「訳者あとがき」にはいくつか訳者と原作者とが合意の上で修正または改訳した部分が挙げられていますが、次のふたつはどういうわけか原文と異なります。
1)原文「Bach」に対し邦訳「ブラームス」
2)原文「since the surrender」に対し邦訳「無条件降伏以来」
これらは中公文庫版もハヤカワepi文庫版も共通しています。訳者がいずれも飛田茂雄氏ですから当然ですが、ハヤカワ版の校正校閲者である金子靖氏による「付記」にもこれらの修正には触れられていません。
こうした細かい点はさておき、原作のちょっと晦渋で突き放した感がありながら深い内面描写が見事に邦訳されています。ハルキストの皆様のお怒りを買うかもしれませんが、ノーベル賞のレベルとはこういうものかとあらためて原作のすばらしさに気付いた次第です。
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浮世の画家 (ハヤカワepi文庫 イ 1-4) 文庫 – 2006/11/1
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- 本の長さ319ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2006/11/1
- ISBN-104151200398
- ISBN-13978-4151200397
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2006/11/1)
- 発売日 : 2006/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 319ページ
- ISBN-10 : 4151200398
- ISBN-13 : 978-4151200397
- Amazon 売れ筋ランキング: - 315,952位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2015年2月16日に日本でレビュー済み
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本書は、イシグロの第一作『遠い山なみの光』と、彼の代表作であり英国ブッカー賞を受賞した第三作『日の名残り』のあいだの作品。主人公である「私」の独白という点はこれら三作品に共通しているけれど、一人称の語り手の “ふたしかさ” を読み手に喚起するという要素は本書からのもの。
本書の語り手は、第二次大戦中に国威高揚のための絵を描いていた老画家。敗戦後自分の過去の行いをつぶさに独白する彼の独白によって物語は進みます。
『日の名残り』でも同じなのですが、主人公は絶えず過去の自分の行動を正当化するので、読者は主人公の語る “事実” につねに疑いを持たざるをえません。なおかつ物語全体を通して主人公の回想という形式がとられています。したがって読者は語り手である「私」を、信用できない “ふたしかな” 人物として、都合の悪い記憶を忘却あるいは改ざんする人物として読み取ります。
そのように書くと主人公が嫌なやつにしか思えないかもしれません。けれど言い訳がましい「私」と良心の呵責に悩む「私」を織り交ぜて主人公の葛藤が描かれているため、読者は思わず主人公に共感してしまいます。そこにイシグロのうまさがあります。
どちらの作品も大戦を経て価値観が崩壊した後の世界を描いたものだけど、やはり個人的には、英国の執事を描いた『日の名残り』よりも日本を舞台にした本書のほうが感情移入する部分が多い印象でした。
物語は、終盤に主人公が過去の過ちを認めることで良心の勝利に終わるかのように思わせます。けれど最後の最後に一転し、その「良心」が実は虚栄心に拠って立つものではないかと暗示して終わります。主人公に自らを仮託して読んだ身としてはなんとも残酷な結末でした。
本書の語り手は、第二次大戦中に国威高揚のための絵を描いていた老画家。敗戦後自分の過去の行いをつぶさに独白する彼の独白によって物語は進みます。
『日の名残り』でも同じなのですが、主人公は絶えず過去の自分の行動を正当化するので、読者は主人公の語る “事実” につねに疑いを持たざるをえません。なおかつ物語全体を通して主人公の回想という形式がとられています。したがって読者は語り手である「私」を、信用できない “ふたしかな” 人物として、都合の悪い記憶を忘却あるいは改ざんする人物として読み取ります。
そのように書くと主人公が嫌なやつにしか思えないかもしれません。けれど言い訳がましい「私」と良心の呵責に悩む「私」を織り交ぜて主人公の葛藤が描かれているため、読者は思わず主人公に共感してしまいます。そこにイシグロのうまさがあります。
どちらの作品も大戦を経て価値観が崩壊した後の世界を描いたものだけど、やはり個人的には、英国の執事を描いた『日の名残り』よりも日本を舞台にした本書のほうが感情移入する部分が多い印象でした。
物語は、終盤に主人公が過去の過ちを認めることで良心の勝利に終わるかのように思わせます。けれど最後の最後に一転し、その「良心」が実は虚栄心に拠って立つものではないかと暗示して終わります。主人公に自らを仮託して読んだ身としてはなんとも残酷な結末でした。
2020年7月4日に日本でレビュー済み
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戦争に加担した絵描きとその家族の有様を丹念に描写しているが、未だに戦争犯罪さえ明確にならない敗戦国日本を「浮世の国」と揶揄しているとしたら、興味深いところであるが・・・。物語そのものは心理描写が主で、劇的な動きはなく、小津安二郎の映画を観たのと同じ様に退屈してしまったのです。
2019年1月11日に日本でレビュー済み
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お正月、偶然ですが、今年の3月にNHKで放送されるという「浮世の画家」("An Artist Of The Floating World")の原作を読みました。作者は、言うまでもなくカズオ・イシグロです。
背景は、カズオ・イシグロが自分の思い出を反映させた戦中、戦後の日本ということなのでしょうが、それは<日本>のようでいて、<日本>ではない、パラレル・ワールドとしてのもう一つの<日本>のようなイメージが受け取れます。解説にも少し言及されていますが、特に前半の主人公の小野とその二人の娘とのやり取り、所作には、まるで小津安二郎の「晩春」を見ているような、英国人が好む日本、ローアングル・キャメラの視点がしっかりと確保されている文章のきらめきがあるような気がします。そして、その時代を生きていないにも関わらず、何故か大きなお屋敷の縁側にさす陽光のような懐かしい暖かさに包まれます。
物語の詳細を語ることはできませんが、映画化された「わたしを離さないで」があまりにも物語の深みに欠けていたことから、今回のテレビ化はどうなのだろうという危惧と興味が生まれています。とは言え、私はテレビを見る習慣がないので、確認ができません(笑)
一人の芸術家が一つの戦争を乗り切り、芸術家としての深い苦悩の中での己が矜持と一人の娘たちの幸せを祈る生活者としての心の葛藤を描き、さりとて信念に従って力を尽くして行動した男の静かな自尊心と諦観をも垣間見せた、優れた小説なのだと思いました。この作品が、より深みを増して、あの「日の名残り("The remains of the day")」へとつながっていきますね。
主人公に対して、孫の一郎がこう言います。
「ママがおさけをのませてくれなかったこと、しんぱいしなくていいからね」
「おまえは急に大きくなったな」と、わたしはまた笑いながら言った。
かつてこの国にもいたような子供たち、そしてもしかするといなくなってしまった子供たちと大人たちへの憧憬、失われた心もまた胸を震わせます。
昨年、この小説を読むようある人が原本を渡してくれましたが、飛田茂雄さんによる翻訳を読んでしまいました。お許しを(笑)。とても読みやすい綺麗な日本語でした。
背景は、カズオ・イシグロが自分の思い出を反映させた戦中、戦後の日本ということなのでしょうが、それは<日本>のようでいて、<日本>ではない、パラレル・ワールドとしてのもう一つの<日本>のようなイメージが受け取れます。解説にも少し言及されていますが、特に前半の主人公の小野とその二人の娘とのやり取り、所作には、まるで小津安二郎の「晩春」を見ているような、英国人が好む日本、ローアングル・キャメラの視点がしっかりと確保されている文章のきらめきがあるような気がします。そして、その時代を生きていないにも関わらず、何故か大きなお屋敷の縁側にさす陽光のような懐かしい暖かさに包まれます。
物語の詳細を語ることはできませんが、映画化された「わたしを離さないで」があまりにも物語の深みに欠けていたことから、今回のテレビ化はどうなのだろうという危惧と興味が生まれています。とは言え、私はテレビを見る習慣がないので、確認ができません(笑)
一人の芸術家が一つの戦争を乗り切り、芸術家としての深い苦悩の中での己が矜持と一人の娘たちの幸せを祈る生活者としての心の葛藤を描き、さりとて信念に従って力を尽くして行動した男の静かな自尊心と諦観をも垣間見せた、優れた小説なのだと思いました。この作品が、より深みを増して、あの「日の名残り("The remains of the day")」へとつながっていきますね。
主人公に対して、孫の一郎がこう言います。
「ママがおさけをのませてくれなかったこと、しんぱいしなくていいからね」
「おまえは急に大きくなったな」と、わたしはまた笑いながら言った。
かつてこの国にもいたような子供たち、そしてもしかするといなくなってしまった子供たちと大人たちへの憧憬、失われた心もまた胸を震わせます。
昨年、この小説を読むようある人が原本を渡してくれましたが、飛田茂雄さんによる翻訳を読んでしまいました。お許しを(笑)。とても読みやすい綺麗な日本語でした。
2017年12月19日に日本でレビュー済み
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私は作者イシグロより5歳上で68歳の初老を意識せざるをえない現役退役者です。
孫や子供たちの何気ない態度に、必要以上に自尊心を揺すられる主人公小野の心情がわかることに驚いています。
自分の過去にプライドを持ってきたものの、思い込みや勘違いを以前より素直に認められるようになってきました。
ただし68歳の今の話です。32歳でこの作品を書いたイシグロとは何者でしょうか。
ともかく久しぶりに陽だまりの温かさを感じました。
孫や子供たちの何気ない態度に、必要以上に自尊心を揺すられる主人公小野の心情がわかることに驚いています。
自分の過去にプライドを持ってきたものの、思い込みや勘違いを以前より素直に認められるようになってきました。
ただし68歳の今の話です。32歳でこの作品を書いたイシグロとは何者でしょうか。
ともかく久しぶりに陽だまりの温かさを感じました。
2017年11月11日に日本でレビュー済み
テンポが遅く、ついて行くのが苦しい。小津の映画を延々と見た感じ。
家族や友人との単調な会話なら、もっと情感や言葉を選んでほしい。
やはり、川端や荷風にはとどかない差があると感じた。
日本の小説と海外のストーリーテラー型小説の違いだろうか。
ストーリーテラーならもう少し盛り上がりが欲しかった。
家族や友人との単調な会話なら、もっと情感や言葉を選んでほしい。
やはり、川端や荷風にはとどかない差があると感じた。
日本の小説と海外のストーリーテラー型小説の違いだろうか。
ストーリーテラーならもう少し盛り上がりが欲しかった。
2020年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3作読んだけど、まだイシグロさんの作風というものがつかめずにいる。やはりそれほど懐の深い作家ということなのだろうか?私はイシグロさんの小説に出てくる登場人物の「頑固さ」が好きだ。軽く流せば済むことでも、性格が許さないのかどうしてもこだわってしまう。この主人公の画家にもそんなところがある。あまりこだわることもなくなあなあで何でも流してしまう現代人からすると、懐かしい「頑固さ」だ。
2017年11月1日に日本でレビュー済み
戦争によって、「みぎ」が「ひだり」に変わるくらい大きな変化が日本の社会にもたらされました。
この作品は、日本の伝統的な文化や芸術、風俗までが劇的に移ろい漂流した時期の、「浮世の人間模様」を描いた物語です。
なつかしい時代風景を、日本人の両親を持つ英国の作家がノスタルジックに描いた傑作です。
カズオ・イシグロの文章は分かりやすく、読者を引き付けます。加えて、翻訳者のアトラクティブな日本語がすばらしく、最後まで一気に読み通せました。
第二次世界大戦の敗戦から三年後「1948年10月」の日本が、舞台。
「1948年10月」から「1950年6月」までの物語。空襲による焼け野原から復興に人々が立ち上がり始めた時期。
主人公は、戦前に精神主義的で愛国的な画風で戦争を鼓舞した日本画家です。戦後は引退しましたが、過去をまだ引きずっています。
身の回りは、戦前のことは「忘れた」かのように忙しく復興に、新しい時代に立ち向かっている人々ばかり。
そんな人々の間で、戦後五年たってもいまだに自身の戦前の愛国的行動が人々の命を無駄に失わせたのではないか、とひとり思い悩んでいる老いた画家の日常がリアルに描かれています。そんな、世間から「浮いてしまった」存在の老人を取り囲む人々のなにげない言動が老画家をいらだたせます。
終戦とは言わず、あくまで「敗戦」と語る主人公の「わたし」は戦争責任のようなものを感じていて、自虐的になっているようですが、
「その時には信念に従って実行したという自覚を持ち、そこに満足を感じている」(300頁)というプライドも引きずってます。
「わたし」は娘たちや孫とも会話がズレてしまう、誇り高き老人。自分が過去に美術界に関係していたことが娘の縁談に悪影響する、縁談を左右するのでは、と右往左往して、気に病み続ける父親です。
娘のほうは、そんな父親の考え方自体「よくわからないわ」(288頁)と、きっぱり。
日本人の両親から日本で生まれ、日本で五歳まで育った英国人の著者イシグロは「ふるさと」日本のイメージをもとにして、敗戦後まもない日本社会を、日本の社会の外から、クールに客観的にながめています、老人のように。当時、若きイシグロは本作品刊行(1986年)時には、若干32歳。
「われわれのアメリカ追随はいささか急ぎすぎだと心配になることはないだろうか」(276頁)と老人の口をかりて疑問を投げかけています。当時の日本社会の混乱は、老人には目に余るものだったのでしょう。
この作品は、おおむね当時の実際の日本に沿った記述にはなっています。
しかし、やはり著者イシグロの頭の中のイメージの世界であり、独特な小説日本になっています。
そんな日本を、ワンダーランドのファンタジーとしないで描いたイシグロの現実的な創作姿勢がうれしい。
絵画の世界でも、戦前には「歌麿の伝統に西欧の影響を取り入れようとするモリさんの努力は、根本的に愛国心に反するものと見なされ」た、といいます。(300頁) 「非国民のクズめ」(272頁)という罵声が聞こえるような気がします。
右も左も「みんな戦争のせいよ」(38頁)とバーのマダムは言います。
復興した親会社の大社長が戦争の責任を感じて自殺すると、子会社の社員はこう言います。
「おかげで過去の過ちを忘れ、未来を望むことができる」(83頁)
「過去の過ちを忘れ、未来を望む」か。
うーむ。戦後七十年以上経った今日(七十年前の「未来」)の日本の現状は、過去の過ちを忘れ、経済的な復興を中心に猛進してきました。その結果、今日、未来への「希望」が持てなくなっているような気がします。
<備考>
この作品の舞台となった「市」とは?
東京「市」のような気がしますが、山口市なのでしょうか?
その「市」の公園に「山口市長の銅像」(195頁)が出てくるからです。
しかし、山口市には戦中、小規模な空襲はあったものの、この作品で描かれたような「一面焼け野原の廃墟」となるような大規模な空襲は無かった、とのことです。
そうすると、この「山口」というのは、山口市ではなく、銅像となった(東京)市長の「姓」なのかも。
話はそれますが、尾崎幸雄東京市長は、英国人との混血児テオドラという娘と再婚。尾崎市長の銅像は、今は東京品川区の憲政記念館にあるそうです。著者イシグロも、このことを知っていた可能性はあるのではないかと思います。
この「山口市長の銅像」は、英語の原文には「大正天皇の銅像」(the statue of the Emperor Taisho)とあります。しかし「大正天皇の銅像」は日本には実在しないとのことです。そのためか、著者イシグロ自身が翻訳者に、この銅像の「訂正」を要求したのだそうです。(「訳者あとがき」より)
銅像ひとつとっても、この作品は興味深く読めました。イシグロのこの小説は、歴史小説ではありませんが、戦前戦後の日本社会の価値観の大混乱が登場人物の会話の中に表現されていて、当時の人々が右往左往するさま、その空気が見事に描かれています。傑作です。
この作品は、日本の伝統的な文化や芸術、風俗までが劇的に移ろい漂流した時期の、「浮世の人間模様」を描いた物語です。
なつかしい時代風景を、日本人の両親を持つ英国の作家がノスタルジックに描いた傑作です。
カズオ・イシグロの文章は分かりやすく、読者を引き付けます。加えて、翻訳者のアトラクティブな日本語がすばらしく、最後まで一気に読み通せました。
第二次世界大戦の敗戦から三年後「1948年10月」の日本が、舞台。
「1948年10月」から「1950年6月」までの物語。空襲による焼け野原から復興に人々が立ち上がり始めた時期。
主人公は、戦前に精神主義的で愛国的な画風で戦争を鼓舞した日本画家です。戦後は引退しましたが、過去をまだ引きずっています。
身の回りは、戦前のことは「忘れた」かのように忙しく復興に、新しい時代に立ち向かっている人々ばかり。
そんな人々の間で、戦後五年たってもいまだに自身の戦前の愛国的行動が人々の命を無駄に失わせたのではないか、とひとり思い悩んでいる老いた画家の日常がリアルに描かれています。そんな、世間から「浮いてしまった」存在の老人を取り囲む人々のなにげない言動が老画家をいらだたせます。
終戦とは言わず、あくまで「敗戦」と語る主人公の「わたし」は戦争責任のようなものを感じていて、自虐的になっているようですが、
「その時には信念に従って実行したという自覚を持ち、そこに満足を感じている」(300頁)というプライドも引きずってます。
「わたし」は娘たちや孫とも会話がズレてしまう、誇り高き老人。自分が過去に美術界に関係していたことが娘の縁談に悪影響する、縁談を左右するのでは、と右往左往して、気に病み続ける父親です。
娘のほうは、そんな父親の考え方自体「よくわからないわ」(288頁)と、きっぱり。
日本人の両親から日本で生まれ、日本で五歳まで育った英国人の著者イシグロは「ふるさと」日本のイメージをもとにして、敗戦後まもない日本社会を、日本の社会の外から、クールに客観的にながめています、老人のように。当時、若きイシグロは本作品刊行(1986年)時には、若干32歳。
「われわれのアメリカ追随はいささか急ぎすぎだと心配になることはないだろうか」(276頁)と老人の口をかりて疑問を投げかけています。当時の日本社会の混乱は、老人には目に余るものだったのでしょう。
この作品は、おおむね当時の実際の日本に沿った記述にはなっています。
しかし、やはり著者イシグロの頭の中のイメージの世界であり、独特な小説日本になっています。
そんな日本を、ワンダーランドのファンタジーとしないで描いたイシグロの現実的な創作姿勢がうれしい。
絵画の世界でも、戦前には「歌麿の伝統に西欧の影響を取り入れようとするモリさんの努力は、根本的に愛国心に反するものと見なされ」た、といいます。(300頁) 「非国民のクズめ」(272頁)という罵声が聞こえるような気がします。
右も左も「みんな戦争のせいよ」(38頁)とバーのマダムは言います。
復興した親会社の大社長が戦争の責任を感じて自殺すると、子会社の社員はこう言います。
「おかげで過去の過ちを忘れ、未来を望むことができる」(83頁)
「過去の過ちを忘れ、未来を望む」か。
うーむ。戦後七十年以上経った今日(七十年前の「未来」)の日本の現状は、過去の過ちを忘れ、経済的な復興を中心に猛進してきました。その結果、今日、未来への「希望」が持てなくなっているような気がします。
<備考>
この作品の舞台となった「市」とは?
東京「市」のような気がしますが、山口市なのでしょうか?
その「市」の公園に「山口市長の銅像」(195頁)が出てくるからです。
しかし、山口市には戦中、小規模な空襲はあったものの、この作品で描かれたような「一面焼け野原の廃墟」となるような大規模な空襲は無かった、とのことです。
そうすると、この「山口」というのは、山口市ではなく、銅像となった(東京)市長の「姓」なのかも。
話はそれますが、尾崎幸雄東京市長は、英国人との混血児テオドラという娘と再婚。尾崎市長の銅像は、今は東京品川区の憲政記念館にあるそうです。著者イシグロも、このことを知っていた可能性はあるのではないかと思います。
この「山口市長の銅像」は、英語の原文には「大正天皇の銅像」(the statue of the Emperor Taisho)とあります。しかし「大正天皇の銅像」は日本には実在しないとのことです。そのためか、著者イシグロ自身が翻訳者に、この銅像の「訂正」を要求したのだそうです。(「訳者あとがき」より)
銅像ひとつとっても、この作品は興味深く読めました。イシグロのこの小説は、歴史小説ではありませんが、戦前戦後の日本社会の価値観の大混乱が登場人物の会話の中に表現されていて、当時の人々が右往左往するさま、その空気が見事に描かれています。傑作です。