高校生の時に読んでピンとこなかった作品です。云十年経過して内容をきれいさっぱり忘れてから再読しましたが、やっぱり面白くありませんでした。当時としてはインパクトのあったであろう精神分析ももはや時代錯誤だし、ミステリとしては明らかに不自然な文体もあり……。
それならなぜ2回も読んだかといえば、「法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術」でネタバレ警告が出てたからです。先に小説を読んでから評論を読みました。すると、なんということでしょう。駄作だと思いきや、ある種の怪作に大化けしました。優れた評論ってこういうのを指すんだなーて思います。
評論の威力を体感したい方にはおすすめできます。

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ウィチャリー家の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-1) 文庫 – 1976/4/1
女の名はフィービ・ウィチャリー。二十一歳。彼女は霧深いサンフランシスコの波止場から姿を消し、杳として行方が知れなかった。彼女の父から娘の調査を依頼されたアーチャーのこころには、何故かフィービの美しく暗い翳が重くのしかかっていた……。アメリカ家庭の悲劇を描くハードボイルド派巨匠の最高傑作!
- 本の長さ410ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1976/4/1
- ISBN-104150705011
- ISBN-13978-4150705015
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1976/4/1)
- 発売日 : 1976/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 410ページ
- ISBN-10 : 4150705011
- ISBN-13 : 978-4150705015
- Amazon 売れ筋ランキング: - 351,415位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章としての表現がハードボイルドの中ではかなり凝っていて、やはりチャンドラーの作風を思わせます。
それから、ロスマクの真骨頂と言われる登場人物への心理的なアプローチ。他の探偵と違って本作の探偵リュウ・アーチャーは心理学者のように登場人物たちを分析します。その点が特徴だなと思います。
それから、「〜のような」という直喩が多用されています。これは、純文学の要素が多いと言われる所以でしょう。
個人的には、少しくどいかなと思います。
ただ、本作については、何と言ってもメインのトリックですね。これについての評価は分かれると思います。
私は否定的です。やはり、さすがに無理があるなと。
その点で、星4つとしました。
それから、ロスマクの真骨頂と言われる登場人物への心理的なアプローチ。他の探偵と違って本作の探偵リュウ・アーチャーは心理学者のように登場人物たちを分析します。その点が特徴だなと思います。
それから、「〜のような」という直喩が多用されています。これは、純文学の要素が多いと言われる所以でしょう。
個人的には、少しくどいかなと思います。
ただ、本作については、何と言ってもメインのトリックですね。これについての評価は分かれると思います。
私は否定的です。やはり、さすがに無理があるなと。
その点で、星4つとしました。
2016年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロス・マクドナルド自身が最高の力作と語った『さむけ』に優るとも劣らない傑作と言えるのが本書『ウィチャリー家の女』である。
サンフランシスコのセント・フランシス・ホテルを最後に、行方不明となってしまった富豪の娘フィービを捜すべく地道な調査を進める私立探偵リュウ・アーチャー。ロス・マク文学では定番となった家族の悲劇や崩壊が本書のテーマとなっており、人物描写の素晴らしさには何度読んでも圧倒される。ロス・マクは売れ行きが悪いのか、絶版になってしまった作品が多く、再販を強く希望する。おすすめの一冊。
サンフランシスコのセント・フランシス・ホテルを最後に、行方不明となってしまった富豪の娘フィービを捜すべく地道な調査を進める私立探偵リュウ・アーチャー。ロス・マク文学では定番となった家族の悲劇や崩壊が本書のテーマとなっており、人物描写の素晴らしさには何度読んでも圧倒される。ロス・マクは売れ行きが悪いのか、絶版になってしまった作品が多く、再販を強く希望する。おすすめの一冊。
2007年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず一番に挙げたいのが人物描写の素晴らしさです。
適格で簡潔明瞭な描写によって、登場人物が活き活きしています。
特に失踪した母娘が、どれほど似ていたかが会話によって明かされて行く場面は、圧巻です。
欲に負けてしまう人間の弱さ、哀しみ。
状況を改善しようとした行動が蹉跌となる絶望、無力感。
愚かで無力で、小さく哀しく、孤独で弱い人間たちのドラマです。
一流の娯楽作品であり、それ以上の物が確かにあります。
適格で簡潔明瞭な描写によって、登場人物が活き活きしています。
特に失踪した母娘が、どれほど似ていたかが会話によって明かされて行く場面は、圧巻です。
欲に負けてしまう人間の弱さ、哀しみ。
状況を改善しようとした行動が蹉跌となる絶望、無力感。
愚かで無力で、小さく哀しく、孤独で弱い人間たちのドラマです。
一流の娯楽作品であり、それ以上の物が確かにあります。
2004年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品は、ドストエフスキーの愛好者などにこそ勧めたい作品だ。
現代アメリカ(ロサンゼルス)の孤独感をこれほど適確に表現している作品を他に知らない。資本主義の分析、心理学の分析の両者を横断しているという点で、現代文学の傑作とさえ呼びたいし、この作品でマクドナルドが描く人間関係は先に述べたドストエフスキーやギリシャ悲劇のそれと比肩しうる域に達している。私立探偵(比喩的に述べれば映画作家のゴダールもそのひとりだ)が主人公であることが現代の闇を描く上で一種の必然であるということもこの作品が証明している。
同じ作者の『さむけ』や、少し意匠が似ている『幻の女』などよりもあらゆる面で優れていると思う。
この作品を前に、純文学(あまりいい言葉ではない)、ミステリーといった分類は無意味だ。
現代アメリカ(ロサンゼルス)の孤独感をこれほど適確に表現している作品を他に知らない。資本主義の分析、心理学の分析の両者を横断しているという点で、現代文学の傑作とさえ呼びたいし、この作品でマクドナルドが描く人間関係は先に述べたドストエフスキーやギリシャ悲劇のそれと比肩しうる域に達している。私立探偵(比喩的に述べれば映画作家のゴダールもそのひとりだ)が主人公であることが現代の闇を描く上で一種の必然であるということもこの作品が証明している。
同じ作者の『さむけ』や、少し意匠が似ている『幻の女』などよりもあらゆる面で優れていると思う。
この作品を前に、純文学(あまりいい言葉ではない)、ミステリーといった分類は無意味だ。
2008年8月22日に日本でレビュー済み
「さむけ」と並ぶ、ロス・マクドナルドの傑作。
この2作は、びっしりと埋め込まれた、「〜のような」という比喩が傑出しています。
その分、比喩が輝きを失っていく後期作品はガクンと落ちるのですが。
「さむけ」が「ミステリー」という枠を飛び越えてしまった「超傑作」だとすると、その前作である本作は、最後の「ミステリー枠内の傑作」ということになります。
逆の評価もあるようですが、僕はそう考えています。
なにより、このメイン・トリックはすごい。ディクスン・カーがこんなトリック使ったら、「こんな子供だましの手ぇ使いやがって」とか(本格物嫌いに)言われると思います。
アントニー・バウチャーは、「実現不可能」と言ってるそうです。
しかし、こういう仰天のトリックを使っているということは、ロス・マクが、リュー・アーチャーものを、ハードボイルドとしてだけではなく、もっと大きな「ミステリー」の枠の中で考えていた・・・ということだと思います。
その分構成も複雑になるので、構成自体はルーズなハメットやチャンドラーより(逆に)、「ハードボイルド派」としては下に見られるのではないでしょうか。
リュー・アーチャーものの第1作「動く標的」から読んでいくと、ひとりの小説家の、成長から衰退までをたどることができます。
「チャンドラーの真似」から始まったロス・マクも、本作と「さむけ」ではもう、まったく違う場所から「人間」をまるごと捉えようとしています。ハメットもチャンドラーも関係ない。
「娯楽」を目的として書かれた小説が、その意図を突き破って読む者を感動させ得る・・・「ウィチャリー家の女」と「さむけ」の2作は、そのことを証明しています。
この2作は、びっしりと埋め込まれた、「〜のような」という比喩が傑出しています。
その分、比喩が輝きを失っていく後期作品はガクンと落ちるのですが。
「さむけ」が「ミステリー」という枠を飛び越えてしまった「超傑作」だとすると、その前作である本作は、最後の「ミステリー枠内の傑作」ということになります。
逆の評価もあるようですが、僕はそう考えています。
なにより、このメイン・トリックはすごい。ディクスン・カーがこんなトリック使ったら、「こんな子供だましの手ぇ使いやがって」とか(本格物嫌いに)言われると思います。
アントニー・バウチャーは、「実現不可能」と言ってるそうです。
しかし、こういう仰天のトリックを使っているということは、ロス・マクが、リュー・アーチャーものを、ハードボイルドとしてだけではなく、もっと大きな「ミステリー」の枠の中で考えていた・・・ということだと思います。
その分構成も複雑になるので、構成自体はルーズなハメットやチャンドラーより(逆に)、「ハードボイルド派」としては下に見られるのではないでしょうか。
リュー・アーチャーものの第1作「動く標的」から読んでいくと、ひとりの小説家の、成長から衰退までをたどることができます。
「チャンドラーの真似」から始まったロス・マクも、本作と「さむけ」ではもう、まったく違う場所から「人間」をまるごと捉えようとしています。ハメットもチャンドラーも関係ない。
「娯楽」を目的として書かれた小説が、その意図を突き破って読む者を感動させ得る・・・「ウィチャリー家の女」と「さむけ」の2作は、そのことを証明しています。
2003年7月19日に日本でレビュー済み
チャンドラーやハメットの流れをくむ、と紹介される作者だが、チャンドラーのハードボイルドよりはちょっと泥臭い感じがするのは、チャンドラーよりリアリティのあるストーリーのせいか?
大富豪の一人娘が失踪し、捜索を以来された私立探偵が娘の足取りを丹念にたどって行き、終に娘と遭遇するのだが・・・
探偵リュウが関係者一人一人に目撃談を聞いたり、証言を集めたりという部分がもどかしいが、ここが後になって肝心になってくる。古典的な謎解きスタイルとでもいおうか。最近のテンポ良く流れるミステリーを読みつけてしまうとこのスローなテンポがちょっときついが、南の島のビーチなどでゆったり読むと満喫できそう。
大富豪の一人娘が失踪し、捜索を以来された私立探偵が娘の足取りを丹念にたどって行き、終に娘と遭遇するのだが・・・
探偵リュウが関係者一人一人に目撃談を聞いたり、証言を集めたりという部分がもどかしいが、ここが後になって肝心になってくる。古典的な謎解きスタイルとでもいおうか。最近のテンポ良く流れるミステリーを読みつけてしまうとこのスローなテンポがちょっときついが、南の島のビーチなどでゆったり読むと満喫できそう。
2008年7月8日に日本でレビュー済み
ロスマク文学の最高傑作は〔さむけ〕か,この〔ウィチャリー家の女〕かで,信者の間では未だに議論が絶えないのだが、その結論はさておき、まずにこの作品を読め、と。
この〔ウィチャリー家の女〕に関する極めて秀逸な評論を法月輪太郎が惚れ惚れする賛辞として捧げているのだが〔さむけ〕を最初に読んでしまったならば、最高傑作たる本作も霞んで見えるであろうからさ。
勿論ロスマクはハードボイルド御三家の一人だけれども、逆説的に言って所謂ステレオタイプのハードボイルドを終わらせた作家でもあるんですよね。後続のブロックは,自分の分身たるスカダーにそれを打開すべく託したのだが見事に失敗。エルロイは流石だ、ハードボイルドの枠を飛び越えて漸く自分の基盤を築いてみせた(さすがにキチガイ作家)。
つまり何を言いたいのか…この〔ウィチャリー家の女〕は最高の文学の一つではあるが,エンタテイメントとして,面白さでは〔さむけ〕には及ばないと,ハイ(苦笑)
この作品のエピローグはね、理屈じゃあ語れません。一人の人間としてただただ祈るばかりです。
仏教徒もキリスト者もありゃあしません。
自分は白色人種が大嫌いな旧弊ですが、それでもロス・マクドナルドを実の父以上に尊敬しています。
以上、失礼しました。
この〔ウィチャリー家の女〕に関する極めて秀逸な評論を法月輪太郎が惚れ惚れする賛辞として捧げているのだが〔さむけ〕を最初に読んでしまったならば、最高傑作たる本作も霞んで見えるであろうからさ。
勿論ロスマクはハードボイルド御三家の一人だけれども、逆説的に言って所謂ステレオタイプのハードボイルドを終わらせた作家でもあるんですよね。後続のブロックは,自分の分身たるスカダーにそれを打開すべく託したのだが見事に失敗。エルロイは流石だ、ハードボイルドの枠を飛び越えて漸く自分の基盤を築いてみせた(さすがにキチガイ作家)。
つまり何を言いたいのか…この〔ウィチャリー家の女〕は最高の文学の一つではあるが,エンタテイメントとして,面白さでは〔さむけ〕には及ばないと,ハイ(苦笑)
この作品のエピローグはね、理屈じゃあ語れません。一人の人間としてただただ祈るばかりです。
仏教徒もキリスト者もありゃあしません。
自分は白色人種が大嫌いな旧弊ですが、それでもロス・マクドナルドを実の父以上に尊敬しています。
以上、失礼しました。