず、謎解きは、やたらとご都合主義の連続である。あまりにも死に方が安易。偶然頭を打っただけで、それほど簡単に人は死なない。
桐子は、目が不自由→不安から精神錯乱→いろんなことをパラレルワールドで考えるようになった、ということだが、目が悪いのにタクシーの中で原稿が、それも虫食いのしたようなものが精読できるのか?など突っ込みどころ満載。
題名のごとく恩田氏からも高く評価を得ている。
第2回本格ミステリー大賞をとったとのことであるが、こんなんでいいのか?この賞はミステリー作家たちのオナニーではないだろうか?とさえ考える(本文中に本人SF作家が探偵小説作家に媚びを売っている、ような会話が多い)
でぇ、前半に出てきたフリーメイソンの話はどうなったの?
山田先生は大病を患われたと最後に書いてあるが、たしかに大変だったと思うが、この話がこのミステリ・オペラという長い長い、読後疲労感を感じる作品に、読者側が同情することを強いられているようで残念である。
読み切った私は時間を返してほしい。
先ず、謎解きは、やたらとご都合主義の連続である。あまりにも死に方が安易。偶然頭を打っただけで、それほど簡単に人は死なない。
桐子は、目が不自由→不安から精神錯乱→いろんなことをパラレルワールドで考えるようになった、ということだが、目が悪いのにタクシーの中で原稿が、それも虫食いのしたようなものが精読できるのか?など突っ込みどころ満載。
題名のごとく恩田氏からも高く評価を得ている。
第2回本格ミステリー大賞をとったとのことであるが、こんなんでいいのか?この賞はミステリー作家たちのオナニーではないだろうか?とさえ考える(本文中に本人SF作家が探偵小説作家に媚びを売っている、ような会話が多い)
でぇ、前半に出てきたフリーメイソンの話はどうなったの?
山田先生は大病を患われたと最後に書いてあるが、たしかに大変だったと思うが、この話がこのミステリ・オペラという長い長い、読後疲労感を感じる作品に、読者側が同情することを強いられているようで残念である。
2008年8月3日に日本でレビュー済み
歴史に対する意識が貧弱過ぎる。ハッタリ的な道具立てを取り除いて虚心に眺めてみると、この作者は、いわゆる進歩的歴史観から、一歩も踏み出していないのが解る。推理小説としても、夢野久作あたりから松本清張、京極夏彦ぐらいまでの作家の技法を取り込んでいるのだけれど、逆にそれらを越えるところがなく、ただ無駄に長いだけの劣化コピーという印象。
2018年6月12日に日本でレビュー済み
上巻の途中からすでに何度も挫折しかかった。同じような言い回しが何度も出てきたり、大げさな言葉で語られる「つまらない出来事」「どうでもいいシーン」の連続に飽き飽きした。
少し読んで断念して、数か月放置して、「賞を取った有名な作品なんだから、だんだん面白くなるのかも!」と再開して「やっぱり我慢できない」と断念し・・・を繰り返した。
結局、何か月もかけて下巻にたどりつき、ミステリーであればもっともワクワクするであろう後半の解決シーンでさえ途中で読む気が失せ、「あと残り少し」のページ数であるにも関わらず完全に見限った。
少し読んで断念して、数か月放置して、「賞を取った有名な作品なんだから、だんだん面白くなるのかも!」と再開して「やっぱり我慢できない」と断念し・・・を繰り返した。
結局、何か月もかけて下巻にたどりつき、ミステリーであればもっともワクワクするであろう後半の解決シーンでさえ途中で読む気が失せ、「あと残り少し」のページ数であるにも関わらず完全に見限った。