舞台は第二次世界大戦中の、架空の島にある米軍の空軍基地。
ここに配属されている航空士たちは、出撃回数のノルマをこなさないと
アメリカ本国へ帰還することができない。
しかし、将軍は自分の功績を上げようとして、ノルマをどんどん上げてゆく。
すると、いったんノルマに達した者も、それでまた出撃しなくてはならなくなる。
つまり、兵士たちはいつまでたっても帰れずに戦争を続けなければならないのだ。
帰れるはずだった者は再出撃して墜落、愛国心を持って命令に従った者は行方不明になり、
ノルマが元のままだったらとっくに帰国していたはずの兵士たちが次々と死んでゆく。
というと、ひどく悲惨な話のようだ。
しかし、その悲惨な現実の真っただ中にいる主人公たちは、それだけではすまない。
兵士たちの中には、私たちの周りにいるのと同じように、
変な人、可笑しい奴、ワケワカランやつ、妙に繊細な人、無神経な奴、賢い人もいる。
登場する人々はそれぞれが実に個性的で、ユーモラスに描写されている。
そのために、この極端に悲惨な状況が、そのままブラックユーモアの舞台となってしまう。
「もうあやまちは繰り返しません」的な殺伐とした戦争ものではなく、
まるで冗談と本気の区別がないような、楽しくも悲しい人間たちの物語になっている。
ボリス・ヴィアンとかブローティガン、ヴォネガットが好きな人ならきっと楽しめると思う。
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キャッチ=22 下 (ハヤカワ文庫 NV 134) 文庫 – 1978/3/1
- 本の長さ373ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1978/3/1
- ISBN-104150401349
- ISBN-13978-4150401344
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1978/3/1)
- 発売日 : 1978/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 373ページ
- ISBN-10 : 4150401349
- ISBN-13 : 978-4150401344
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,746,921位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あとがきを読んでも、この作品が傑作とは思えない。乗りきれなかった要因は、ヨッサリアンでさえも変人なので、基準となる人物がいないことだと思う。カフカ的なものを予想していた自分が悪かったと思って諦めよう。
2014年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私には難しすぎました。これが書かれた頃のアメリカの生活習慣や価値観を理解していないと、著者の考えは理解できないのかもしれません。
2005年10月6日に日本でレビュー済み
この場合の「戦後」とはベトナム戦争でも湾岸戦争でも、ましてや対イラク戦争でもなく「第二次世界大戦後」のことです。自分で書いて思ったのですが、「戦後」というのも随分古い言葉になったように感じますね、それだけ新たな戦争が繰り返され続けているということでしょうか・・・
とにかく傑作です、涙と不条理、そして愛と笑いに溢れた20世紀を代表する文学作品です、飛田茂雄氏の訳も素晴らしい、古びることのないクラシックとして強くお勧めします。
とにかく傑作です、涙と不条理、そして愛と笑いに溢れた20世紀を代表する文学作品です、飛田茂雄氏の訳も素晴らしい、古びることのないクラシックとして強くお勧めします。
2002年8月26日に日本でレビュー済み
同名映画(たぶん、マイク・ニコルズ監督、アラン・アーキン/ジョン・ヴォイト/オーソン・ウェルズ出演の戦争もの)がこのたびDVD化されるようです。
原作は800万部超を売り上げたといわれるジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』(ハヤカワ文庫)。
キャスカート大佐率いるピアノーサ島の基地では、多くの具体的な条項を持った(しかし実際にはどこにも存在していない)軍規"キャッチ22"が支配している。この"キャッチ22"の下、有無を言わさず兵は死地に赴かされ、価値は完全に逆転し、公文書があらゆる事実より優先し、正気の者は狂気に追い立てられ、狂気の者は反対に正気の者を基地外呼ばわりする...
戦争の不条理さを徹底的に風刺したブラック・ユーモアです。原作とともに映像もお楽しみください。
ちなみに、原作者のヘラーは進行性筋萎縮症(ギランバレー症候群)に罹り、その闘病生活を描いた『笑いごとじゃない』もお勧めです。
原作は800万部超を売り上げたといわれるジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』(ハヤカワ文庫)。
キャスカート大佐率いるピアノーサ島の基地では、多くの具体的な条項を持った(しかし実際にはどこにも存在していない)軍規"キャッチ22"が支配している。この"キャッチ22"の下、有無を言わさず兵は死地に赴かされ、価値は完全に逆転し、公文書があらゆる事実より優先し、正気の者は狂気に追い立てられ、狂気の者は反対に正気の者を基地外呼ばわりする...
戦争の不条理さを徹底的に風刺したブラック・ユーモアです。原作とともに映像もお楽しみください。
ちなみに、原作者のヘラーは進行性筋萎縮症(ギランバレー症候群)に罹り、その闘病生活を描いた『笑いごとじゃない』もお勧めです。
2021年4月21日に日本でレビュー済み
知人から勧められて読み出したのですが、上巻早々で3、4度挫折した上でやっとの読了。
脈絡のない他人の悪夢を読まされているかのような小説。
解体された時系列、わざと意味を取りにくくしているかのような複雑な文章。
ストーリーを追う楽しみはなく、文章を読む快感もない、自分としては本当に悪夢のような読書体験でした。
戦争という悪夢を追体験させるのが、この作者の意図なのだとしたら、それは完全に成功していると言えるでしょう。
引き込まれる場面、魅力的な登場人物も多々あり、嫌いになれない小説なのですが、読んでいて、「もう少し上手くやってくれよ」というのが率直な感想です(あえてそうしてないのかもしれませんが)
あまりに読み進め辛いので、「すべては戦争で精神に異常をきたした主人公の妄想でした」というオチなのかと思いきや、そういうこともなく、一度読んだだけでは到底把握できない内容です。
巻末の時系列を念頭において気が向いたときにパラパラ読み返してみようかなと思います。
PS 装丁かっこいいです。それがなければ諦めて投げ出していたかも。
脈絡のない他人の悪夢を読まされているかのような小説。
解体された時系列、わざと意味を取りにくくしているかのような複雑な文章。
ストーリーを追う楽しみはなく、文章を読む快感もない、自分としては本当に悪夢のような読書体験でした。
戦争という悪夢を追体験させるのが、この作者の意図なのだとしたら、それは完全に成功していると言えるでしょう。
引き込まれる場面、魅力的な登場人物も多々あり、嫌いになれない小説なのですが、読んでいて、「もう少し上手くやってくれよ」というのが率直な感想です(あえてそうしてないのかもしれませんが)
あまりに読み進め辛いので、「すべては戦争で精神に異常をきたした主人公の妄想でした」というオチなのかと思いきや、そういうこともなく、一度読んだだけでは到底把握できない内容です。
巻末の時系列を念頭において気が向いたときにパラパラ読み返してみようかなと思います。
PS 装丁かっこいいです。それがなければ諦めて投げ出していたかも。
2016年9月25日に日本でレビュー済み
【最後の方にネタバレあり】
この小説は実に奇妙である。作者がそれを意図したのかどうかわからないが、とにかく読みにくい。文章が頭に入ってくるかと思えば入ってこなくなり、物語が展開したかと思えばひどく散漫となり、こちらが期待すると突き放され、理解しようとすると理解させないように混迷させる。
上巻の321Pからわかりやすくなるが、それまではなにがなんだかさっぱりわからない。それ以降一応話の筋が見えてくるが、その中で語られることはドタバタで、混乱していて、感情移入ができない、というか拒まれる。
下巻の300Pをすぎてから突然倫理的というか説明的となり、主人公のヨッサリアンが作者の分身であるかのようになるが、ここらあたりからようやく一般的な小説らしくなり、この小説の意図が明確になってくる。主人公のヨッサリアンも、キャッチ=22という小説の中の重要なモチーフも、ここにきてようやく前面に出てくる。それまでのはあまりに長い、悪い冗談というか悪夢みたいだ。
悪夢ということであれば、成功だ。この小説は戦争を描いているわけだし、軍隊の内部構造も、マイローという人物を通して描かれるあまりに暴走した極端な資本主義も、悪夢そのものだから。
でも、それにしても、徹底的にこの作者は読者に媚びない。もうやりたい放題である。やはりそれは意図されたことなのだろうか。こんなに突き放されると正直つらい。
これほど読者を選ぶ小説はなかなかないだろう。特に、アメリカンジョークやアメリカンブラックジョークを身体で感じ取ることができない日本人の自分にとっては、この小説はあまりにハードルが高い。
この作者は八年かけてこの小説を書いたようだが、おそらく書くほどに収拾がつかなくなっていったのではないか。最後の方でそれを強く感じた。作者は落としどころを苦心したに違いない。404Pから405Pを読むと、それがよくわかる。つまり、この話の設定がいつなのかが重要なのだ。ヨッサリアンが逃げるとしたら、ヒトラー率いるドイツ軍の敗北間近でなければならないからだ。解説で松田青子氏が最後に、「世界の構造に違和を持つ者がこの世にいる限り……」と書いているが、小説内の時代がどういう時代なのかなによりも考えなければならない。世界の構造よりももっと強大な悪が世界を支配しようと破竹の勢いで進撃していたのである。それもまた世界の構造といえるが、松田氏のそれは軍隊の内部構造であり、資本主義である。しかし、どちらの場合も強大な悪の前では文句を言っている場合ではないのである。ヒトラーが世界を支配すれば劣悪な資本主義よりも最悪な軍隊の規律よりも、もっとひどいことになるだろう。ヨッサリアンも戦わざるを得ないし、オアは最低最悪な戦犯になってしまう。だから、作者はこの話の設定を第二次世界大戦の末期にしたのだ。それを最後に種明かしみたいに披露したことで、この小説は戦争小説ではなくて、軍隊内部の規律や民主主義を極端にデフォルメしてブラックジョークでくるんだ作品であるということがようやくわかるのである。これは作者の苦心の末の落としどころだったのではないか。この小説をずっと読んでいて感じた違和感はそこである。戦争小説だと思って読んではいけない、敵はほとんどでてこない、なぜなら敵はもう風前の灯火だから。だからこれは非常に奇妙な小説なのだ。
最後にヨッサリアンはオアにならって逃亡するが、この小説が資本主義を皮肉った作品である以上、彼らが逃げた先にも資本主義があるのだということを作者は匂わせるべきだったのではないか。スウェーデンにも資本主義がはびこり、軍隊の規律に象徴されるような不条理が会社や役所の中にまで忍び込んでいるのである。だとしたら、従軍牧師のとった態度、耐え抜く、ということこそがこの世界に生きる術ということにならないか。耐え抜く、それ以外に何があるのか、そして耐えながら微かな抵抗をねちねちと試みる、その小さな者たちの小さな抵抗が少しずつ増えていきやがて巨大な力となった時、資本主義や軍隊に象徴される強大な権力を打ち負かすことができるだろう。それは歴史が証明している。
この小説は実に奇妙である。作者がそれを意図したのかどうかわからないが、とにかく読みにくい。文章が頭に入ってくるかと思えば入ってこなくなり、物語が展開したかと思えばひどく散漫となり、こちらが期待すると突き放され、理解しようとすると理解させないように混迷させる。
上巻の321Pからわかりやすくなるが、それまではなにがなんだかさっぱりわからない。それ以降一応話の筋が見えてくるが、その中で語られることはドタバタで、混乱していて、感情移入ができない、というか拒まれる。
下巻の300Pをすぎてから突然倫理的というか説明的となり、主人公のヨッサリアンが作者の分身であるかのようになるが、ここらあたりからようやく一般的な小説らしくなり、この小説の意図が明確になってくる。主人公のヨッサリアンも、キャッチ=22という小説の中の重要なモチーフも、ここにきてようやく前面に出てくる。それまでのはあまりに長い、悪い冗談というか悪夢みたいだ。
悪夢ということであれば、成功だ。この小説は戦争を描いているわけだし、軍隊の内部構造も、マイローという人物を通して描かれるあまりに暴走した極端な資本主義も、悪夢そのものだから。
でも、それにしても、徹底的にこの作者は読者に媚びない。もうやりたい放題である。やはりそれは意図されたことなのだろうか。こんなに突き放されると正直つらい。
これほど読者を選ぶ小説はなかなかないだろう。特に、アメリカンジョークやアメリカンブラックジョークを身体で感じ取ることができない日本人の自分にとっては、この小説はあまりにハードルが高い。
この作者は八年かけてこの小説を書いたようだが、おそらく書くほどに収拾がつかなくなっていったのではないか。最後の方でそれを強く感じた。作者は落としどころを苦心したに違いない。404Pから405Pを読むと、それがよくわかる。つまり、この話の設定がいつなのかが重要なのだ。ヨッサリアンが逃げるとしたら、ヒトラー率いるドイツ軍の敗北間近でなければならないからだ。解説で松田青子氏が最後に、「世界の構造に違和を持つ者がこの世にいる限り……」と書いているが、小説内の時代がどういう時代なのかなによりも考えなければならない。世界の構造よりももっと強大な悪が世界を支配しようと破竹の勢いで進撃していたのである。それもまた世界の構造といえるが、松田氏のそれは軍隊の内部構造であり、資本主義である。しかし、どちらの場合も強大な悪の前では文句を言っている場合ではないのである。ヒトラーが世界を支配すれば劣悪な資本主義よりも最悪な軍隊の規律よりも、もっとひどいことになるだろう。ヨッサリアンも戦わざるを得ないし、オアは最低最悪な戦犯になってしまう。だから、作者はこの話の設定を第二次世界大戦の末期にしたのだ。それを最後に種明かしみたいに披露したことで、この小説は戦争小説ではなくて、軍隊内部の規律や民主主義を極端にデフォルメしてブラックジョークでくるんだ作品であるということがようやくわかるのである。これは作者の苦心の末の落としどころだったのではないか。この小説をずっと読んでいて感じた違和感はそこである。戦争小説だと思って読んではいけない、敵はほとんどでてこない、なぜなら敵はもう風前の灯火だから。だからこれは非常に奇妙な小説なのだ。
最後にヨッサリアンはオアにならって逃亡するが、この小説が資本主義を皮肉った作品である以上、彼らが逃げた先にも資本主義があるのだということを作者は匂わせるべきだったのではないか。スウェーデンにも資本主義がはびこり、軍隊の規律に象徴されるような不条理が会社や役所の中にまで忍び込んでいるのである。だとしたら、従軍牧師のとった態度、耐え抜く、ということこそがこの世界に生きる術ということにならないか。耐え抜く、それ以外に何があるのか、そして耐えながら微かな抵抗をねちねちと試みる、その小さな者たちの小さな抵抗が少しずつ増えていきやがて巨大な力となった時、資本主義や軍隊に象徴される強大な権力を打ち負かすことができるだろう。それは歴史が証明している。