目下、夢中になっているのがジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」で、すでに第三巻目まで来た。古本(38年前に刊行)なので、文字のインクが色あせて灰色になっていて読みにくいことや、えらい黴臭いのが玉に瑕だが、面白いからまだ我慢できる。
何が面白いといって、太平洋戦争の全貌を日米で発表された主な書物や文献を渉猟し、かつあきれるほど多数の関係者(今ではそのほとんどが鬼籍に入っている)にインタビューした後に執筆しているという、その内容の濃さである。この手法はその後、ニュー・ジャーナリズムに受け継がれ、デイヴィッド・ハルバースタムの諸作品に結実しているが、うむを言わせぬその猪突猛進的書きっぷりを見ていると、わが国のもの書きとは「スタミナが違う」と思わざるを得ない。
そんな「大日本帝国の興亡」を読んでいて心に残ったことをここに書き残しておきたい。
フィリピン攻略時、司令官として第14軍を指揮した陸軍中将・本間雅晴という軍人がいる。当初の攻略は順調で、第14軍はマニラ市を占領に成功するが。バターンでは米比軍の頑強な攻撃を受け、多数の死者を出し作戦に失敗する。
その後、コレヒドール要塞から日本軍に投降した捕虜を別の地域に移動させるために、過酷な行軍を行い、7千人から1万人の捕虜が死亡したといわれている。いわゆる「バターン死の行進」と呼ばれるものである。
その時、自らが捕虜になりかねない状況にまで追い込まれていたマッカーサーにとって、本間は許せぬ存在だったに違いない。戦後、マニラ戦犯裁判に、「バターン死の行進」の責任者として本間中将を召喚し、死刑を宣告する。
本間は、若い時期に英国留学の経験もあり、陸軍きっての親米英派を自認しており開戦にも反対し、比島では陸軍中央から叱責を買うほどに善政を敷いた積りでいたが、復讐心溢れるマッカーサーの前ではどうしようもなかった。
処刑は、1946年(昭和21年)4月3日午前0時53分、ちょうど4年前に陸軍第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。当時、ほとんどの将校の死刑が囚人服で絞首刑であったのに対し、本間の場合は、略式軍服の着用が認められ、しかもその名誉を重んじて銃殺刑だった。(同じくマニラの軍事裁判で死刑判決が下された山下奉文の場合は囚人服を着せられたままの絞首刑)
刑の執行を前に、本間は、次のように語ったという。
「私はバターン半島事件で殺される。私が知りたいのは、広島や長崎の無辜の市民の死はいったい誰の責任なのか、という事だ。それはマッカーサーなのか、トルーマンなのか」。
本間雅晴中将は黒い頭巾をかぶせられ、柱に縛り付けられた。その時、刑場に本間の、「さあ、来い!」という、気迫のこもった声が響いたという。
長い前置きになったが、その本間が死刑執行の寸前に、子供に宛てて書いた手紙が、この本には引用されている。この手紙に私は感銘を受けた。長くなるが以下に引用する。
<之は父が御身達に残す此の世の最後の絶筆である。父は米国の法廷に於て父の言ひ分を十分述べて無罪を主張した。然しこんな不公正な裁判でこちらの意見が通る訳はない。遂に死刑の宣告を受けた。死刑の宣告は私に罪があると云うことを意味するものに非ずして、米国が痛快な復讐をしたと云う満足を意味するものである。私の良心は之が為に亳末も曇らない。日本国民は全員私を信じてくれると思ふ。戦友らの為に死ぬ、之より大いなる愛はないと信じて安んじて死ぬ。(中略)
これから世の中に立っていくに就いて
常に利害を考ふる前に正邪を判断すること。
素行上に注意し、汚点を残さぬやうにすること。
一時の感情から一生の後悔を残さぬやう。
之を更に繰り返して訓戒して置く。御身等の顔を見ずに死んで行く事は何としても一番大きな心残りである。然しこれも運命で致し方はない。(中略)
いくら書いても名残はつきぬ。父は御身達が立派な人間として修養を積み人格を完成し世人の敬意を受けるやうな人となることを信じて且つ祈っている。(攻略)>
昔の人は偉かったとしみじみ思う。彼らは死を贖って、この国の未来を次世代に手渡したわけだが、果たして、我々は彼らの負託に十分応えているだろうか。忸怩たるものがある。
<常に利害を考ふる前に正邪を判断すること。>
身につまされないか?
(「路傍の意地」より)
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大日本帝国の興亡 1 (ハヤカワ文庫 NF 101) 文庫 – 1984/7/1
暁のZ作戦
- 本の長さ364ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1984/7/1
- ISBN-104150501017
- ISBN-13978-4150501013
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1984/7/1)
- 発売日 : 1984/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 364ページ
- ISBN-10 : 4150501017
- ISBN-13 : 978-4150501013
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,245,304位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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日米戦争に関するノンフィクション。アジア共産化を危惧していた二大国が、なぜ衝突したのか。日本人妻を持つ米国知識人が一九七〇年に書いたピューリッツァー賞受賞作。その日本語版である。
大陸への侵略と残虐行為を日本側の原因として挙げる一方、著者は米国側の要因にも言及する。曰く、米国は日本人移民を締め出し、日本人が怒って当然の人種偏見により憎悪と不信の種子をまいた。ハル四原則にある道義的主張の偽善性を認めるべきだった。英国は植民地でそれほど道徳的ではなかったし、米国自身も中央アメリカにおいて『砲艦外交』を行なうなど、自らの要求に反する行為を平気でしていた。結局、米国が唱える正義や道義は自己の利益のためにすぎなかった。米国のように天然資源と広い国土に恵まれ、外国に攻撃される恐れもない国が、どうして日本のように小さく、ほとんど資源もなく、常にソ連のような仮借ない隣国の脅威にさらされている島国の立場を理解することができただろうか。
一九四一年夏まで、米国は解決困難な中国問題に関与したいと本心では思っていなかった。主要な敵はヒトラーだった。しかし米国外交官たちは極東に戦争をもたらす政策を選び、逆に中国を見捨てることになった。日本をナチスドイツと同類視してしまい、祖国を完全に性格の異なる二つの戦争に巻き込んだ。一つは欧州でのファシズムに対する戦い、一つは白人支配からの自由を求める東洋人の願望につながるもの。日米双方に英雄も悪漢もいなかった。ただ『時勢』だけが責められるべきものだった。もし共産主義とファシズムという二大イデオロギーがなかったら、日米が戦うことは永久になかっただろう。つきつめると、悲劇の源は英米に無視されることを恐れた日本がヒトラーと結んだところにある。こんな同盟は名目以上の何ものでもなかった。さらに相互の誤解、言葉の違い、翻訳の誤りにより、相互不信がさらに増幅され、必要のない戦争が始まった。ハルが日本の乙提案に融和的な回答を出していたら、来るべき数十年に禍根を残す重大な誤りを犯すようなこともなかったろう、と。
これは米国の公式見解ではない。お決まりの形で日本を非難してはいる。しかし、我々が信じる「日本だけが悪玉だった」という視点はない。遥かに公平で客観的だ。米国元大統領フーバーも言う。「そもそもアメリカは日本を挑発しない限り、決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう」と。
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