稀少海洋生物由来の架空の抗癌物質を扱った「希望ホヤ」。
異様な生態をもつ架空の植物を扱った「冬至草」。
掌に月の残像が貼りついた男の話「月の・・・」。
オカルト的な病状の原因を追求する「デ・ムーア事件」。
終末医療・地方医療を扱った純文学的作品「目をとじるまでの短い間」。
真実をあらしめる為、事実を捏造する科学者の話「アブサルティに関する評伝」。
抑制された文体で描かれた六つの美しい理系文学作品。
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冬至草 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション) 単行本 – 2006/6/1
石黒 達昌
(著)
- 本の長さ305ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2006/6/1
- ISBN-104152087358
- ISBN-13978-4152087355
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 305ページ
- ISBN-10 : 4152087358
- ISBN-13 : 978-4152087355
- Amazon 売れ筋ランキング: - 686,922位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 126,923位文学・評論 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東大医学部卒、現在テキサス大学癌センター勤務とのこと、どんなものかと迷ったが好奇心に負けた。割と当たりだった。短編集なので出来不出来はあるが、表題作がやはりよく書けていると思う。最近はやりの医学部やら医学界の内情告発的な臭いは全くなく、純粋に「物語」。かえって、どのあたりが本当でどのあたりが嘘なのか調べる楽しみができてしまった。
2006年9月30日に日本でレビュー済み
子供の頃読んだSFは子供故の知識のないことから、それがきっとあるんじゃないかとか、できるんじゃないかといつか適う未来の様子だと思って読んでいました。当時あった科学読み物である「月世界到着」や「音速に挑む」といった既に成功した科学の読み物と未来の物語は同列にあったのです。
サイファイや、スペースオペラといったファンタジーよりのものを目にする機会の多いせいで、最近SFを読んでも、絵空事で終わることが多かったです。(それでも読み物としては十分たのしいのですが)
今回は子供の頃のような、現代と地続きのSFで、新鮮な気持ちになれました。
こんな人を知らなかったなんて正直反省しました。やはり自分は本を漁ってはいるけど、吟味するところまでは到ってないです。って読もうと思ったら絶版が多い〜。
もったいない
サイファイや、スペースオペラといったファンタジーよりのものを目にする機会の多いせいで、最近SFを読んでも、絵空事で終わることが多かったです。(それでも読み物としては十分たのしいのですが)
今回は子供の頃のような、現代と地続きのSFで、新鮮な気持ちになれました。
こんな人を知らなかったなんて正直反省しました。やはり自分は本を漁ってはいるけど、吟味するところまでは到ってないです。って読もうと思ったら絶版が多い〜。
もったいない
2007年3月3日に日本でレビュー済み
人間や社会に対する深い洞察や鋭い諷刺が読み取れる一方で、
「そのように読み取れるのは、そのように読み取れるような嘘をこっちが考えたからだよー」
と作者が笑っているのじゃないか、と疑ってしまうような作品ばかり。
かなりストレートな文学作品『目をとじるまでの短い間』以外は、あまり肩を張らず気楽に読めるのではないでしょうか。
例えば『デ・ムーア事件』では「収録にあたって原文に手を加えているが、まだ不自然になっている点があるかも知れない」
という旨を書き手の「私」が補足説明しています。
この”妙な本当っぽさ”に触れ、僕の頭の中には「全部ウソでした、ってどのタイミングで言おっかな〜」と心中ではニヤニヤしながらも、
表情だけは真面目にしてリアルな嘘をつくイタズラっ子、というイメージが浮かんできて、こっちまでニヤニヤしてしまいました。
また『アブサルティに関する評伝』での、アブサルティが自分の”真実観”について語る場面は、本格ミステリ好きの方にオススメです。
「証明など必要なくて、データーは単に他の愚かな人間を納得させる便法に過ぎない」
「大切なのは真実が真実と認められることであって、どうやって真実を認識したのかは問題ではない」
という部分を読むと、笠井潔氏の「バイバイ、エンジェル」という作品の中で唱えられた
「探偵は事件が起こった瞬間に真実を見抜いている」という説を思い出します。
石黒氏はかつてデビュー作「最終上映」の作中でも
「病理というのは過去の中からトリックの中身をつきだして見せる謎解きのようなものだが、
しかし現在進行形の中では隠れた真実などなんの意味も持たない」
という旨のことを言っていますから、上記の”真実観”がミステリ的であるのは偶然ではないのでしょう。
おそらくは石黒氏が医療や研究の現場における”真実”というものについて考えていった結果、
”真実”というものが重要視される本格ミステリの言説に、必然的に似てしまったということなのだと思います。
ですから石黒氏がまた”真実”について書こうと思った時には、もしかしたらこういった視点からの
本格ミステリを書くのかも知れません。
「本格ミステリを書くには稚気が必要だ」と綾辻行人氏が言っていますが、そうだとすれば石黒達昌という
イタズラっ子はまさに適材であるはずです。
「そのように読み取れるのは、そのように読み取れるような嘘をこっちが考えたからだよー」
と作者が笑っているのじゃないか、と疑ってしまうような作品ばかり。
かなりストレートな文学作品『目をとじるまでの短い間』以外は、あまり肩を張らず気楽に読めるのではないでしょうか。
例えば『デ・ムーア事件』では「収録にあたって原文に手を加えているが、まだ不自然になっている点があるかも知れない」
という旨を書き手の「私」が補足説明しています。
この”妙な本当っぽさ”に触れ、僕の頭の中には「全部ウソでした、ってどのタイミングで言おっかな〜」と心中ではニヤニヤしながらも、
表情だけは真面目にしてリアルな嘘をつくイタズラっ子、というイメージが浮かんできて、こっちまでニヤニヤしてしまいました。
また『アブサルティに関する評伝』での、アブサルティが自分の”真実観”について語る場面は、本格ミステリ好きの方にオススメです。
「証明など必要なくて、データーは単に他の愚かな人間を納得させる便法に過ぎない」
「大切なのは真実が真実と認められることであって、どうやって真実を認識したのかは問題ではない」
という部分を読むと、笠井潔氏の「バイバイ、エンジェル」という作品の中で唱えられた
「探偵は事件が起こった瞬間に真実を見抜いている」という説を思い出します。
石黒氏はかつてデビュー作「最終上映」の作中でも
「病理というのは過去の中からトリックの中身をつきだして見せる謎解きのようなものだが、
しかし現在進行形の中では隠れた真実などなんの意味も持たない」
という旨のことを言っていますから、上記の”真実観”がミステリ的であるのは偶然ではないのでしょう。
おそらくは石黒氏が医療や研究の現場における”真実”というものについて考えていった結果、
”真実”というものが重要視される本格ミステリの言説に、必然的に似てしまったということなのだと思います。
ですから石黒氏がまた”真実”について書こうと思った時には、もしかしたらこういった視点からの
本格ミステリを書くのかも知れません。
「本格ミステリを書くには稚気が必要だ」と綾辻行人氏が言っていますが、そうだとすれば石黒達昌という
イタズラっ子はまさに適材であるはずです。
2007年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』に漂う匂いに痺れた読者ならば、間違いなく好きな作品群。
医学、生物学、物理学...と科学ものに魅かれて止まないひとにもお薦めなのだが、ひねくれ者のわたしは、それぞれの短編の最終ピリオドを認めた瞬間に、『語り手』に対する純粋な怒りを覚えてしまう。怪奇譚だと、科学『事件』レポートだと、腹を括ってしまえばいいのかもしれない。それほどに、語り手は影が薄くて感情を持たない。非情、酷薄ですらない。素材は魅力的なのに、幕切れはあっけなく、論文を読んでしまったのかと錯覚してしまうほどだ。だから怒りをぶつけたくなる。語り手の『無色透明さ』に、物語への期待を裏切られた、と感じてしまうからだ。(どうするべきだったのか?いや、あなたはどうしたかったのか?この不条理のなかで?)
『アブサルティに関する評伝』は、あえて上記のサイエンティストたちに対抗する(そして自分のなかに見る)『生臭い存在』としてのキャラクター造形を試みた作と読んだ。少々、造り込みすぎた感はあるけれど。昨年来、『データ捏造事件』が続発しているなかで、『神を演ずるもの』症候群の1レポートとおぼしき展開は、破滅に至る最後が約束されているだけに、読むほうはひたすら哀しい。(そして、この話の語り手も、憎らしいほどに『透明』なのである。科学者は、哀れだとか、悲愴だとかいう、生の感情を発露させてはいけないのか?)
ドライでプレーンな展開を好むひとには、それで十分なのだろうけれど。
医学、生物学、物理学...と科学ものに魅かれて止まないひとにもお薦めなのだが、ひねくれ者のわたしは、それぞれの短編の最終ピリオドを認めた瞬間に、『語り手』に対する純粋な怒りを覚えてしまう。怪奇譚だと、科学『事件』レポートだと、腹を括ってしまえばいいのかもしれない。それほどに、語り手は影が薄くて感情を持たない。非情、酷薄ですらない。素材は魅力的なのに、幕切れはあっけなく、論文を読んでしまったのかと錯覚してしまうほどだ。だから怒りをぶつけたくなる。語り手の『無色透明さ』に、物語への期待を裏切られた、と感じてしまうからだ。(どうするべきだったのか?いや、あなたはどうしたかったのか?この不条理のなかで?)
『アブサルティに関する評伝』は、あえて上記のサイエンティストたちに対抗する(そして自分のなかに見る)『生臭い存在』としてのキャラクター造形を試みた作と読んだ。少々、造り込みすぎた感はあるけれど。昨年来、『データ捏造事件』が続発しているなかで、『神を演ずるもの』症候群の1レポートとおぼしき展開は、破滅に至る最後が約束されているだけに、読むほうはひたすら哀しい。(そして、この話の語り手も、憎らしいほどに『透明』なのである。科学者は、哀れだとか、悲愴だとかいう、生の感情を発露させてはいけないのか?)
ドライでプレーンな展開を好むひとには、それで十分なのだろうけれど。
2009年9月16日に日本でレビュー済み
登場人物が会話してはいるけど、思い返すととても静かな情景として記憶に残る感じです。SFとして期待して読んでしまったため作品のもたらす情感を完全には味わえなかったような気がしてもったいなかったかな。でもストーリーにかかわらず浸っていたい世界を味うことができました。
2006年10月11日に日本でレビュー済み
大江健三郎にかつて絶賛された、とこの本の後ろを見てびっくりした。この人の書いているのはSF。嘘(に決まっている)の科学理論をふりかざしまくって、それがものすごく本当っぽく読まされてしまうのには、さすが現役の医者! と思える。古典的設定の表題作だが、ホラーではなくSFというところがいいアクセントになってい。個人的には右手に月がはりついてしまう、まったくわけのわからない話が好き。
にしても、芥川賞候補になった「目を閉じるまでの短い間」だけ、めちゃめちゃ浮いているような気がするのだが。SFならいいんだけれど、わりと古臭い文章でこういういかにもな(妻が死んだ地方の開業医がバラを育ててる。まわりでは老人が病気で死んでいて、大人の分別と子供の無邪気さを相対化)お話を読まされても、どうかと思ってしまう。
にしても、芥川賞候補になった「目を閉じるまでの短い間」だけ、めちゃめちゃ浮いているような気がするのだが。SFならいいんだけれど、わりと古臭い文章でこういういかにもな(妻が死んだ地方の開業医がバラを育ててる。まわりでは老人が病気で死んでいて、大人の分別と子供の無邪気さを相対化)お話を読まされても、どうかと思ってしまう。