序盤「ダヴィンチコード」という小説がいかにいい加減な知識にもとづいて書かれているかを暴露してゆき、中盤以降「ダヴィンチコード」の作者が信奉するニューエイジ思想が、いかにカトリック教会のみならずキリストの直弟子であるペトロまでをも誹謗中傷するに至ったかをも暴いていて痛快。
この批判本を単なる便乗本として切り捨てることはできないだろう。ウリャテファボ氏は単に「ダヴィンチコード」に対する揚げ足取りや誤りの指摘に終始しているのではなく、グノーシスや女神崇拝といったカビの生えた(というより既にミイラ化した)思想が、作今また新しい衣装をまとって亡霊のように蘇り、いつの時代にも存在する安易な快楽主義に訴え、主なる神のなんたるかを教えられることもなく育った成年男女が世間というノモスのくびきに息苦しい思いをしている閉塞感につけこんで、彼らを解放するどころか堕落、ときには破滅させる危険について警笛をならしているからだ。
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「反」ダ・ヴィンチ・コード: 嘘にまみれたベストセラー 単行本 – 2006/2/1
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2006/2/1
- ISBN-104152087080
- ISBN-13978-4152087089
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2006/2/1)
- 発売日 : 2006/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4152087080
- ISBN-13 : 978-4152087089
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,810,932位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 20,980位英米文学研究
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上位レビュー、対象国: 日本
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2007年2月12日に日本でレビュー済み
ダ・ヴィンチ・コードに嘘が多くまぎれているという話は聞いていてので、期待して買ってみたのですが。
どうも著者はキリスト教徒で、本気でムカついて書いたらしく、ほとんど反証になっていません。
内容を見ると、
1.謎とは関係ない揚げ足取り
(例)乗車駅の間違い、フィボナッチ数についての間違いなど。(しかもフィボナッチ数に関しては、自分が間違っている。少なくともWikipediaで調べるとダ・ヴィンチ・コードに書かれているものが正とされている。)
2.キリスト教的知識に基づく反論
「キリスト教社会には間違った事実が伝えられていて、実際の事実は別にある」というダ・ヴィンチ・コードで行われる主張に対し、その事実はキリスト教社会に伝えられている知識とは違うから間違い、というのが反論になるでしょうか?
(例)古代、のちの宗教では考えられない行為が神殿で行われていたという事実に対する反論として、そんなことをする神殿は堕落しているから神聖な神殿とは言えない。
というものがほとんどとなります。
また、かなり作者に対する悪口や皮肉の多い文章も、「検証本」にはそぐいません。頭に血が上って書いているようにしか見えませんし、実際内容もそんな感じです。
「小説の登場人物のセリフ」が論証としては根拠に欠けるというのもどうかと思いますし、
そのうえで自分が「検証本」をかくにあたって、それと同レベル(自分の知識とは違っているという)の根拠しか上げてないのもどうかと思います。
ダ・ヴィンチ・コードに書かれる主張にムカついて、でも反論できるだけの知識もない、と困っている人間には、お勧めの本でしょう。知人相手の雑談時にダ・ヴィンチ・コードはこんなに間違っている、と語り続ける知識を得るのには最適です。
が、検証本としては、ちょっといただけません。
どうも著者はキリスト教徒で、本気でムカついて書いたらしく、ほとんど反証になっていません。
内容を見ると、
1.謎とは関係ない揚げ足取り
(例)乗車駅の間違い、フィボナッチ数についての間違いなど。(しかもフィボナッチ数に関しては、自分が間違っている。少なくともWikipediaで調べるとダ・ヴィンチ・コードに書かれているものが正とされている。)
2.キリスト教的知識に基づく反論
「キリスト教社会には間違った事実が伝えられていて、実際の事実は別にある」というダ・ヴィンチ・コードで行われる主張に対し、その事実はキリスト教社会に伝えられている知識とは違うから間違い、というのが反論になるでしょうか?
(例)古代、のちの宗教では考えられない行為が神殿で行われていたという事実に対する反論として、そんなことをする神殿は堕落しているから神聖な神殿とは言えない。
というものがほとんどとなります。
また、かなり作者に対する悪口や皮肉の多い文章も、「検証本」にはそぐいません。頭に血が上って書いているようにしか見えませんし、実際内容もそんな感じです。
「小説の登場人物のセリフ」が論証としては根拠に欠けるというのもどうかと思いますし、
そのうえで自分が「検証本」をかくにあたって、それと同レベル(自分の知識とは違っているという)の根拠しか上げてないのもどうかと思います。
ダ・ヴィンチ・コードに書かれる主張にムカついて、でも反論できるだけの知識もない、と困っている人間には、お勧めの本でしょう。知人相手の雑談時にダ・ヴィンチ・コードはこんなに間違っている、と語り続ける知識を得るのには最適です。
が、検証本としては、ちょっといただけません。
2006年7月9日に日本でレビュー済み
本来ならこれほど問題になるはずがない小説が、どうして大問題を引き起こしているのか?
事実ではないことを真実と位置づけ、証拠もなく断定しているからだ。
フィクションだとして書かれた物なら構わないが、ダヴィンチコードはその辺の倫理をわきまえていない。その辺に溢れているトンデモ本と一緒です。
この著書はそのことが良くわかる一冊です。
事実ではないことを真実と位置づけ、証拠もなく断定しているからだ。
フィクションだとして書かれた物なら構わないが、ダヴィンチコードはその辺の倫理をわきまえていない。その辺に溢れているトンデモ本と一緒です。
この著書はそのことが良くわかる一冊です。
2006年3月22日に日本でレビュー済み
ダンブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」は商業ベースではよくあたっているようですね。映画にまでなるようです。さらにタネ本の作者たちからの訴訟までおきているそうです。ベストセラーになったためいろいろ注目を集めています。
あくまで小説(フィクション)にすぎない本なのですが、ダンブラウンが真実に基づいていると主張しているためがために、この反証本がでました。
ごく普通に読んでも、「ダ・ヴィンチ・コード」はアナグラムと見立てた英語圏以外の言葉を、なぜか英語をベースにして解釈していくという離れ業をやっていますので、事実と仮定しようと思っても、どうしてもおかしいと思う内容が含まれています。
本書の著者は「ダ・ヴィンチ・コード」の読書の誤解を解くべく、ダンブラウンの主張の誤りをマジに論証しています。
クリスチャンでないひとが大多数を占める日本人にはわからないような事情や歴史的な事実との不整合を矢継ぎ早に列挙しています。こういった事実に基づいた情報による反論は結構参考になります。
「ダ・ヴィンチ・コード」はただのフィクションとして楽しみましょうね。
あくまで小説(フィクション)にすぎない本なのですが、ダンブラウンが真実に基づいていると主張しているためがために、この反証本がでました。
ごく普通に読んでも、「ダ・ヴィンチ・コード」はアナグラムと見立てた英語圏以外の言葉を、なぜか英語をベースにして解釈していくという離れ業をやっていますので、事実と仮定しようと思っても、どうしてもおかしいと思う内容が含まれています。
本書の著者は「ダ・ヴィンチ・コード」の読書の誤解を解くべく、ダンブラウンの主張の誤りをマジに論証しています。
クリスチャンでないひとが大多数を占める日本人にはわからないような事情や歴史的な事実との不整合を矢継ぎ早に列挙しています。こういった事実に基づいた情報による反論は結構参考になります。
「ダ・ヴィンチ・コード」はただのフィクションとして楽しみましょうね。
2006年2月25日に日本でレビュー済み
空々しい思いで眺めていたダヴィンチコード・ブーム。自分でも分からなかったその理由を、ガツンと見せてくれた一冊。
どれほどこの小説がブラウンのお寒い知識に基づいているか。その一例としてダヴィンチは自分の作品にたった一つとして名前を付けたことがない、という事実である。この前提なくばダヴィンチが託したという「モナリザ」という女性の名前に古代神の名前が、なんたらかんたら、という謎も吹っ飛んでしまう。
このように著者は博識をもって、次々と矛盾を暴いていく。しかし、ただダン・ブラウンの浅学非才を論うというだけの本ではない。
このような本を大ベストセラーに押し上げた現代人の問題をきちんと示してくれる。むしろこのような著者の主張の部分に深い感銘を覚える。ミステリー小説という形に隠された「グノーシス主義」を、人間の「責任転嫁」という問題に絡めて描く。秀逸である。
どれほどこの小説がブラウンのお寒い知識に基づいているか。その一例としてダヴィンチは自分の作品にたった一つとして名前を付けたことがない、という事実である。この前提なくばダヴィンチが託したという「モナリザ」という女性の名前に古代神の名前が、なんたらかんたら、という謎も吹っ飛んでしまう。
このように著者は博識をもって、次々と矛盾を暴いていく。しかし、ただダン・ブラウンの浅学非才を論うというだけの本ではない。
このような本を大ベストセラーに押し上げた現代人の問題をきちんと示してくれる。むしろこのような著者の主張の部分に深い感銘を覚える。ミステリー小説という形に隠された「グノーシス主義」を、人間の「責任転嫁」という問題に絡めて描く。秀逸である。
2013年3月23日に日本でレビュー済み
正直、あまり有意義な本とは思えません。とはいえ、ところどころに『ダヴィンチコード』の理論の飛躍や歴史検証の曖昧さなどを厳しく指摘している点は、あくまで『ダヴィンチコード』はわかりやすいノンフィクションの学術書ではなくフィクションに過ぎないということを忘れなてはならないということでしょう。
ですが第二部の、特に女性崇拝や古代の異教信仰についての記述に入ると、明らかに著者は冷静さと客観性をかなぐり捨てています。そもそもここで問題にされている「女性崇拝」とは、著者が『ダヴィンチコード』の描写から読み取った女性崇拝なのか、それとも現代のフェミニズムやニューエイジと結びついて再解釈された女性崇拝なのか、もしくは古代オリエントなどで実際に信仰されていた女性崇拝なのか。そうした根本的な定義さえはっきりと規定されず、すべてが一緒くたにされた「とにかく女性的なものを崇拝するすべての宗教的な運動」=「女性崇拝」とされ、それをやり玉に挙げ、攻撃的な論調でこき下ろしています。
上に例として挙げた女性崇拝だけでも(小説の描写は置いておくとして)、そこに伴う地域や文化、時代ごとの生活や価値観の反映により全く違うものです。なのに著者はそうしたことは一切考慮せず、それらを混同して彼の頭の中で作り上げた“女性崇拝”に、現代のキリスト教徒の一方的な主観から「底の浅い霊性に彩られた」という非難を浴びせており、その批判はいささか的外れなものと化しています。第一部で『ダヴィンチコード』の言葉の定義や歴史検証のいい加減さを批判していた著者が、皮肉にも同じ誤りを犯しているように思えます。
結局、この本は現代のキリスト教、それもカトリックは『ダヴィンチコード』で扱われている女性崇拝を含む他の宗教に優越する、という結論ありきで書かれたものであるという印象がぬぐえません。検証本というよりは、キリスト教徒のキリスト教徒によるキリスト教徒のためのダヴィンチコードに対する、それもひどく感情的な反駁書であるというのが私の感想です。
ですが第二部の、特に女性崇拝や古代の異教信仰についての記述に入ると、明らかに著者は冷静さと客観性をかなぐり捨てています。そもそもここで問題にされている「女性崇拝」とは、著者が『ダヴィンチコード』の描写から読み取った女性崇拝なのか、それとも現代のフェミニズムやニューエイジと結びついて再解釈された女性崇拝なのか、もしくは古代オリエントなどで実際に信仰されていた女性崇拝なのか。そうした根本的な定義さえはっきりと規定されず、すべてが一緒くたにされた「とにかく女性的なものを崇拝するすべての宗教的な運動」=「女性崇拝」とされ、それをやり玉に挙げ、攻撃的な論調でこき下ろしています。
上に例として挙げた女性崇拝だけでも(小説の描写は置いておくとして)、そこに伴う地域や文化、時代ごとの生活や価値観の反映により全く違うものです。なのに著者はそうしたことは一切考慮せず、それらを混同して彼の頭の中で作り上げた“女性崇拝”に、現代のキリスト教徒の一方的な主観から「底の浅い霊性に彩られた」という非難を浴びせており、その批判はいささか的外れなものと化しています。第一部で『ダヴィンチコード』の言葉の定義や歴史検証のいい加減さを批判していた著者が、皮肉にも同じ誤りを犯しているように思えます。
結局、この本は現代のキリスト教、それもカトリックは『ダヴィンチコード』で扱われている女性崇拝を含む他の宗教に優越する、という結論ありきで書かれたものであるという印象がぬぐえません。検証本というよりは、キリスト教徒のキリスト教徒によるキリスト教徒のためのダヴィンチコードに対する、それもひどく感情的な反駁書であるというのが私の感想です。
2008年2月5日に日本でレビュー済み
ダヴィンチコードは小説でしょ。
あら捜しというか揚げ足取りというか
売れた小説に便乗したしょうもない本です。
あら捜しというか揚げ足取りというか
売れた小説に便乗したしょうもない本です。