非常に面白かった。訳も問題なく読みやすい。
個人的には高校時代に理屈が納得できなくて仕方なかった微分積分の箇所が読み応え大だった。
微積が世に登場した際、当時の数学者たちも根本原理が不明なまま「信仰」に近い形で多用していたこと、そしてその背後にゼロと無限の扱いが隠れていたことの説明にとても感心した。
この部分でも数学に興味はあるが教科書的な授業に納得できないような高校生の副読本として役立つのではないだろうか。
本書は古代の数学発展史から、中世ヨーロッパを経て、ひも理論に至る近現代の物理学発展史などなどをゼロと無限をベースに幅広く語る。
歴史好きな人にも、数学的発見が当時の社会思想とどう作用し合ったか面白く見れるのではないだろうか。
このような読み物を読んで都度思うのだが、高校倫理(思想史、哲学史)、高校世界史、高校数学と物理のざっくりした知識があると楽しめる読書の幅がグンと広がる。
今でも座右に置いて見返すが、教科書と参考書は捨てないほうがいい。
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異端の数ゼロ: 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 単行本 – 2003/10/1
- 本の長さ267ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2003/10/1
- ISBN-10415208524X
- ISBN-13978-4152085245
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
アリストテレスを戦慄させ、近代科学の祖デカルトが否定し、天才アインシュタインが挑んだゼロ。最新のコンピューター・システムをも破壊するこの数字の驚異と歴史を描くポピュラー・サイエンス。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2003/10/1)
- 発売日 : 2003/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 267ページ
- ISBN-10 : 415208524X
- ISBN-13 : 978-4152085245
- Amazon 売れ筋ランキング: - 65,008位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 97位数学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『博士の愛した数式』を読んだ流れで本書を読んだのだが、アマゾンで購入履歴を見ると2003年に買っている。
20年近くも積読にしていたわけだ。
本書はごく大雑把に言えば、ゼロの発明から古代ギリシャ・ローマ世界でのゼロの否定、その継承としての中世キリスト教世界でのゼロの否定を経て、ルネッサンスと近世および現代物理学でのゼロの受容という流れを描いている。
ゼロはインドで発明されたと何かの本で読んだことがあるが、本書によればそれは嘘で、古代バビロニアで発明された。
それが東に向かってインドでは受容され発展した。
またイスラム世界でも受容され発展したのである。
しかし、西の古代ギリシャは、頑なにゼロという概念は否定される。
ピュタゴラス学派、アリストテレス、プトレマイオスという西洋哲学の源流において、否定されるのである。
それは、宇宙は常に一定の存在としてあったという世界観と矛盾するからである。
対して、宇宙はゼロから創られたという宗教を持つ文化には親和性があったというのである。
中性ルネッサンスがゼロに絡むのは、遠近法の故だ。
遠近法では1点に収束する。
その1点とはゼロである。
そして、この1点が全ての空間を含むという意味で無限でもある。
こうして、ゼロと無限の復活がヨーロッパで始まるが、それに立ちふさがったのがローマ教会である。
魔女狩り、異端狩りは、ゼロに対して向けられていたことを本書は明らかにしている。
そして、近世以降の物理学におけるゼロと無限大の展開が、宇宙の始まりと終焉の姿を解き明かすことまでを述べていく。
ところで、その後に手に取ったアミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』も、かなりの部分で本書と重なっている。
が、そちらのレビューはおこなわない。
20年近くも積読にしていたわけだ。
本書はごく大雑把に言えば、ゼロの発明から古代ギリシャ・ローマ世界でのゼロの否定、その継承としての中世キリスト教世界でのゼロの否定を経て、ルネッサンスと近世および現代物理学でのゼロの受容という流れを描いている。
ゼロはインドで発明されたと何かの本で読んだことがあるが、本書によればそれは嘘で、古代バビロニアで発明された。
それが東に向かってインドでは受容され発展した。
またイスラム世界でも受容され発展したのである。
しかし、西の古代ギリシャは、頑なにゼロという概念は否定される。
ピュタゴラス学派、アリストテレス、プトレマイオスという西洋哲学の源流において、否定されるのである。
それは、宇宙は常に一定の存在としてあったという世界観と矛盾するからである。
対して、宇宙はゼロから創られたという宗教を持つ文化には親和性があったというのである。
中性ルネッサンスがゼロに絡むのは、遠近法の故だ。
遠近法では1点に収束する。
その1点とはゼロである。
そして、この1点が全ての空間を含むという意味で無限でもある。
こうして、ゼロと無限の復活がヨーロッパで始まるが、それに立ちふさがったのがローマ教会である。
魔女狩り、異端狩りは、ゼロに対して向けられていたことを本書は明らかにしている。
そして、近世以降の物理学におけるゼロと無限大の展開が、宇宙の始まりと終焉の姿を解き明かすことまでを述べていく。
ところで、その後に手に取ったアミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』も、かなりの部分で本書と重なっている。
が、そちらのレビューはおこなわない。
2020年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読み始めて止まり、積読状態から10年掛かって読破しました。
読破と言っても、消化不良で終えた感じ。理由は、相対性理論も量子論もひも理論もなんだか中途半端に説明されていて、理解が深まっていかないから。翻訳が悪いわけではないのだが、ストーリーフローもスッと入ってこない。前半の宗教と絡めたゼロの歴史が、理系の私にとっては入り込めないのも理由。
ゼロ・無限大と絡めなければ、サイモンシンの宇宙創成の方が、類似テーマ本としてずっと面白いので、星3つ。
読破と言っても、消化不良で終えた感じ。理由は、相対性理論も量子論もひも理論もなんだか中途半端に説明されていて、理解が深まっていかないから。翻訳が悪いわけではないのだが、ストーリーフローもスッと入ってこない。前半の宗教と絡めたゼロの歴史が、理系の私にとっては入り込めないのも理由。
ゼロ・無限大と絡めなければ、サイモンシンの宇宙創成の方が、類似テーマ本としてずっと面白いので、星3つ。
2020年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
0に関する歴史、美術、数学、宗教、哲学、化学、物理、天文学など幅広い分野に渡って書かれている。0と無限の関係、その威力について、相対論や量子論、また最近のひも理論にも言及しているが、電子の真の電荷や大きさが分からないという意味が分からない。
2022年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
気になることは特になし、むやみにレビューを書かせることが気に入らない。しつこい!!
2022年9月23日に日本でレビュー済み
本書はゼロ(と無限大)がどのように取り扱われてきたか、
という歴史を語っています。
面白いのは、単なるゼロの歴史書ではなく、
宗教と数学という、現代では全く両極にあるような分野が、
常に闘ってきたということを提示してくれたことです。
また、著名な理論を打ち立てた科学者や、革新的な実験を成功させた科学者も、
宗教・信仰との間で起きた様々な葛藤を描き出してくれたことです。
宗教も数学も人が創り出したものですから、当然といえば当然なのですが、
人が創り出したもの同士がぶつかり合って、世の中発展していくんだな、と思いました。
なお最近、様々な数学の書籍が出ていますが、
本書の方が分かりやすく、かつ奥深く楽しめます。
また、数学・物理学の成果についての歴史も、
専門書よりも楽しく理解することができます。
科学本として素晴らしいものです。
2008/3/9読了
という歴史を語っています。
面白いのは、単なるゼロの歴史書ではなく、
宗教と数学という、現代では全く両極にあるような分野が、
常に闘ってきたということを提示してくれたことです。
また、著名な理論を打ち立てた科学者や、革新的な実験を成功させた科学者も、
宗教・信仰との間で起きた様々な葛藤を描き出してくれたことです。
宗教も数学も人が創り出したものですから、当然といえば当然なのですが、
人が創り出したもの同士がぶつかり合って、世の中発展していくんだな、と思いました。
なお最近、様々な数学の書籍が出ていますが、
本書の方が分かりやすく、かつ奥深く楽しめます。
また、数学・物理学の成果についての歴史も、
専門書よりも楽しく理解することができます。
科学本として素晴らしいものです。
2008/3/9読了
2016年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ゼロの表示と、ゼロと無の関係についての説明がされていない。微積分を持ち出さなくても説明出来る筈。著者の限界だったのだろうか?
2018年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ゼロは1、2とならんで9の次に並べられることがある。
年齢にはゼロ歳があるのに西暦にはゼロ年がない。時、分にはゼロがあるのに、月、日にはゼロがない。
割り算でゼロを使ってはいけない。
私の受けた教育プロセスではこういう事に疑問を持つ事はタブーだったはず。
私にとって学校で習うという事は、先生の言う事をそのまま疑問は持たずに受け入れて、それをルールとして自分に刻み付けていく仕事だった。
この本を読んだ今、もし当時なぜゼロが特別なのかを教わっていたら
その時は数学に興味を持てたかもしれないと残念に思った。
ゼロの特殊性を学ぶ時、数学の歴史、なぜ数が生まれ、なぜ計算が生まれその後どうなって行くかを学ぶ事になる。
ゼロはインド人が発見した。なぜこれが発見と言われるほどのすごいことなのか。
数には序数と基数の性質があり、生活上、基数で足りていたからゼロの必要性は出てこなかった。
数は飼育している家畜を数える為に、計算は畑の面積を測量する為に人間が開発してきたものなのだ。
数や計算の必要性というと、疑問を挟めないほど当たり前のように思うが、
当時は課税上必要だった、川の氾濫後に自分の土地を明確にする為に必要だったと、
目的が見えてくれば、必要という以上に深刻な事情を感じる。この動機が数字を生み出すことになる。
自然の現象が数学的なもの、方程式なので表されてしまうことは読んでいて不思議でした。
ゼロはコインの裏表のように無限大とセットだそうだ。
そこに宗教が関係し、当時の学問はそういう時代背景を持つがゼロは神を冒涜するものとして排除され
驚いたのだが、確かにその時代の絵画を見ると遠近法がない、立体感がない、絵が平面なのだ。
ここにはゼロの否定が関係するそう。
確かに、遠近法のその線が収束する点、
そこはあらゆる線や質量が飲み込まれる無限のブラックホールになっている。
念のため断ると私のレベルでは理解できないことは多かったのですが
いわゆる知的興奮を感じる本で数学の世界を少し覗き見できました。
端的にはゼロの数学史です。
年齢にはゼロ歳があるのに西暦にはゼロ年がない。時、分にはゼロがあるのに、月、日にはゼロがない。
割り算でゼロを使ってはいけない。
私の受けた教育プロセスではこういう事に疑問を持つ事はタブーだったはず。
私にとって学校で習うという事は、先生の言う事をそのまま疑問は持たずに受け入れて、それをルールとして自分に刻み付けていく仕事だった。
この本を読んだ今、もし当時なぜゼロが特別なのかを教わっていたら
その時は数学に興味を持てたかもしれないと残念に思った。
ゼロの特殊性を学ぶ時、数学の歴史、なぜ数が生まれ、なぜ計算が生まれその後どうなって行くかを学ぶ事になる。
ゼロはインド人が発見した。なぜこれが発見と言われるほどのすごいことなのか。
数には序数と基数の性質があり、生活上、基数で足りていたからゼロの必要性は出てこなかった。
数は飼育している家畜を数える為に、計算は畑の面積を測量する為に人間が開発してきたものなのだ。
数や計算の必要性というと、疑問を挟めないほど当たり前のように思うが、
当時は課税上必要だった、川の氾濫後に自分の土地を明確にする為に必要だったと、
目的が見えてくれば、必要という以上に深刻な事情を感じる。この動機が数字を生み出すことになる。
自然の現象が数学的なもの、方程式なので表されてしまうことは読んでいて不思議でした。
ゼロはコインの裏表のように無限大とセットだそうだ。
そこに宗教が関係し、当時の学問はそういう時代背景を持つがゼロは神を冒涜するものとして排除され
驚いたのだが、確かにその時代の絵画を見ると遠近法がない、立体感がない、絵が平面なのだ。
ここにはゼロの否定が関係するそう。
確かに、遠近法のその線が収束する点、
そこはあらゆる線や質量が飲み込まれる無限のブラックホールになっている。
念のため断ると私のレベルでは理解できないことは多かったのですが
いわゆる知的興奮を感じる本で数学の世界を少し覗き見できました。
端的にはゼロの数学史です。