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火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1) 文庫 – 1976/5/1
ジョン ディクスン カー
(著),
小倉 多加志
(翻訳)
壁を抜ける婦人…墓場から消えた死体…そして毒殺魔の伝説が甦る。 《ミステリマガジン》オールタイム・ベスト(2006年)第2位! 黄金期の巨匠最大の傑作が新訳で登場
- 本の長さ341ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1976/5/1
- ISBN-104150703515
- ISBN-13978-4150703516
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1976/5/1)
- 発売日 : 1976/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 341ページ
- ISBN-10 : 4150703515
- ISBN-13 : 978-4150703516
- Amazon 売れ筋ランキング: - 312,401位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Very nice
2011年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1.後の「皇帝のかぎ煙草入れ」に通ずる心理トリック(動かしがたい事実と思われていたことが、実はある一人の人物の供述に過ぎなかった)と
2.ラストの大どんでん返しが秀逸。
しかし、そのいずれも、よりブラッシュアップされた作品が現代では溢れているので、結局この評価。
2.ラストの大どんでん返しが秀逸。
しかし、そのいずれも、よりブラッシュアップされた作品が現代では溢れているので、結局この評価。
2009年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
不可能犯罪ミステリの巨匠カーの代表作のひとつとして
題名は知っていたものの、
読んだことのなかった本書をこのたび読み終えました。
<婦人毒殺魔が流行のように輩出した
十七世紀と現代が妖しく交錯し、
カー独特の世界を創出した第一級の怪奇ミステリ>
という作品紹介が裏表紙にあります。
そう、この作品こそ、
ミステリとホラーの融合が果たされた
元祖というべき作品なのです。
作品の中核をなすのは、死体消失のトリックです。
胃腸炎で死亡した老人に毒殺の疑いが生じ、
墓を暴くことになったのですが、
確かに埋葬されたはずの死体が
棺から消え失せていたのです。
一体誰が、どうやって死体を持ち去ったのか、
その鮮やかなトリックは
作品後半で明かされることとなります。
しかし、これで終わってしまっては、
本書はカーの代表作とはなり得なかったでしょう。
本書の醍醐味は、謎解きが終わったあとの
「エピローグ」にあります。
ミステリ的解決とは違った、
ホラー的解決が待っているのです。
このラスト、カーに続くミステリ作家達の小説を
数多く読んでいる現代の読者としては、
衝撃と呼べるほどのものではなくなっていると思います。
しかし、これが元祖ということで読む価値はあり、
と感じました。
その趣向は現代の作家達に引き継がれていて、
全く色褪せてはいません。
「火刑法廷」という題名も、
読み終えてみると作品の趣向を如実に表していて、
とても印象深いものとなっています。
題名は知っていたものの、
読んだことのなかった本書をこのたび読み終えました。
<婦人毒殺魔が流行のように輩出した
十七世紀と現代が妖しく交錯し、
カー独特の世界を創出した第一級の怪奇ミステリ>
という作品紹介が裏表紙にあります。
そう、この作品こそ、
ミステリとホラーの融合が果たされた
元祖というべき作品なのです。
作品の中核をなすのは、死体消失のトリックです。
胃腸炎で死亡した老人に毒殺の疑いが生じ、
墓を暴くことになったのですが、
確かに埋葬されたはずの死体が
棺から消え失せていたのです。
一体誰が、どうやって死体を持ち去ったのか、
その鮮やかなトリックは
作品後半で明かされることとなります。
しかし、これで終わってしまっては、
本書はカーの代表作とはなり得なかったでしょう。
本書の醍醐味は、謎解きが終わったあとの
「エピローグ」にあります。
ミステリ的解決とは違った、
ホラー的解決が待っているのです。
このラスト、カーに続くミステリ作家達の小説を
数多く読んでいる現代の読者としては、
衝撃と呼べるほどのものではなくなっていると思います。
しかし、これが元祖ということで読む価値はあり、
と感じました。
その趣向は現代の作家達に引き継がれていて、
全く色褪せてはいません。
「火刑法廷」という題名も、
読み終えてみると作品の趣向を如実に表していて、
とても印象深いものとなっています。
2014年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
有名な作品だということで購入。予想もしなかった展開で面白かったです。
2009年2月2日に日本でレビュー済み
自分の妻であるマリーが、過去の毒殺魔と瓜二つなことを
知ったエドワードは、奇怪な事件の渦に巻き込まれていく。
密室状態の納骨所からの死体消失、
被害者の部屋の壁を通り抜けていく毒殺侯爵夫人と似た扮装をしている女、
そして、揺り椅子に座って手招きをする死んだはずの老人……。
頻発する怪現象を巻き起こす犯人は誰なのか?
そして、果たしてマリーは、不死の毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人なのか?
いかにもカーらしい、不可能興味や怪奇趣味満点な道具立てやトリックが、
全編に組み込まれていますが、これらの謎はすべて合理的に解決されます。
しかし本作は、そうした探偵役による〈解決篇〉の後のエピローグで
物語の底が抜け、ミステリからホラーへと反転する構成が採られます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といったミステリ的解決の後、
もう一度、「幽霊」が現れる、というわけです。
ただ、結果的に、ホラー(むしろリドル・ストーリーかも)として着地する本作ですが、
一旦、謎が合理的に解かれる、という段取りを踏まえていることから《多重解決》の
味わいもあり、決して安易な超自然現象の導入ではないことは、強調したいです。
ミステリとホラーの奇跡的な調和を実現した本作は、
カーの最高傑作であると同時に、ミステリ史上でも、
不朽の名作といえます。
知ったエドワードは、奇怪な事件の渦に巻き込まれていく。
密室状態の納骨所からの死体消失、
被害者の部屋の壁を通り抜けていく毒殺侯爵夫人と似た扮装をしている女、
そして、揺り椅子に座って手招きをする死んだはずの老人……。
頻発する怪現象を巻き起こす犯人は誰なのか?
そして、果たしてマリーは、不死の毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人なのか?
いかにもカーらしい、不可能興味や怪奇趣味満点な道具立てやトリックが、
全編に組み込まれていますが、これらの謎はすべて合理的に解決されます。
しかし本作は、そうした探偵役による〈解決篇〉の後のエピローグで
物語の底が抜け、ミステリからホラーへと反転する構成が採られます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といったミステリ的解決の後、
もう一度、「幽霊」が現れる、というわけです。
ただ、結果的に、ホラー(むしろリドル・ストーリーかも)として着地する本作ですが、
一旦、謎が合理的に解かれる、という段取りを踏まえていることから《多重解決》の
味わいもあり、決して安易な超自然現象の導入ではないことは、強調したいです。
ミステリとホラーの奇跡的な調和を実現した本作は、
カーの最高傑作であると同時に、ミステリ史上でも、
不朽の名作といえます。
2017年10月14日に日本でレビュー済み
エドワード・スティーヴンズは犯罪研究家ゴーダン・クロスの最新の著書の原稿にあった毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の写真が自分の妻マリーにそっくりであることに驚く。帰宅したエドワードはその原稿が入ったブリーフケースが開けられ問題の写真が紛失している事に気づく。マリーがひそかに盗んだのであろうか。さらに近所で最近病死したマイルズ・デスパードが毒殺されたのではないかという相談をマイルズの甥マークから受ける。マイルズは死亡した夜現場にいたブランヴィリエ侯爵夫人の衣装を着た女から毒薬を飲まされさらにその女は部屋にあるはずのないドアから抜け出したというのであった。マークとエドワードたちは納骨所からマイルズの遺体を取り出そうとするが遺体は消失していた。マイルズを毒殺した犯人は誰か、どうやってないはずのドアから抜け出したのか、密室であった納骨所から遺体はどうやって運び出されたのか、といった不可解な謎がテーマとなる。デスパード家の人々に全てアリバイがあることからマリーにも疑いの目が向けられエドワード(または読者)は内心で妻へのあり得ない疑惑を深めていく。
学生時代に読んだ時は非常に面白かったという記憶があったので期待して再読したのだが全編に冗長感が禁じ得ず読み進めるのに苦労した。事件の設定はカーらしい不可能趣味や怪奇趣味に彩られて魅力的だが、物語として停滞しており進展していく感じがない。前半はマークの説明が延々と続き後半に入っても関係者による的外れの議論が続くだけで真相へと進む気配がない。会話もかみ合っていない場面が多々あり不自然で読者を煙に巻こうとしているだけのように見える。登場人物も深みや人間的な魅力に欠け興味が持続しない。特にブレナン警部やゴーダン・クロスの浅はかな雰囲気が興ざめであった。また犯人側の動機や心理面も納得感がない。
学生時代に読んだ時は非常に面白かったという記憶があったので期待して再読したのだが全編に冗長感が禁じ得ず読み進めるのに苦労した。事件の設定はカーらしい不可能趣味や怪奇趣味に彩られて魅力的だが、物語として停滞しており進展していく感じがない。前半はマークの説明が延々と続き後半に入っても関係者による的外れの議論が続くだけで真相へと進む気配がない。会話もかみ合っていない場面が多々あり不自然で読者を煙に巻こうとしているだけのように見える。登場人物も深みや人間的な魅力に欠け興味が持続しない。特にブレナン警部やゴーダン・クロスの浅はかな雰囲気が興ざめであった。また犯人側の動機や心理面も納得感がない。
2014年1月17日に日本でレビュー済み
最後にどんでん返しがありますが、そのどんでん返しに必然性も説明もないので、消化不良感だけが残ります。
二通りの解釈が成立する、との解説もありますが、順番に読めば最後の部分が結論に決まってるし。
だからこそ「オカルト」若しくは「怪奇小説」としても素晴らしい、という評価をよく目にしますが、私には全く理解不能です。
探偵史上屈指の名作、ということになっていますが、何じゃこりゃ?って人も多いのでは?
二通りの解釈が成立する、との解説もありますが、順番に読めば最後の部分が結論に決まってるし。
だからこそ「オカルト」若しくは「怪奇小説」としても素晴らしい、という評価をよく目にしますが、私には全く理解不能です。
探偵史上屈指の名作、ということになっていますが、何じゃこりゃ?って人も多いのでは?
2014年12月6日に日本でレビュー済み
推理小説として読むと、キレずに余計なフリルがふわふわしている感じで解決も見事とは言えない。推理小説のつもりで読むとマリーの動きや発言が説明つかないことになる。なにせとうとう最後まで死体は出てこないのであり、果たして毒殺だったのかどうかの解剖検分すら最後まで行われない。殺人事件なのかどうかすら靄の向こうなのであり、探偵小説として書かれているという事自体すら疑わざるをえない。
解決もカーにありがちな、「そりゃ無理だろ。」というもので、数々の偶然に助けられてようやく実現するような細い細い可能性しかないものでしかないし、読者とのフェアーさという点でも伏線の張り方も不十分で解決の場面で初めて展開していく話が多すぎるのである。こんな解決でいいのなら他にもいくらでも好きなように別の解決が幾通りにも書けると言っていい。ヘンダーソン老人が見た揺り椅子に座る死んだはずのマイルスの解決説明に至ってはむちゃすぎて笑い出してしまった。
最後の再反転に感動する評価が多いが、少なくとも推理小説として、その気で(真相や犯人をあてるつもりで)読む限りはただのおふざけ程度の付け足しでしかない。
結局これは推理小説であるかのような姿もしているが、推理小説にはなっていないオカルトっぽい不死者の犯罪者たちの物語という他ないが、怪奇小説としては推理小説の常套的な筋運びに拘束されているが故に不定形な想像の飛翔が大幅に物足りない。
だが、この人は謎のある作家だ。書き出しの1、2章の感じはよく、「盲目の理髪師」同様、途中から後ろを別の展開、解決、犯人で書き直すとかなりいいものになりそうに思う。序盤がよいのに途中からあらぬ方向へ行くというカーの傾向は、多作で書ききれなかったというよりも、自己の才能への自信から、作品を自己破壊的に崩し、在来のミステリー小説の枠の外に出たいというスケールの大きな野心、気持ちからのもののような雰囲気が漂っている。[書き出しの1、2章からすると町全体が一人の人間の意思で作られたセットのような架空性を感じさせるし、葬儀屋ももっと物語に絡んでいい。海外でほとんどを過ごしたという死者(マイルス老人)も常套的な推理小説の読み方からすれば、人物入れ替わりや架空の人物という感じで読み手は考えていくが、ここではそういう展開にはなっていかない。設定がどこか蜃気楼のような夢のような雰囲気になっている。夜死体を調べに安置所に降りたが死体が消失していたという場面と続く古風な服装をした奇妙な女の目撃談の伝聞の場面あたりになると、ヘンダーソン夫婦か老人の甥が嘘をついているといった推理を読み手は始めるが、やはりこの小説はそうは展開していかない。] つまり本来の正当的、伝統的推理小説の王道手法から途中で別れて別の話になっていくような奇妙な出来になっているのであるが、それがどうも意図的なもののように感じるのである。
わざと途中から奇妙にねじったりひねったりしてあるパン。ひねった先はパスタになっていてソースがかかったりサラダになっていたりする、みたいな感じなのである。
カーには「曲がった蝶番」という傑作があり、「黒死荘(Plague Court)殺人事件」「魔女の隠れ家」等もよい。チェスタトンのブラウン神父シリーズの短編を冗長に水増ししたような長編が多い。解決は?でも雰囲気がよい作品はたくさんある(「盲目の理髪師」「帽子収集狂事件」「緑のカプセルの謎」等)。
解決もカーにありがちな、「そりゃ無理だろ。」というもので、数々の偶然に助けられてようやく実現するような細い細い可能性しかないものでしかないし、読者とのフェアーさという点でも伏線の張り方も不十分で解決の場面で初めて展開していく話が多すぎるのである。こんな解決でいいのなら他にもいくらでも好きなように別の解決が幾通りにも書けると言っていい。ヘンダーソン老人が見た揺り椅子に座る死んだはずのマイルスの解決説明に至ってはむちゃすぎて笑い出してしまった。
最後の再反転に感動する評価が多いが、少なくとも推理小説として、その気で(真相や犯人をあてるつもりで)読む限りはただのおふざけ程度の付け足しでしかない。
結局これは推理小説であるかのような姿もしているが、推理小説にはなっていないオカルトっぽい不死者の犯罪者たちの物語という他ないが、怪奇小説としては推理小説の常套的な筋運びに拘束されているが故に不定形な想像の飛翔が大幅に物足りない。
だが、この人は謎のある作家だ。書き出しの1、2章の感じはよく、「盲目の理髪師」同様、途中から後ろを別の展開、解決、犯人で書き直すとかなりいいものになりそうに思う。序盤がよいのに途中からあらぬ方向へ行くというカーの傾向は、多作で書ききれなかったというよりも、自己の才能への自信から、作品を自己破壊的に崩し、在来のミステリー小説の枠の外に出たいというスケールの大きな野心、気持ちからのもののような雰囲気が漂っている。[書き出しの1、2章からすると町全体が一人の人間の意思で作られたセットのような架空性を感じさせるし、葬儀屋ももっと物語に絡んでいい。海外でほとんどを過ごしたという死者(マイルス老人)も常套的な推理小説の読み方からすれば、人物入れ替わりや架空の人物という感じで読み手は考えていくが、ここではそういう展開にはなっていかない。設定がどこか蜃気楼のような夢のような雰囲気になっている。夜死体を調べに安置所に降りたが死体が消失していたという場面と続く古風な服装をした奇妙な女の目撃談の伝聞の場面あたりになると、ヘンダーソン夫婦か老人の甥が嘘をついているといった推理を読み手は始めるが、やはりこの小説はそうは展開していかない。] つまり本来の正当的、伝統的推理小説の王道手法から途中で別れて別の話になっていくような奇妙な出来になっているのであるが、それがどうも意図的なもののように感じるのである。
わざと途中から奇妙にねじったりひねったりしてあるパン。ひねった先はパスタになっていてソースがかかったりサラダになっていたりする、みたいな感じなのである。
カーには「曲がった蝶番」という傑作があり、「黒死荘(Plague Court)殺人事件」「魔女の隠れ家」等もよい。チェスタトンのブラウン神父シリーズの短編を冗長に水増ししたような長編が多い。解決は?でも雰囲気がよい作品はたくさんある(「盲目の理髪師」「帽子収集狂事件」「緑のカプセルの謎」等)。