グレアム・グリーンの経歴を調べてみたら、オックスフォード在学中の18歳のとき、第一次大戦後一部占領されていたドイツ大使館に雇われ、対仏諜報を行った経験もあった。
第二次大戦勃発時にはMI6の正式メンバーとなり、最大の裏切り者といわれたキム・フィルビーの直属の部下となって西アフリカやイベリア半島のスパイ活動に従事するが、フィルビーの権力闘争をみて1943年に辞任した。
「彼(フィルビー)は祖国を裏切った)そう――、それはその通りだろう。しかし、われわれのうちで、祖国より大切な何かや誰かに対して裏切りの罪を犯さなかったものがいるだろうか」(同書1974年早川書房版の宮脇孝雄氏解説より)
本書の解説で池上冬樹氏がこのキム・ウィルビーのエピソードに触れ、上のようなグレアム・グリーンの言葉を引用していた。(P489~490)
この本の初めにグレアム・グリーンは、元情報機関に関わっていた者には公職守秘義務があり、作中の登場人物もすべて架空のものである、と前置きしているが、「それでもなお、やはりファンタジーを扱った聡明な作家、ハンス・アンデルセンの言葉を借りるなら“われわれの空想の物語は現実のなかから生み出される”」と、述べていた。
本書『ヒューマン・ファクター』は、世に言う「売国奴」と呼ばれる二重スパイの物語である。
が、イデオロギーなどとは無縁のスパイが辿るややこしい「愛」をテーマにしているのが、他のスパイ小説と異なっている。
男女の愛、思想信条を異なる者との友情という愛、家族愛、などグレアム・グリーンならではの人間性の琴線に触れるような物語に仕上げているのは、やはり著者グレアム・グリーンが、MI6の上司であったキム・フィルビーを、本書のモデルとして感情移入しながら描いているからであろう。
評者は、カッスルのSOSで現れた古書店主ハリデイと本書主人公カッスルと交わす会話が印象的だったので下の・・・・・内に転載したい。(P399~400)
・・・・・
<前文略>「迷いが生じたことはなかったのか、ハリデイ? つまり、スターリンとか、ハンガリーとか、チェコといったことで」
「若いころ、ロシアで充分いろいろなことを眼にしましたから。イギリスでもです。帰国したときは大恐慌のさなかで。だからそういう些細なことには免疫ができていました」
「些細なこと?」
「こう言ってよろしければ、あなたの良心はものごとを選別しています。たとえばハンブルグ、ドレスデン、ヒロシマ――ああいったことが、あなたの言う民主主義への信念を、多少なりともぐらつかせたことはありませんか。あるでしょう。でなければ、今私といっしょにいないはずだ」
「あれは戦争だった」
「私の同志は1917年からずっと戦争をしています」<後文略>
・・・・・
東西冷戦も終え、30年も過ぎた今も、かのサミュエル・ハンティントンが予告したように、民族や宗教などで対立した戦争は絶えない。
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ヒューマン・ファクター―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫) 文庫 – 2006/10/12
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- 本の長さ495ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2006/10/12
- ISBN-10415120038X
- ISBN-13978-4151200380
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登録情報
- 出版社 : 早川書房; 新訳版 (2006/10/12)
- 発売日 : 2006/10/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 495ページ
- ISBN-10 : 415120038X
- ISBN-13 : 978-4151200380
- Amazon 売れ筋ランキング: - 248,599位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年7月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヒューマン・ファクターというタイトルが秀逸です。日本語だと「人的要因」という堅苦しい言葉になるみたいですが、ようするに「人が関わるところに起こりうる問題」みたいなニュアンスでしょうか。
本作においては、組織と個人、上司と部下、仕事と私生活、貴族階級と庶民階級、資本主義と社会主義、白人と黒人、夫婦、親子、嫁と姑、そして人とペットまで、ありとあらゆる人間関係の問題が描かれています。
「英国情報部」という舞台設定はまったく縁遠いものですが、本作で描かれている人間関係の問題の多くは、現代の日本に生きる我々の問題としても置き換えることができ、深く考えさせられました。
例えば、家族との生活を何よりも優先させたいが、その生活の実現のために援助してくれた相手に義理を感じて”仕事”を断れないというジレンマとか。
なかでも下記の3つのエピソードは、イギリス小説らしいシニカルさが溢れていて心に残りました。
・主人公は妻が産んだ他人の子供を我が子のように愛しているが、その子供は主人公のことよりも飼い犬のことをずっと愛している。
・主人公が軽んじていた人物が、実は……だった。
・主人公が長年にわたって必死の思いで送り続けていた情報は、相手にとってはまったく価値のない無意味なものだった。
「スパイ小説」というカテゴリーにとらわれず多くの人に、特に組織に対して人生の多くの時間を捧げている日本のお父さんに読んでもらいたい名作です。
自分を犠牲にして一生懸命に取り組んでいる仕事は、果たして人生にとってどれほどの意味があることなのか、考えるきっかけになるのではないかと思います。
本作においては、組織と個人、上司と部下、仕事と私生活、貴族階級と庶民階級、資本主義と社会主義、白人と黒人、夫婦、親子、嫁と姑、そして人とペットまで、ありとあらゆる人間関係の問題が描かれています。
「英国情報部」という舞台設定はまったく縁遠いものですが、本作で描かれている人間関係の問題の多くは、現代の日本に生きる我々の問題としても置き換えることができ、深く考えさせられました。
例えば、家族との生活を何よりも優先させたいが、その生活の実現のために援助してくれた相手に義理を感じて”仕事”を断れないというジレンマとか。
なかでも下記の3つのエピソードは、イギリス小説らしいシニカルさが溢れていて心に残りました。
・主人公は妻が産んだ他人の子供を我が子のように愛しているが、その子供は主人公のことよりも飼い犬のことをずっと愛している。
・主人公が軽んじていた人物が、実は……だった。
・主人公が長年にわたって必死の思いで送り続けていた情報は、相手にとってはまったく価値のない無意味なものだった。
「スパイ小説」というカテゴリーにとらわれず多くの人に、特に組織に対して人生の多くの時間を捧げている日本のお父さんに読んでもらいたい名作です。
自分を犠牲にして一生懸命に取り組んでいる仕事は、果たして人生にとってどれほどの意味があることなのか、考えるきっかけになるのではないかと思います。
2021年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とてもこなれた自然な訳文で読みやすかったです。探偵小説やスパイ小説は普段は読まないのですが、グレアム・グリーンの本は例外です。私は小説のストーリーにはたいして興味がなくて、作家固有の文体や細部の描写を楽しむ方なので、いわゆる活劇物よりもグリーンの本などに惹かれるのかもしれません。
2019年11月12日に日本でレビュー済み
諜報の世界をモチーフにした人間ドラマという意味では、本作の数十年前に発表されたコンラッドの「密偵」や、モームの「英国諜報員アシェンデン」などがあるので、発表当時としても特段、新しいジャンルだったという訳ではない。
諜報機関の暗部を抑制されたストーリーでリアルに描く作品の雰囲気は、日本でいえば髙村薫のそれが近いように思う。
多すぎる食べ物の細かい描写には、少々うんざりさせられた。
物語は、アフリカにおける各国の諜報機関の活動を背景にして進んでいく。
ところが、それに関する全体図の具体的な説明が全くなく断片的な情報が示されるだけなので、どういう事情で登場人物たちが苦境に陥っているのかが、ほとんど理解できない。
そのせいで肝心のドラマの部分が頭に入って来にくく、終始ストレスを感じながら読むことになった。
こういう不親切な書き方が、70年代のトレンドだったのだろうか。
それとも、当時はこれらの点は、説明不要の周知の事実だったのだろうか。
人物描写は丁寧だし、追い詰められる側の者たちには多くの読者が感情移入してしまうと思う。
非情なエピソードには、改めて、スパイになんかなりたくないと感じさせるリアリティがある。
しかし全体の感想としては、説明不足への不満がそういう美点に勝ってしまう作品だった、というものにどうしてもなってしまう。
もったいない。
諜報機関の暗部を抑制されたストーリーでリアルに描く作品の雰囲気は、日本でいえば髙村薫のそれが近いように思う。
多すぎる食べ物の細かい描写には、少々うんざりさせられた。
物語は、アフリカにおける各国の諜報機関の活動を背景にして進んでいく。
ところが、それに関する全体図の具体的な説明が全くなく断片的な情報が示されるだけなので、どういう事情で登場人物たちが苦境に陥っているのかが、ほとんど理解できない。
そのせいで肝心のドラマの部分が頭に入って来にくく、終始ストレスを感じながら読むことになった。
こういう不親切な書き方が、70年代のトレンドだったのだろうか。
それとも、当時はこれらの点は、説明不要の周知の事実だったのだろうか。
人物描写は丁寧だし、追い詰められる側の者たちには多くの読者が感情移入してしまうと思う。
非情なエピソードには、改めて、スパイになんかなりたくないと感じさせるリアリティがある。
しかし全体の感想としては、説明不足への不満がそういう美点に勝ってしまう作品だった、というものにどうしてもなってしまう。
もったいない。
2014年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前訳と今回の新訳と二回読みました。読後も長く心に残る重厚な小説だと思います。傑作がいつもそうであるように、シンプルな主題を重層的に語りこんで、あり得る世界を強く響かせて読者それぞれの思考のスイッチを入れてくれます。冷戦時代という特異的背景を利用しながら、普遍的なテーマを提示するのは、この作者の特徴でしょう。
2014年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イギリス情報部の極秘事項がソ連に漏洩した
スキャンダルを恐れた上層部は、秘密裏に二重スパイの特定を進める
古株の部員・カッスルはかろうじて嫌疑を免れたが、同僚のデイヴィスは疑惑の中心に
上層部はデイヴィスを漏洩の事実ともども闇に葬り去ろうと暗躍する
追う者と追われる者の心理を鋭く抉るスパイ小説の金字塔
スパイ小説によくある派手なアクションや撃ち合いはありません
愛する女性と子供を守るため、主人公・カッスルの祖国を裏切らざるをえない心の内面を捉えた優れた人間ドラマといえると思います
でも、ドキドキワクワク感は十分にあります
特に終盤、カッスルがモスクワへ逃亡するあたり
味方はいるのか?
誰が味方なのか?
どうやってイギリスから脱出するのか?
カッスルの妻と子供は無事なのか?
最初に翻訳が出たのは1979年のこと
本書が描かれたころ
ソヴィエト連邦という国家が存在し東西冷戦が続いていました
それが過去の歴史となり今日のような世界がやってくるとは、想像もしませんでした
グリーンの力によるところもありますが、現代や近未来を描いたものより余程面白い作品だと思います
小林信彦さんや結城昌治さんも絶賛されているようです
久々★x5の作品に出会えました^^
スキャンダルを恐れた上層部は、秘密裏に二重スパイの特定を進める
古株の部員・カッスルはかろうじて嫌疑を免れたが、同僚のデイヴィスは疑惑の中心に
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追う者と追われる者の心理を鋭く抉るスパイ小説の金字塔
スパイ小説によくある派手なアクションや撃ち合いはありません
愛する女性と子供を守るため、主人公・カッスルの祖国を裏切らざるをえない心の内面を捉えた優れた人間ドラマといえると思います
でも、ドキドキワクワク感は十分にあります
特に終盤、カッスルがモスクワへ逃亡するあたり
味方はいるのか?
誰が味方なのか?
どうやってイギリスから脱出するのか?
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ソヴィエト連邦という国家が存在し東西冷戦が続いていました
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グリーンの力によるところもありますが、現代や近未来を描いたものより余程面白い作品だと思います
小林信彦さんや結城昌治さんも絶賛されているようです
久々★x5の作品に出会えました^^
2013年6月13日に日本でレビュー済み
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グレアム・グリーンの小説「ヒューマン・ファクター」を読了.本格的スパイ小説.モーリス・カッスルは英国MI6の情報部員.アフリカの情報を受け分析しまた返事を送る穏やかな日々.しかし,彼は南アフリカ駐在時,工作員として使っていた黒人女性セーラと恋に落ちた.アパルトヘイト下の南アフリカでは重罪である.モーリスは南アフリカ情報部の裏をかいてセーラを脱出させ,自らも帰国してセーラと結婚した.今は息子サムと3人で暮らす.ところが彼の部署で情報の漏洩が発覚した.二重スパイは誰か,監査部の調査が始まる….監査部員とのとりとめも無いしかし緊張感に満ちた長く続く会話等,語り口のうまさは言うまでも無い.小説の初めではデスクワーカーに過ぎないと思われたカッスルの意外な過去,そして現在のカッスルの状況が次第に明らかになっていく.しかしスパイとは何と悲哀に満ちた職業だろうか.日々緊張感に耐えられず酒を飲み,次第に蝕まれていく心.セーラを心から愛しつつ,しかし自分の葛藤を彼女に漏らすことすら出来ないカッスルの苦悩が,胸に迫る.小説の最後の,舞台劇で言えば暗転の様な唐突な幕切れも,印象的だ.一読の価値あり.Kindle版で読んだのだが,レビューでは評判の良かった池上冬樹氏の解説がKindle版には無いことに気がつく.そういえばKindle本では基本的に解説が削除されている様だ.これは何故か?
2014年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
MI6内部にいる二重スパイをいぶり出して、内密のまま処分する……、なんとジョン・ル・カレ『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』と瓜二つの設定ではないか!!!
ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)
グリーンもル・カレもどちらもMI6出身者で、どちらもMI6を舞台にした二重スパイと謀略(騙し合いっこ)の話なのだが、まるで別物なのである。
なにゆえにこうも違って見えるのか。
一線をはずれ閑職に甘んじて定年を待つだけの身となっている主人公の設定まで同じだが、「ティンカー……」では二重スパイを探し出し追い詰めていくが、「ヒューマン……」では同じアフリカ担当のしがない同僚が疑われ当局から追い詰められていく。はたして主人公カッスルはその同僚の濡れ衣を晴らすのか、はたまた濡れ衣を掛けた幹部を相手の大立ち回りか、と思わせておいて……。
そしてあまりにあっさりとした中盤の大転換にびっくりするが、そんなストーリーの違いだけではない。
グリーンの文章には文学的な思わず、うまいっと唸ってしまう表現があふれている。技巧的なわけではないが、文学的な高みにあるすばらしいものがある。
それが決定的な差となっている。
「ティンカー……」がつまらないわけでもないし、下手なわけでもない。
しかし殺伐とした人間関係、緊張を強いる職業を舞台としたこのジャンル(スパイもの、冒険小説とかいわれるもの)の小説の中で、ここまで文学的クオリティが高いものがあっただろうか。
誰もこの小説を単なるエンターテインメントとして片付ける事はできないだろう。
それが読書を楽しむ足かせとなっているかというと、そんなことは微塵もない。登場人物の性格や人間関係の妙を短く的確に表すという効果をもたらしている。
つまりこれはある文学的クオリティの高い小説がたまたまスパイを扱っているってかんじなのだ。
ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)
グリーンもル・カレもどちらもMI6出身者で、どちらもMI6を舞台にした二重スパイと謀略(騙し合いっこ)の話なのだが、まるで別物なのである。
なにゆえにこうも違って見えるのか。
一線をはずれ閑職に甘んじて定年を待つだけの身となっている主人公の設定まで同じだが、「ティンカー……」では二重スパイを探し出し追い詰めていくが、「ヒューマン……」では同じアフリカ担当のしがない同僚が疑われ当局から追い詰められていく。はたして主人公カッスルはその同僚の濡れ衣を晴らすのか、はたまた濡れ衣を掛けた幹部を相手の大立ち回りか、と思わせておいて……。
そしてあまりにあっさりとした中盤の大転換にびっくりするが、そんなストーリーの違いだけではない。
グリーンの文章には文学的な思わず、うまいっと唸ってしまう表現があふれている。技巧的なわけではないが、文学的な高みにあるすばらしいものがある。
それが決定的な差となっている。
「ティンカー……」がつまらないわけでもないし、下手なわけでもない。
しかし殺伐とした人間関係、緊張を強いる職業を舞台としたこのジャンル(スパイもの、冒険小説とかいわれるもの)の小説の中で、ここまで文学的クオリティが高いものがあっただろうか。
誰もこの小説を単なるエンターテインメントとして片付ける事はできないだろう。
それが読書を楽しむ足かせとなっているかというと、そんなことは微塵もない。登場人物の性格や人間関係の妙を短く的確に表すという効果をもたらしている。
つまりこれはある文学的クオリティの高い小説がたまたまスパイを扱っているってかんじなのだ。