大阪弁というのは不思議なもので、お堅い内容であっても「庶民的な」「コテコテとした」ステータスをくっ付けて、骨抜きにしてしまう割に、文字に起こすと「嘘くさい」感じになってしまい、フィクション内数多の関西人が、この作用によって「胡散臭い」雰囲気を御構い無しに付与されて来ました。
しかし、この「コテコテ」化作用をうまく使って、虚構と現実の壁をぐずぐずに崩し、挙句その残骸のヌラヌラした部分を道頓堀川に投下して生まれたのがこの小説なのかもしれません。
「大阪」の色をたたえた、何か生暖かく、ぬらっとした世界観を味わうのは、とても良い体験になりました。
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ウニバーサル・スタジオ (ハヤカワ文庫 JA キ 6-8) 文庫 – 2007/8/1
北野 勇作
(著)
- 本の長さ257ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2007/8/1
- ISBN-104150308985
- ISBN-13978-4150308988
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2007/8/1)
- 発売日 : 2007/8/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 257ページ
- ISBN-10 : 4150308985
- ISBN-13 : 978-4150308988
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,586,984位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1962年生まれ
『昔、火星のあった場所』でデビュー。
SFとか書く。
暗闇で朗読をする。
たまに芝居とかする。
著作
『かめくん』『きつねのつき』『カメリ』
『大怪獣記』『人面町四丁目』
『水から水まで』他
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年1月28日に日本でレビュー済み
一旦終末を迎えた後に、バイオテクノロジーを用いて新たな世界を創造する話。
バイテクによる天地創造・国造り神話だ。
短いエピソードが積み重なり、断片が示される。しかし、全体はひどく曖昧だ。
まさに、ウニの殻の内のような「やわらかさ」だ。
北野氏のこの曖昧な「やわらかさ」とバイオテクノロジーSFとの相性は抜群だ。
また、大阪テイスト溢れる作品でもあった。
バイテクによる天地創造・国造り神話だ。
短いエピソードが積み重なり、断片が示される。しかし、全体はひどく曖昧だ。
まさに、ウニの殻の内のような「やわらかさ」だ。
北野氏のこの曖昧な「やわらかさ」とバイオテクノロジーSFとの相性は抜群だ。
また、大阪テイスト溢れる作品でもあった。
2007年9月4日に日本でレビュー済み
舞台は近未来の大阪。
ここにウニバーサルスタジオという、アミューズメントパークがあります。もちろんのことながらUSJ、大阪ユニバーサルスタジオのもじり、だじゃれです。このだじゃれ、落語的にいうと地口は関西ではとても重要な要素で、これなくしては大阪では会話も成立しないのは皆さまもご承知の通り。ビジネスの重要シーンでも使うし、ことは大人の世界だけはなく、子供の世界にあっても、近畿地区でのいじめの原因の第一位は、面白くないから、です。大阪ではルックスもさることながら、会話や笑いのセンスがなければつきあう相手を見つけるのも苦労のし通しです。そういう関西、わけても現実の大阪をフィードバックして、ユニバーサルスタジオを最初のとっかかりと舞台としてだじゃれやジョーク、シチュエーションコメディ、パロディをこれでもかこれでもかと投入したのがこの小説です。
故に主人公はいません。普通、小説といえば曲がりなりにも主人公があって、それがさまざまな経験や体験をつんで、その中で読み手が感情移入してゆくものと相場が決まっています。昔懐かしい起承転結ではないですが、そういうものです。そういうお約束がこの小説はありません。ウニの形をかたどったウニバーサルスタジオというアミューズメントパークを舞台にその観光案内や、内部スタッフの話、メタなレベルでの世界が本当に存在しているかいないかというSF的アプローチ、そういうものをやりながら、ケンタッキーフライドチキンでおなじみのカーネル・サンダースがテロリストとして活躍していたり、大阪の中心部の梅田の語源の埋め立て地の「埋めた」土地を逆手にとって、泥沼の中にカエル人間とヒトとの戦いが描かれていたり、エヴァンゲリオンのような巨大生物兵器として道頓堀のグリコの巨大ランナーが動いたり、もうこれでもかというぐらいパロディやアイデアが投入されています。
そのアイデアの投入の中では、時間や話の矛盾や脈絡も完全に断ち切られています。短い章立ての中で話がつながっていたり、いなかったり、前とまったく矛盾したりということが他の北野作品同様に起こります。しかし、これが北野作品の特徴と考えれば北野テイストはあいかわらず健在です。そしてそれらのスパイスに自虐的な阪神タイガースネタがちりばめられています。
ただ、そのようにあまりにも大阪的(こういうたとえがまた分からないかも知れませんが、吉本新喜劇よりも中島らもの馬鹿話よりもぐだぐだです)な作品だけに好き嫌いは非常に別れると思います。全然ダメじゃんという人もいると思います。けれど、樽井的にはプッシュします。
ここにウニバーサルスタジオという、アミューズメントパークがあります。もちろんのことながらUSJ、大阪ユニバーサルスタジオのもじり、だじゃれです。このだじゃれ、落語的にいうと地口は関西ではとても重要な要素で、これなくしては大阪では会話も成立しないのは皆さまもご承知の通り。ビジネスの重要シーンでも使うし、ことは大人の世界だけはなく、子供の世界にあっても、近畿地区でのいじめの原因の第一位は、面白くないから、です。大阪ではルックスもさることながら、会話や笑いのセンスがなければつきあう相手を見つけるのも苦労のし通しです。そういう関西、わけても現実の大阪をフィードバックして、ユニバーサルスタジオを最初のとっかかりと舞台としてだじゃれやジョーク、シチュエーションコメディ、パロディをこれでもかこれでもかと投入したのがこの小説です。
故に主人公はいません。普通、小説といえば曲がりなりにも主人公があって、それがさまざまな経験や体験をつんで、その中で読み手が感情移入してゆくものと相場が決まっています。昔懐かしい起承転結ではないですが、そういうものです。そういうお約束がこの小説はありません。ウニの形をかたどったウニバーサルスタジオというアミューズメントパークを舞台にその観光案内や、内部スタッフの話、メタなレベルでの世界が本当に存在しているかいないかというSF的アプローチ、そういうものをやりながら、ケンタッキーフライドチキンでおなじみのカーネル・サンダースがテロリストとして活躍していたり、大阪の中心部の梅田の語源の埋め立て地の「埋めた」土地を逆手にとって、泥沼の中にカエル人間とヒトとの戦いが描かれていたり、エヴァンゲリオンのような巨大生物兵器として道頓堀のグリコの巨大ランナーが動いたり、もうこれでもかというぐらいパロディやアイデアが投入されています。
そのアイデアの投入の中では、時間や話の矛盾や脈絡も完全に断ち切られています。短い章立ての中で話がつながっていたり、いなかったり、前とまったく矛盾したりということが他の北野作品同様に起こります。しかし、これが北野作品の特徴と考えれば北野テイストはあいかわらず健在です。そしてそれらのスパイスに自虐的な阪神タイガースネタがちりばめられています。
ただ、そのようにあまりにも大阪的(こういうたとえがまた分からないかも知れませんが、吉本新喜劇よりも中島らもの馬鹿話よりもぐだぐだです)な作品だけに好き嫌いは非常に別れると思います。全然ダメじゃんという人もいると思います。けれど、樽井的にはプッシュします。