中矢伸一さんの本を読んで、この本に辿り着きました。
下巻は、読むことは出来ませんが、上巻だけでも読めたこと
心より感謝します。
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トラヴェルズ 上: 旅、心の軌跡 (ハヤカワ文庫 NV ク 10-19) 文庫 – 2000/11/1
- 本の長さ399ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2000/11/1
- ISBN-104150409641
- ISBN-13978-4150409647
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2000/11/1)
- 発売日 : 2000/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 399ページ
- ISBN-10 : 4150409641
- ISBN-13 : 978-4150409647
- Amazon 売れ筋ランキング: - 463,456位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 293位イギリス・アメリカのエッセー・随筆
- - 347位ハヤカワ文庫 NV
- - 4,033位英米文学研究
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月17日に日本でレビュー済み
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2012年12月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マイケルクライトンの自叙伝、カミングアウト?ハーバード大学医学部を卒業して作家になったクライトンの破天荒な人生が赤裸々に描かれています。
2019年6月7日に日本でレビュー済み
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これは良本。ERの監督で名前を覚えていたが、手に入れて良かった。
2014年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ノンフィクションの傑作中の傑作です。
絶版とは!
私は以前持っていたのを自炊してしまいました。そしてiPadが体内時計を狂わせ、電磁波の悪影響も凄いと感じるようにんって、iPadを棄てました。
困ったのは、自炊した本たち。
仕方なく、買い直しています。あるいはキンドルホワイトペーパーで読めるKindle版を購入しています。
本書も、Kindle版で原書を読んでいますが、日本語の翻訳も名訳だったので、中古を買い直しました。
下巻も買いたいのですが、ありません。
残念ですね。
友人たちのために、この本を推薦しました。
以下はその推薦文です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
指でなでるとスプーンが曲がる、というのは異端の考え方であり、「非常識人(賢人)」の考え方ですね。
ところが、マイクル・クライトンが発見したのは、それは当たり前の現象であり、別段驚くべきではない。
科学では説明できない。科学で説明できないから事実ではないというなら、科学のほうが間違っている。間違っているというよりも、科学がこの現象を説明できない、現象に追い付いていない、科学が説明できる世界は、ほんのわずかだ、そんな風に考えるようになりました。
私たちは「常識」に捕らわれて、真実を見る目を曇らせています。結果、世の中にウソが蔓延してしまったので、真実が自ら姿を現そうとしている、そんな節目の時代に、私たちは突入しました。
常識に捕らわれた世界は、これからトンデモないことになってゆくでしょう。
私たちが心がけるべきは、何が真実であり、それを人生に、生活に生かすにはどうするか? ということですね。
そのためには、いちばん大切なもの、おカネではありえません。おカネで真実は買えないし、そもそも真実とおカネは関係がないからです。
しかし、朝日新聞ですら、おカネのために真実を曲げる時代になりました。
医者もおカネのために真実を曲げています。
真実を求めるには、まず、自分のなかに真実をしっかり定着させることでしょう。それで、真実を見極める目ができます。
そのいちばん簡単な方法が、私たちの日課のワークです。
らくらく毛管運動では、心身と健康にかかわる真実を体験し、身に付けることができます。
これが第一歩ですね。
お寺の問題、お墓の問題、戒名の問題などで悩んでいる方には「お寺の収支報告書」(祥伝社新書)をおすすめします。
著者の橋本英樹さんは、坊主ですが、いわゆる坊主をやめて、檀家制度を抜けた坊主です。懺悔(ざんげ)としてこの本を書きました。
そして、この問題で悩んでいる人に、いくつか解決方法を示しています。
戦後、世襲3代目になりつつある坊主の世界は、俗人以上に汚くよごれたものになっているそうです。北朝鮮も3代目で国がつぶれそうですが、お寺の世界も似ているそうです。
さて、マイクル・クライトンのスプーン曲げです。
<わたしはくさった。ちくしょう、力で曲げてやれ。もちろん首のところは力で曲がったが、皿の部分そのものは曲がらなかった。指を傷めただけだった。
わたしは気を静めた。ひょっとすると、わたしにはそれが起きないのかもしれなかった。なかにはスプーンを曲げられない人もいるとジャック・ハウクは言っていた。わたしはその一人かもしれなかった。
「おめでとう」とジュデイスがわたしに言った。
「え?」
「おめでとう」わたしは下を見た。
わたしのスプーンが曲がりはじめていた。わたしはそのことに気がつきさえしなかった。それはプラスチックのようにすっかり柔らかくなっていた。格別熱くはなくちょっびり温かいだけだった。指だけでやすやすと皿の部分を半分に曲げることができた。力を入れる必要は全然なく、指先で導いてやれば充分だった。
わたしは曲げたスプーンをわきに置いて、フオークを試した。
ちょっと撫でると、そのフォークはプレッツェルのようにねじれた。簡単だった。わたしはさらに数本のスプーンとフォークを曲げた。
じきに飽きてきた。それ以上スプーン曲げはしないで、 コーヒーとクッキーを取りに行った。ほかのことよりも、そこにどんな種類のクッキーがあるかということのほうに関心があった。
言うまでもなく、スプーン曲げは長いあいだ論争の的になっていた。超能力があると称しているイスラエルの魔術師ユリ・グラーはしばしばスプーンを曲げたが、ほかの魔術師、例えばジェームズ・ランディたちの主張によると、スプーン曲げは心霊現象では全然なくて、トリックにすぎないとのことだった。だがわたしはスプーンを曲げ、それがトリックではないということを知った。部屋を見まわすと、8、9歳の子供たちが大きな金属の棒を曲げていた。彼らはトリックで誰かを蝙そうとしているわけではなかった。楽しんでいる子供にすぎなかった。
金曜の夜、就寝時間過ぎまで起きて、大人たちに付き合い、この馬鹿げたスプーン曲げ遊びをしているのだった。
これで魔術師同士の論争はけりがついたとわたしは思った。なぜなら、あらゆる階層や年齢の百人がそれをしているのだから、明らかにスプーン曲げには何か当たり前な説明がつくに違いなかった。それに、そこに何らかの謎があるように感じることはむずかしかった。しばらくスプーンを撫でてさえいれば、それは柔らかくなり、曲がった。
ただそれだけだった。
唯一わたしが気づいたのは、スプーン曲げにはいわば集中された無頓着が必要なように見えることだった。それを曲げようと努め、ついでそのことを忘れなければならなかった。
スプーンを撫でながら他人とお喋りをするなり、あるいは部屋を見まわし、注意を向け変えるなりしなければならないのかもしれなかった。そうするとき曲がりやすかった。もしスプーンを見つめ続け、気にし続けると、曲がりにくかった。こういうふうに無頓着になるには習得の必要があったが、それは容易だった。その難易度は、例えば、頭の中で正確に五秒かぞえるのを習得するのと同じようなものだった。2、3度練習すれば、すぐにできた>
◎大人になってからの自転車乗り、スプーン曲げはむずかしい
マイクル・クライトンは霊能者なみの資質がありました。オーラも見えるようになった人です。
ですから、スプーン曲げはふつうのこと、体験から断言しています。
私もそう思います。でも、たぶん、ひとりでスプーン曲げをおこなっても、できないでしょう。
大人になってからの自転車乗りがむずかしいのと同じ理屈です。
子どもは違いますね。おもしろがって、常識に捕らわれずに行うので、簡単にスプーンは曲がり、自転車にも簡単に乗れるようになります。
大人の場合、「スプーンを曲げて、どんな意味があるの?」と考えてしまいます。
「意味を求める」、これが「大人の悪いクセ」なのです。
現象が起きて、「おもしろいじゃないですか」という風になりたいですね。
そのためには、まず、自分の心身で現象を起こしましょう。
らくらく毛管運動で、ハンドパワーが増します。そのパワーでご飯を美味しく炊くことができます。
私は昨日、奥ちゃんのために炊きましたが、美味しいです。
皆さんも、美味しく炊けるようになっています。ふつうのことですね。
ヒーリングもできます。おもしろいじゃないですか。しかも役に立っています。
大人である私たちは、「おもしろくて役に立つ」現象を起こしたいですね。
スプーン曲げと共通の原理がそこに働いています。これも「ひとつの真実」です。ひとつでも「真実」を身につけることができれば、それは今生の魂の成長として、次の転生に引き継いでゆけます。
小さなことですが、偉大なことだと思いますね。
絶版とは!
私は以前持っていたのを自炊してしまいました。そしてiPadが体内時計を狂わせ、電磁波の悪影響も凄いと感じるようにんって、iPadを棄てました。
困ったのは、自炊した本たち。
仕方なく、買い直しています。あるいはキンドルホワイトペーパーで読めるKindle版を購入しています。
本書も、Kindle版で原書を読んでいますが、日本語の翻訳も名訳だったので、中古を買い直しました。
下巻も買いたいのですが、ありません。
残念ですね。
友人たちのために、この本を推薦しました。
以下はその推薦文です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
指でなでるとスプーンが曲がる、というのは異端の考え方であり、「非常識人(賢人)」の考え方ですね。
ところが、マイクル・クライトンが発見したのは、それは当たり前の現象であり、別段驚くべきではない。
科学では説明できない。科学で説明できないから事実ではないというなら、科学のほうが間違っている。間違っているというよりも、科学がこの現象を説明できない、現象に追い付いていない、科学が説明できる世界は、ほんのわずかだ、そんな風に考えるようになりました。
私たちは「常識」に捕らわれて、真実を見る目を曇らせています。結果、世の中にウソが蔓延してしまったので、真実が自ら姿を現そうとしている、そんな節目の時代に、私たちは突入しました。
常識に捕らわれた世界は、これからトンデモないことになってゆくでしょう。
私たちが心がけるべきは、何が真実であり、それを人生に、生活に生かすにはどうするか? ということですね。
そのためには、いちばん大切なもの、おカネではありえません。おカネで真実は買えないし、そもそも真実とおカネは関係がないからです。
しかし、朝日新聞ですら、おカネのために真実を曲げる時代になりました。
医者もおカネのために真実を曲げています。
真実を求めるには、まず、自分のなかに真実をしっかり定着させることでしょう。それで、真実を見極める目ができます。
そのいちばん簡単な方法が、私たちの日課のワークです。
らくらく毛管運動では、心身と健康にかかわる真実を体験し、身に付けることができます。
これが第一歩ですね。
お寺の問題、お墓の問題、戒名の問題などで悩んでいる方には「お寺の収支報告書」(祥伝社新書)をおすすめします。
著者の橋本英樹さんは、坊主ですが、いわゆる坊主をやめて、檀家制度を抜けた坊主です。懺悔(ざんげ)としてこの本を書きました。
そして、この問題で悩んでいる人に、いくつか解決方法を示しています。
戦後、世襲3代目になりつつある坊主の世界は、俗人以上に汚くよごれたものになっているそうです。北朝鮮も3代目で国がつぶれそうですが、お寺の世界も似ているそうです。
さて、マイクル・クライトンのスプーン曲げです。
<わたしはくさった。ちくしょう、力で曲げてやれ。もちろん首のところは力で曲がったが、皿の部分そのものは曲がらなかった。指を傷めただけだった。
わたしは気を静めた。ひょっとすると、わたしにはそれが起きないのかもしれなかった。なかにはスプーンを曲げられない人もいるとジャック・ハウクは言っていた。わたしはその一人かもしれなかった。
「おめでとう」とジュデイスがわたしに言った。
「え?」
「おめでとう」わたしは下を見た。
わたしのスプーンが曲がりはじめていた。わたしはそのことに気がつきさえしなかった。それはプラスチックのようにすっかり柔らかくなっていた。格別熱くはなくちょっびり温かいだけだった。指だけでやすやすと皿の部分を半分に曲げることができた。力を入れる必要は全然なく、指先で導いてやれば充分だった。
わたしは曲げたスプーンをわきに置いて、フオークを試した。
ちょっと撫でると、そのフォークはプレッツェルのようにねじれた。簡単だった。わたしはさらに数本のスプーンとフォークを曲げた。
じきに飽きてきた。それ以上スプーン曲げはしないで、 コーヒーとクッキーを取りに行った。ほかのことよりも、そこにどんな種類のクッキーがあるかということのほうに関心があった。
言うまでもなく、スプーン曲げは長いあいだ論争の的になっていた。超能力があると称しているイスラエルの魔術師ユリ・グラーはしばしばスプーンを曲げたが、ほかの魔術師、例えばジェームズ・ランディたちの主張によると、スプーン曲げは心霊現象では全然なくて、トリックにすぎないとのことだった。だがわたしはスプーンを曲げ、それがトリックではないということを知った。部屋を見まわすと、8、9歳の子供たちが大きな金属の棒を曲げていた。彼らはトリックで誰かを蝙そうとしているわけではなかった。楽しんでいる子供にすぎなかった。
金曜の夜、就寝時間過ぎまで起きて、大人たちに付き合い、この馬鹿げたスプーン曲げ遊びをしているのだった。
これで魔術師同士の論争はけりがついたとわたしは思った。なぜなら、あらゆる階層や年齢の百人がそれをしているのだから、明らかにスプーン曲げには何か当たり前な説明がつくに違いなかった。それに、そこに何らかの謎があるように感じることはむずかしかった。しばらくスプーンを撫でてさえいれば、それは柔らかくなり、曲がった。
ただそれだけだった。
唯一わたしが気づいたのは、スプーン曲げにはいわば集中された無頓着が必要なように見えることだった。それを曲げようと努め、ついでそのことを忘れなければならなかった。
スプーンを撫でながら他人とお喋りをするなり、あるいは部屋を見まわし、注意を向け変えるなりしなければならないのかもしれなかった。そうするとき曲がりやすかった。もしスプーンを見つめ続け、気にし続けると、曲がりにくかった。こういうふうに無頓着になるには習得の必要があったが、それは容易だった。その難易度は、例えば、頭の中で正確に五秒かぞえるのを習得するのと同じようなものだった。2、3度練習すれば、すぐにできた>
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子どもは違いますね。おもしろがって、常識に捕らわれずに行うので、簡単にスプーンは曲がり、自転車にも簡単に乗れるようになります。
大人の場合、「スプーンを曲げて、どんな意味があるの?」と考えてしまいます。
「意味を求める」、これが「大人の悪いクセ」なのです。
現象が起きて、「おもしろいじゃないですか」という風になりたいですね。
そのためには、まず、自分の心身で現象を起こしましょう。
らくらく毛管運動で、ハンドパワーが増します。そのパワーでご飯を美味しく炊くことができます。
私は昨日、奥ちゃんのために炊きましたが、美味しいです。
皆さんも、美味しく炊けるようになっています。ふつうのことですね。
ヒーリングもできます。おもしろいじゃないですか。しかも役に立っています。
大人である私たちは、「おもしろくて役に立つ」現象を起こしたいですね。
スプーン曲げと共通の原理がそこに働いています。これも「ひとつの真実」です。ひとつでも「真実」を身につけることができれば、それは今生の魂の成長として、次の転生に引き継いでゆけます。
小さなことですが、偉大なことだと思いますね。
2020年11月5日に日本でレビュー済み
マイクル・クライトン氏の自伝風か自伝作品。
若くしてベストセラー作家になって、映画監督もして目標がなくなってしまった若き日のクライトン氏の心の軌跡が克明に記されていて興味深かったです。私も人生に煮詰まったらこういう風に旅行等をしたいですが、色々制約があってままならないと思うので、本書みたいに出来るのがうらやましかったです。
ハーバートの医学生の思い出、結婚離婚、アジアの旅行記、交霊会、絶滅危惧種の動物との出会い、ヨガ、超能力の体得等、様々な出会いや体験をした記録が凝縮されていて、普段旅行等をしない人間からすると、うらやましい感じの体験記になっております。
上巻の巻末に載っている村上龍氏とクライトン氏の対談で、インターネット社会の善し悪しを対談しておりますが、村上氏が都市が均質化すると、危機的状況の時、単一の対応しかとれないのではないか、と危惧を述べると、クライトン氏が昔ペストが流行した際近隣の都市に瞬く間に広がって、隔絶した所の人だけ生き残った、とおっしゃっておりますが、最近のコロナ禍でもそういう感じで、お二人ともよく判ってらっしゃる様で流石だと思いました。都市の均質化ですが、確かにどこにいってもコンビニがありインターネットで買った物を無料で配送してくれるので、あまり変わらない、独自性のない社会になったなぁとか、思いました。携帯電話も普及しすぎで、絶えず情報を更新して周りへの気配りが減った様に思えます。
という様に色々盛り沢山の内容で、人生のヒントになるかもしれない知見が多かったですが、一風変わった旅行記として気軽に読めるので読んだ方がいいと思います。
同じ様な自己省察の体験記に「食べて、祈って、恋をして」という作品もあるので、本書が面白かった人にもお勧めしておきます。
マイクル・クライトン氏の自己探求の旅行記。是非ご一読を。
若くしてベストセラー作家になって、映画監督もして目標がなくなってしまった若き日のクライトン氏の心の軌跡が克明に記されていて興味深かったです。私も人生に煮詰まったらこういう風に旅行等をしたいですが、色々制約があってままならないと思うので、本書みたいに出来るのがうらやましかったです。
ハーバートの医学生の思い出、結婚離婚、アジアの旅行記、交霊会、絶滅危惧種の動物との出会い、ヨガ、超能力の体得等、様々な出会いや体験をした記録が凝縮されていて、普段旅行等をしない人間からすると、うらやましい感じの体験記になっております。
上巻の巻末に載っている村上龍氏とクライトン氏の対談で、インターネット社会の善し悪しを対談しておりますが、村上氏が都市が均質化すると、危機的状況の時、単一の対応しかとれないのではないか、と危惧を述べると、クライトン氏が昔ペストが流行した際近隣の都市に瞬く間に広がって、隔絶した所の人だけ生き残った、とおっしゃっておりますが、最近のコロナ禍でもそういう感じで、お二人ともよく判ってらっしゃる様で流石だと思いました。都市の均質化ですが、確かにどこにいってもコンビニがありインターネットで買った物を無料で配送してくれるので、あまり変わらない、独自性のない社会になったなぁとか、思いました。携帯電話も普及しすぎで、絶えず情報を更新して周りへの気配りが減った様に思えます。
という様に色々盛り沢山の内容で、人生のヒントになるかもしれない知見が多かったですが、一風変わった旅行記として気軽に読めるので読んだ方がいいと思います。
同じ様な自己省察の体験記に「食べて、祈って、恋をして」という作品もあるので、本書が面白かった人にもお勧めしておきます。
マイクル・クライトン氏の自己探求の旅行記。是非ご一読を。
2002年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本では、名門大学で医学を専攻した作者が、冷静な観察眼と科学的な批判精神を持つことが作品内の随所から読み取れる。その作者が、下巻では、その冷静な目で自らの経験した神秘体験を客観的に描いているのがとても説得力があった。作者の見る目は、上巻に描かれている、非日常的ではあるが「普通」の体験と下巻に描かれている「神秘的」体験との間で、何も変わっていない。強い好奇心と突き放した分析力とで切り出した現実を積み上げて出来上がった文章はとてもエキサイティングで、一気に読み終えてしまった。
2002年7月11日に日本でレビュー済み
まず驚くべきは、マイクル・クライトンの内界の旅への真摯で誠実な描写の数々。あの有名人がここまであからさまにしていいのだろうか、というくらいかなりプライベートなところまで突っ込んで書いてます。だからでしょうか、共感を得る箇所もかなり多くて、読後はすっかり著者に親しみを抱いてしまいました。「直接的経験」著者はこの言葉を本作の中で何度も繰り返し、末尾はリルケの詩「きみが何者であれ、ある夜、よく知った我が家から一歩踏み出したまえ」で締めくくっています。本作は精神世界や宗教に心惹かれるのだけれど、どうも今一歩のめり込めない人にとっては特にオススメです。また何かを探しに旅に出る人にも。上巻より下巻の方が興味を引く話が多いでしょうが、どちらも全編単独のショートですので、堅苦しい長編が苦手な人も飽きずに読めます。しんみり、涙もありです。女性にも読んで欲しいですね。
2000年11月15日に日本でレビュー済み
「あれだけ稼いでおいて何が不満なの?」といった疑問は誰もが抱くと思いますが、そのクライトンが自分を探すために振り返る医学生時代の出来事。さらには科学者の視点を持つ著者が経験していく超常現象の数々。俄かには信じがたい体験も数々ありますが、著者自身そういった疑いを抱きつつも強く惹かれていく様子がとても興味深く思い、一気に読んでしまう。クライトンファンはもちろん、ならずとも十分楽しめます!