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夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫 イ 1-7) 文庫 – 2011/2/4
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- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2011/2/4
- 寸法10.8 x 1.4 x 15.7 cm
- ISBN-104151200630
- ISBN-13978-4151200632
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出版社より
カズオ・イシグロ/Kazuo Ishiguro
1954年11月8日長崎生まれ。
1960年、5歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスのふたつの文化を背景に育つ。
その後英国籍を取得した。ケント大学で英文学を、イーストアングリア大学大学院で創作を学ぶ。
1982年の長篇デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年発表の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞した。1989年発表の第三長篇『日の名残り』では、イギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。2017年にはノーベル文学賞を受賞。2018年に日本の旭日重光章を受章し、2019年には英王室よりナイトの爵位を授与された。
ほかの作品に、長篇『充たされざる者』(1995)、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)、『わたしを離さないで』(2005)、『忘れられた巨人』(2015)、短篇集に『夜想曲集』(2009)、ノーベル文学賞受賞記念講演『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』(2017)がある(以上、すべて早川書房刊)。
2021年発表の『クララとお日さま』は、6年ぶりの新作長篇でノーベル賞受賞第一作にあたる。
写真(禁転載) 2019(C)Hiroshi Hayakawa
クララとお日さま | 日の名残り | わたしを離さないで | 忘れられた巨人 | 浮世の画家〔新版〕 | |
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カスタマーレビュー |
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価格 | ¥2,173¥2,173 | ¥1,012¥1,012 | ¥1,078¥1,078 | ¥1,078¥1,078 | ¥990¥990 |
ノーベル文学受賞第一作 人工知能を搭載したロボットのクララは、病弱な少女ジョジーと出会い、やがて二人は友情を育んでゆく。愛とは、知性とは、家族とは? 生きることの意味を問う感動作。 | 短い旅に出た老執事が、美しい田園風景のなか古き佳き時代を回想する。長年仕えた卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々……。遠い思い出は輝きながら胸のなかで生き続ける。失われゆく伝統的英国を描く。1989年、ブッカー賞受賞。 | 優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。2016年、TBSドラマ化。 | 老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後にする。若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士……さまざまな人々に出会いながら、雨が降る荒れ野を渡り、森を抜け、謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとは――ブッカー賞作家の傑作長篇。 | 2019年、NHKドラマ化! 渡辺謙主演! 著者序文を収録した新版 。戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。弟子に囲まれ、尊敬を集める地位にあった彼だが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。小野は過去を回想しながら、みずからの信念と新しい価値観のはざまで揺れる。1987年、ウィットブレッド賞受賞作。 |
商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2011/2/4)
- 発売日 : 2011/2/4
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 4151200630
- ISBN-13 : 978-4151200632
- 寸法 : 10.8 x 1.4 x 15.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 22,981位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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上位レビュー、対象国: 日本
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『チェリスト』天才という甘い言葉の響きに心を奪われて自分自身を簡単に見失ってしまう人間の弱さ哀れを誘う心が痛くなる話です
これまで読んだ二作の長編(「私を離さないで」と「遠い山なみの光」)と異なり、今回は短編集でした。これまた全く作風が異なり、エンタメ寄りの味わいのある作品集でした。器用な方なのですね。
・・・
そんな短編集の中で私が一番気に入ったのは「降っても晴れても」ですかね。
英語教師としてフラフラしつつ?今はスペインで教えている主人公(50ちょいのおっさん)が、大学時代の仲間の元へ遊びに行く話。
この二人(夫婦)とも世間でしかるべく出世を果たした模様。ただし来てみると人柄も何となく変わり、どうにも不穏な空気。諸々聞くと、主人公氏は二人のこじれた仲を取り持つべく呼ばれた模様。彼は孤軍奮闘するさなかで、物事がうまく運ばないという不穏さを引きずりつつ、徐々にユーモラスなテイストが混じりつつ進行してゆく模様は技ありでありました。
・・・
なお、それ以外の短編もなかなか良かったです。
因みに解説によると、夫婦仲というテーマが一つ。もう一つは音楽とのこと。特に前者では明言されない不穏な夫婦仲を描く様子がどれにも挿入されており良かったですね。お尻がむずむずしてくる感じ。
一応以下、簡単に。
「老歌手」・・・一発飛ばした歌手が、再ヒットを目指し愛する妻と別れるために用意した儀式とは。行き過ぎた資本主義ショービズ界と純朴な共産圏出身の若者とのギャップがスパイスに。
「モールバンヒルズ」・・・アーティストを目指す若者が田舎でカフェを営む姉夫婦の居所で過ごす日々。そこで出会うプロの演奏家夫婦とのふれあいを描く。
「夜想曲」・・・これも良かった。才能は十分、ルックスだけ欠けた男。妻に出ていかれ、その代わりに整形費用を出すという元妻。とうとう離婚も整形手術も承諾した男は、術後に一流ホテルで日々を過ごす。隣室にはご意見番的芸能人が手術後の安静のため過ごしており、彼女の勢いに次第に翻弄されてゆく。ドタバタ系。
「チェリスト」・・・決してチェロを弾かない「大家」が指導する、才能ある若手チェリストの話。若手チェリストの、師匠を見る目と揺れる心の具合。これもまたなかなか良かった。
・・・
ということで、イシグロ作品、三作目を読了しました。
三作品読んで感じたのは、氏の「不穏」の表現の秀逸さです。Uneasinessとでも言いましょうか。嫁が普通のふりして怒っている時に似ています(似ていません)。
明示的ではなく、説明的でもなく、人物はしっかり描かれているのに、何だか尻が落ち着かんのです。
こういう「味の効かせ方」もあるのか、と感心した読書体験でした。他の作品も続けて読んでみたくなりました。
日本の社会と文化の影響を多分に受けていることは、間違いありません。
しかし、顔などの外見上は日本人であっても、日本語を満足には話せず、
自分でも外国人と意識している、という国籍不明の存在になってしまっています。
日本人の体に、英国人の脳を移植した、ようにも見えます、感じられます。
そんなふうに読者には感じられる著者が英語で書いた小説を、
日本語の翻訳で読む私たち日本人の読者も、なんとも不思議な感じがします。
英語で話す日本人の顔をしたノーベル文学賞作家の講演を、通訳の声と言葉で
しか理解できない「純粋の」ニッポンジンの自分がなんとも残念です。
この本の冒頭の短篇小説「老歌手」を読んだだけで、そんな風に感じました。
この「老歌手」という作品は、アメリカの有名な歌手と二十七年間
連れ添ってきた妻との物語、六十男と五十女の夫婦の物語です。
語り手の「私」は、イタリアの観光地ベネチアのカフェで演奏して
生きているギタリスト。
生まれは共産主義の「国」(いまは自由の「国」、民主主義の「国」)の
外「国」人。
「私」はなぜ「国」にこだわるのでしょう。
音楽は、国境を越え、世界中の人たちに楽しまれ愛されるというのに、
税関職員のように「国」にこだわるのでしょう。
「私」も「生まれた国」にいまだに影響され続けているせいなのでしょう。
おそらく著者のカズオ・イシグロさんも同じようです。
この「老歌手」という作品を読んだだけで、著者のカズオ・イシグロさんも
自分の故郷の日本「国」をずいぶん意識して生きてきたようだ、と感じます。
老歌手が妻に「名前をからかってはいかん。レディのすることではない」(18頁)
と言うセリフがあります。
カズオ・イシグロさん自身も、もしかしたら、こどものころ、遊び仲間の
女の子から「日本人のような」名前をからかわれて腹が立った経験があった?
のかも。
この作品「老歌手」の舞台は、イタリアという「国」を設定していますが、
「国」境なんか無視して越境してくるインターネットで世界中がつながって
しまった今日の世界では、どの「国」を舞台にしても通用する、人類普遍の
物語になっています。
「私がベネチア生まれでない(どころか、イタリア人でもない)という
ちょっとした事情もある」(12頁)
そんなことは「ちょっとした事情」でしかないよ、とイシグロさんは
教えてくれているような気がします。
語り手の「私」のように、自分の生まれや国籍に強くこだわっていても、
ベネチアという外国でもどこでもギタリストとして生計を立てて食っている、
生きていることこそ大事だよ、と言いたいのではないかと思いました。
音楽の世界には国籍なんてありません。
国境の南だろうが北だろうが、スイングさえできれば、ジャズです。
音楽の演奏家個人にはそれぞれ国籍があっても、出身の国の音楽から
いろいろな影響を受けているのは当たり前だろう、と言っているよう。
アメリカ人の老歌手に向かって、「私」が
「あなたの歌が、世界中の―――私の故郷の―――人の心に訴えかける」
(49頁)と言います。
ここで、「世界中の」と言いながら、「私の故郷の」と追加してしまう
著者イシグロさん。
共産主義の「私の故郷の」国の人の心にも訴えかける、老歌手の歌の力に
心から敬服している「私」。
でも、この「私の故郷」という「私」の頭の中にいるのは、自分の母親だった
のでしょう。「私」の母は、このお気に入りの老歌手の熱烈なファンで、
彼のレコードをほぼ全部集めたコレクターでしたから。
この「老歌手」という作品を読んで、カズオ・イシグロ氏の作品を「ほぼ」全部
読もうと決心しました。遅ればせながら、死ぬまでに、という時限付きで。
登場人物たちはなんか不満やストレスを抱えており、その原因がどうも、本人の気持ちが現実と(あるいは他人が持つイメージと)ズレていることにあるようだ。
例えば、「自分は実力があるミュージシャンなのに、売れないのは世間が悪い」と考えている、とか、「自分は才能があるのに、それを開花させてくれる優秀な教師に出会わないので開花しない」と信じている、とか、精神的なトラブルを抱えているのに、そうは認識せずに「自分は“親友”と対等な友情を築いている」と思っている、などのズレだ。
これらの登場人物は、物語の中でいろいろな出来事に遭遇するが、根本的な自己認識を改めない限り、自分を変えられない。そしてそのまま人生は続く。。。
「今この本を読んでいるあなたも、そうなんですよ」と著者に言われている気がする。
ところで、アマゾンレビューをはじめとする人々の感想がこれだけ出回っている今、文庫本巻末のほぼ感想だけの「解説」は不要である。本書でも「訳者あとがき」の後にさらに「解説」がある。訳者あとがきは貴重な情報などがあるが、解説の方は蛇足だ。もっと言えば、読後の余韻を台無しにしかねない。
一気に物語の中にひきこまれ、
静寂、光と闇、音、湿度や風、石壁の質感、
バンドの演奏、テントのはためき、ウエイターのしぐさ、
老夫婦のヒストリー、重ねる手と手…描かれている世界を
体感し、堪能した。
たとえば『老歌手』の、ゴンドラのシーン。
ガードナーがいきなり歌いはじめた。
ゴンドラの中に棒立ちになり、いまにもバランスを崩しそうな
不安定な姿勢ながら、その声は私が覚えている昔のままだった。
穏やかで、ささやくほどにハスキー。だが、
びっしり中身が詰まっている。
目にみえないマイクがあって、そこから流れ出してくるようだ。
歌声にはじれったさが籠もり……偉大な歌手はみなそうやって歌う。
いつか再びベネチアを訪れたとき、
実体験のようにこの場面がよみがえるだろう。
ガードナーの、ささやくほどにハスキーで
じれったさの籠もった歌声が聴こえるだろう。
小説の醍醐味を、初めて知った気がする。
ゆっくり、くりかえし、味わいたい。