謎の病原菌に感染して全人類が斃れて3年後の1976年、地球最後の男となったロバート・ネヴィルはひとり自宅にこもっていた。夜間、外には死後吸血鬼と化したやつらがいる。昼間は眠るやつらの胸に杭を打ちつける日々を送っていた。人類滅亡にいたった病原を独学で解き明かそうと研究に打ち込む彼の前にある日、一匹の野良犬が現れて…。
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今から60年以上も前の1954年に構築されたSFです。かつて『
地球最後の男
』の邦題で出た物語が、2007年の映画化作品の公開にあわせて新訳版で再刊されたものです。私も10代のころに田中小実昌の旧訳版を読んで今も持っていますが、新型コロナウイルス禍で不要不急の外出を自粛するよう求められている中、新訳版で再読してみました。
旧版を読んだのは40年も前ですし、ハリウッドの映画版は小説とは別の代物なので、原作の展開はもうすっかり記憶から拭われていました。今回の再読で一番目を惹いたのは、ネヴィルという非感染者と、彼を狙う(後代の言葉を使うならゾンビ的)感染者との対立を描くだけではなく、そのいずれでもない第三の勢力が構成する新社会の存在があったことです。
思い返せば、人類を脅かす異形の存在が立ち現れたときに人々は、旧来の生活を保守せんとする抵抗者となる者のほかに、新しい生活への変革と適応を提唱する存在が現出するのが常です。ポスト・アポカリプス小説や人類の変転を描く小説の多くは確かにそうした三者の関係の中で展開していき、読者を翻弄していくように思います。ジョン・ウィンダム『
トリフィド時代
』しかり、アーサー・C・クラーク『
幼年期の終わり
』しかり、エミリー・セントジョン マンデル『
ステーション・イレブン
』しかり――。TVシリーズの『
ウォーキング・デッド
』シーズン3でも、主人公リックたちのグループと感染した死者ウォーカーとの死闘に加えて、総督が率いる町ウッドベリーの集団が新たな対立軸として登場し、物語を複雑に、そして豊かなものにしていきました。
そこには正邪善悪の二項対立では解消しきれない、人類社会の複雑さが描出されます。この『アイ・アム・レジェンド』でも、読者が伴走できる絶対的主人公であるかにみえたネヴィルは、やがて三者対立の図式の中で相対化されていってしまいます。その意外な展開を前にして、驚きと悲しみを味わうSFといえるかもしれません。
この尾之上浩司氏の新訳版は大変読みやすいものです。尾之上氏はこれまでもマシスンの作品を数多く訳してきましたし、この新訳版の末尾解説を読むと見えてくるように、高校時代から筋金入りのマシスンファンと思われます。それだけに、その訳文は実に見事です。
ただし、私は最後の一行の解釈は田中小実昌旧訳版のほうが正解だと思います。主人公は第三勢力の前で自分が相対化されたことに初めて思いが至ってそのことに驚愕し、大いにたじろいでいるのであって、尾之上氏が巻末の解説で指摘するような「満足感」がそこにあるとする考えは到底納得できないからです。
ネット上でもウィル・スミス主演映画のもうひとつの結末について、in line of the original book, he has become the monstrous legend of a new world.と評しているのを見つけたこともあり、田中小実昌旧訳版は決して間違っていないと思います。
さて、尾之上氏が巻末の解説の中で『アイ・アム・レジェンド』がアメリカで3度映画化される傍らで、「詳細は不明」だがスペインでも一度映像化されていると紹介しています。私はそのスペイン版を見たことがあるので少し情報を付記しておきます。
スペイン版の題名は『Soy Leyenda』、これはI am Legendの直訳です。監督・脚本はマリオ・ゴメス・マルティン。製作されたのはスペインがまだフランコ独裁政権下にあった1967年です。International Movie Databaseにはruntime(上映時間)15分とありますが、実際にはその倍以上の36分もあるモノクロ短編映画で、アメリカ版を含めた4つの映像化作品の中ではこのスペイン版がもっとも原作小説に忠実です。セリフこそ全編スペイン語で、野良犬との邂逅のくだりこそありませんが主人公の名はロバート・ネヴィルのままですし、最後の結末まで原作から一歩も踏み外さずに展開し、最後のセリフも原作通りです。時代と場所が1999年の米国ロサンゼルスに設定されているのは、製作年から30年以上の未来にしたかったのでしょう。
スペイン版『Soy Leyenda』(1967年)は同時代の日本のTVシリーズ『怪奇大作戦』(1968~69年)と同質の禍々しさが、その物語の展開、映像の編集、音楽のトーンの各所にたっぷりと込められています。ですから『Soy Leyenda』には、私のような60代を目前に控えた年代の日本人にはどこか懐かしさすら感じられます。
―――――――――――
この小説の結末を読んで、以下の書を思い出しました。
◆山本太郎『
感染症と文明――共生への道
』(岩波新書)
:著者は長崎大学熱帯医学研究所教授で、国際保健学や熱帯感染症学を専門とする研究者です。感染症がどのように人類の文明史に深い関わりをもってきたのかをコンパクトにまとめて解説してくれています。
著者は感染症の完全な撲滅ではなく、あえて緩やかな共生を目指すというスタンスで本書をまとめています。病気と共にある文明という視点が決して怪しいものではなく、説得力をもって受け止められる書であるといえます。
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アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫 NV マ 6-5) 文庫 – 2007/11/8
リチャード・マシスン
(著),
尾之上浩司
(翻訳)
【ウィル・スミス主演映画化!】
夜が来る。ネヴィルは一人、キッチンで夕食の用意をする。
冷凍肉をグリルに入れ、豆を煮る。
料理を皿に盛っているとき、いつものように奴らの声が聞こえてきた。
「出てこい、ネヴィル!」……
突如蔓延した疫病で人類が絶滅し、
地球はその様相を一変した。
ただ一人生き残ったネヴィルは、自宅に籠城し、
絶望的な戦いの日々を送っていた。
そんなある日……
戦慄の世界を描く名作ホラー、
最新訳で登場!(『地球最後の男』改題)
夜が来る。ネヴィルは一人、キッチンで夕食の用意をする。
冷凍肉をグリルに入れ、豆を煮る。
料理を皿に盛っているとき、いつものように奴らの声が聞こえてきた。
「出てこい、ネヴィル!」……
突如蔓延した疫病で人類が絶滅し、
地球はその様相を一変した。
ただ一人生き残ったネヴィルは、自宅に籠城し、
絶望的な戦いの日々を送っていた。
そんなある日……
戦慄の世界を描く名作ホラー、
最新訳で登場!(『地球最後の男』改題)
- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2007/11/8
- ISBN-104150411557
- ISBN-13978-4150411558
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商品の説明
著者について
1926年ニュージャージー州生まれ。
第二次世界大戦には少年兵として従軍。
1950年に短篇「男と女から生まれたもの」で作家デビュー。
1953年には長篇デビューをはたした。
SF、ミステリ、ウェスタン、ホラーなど幅広いジャンルの作品を執筆し、短篇小説の名手でもある。
また脚本家としても知られ、《ミステリーゾーン》などの人気番組や劇場映画でも活躍した。
息子のクリスチャンも作家として成功し、親子の合作作品もある。
第二次世界大戦には少年兵として従軍。
1950年に短篇「男と女から生まれたもの」で作家デビュー。
1953年には長篇デビューをはたした。
SF、ミステリ、ウェスタン、ホラーなど幅広いジャンルの作品を執筆し、短篇小説の名手でもある。
また脚本家としても知られ、《ミステリーゾーン》などの人気番組や劇場映画でも活躍した。
息子のクリスチャンも作家として成功し、親子の合作作品もある。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2007/11/8)
- 発売日 : 2007/11/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 286ページ
- ISBN-10 : 4150411557
- ISBN-13 : 978-4150411558
- Amazon 売れ筋ランキング: - 408,427位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月19日に日本でレビュー済み
2021年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マシスンの『縮みゆく男』でもレビューしましたが、『縮みゆく男』の主人公と本作の主人公のいずれも、人間としての尊厳や希望を奪われ,絶望感から自暴自棄になっていき、それでも生きている人間が描かれています。
「おれは確かにまだ生きているが,自覚を持って生きているのだろうか,単なる生存本能がなせるわざなのではないか」
「なぜあきらめないのだろう。どうしてこんなにねばるんだ」
「事実を受け入れて乗り越えてやる。もう恐れたりしない」
これらは、いずれも『縮みゆく男』における主人公の意思ですが、自暴自棄の状況から、前へ進むんだという心境に至るという、人間の尊厳と生存の意味を問う,単なるエンターテイメントを超えたものを感じさせる力強い作品でした。
本書『アイアムレジェンド』でも主人公は
「なぜ必死に生きてきたのか、俺にもわからない。自分のように疫病を逃れ、いつの日にか人類は復興すると願いながら必死に生き抜こうとしている人間が、自分以外にもどこかにまだいるかすかな可能性を捨てていない」
ただ、『縮みゆく男』と比較すると、主人公の自暴自棄の状況が少しクドイと感じます。
「俺は人生にけりをつけるにはあまりに鈍かったのだ」と言って酒に浸り、壁を殴りつけ、ガラスのコップをたたきつけ、せっかく見つけた顕微鏡を踏み潰すといった主人公のイライラした場面が何度となく繰り返され、そのような描写が本書の半分くらいを占めます。
それでも、本書には、いくつかの印象的な場面があります。
たとえば、野良犬を発見した時の主人公の喜び。
「生きている!昼間なのに!彼はくぐもった声で呼びながらよろよろと前進し、転んで芝生に突っ伏しそうになった。足をばたつかせ、バランスをとろうと両腕を激しく振る。『おおい、ワン公、戻っておいで。何もしないから』犬は一瞬立ち止まり、彼を振り返った。それから二軒の家屋の間に駆け込んだ」
野良犬と友達になろうと、無人のスーパーマーケットで最高級のドッグフードを大量に入手し、「おやおや、まるで赤ん坊でもいるみたいだな、と唇に笑みを浮かべる」主人公。
自暴自棄だった主人公が生きる意味を考えるきっかけになる象徴的な場面です。
「おれは確かにまだ生きているが,自覚を持って生きているのだろうか,単なる生存本能がなせるわざなのではないか」
「なぜあきらめないのだろう。どうしてこんなにねばるんだ」
「事実を受け入れて乗り越えてやる。もう恐れたりしない」
これらは、いずれも『縮みゆく男』における主人公の意思ですが、自暴自棄の状況から、前へ進むんだという心境に至るという、人間の尊厳と生存の意味を問う,単なるエンターテイメントを超えたものを感じさせる力強い作品でした。
本書『アイアムレジェンド』でも主人公は
「なぜ必死に生きてきたのか、俺にもわからない。自分のように疫病を逃れ、いつの日にか人類は復興すると願いながら必死に生き抜こうとしている人間が、自分以外にもどこかにまだいるかすかな可能性を捨てていない」
ただ、『縮みゆく男』と比較すると、主人公の自暴自棄の状況が少しクドイと感じます。
「俺は人生にけりをつけるにはあまりに鈍かったのだ」と言って酒に浸り、壁を殴りつけ、ガラスのコップをたたきつけ、せっかく見つけた顕微鏡を踏み潰すといった主人公のイライラした場面が何度となく繰り返され、そのような描写が本書の半分くらいを占めます。
それでも、本書には、いくつかの印象的な場面があります。
たとえば、野良犬を発見した時の主人公の喜び。
「生きている!昼間なのに!彼はくぐもった声で呼びながらよろよろと前進し、転んで芝生に突っ伏しそうになった。足をばたつかせ、バランスをとろうと両腕を激しく振る。『おおい、ワン公、戻っておいで。何もしないから』犬は一瞬立ち止まり、彼を振り返った。それから二軒の家屋の間に駆け込んだ」
野良犬と友達になろうと、無人のスーパーマーケットで最高級のドッグフードを大量に入手し、「おやおや、まるで赤ん坊でもいるみたいだな、と唇に笑みを浮かべる」主人公。
自暴自棄だった主人公が生きる意味を考えるきっかけになる象徴的な場面です。
2014年1月19日に日本でレビュー済み
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映画版のエンドだけでも二つあるのに、小説も異なるのか!
といった感じです。
ストーリも全く異なっており、主人公の最期も必見かと思います。
といった感じです。
ストーリも全く異なっており、主人公の最期も必見かと思います。
2011年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何といっても、ゾンビ映画の原点がここにあったとは驚きでした。
アメリカのホラー怪物モノの基礎と言えますね!
アメリカのホラー怪物モノの基礎と言えますね!
2007年12月13日に日本でレビュー済み
映画のCMの、犬と二人きり、摩天楼に向かってゴルフ、というのに惹かれて借りてきました。
が、映画とは全然別物です。原作とはいえ全然別物なら表紙を映画のものにしないで欲しい。
本書には吸血鬼と、自分自身について葛藤し、孤独に戦っていくネヴィルが淡々と描かれています。
ルースの胡散臭さがやたら書いてあるのがちょっとげんなりしました。
バイオハザードといったゾンビ物の原典らしいです。ストレートなのに納得。
が、映画とは全然別物です。原作とはいえ全然別物なら表紙を映画のものにしないで欲しい。
本書には吸血鬼と、自分自身について葛藤し、孤独に戦っていくネヴィルが淡々と描かれています。
ルースの胡散臭さがやたら書いてあるのがちょっとげんなりしました。
バイオハザードといったゾンビ物の原典らしいです。ストレートなのに納得。
2008年1月6日に日本でレビュー済み
古典的名作を映画にかこつけてハヤカワ文庫が再販したものですが
SF映画として過去4回もリメイクされいることからもわかるとおり
傑作です、今の日本にも薬害騒動でシンクロされているテーマから
映画化のタイミングとしては申し分ない時期なのかもしれませんが
下記に書いたとおり美術スタッフの頑張りに演出人が答えられたか
疑問が残る映画化になりました。
地球最後の男という作品の名前で何度も映画化されている名作です。
NYの荒廃した姿に圧倒されてしまう映像美で、この作品はどうせ
観るなら映画館で観たほうが数倍いい点を付けるでしょう、ただホラー
映画に仕立てたせいで、後世に残す可能性があった素晴らしい世界観を
構築した美術スタッフの頑張りを無駄にした可能性があるのかもと考えて
しまいました、素晴らしい映画には違いありませんが2度観たいとは思わない
SF映画として過去4回もリメイクされいることからもわかるとおり
傑作です、今の日本にも薬害騒動でシンクロされているテーマから
映画化のタイミングとしては申し分ない時期なのかもしれませんが
下記に書いたとおり美術スタッフの頑張りに演出人が答えられたか
疑問が残る映画化になりました。
地球最後の男という作品の名前で何度も映画化されている名作です。
NYの荒廃した姿に圧倒されてしまう映像美で、この作品はどうせ
観るなら映画館で観たほうが数倍いい点を付けるでしょう、ただホラー
映画に仕立てたせいで、後世に残す可能性があった素晴らしい世界観を
構築した美術スタッフの頑張りを無駄にした可能性があるのかもと考えて
しまいました、素晴らしい映画には違いありませんが2度観たいとは思わない
2009年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多彩な作風を持つ作者の近未来SF(1954年発表)。1976年、吸血鬼が世界を席巻する中で唯一人生き残った男ロバート・ネヴィル。吸血鬼は伝説の通り、太陽光が致命的で夜間だけ活動し、十字架とニンニクにも弱く、杭を胸に打たれると瓦解する。だが、優れたSFに良く見られるように、すぐさま問題提起がなされる。吸血鬼は世の諸悪と比べて、より怪物的存在なのか ? ネヴィル一人闘う事に意味があるのか、即ち吸血鬼の仲間になった方が楽ではないのか ? だが、ネヴィルは闘いを止めない。
闘いの合間に、主に妻ヴァージニアを対象とした回想シーンが入る。感傷的シーンだが、当初、吸血鬼への変身は伝染病だと考えられていた事が分かる。そのせいもあってか、ネヴィルはニンニクや血液の成分分析などの科学的手法で敵と闘おうとする。面白い捻りである。そして「細菌は吸血鬼病の原因になり得る」との閃きをネヴィルは得て、遂に"吸血鬼菌"を発見する。着想外の展開である。吸血鬼伝説を細菌学で説明しようとは。しかし、これだけでは感染の原因は説明出来ても、十字架や杭は説明出来ない。ネヴィルは懊悩の末、キリスト教的終末論や吸血鬼伝説の精神的影響と解釈する。まさに謎解きミステリの趣きである。二年後。反攻に出たネヴィルは吸血鬼狩りを始める。そこで生きた娘ルースと出会う。「女か虎か」ではないが、ルースは感染者か否か...。そして、題名の「伝説」の意味とは何なのか ?
余りにも皮肉な結末である。社会の中でマジョリティとは何か、標準とは何かを、吸血鬼伝説に託して問い掛けた本格SFの秀作。
闘いの合間に、主に妻ヴァージニアを対象とした回想シーンが入る。感傷的シーンだが、当初、吸血鬼への変身は伝染病だと考えられていた事が分かる。そのせいもあってか、ネヴィルはニンニクや血液の成分分析などの科学的手法で敵と闘おうとする。面白い捻りである。そして「細菌は吸血鬼病の原因になり得る」との閃きをネヴィルは得て、遂に"吸血鬼菌"を発見する。着想外の展開である。吸血鬼伝説を細菌学で説明しようとは。しかし、これだけでは感染の原因は説明出来ても、十字架や杭は説明出来ない。ネヴィルは懊悩の末、キリスト教的終末論や吸血鬼伝説の精神的影響と解釈する。まさに謎解きミステリの趣きである。二年後。反攻に出たネヴィルは吸血鬼狩りを始める。そこで生きた娘ルースと出会う。「女か虎か」ではないが、ルースは感染者か否か...。そして、題名の「伝説」の意味とは何なのか ?
余りにも皮肉な結末である。社会の中でマジョリティとは何か、標準とは何かを、吸血鬼伝説に託して問い掛けた本格SFの秀作。
2011年5月17日に日本でレビュー済み
もう既に皆様の的確なレビューがこの名作を語っています。
なので、私がこの小説で一番好きな部分について書きます。
生き物が途絶えた世界で主人公が出会った犬・・・そしてその犬との(以下未読の方のため省略)。こういったところにマシスンのうまさを感じます。それにしても田中小実昌さんの訳しか知らない私は、その小気味のよい翻訳文が好きだったのですが。。。今度、新訳も読んでみることにします。
なので、私がこの小説で一番好きな部分について書きます。
生き物が途絶えた世界で主人公が出会った犬・・・そしてその犬との(以下未読の方のため省略)。こういったところにマシスンのうまさを感じます。それにしても田中小実昌さんの訳しか知らない私は、その小気味のよい翻訳文が好きだったのですが。。。今度、新訳も読んでみることにします。