物語の冒頭は、なぜか、ムルソーが灼熱のなか母親の葬式に出かけるカミユの『異邦人』を
思い起こさす。
本作品の舞台はカリヴ海に浮かぶ西インド諸島の一角にあるリゾート地「グアドループ」であ
る。飛行機から降り立った、少年を連れ身重の女が主人公である。ロジー・カルプとティティ。
作中人物は、この親子、ロジーの両親フランシス、ディアーヌ・カルプ夫妻、ロジーの兄ラザ
ール、ラザールの少女妻アニータ、子どもジャード、現地の黒人ラグラン、観光地の金持ちフ
ォレと娘リスベットが中心である。
表紙の黄色いデザインはなにを象徴しているのか。「黄色」は、物語の不浄の色である。ロ
ジーの母ディアーヌやディアーヌと愛人フォレとのあいだに生まれた子どもローズ・マリー・
カプル、精神に異常をきたしたラグランの母たちのドレスの色である。兄ラザールが比喩され
る「野良犬」の色でもある。空気や泥の色であり、ロジーを取り囲む不浄の色で、重く暗い物
語を覆っている霞んだ色である。胎内の黄色は誰か。誰なのかわからない子ども、無原罪懐胎
と称する妊娠をしているロジーの子どもか、彼女の母ディアーヌの子ども(異父妹、のちのロ
ーズ・マリーとなる)か、それとも死んで生き帰ってくる「ハチドリ」か、を表している。
構成は第一章から第四章である。
第一章で登場人物それぞれの現在が語られ、おおよその人物像、物語の背景が浮かびあがる。
ラザール、ロジー兄妹と両親カルプ夫妻との冷たい関係、お互い役割を考えず兄妹を必要とし
ない「巨大で複雑な外側」で生きている疎外感、孤独感。就職先ホテル副支配人マックスと不
義でできた身体の弱い子どもティティを抱え、誰の子かわからないが妊娠しているロジー。ラ
ザールについては、少女妻アニータの父が語る会話に表現される。「彼はここにいるのをいい
ことに、向こう(フランス)ではできないことをやっているんだ」。飛行場に兄の代わりに迎
えに来た「白いポロシャツ」を着た黒人青年ラグランとの出会い。なお、ラグランの象徴は「
白色」である。
第二章はロジーの視線が中心である。彼女がティティを産み育てながら「無原罪懐胎」をす
る罪と罰の過程を繊細な心理、視線の動きで描写している。「父親が誰か知らない?」という
衝撃的な疑問符を残してグアドループへ降り立つ。両親への侮蔑、怨恨を抱き、自分に何が見
えているのか存在感を感じない。くだらなく凡庸で自己中心的なマックスの子どもを産み、兄
ラザールがマックスの家に「俺はロジーがいるべきところにいるんだ」と押し入りマックス夫
婦を困らせ粗暴な一面を見せる。
第三章は黒人ラグダンの視点中心にラザール、ロジーの視点が絡み合い、それぞれの意識の
流れが交差し再読に値する。時間は四月復活祭まじかの日曜日である。ラグダンのロジーとテ
ィティへの愛情が徐々に深まっていく過程の精緻な心理描写は読者をラグダンに感情移入させ
ていく。その描写は読みごたえがある。根底には精神異常になった自分の母との別れがロジー、
ティティ親子に重なっていく。ティティの死を望むロジーと自分の母と比較し、なぜ母が家を
出なければならなかったかが理解できてくる。ここではラグダンの存在感は大きいが、漠とし
て彼自身のことはわからない。ラザールに借りがあるようだがどうもそれだけではない。借り
を十分に返しそれ以上にラザール、ロジー、ティティの面倒を見ようとする。ラグダンのロジ
ーへの愛がそうさせるのか。十九年前にラグダンと結婚したというルネという女性の存在、ロ
ジーとの再会後姿を消し、やたら十字をきる「守護神」のような人物も不思議である。また、
ラザールと友人が犯した殺人事件も相談にのってやる。ラザールは殺した老人の妻に自分の母
親像を求める「父親殺し」である。
第四章は約二十年後の世界である。二十年ぶりにラグダンはロジーやティティに再会する。
ティティは数学の教師になり、フォレの娘リスベットと結婚し子どもをもうけ、ロジーも同居
している。しかし、ロジーは「こんな生活にうんざり」とラグランと新しい生活を始める。
訳者小野正嗣との対談(『すばる』2007年12月号)で著者は以下のように語っている。
「一度書き上げると、一度も書き直ししません。一度書いたことに戻らないんです」と。換言
すれば、はじめに考えた構想にもとづいて彼女の意識,無意識域に任せながら「一筆書き」のよ
うにペンを走らせるということだろう。意識、無意識の漂うままに物語が紡がれていくのだろ
う。従って、著者の意識の流れと視点の移動が作中人物に乗り移り、読者は、人物に視覚、聴
覚を運動させ文学空間を形成させていくことになる。
また、訳者の「暴力的なものに曝される子ども」のモチーフや親子関係の「残酷さ」につい
ての質問に「(自分では)よくわかりません」、訳者の「読解」に対して「自分では(著者と
して)全然考えていなかったことを発見しました」と、答えている。これらの答えは、作家と
して手の内を披露したくない気持ち、自分の作品がある種先入観で読まれることへの抵抗感が
感じられるとはいえ、生い立ちや肉親関係の背景に無関係で、精密に構成された著者の変化自
在な表現に、力量がいかんなく発揮される、ということだろう。
読者は著者の個人的な背景に拘泥することなく作品を楽しむということだ。しかし、物語は
決して楽しく面白い内容ではない。読解には疲れる物語である。楽しむ視点は何か。普遍的で
常識的で一般受けするようなモラルを消し去って向き合うしかないだろう。克明で繊細な心理
描写の文章一行一行をいかに深く読み込んでいくか、を問われる。物語の底辺には、不義にま
つわる私生児の問題(人物相関図を書いてみるとわかる)、家族の崩壊、肉親たちとの疎遠な
関係、父親殺しなど普遍的なテーマらしきものは見いだせるが、これらは著者にとって超越さ
れた問題で、意識の俎上にものぼっていないだろう。
トヨタ・ピックアップトラックのエンジン音、雄牛の鳴き声、教会の鐘の音などが、人間心
理の表出に効果的に描写されていること、ハチドリがディアーヌの足元で死に、二十年後不義
で生まれた娘ローズ・マリーの登場の比喩に使われていることは意識的だったのだろうか。こ
のローズ・マリーは娼婦となっているようだ。
最後まで息が抜けない作品である。
訳者はフランス文学者小野正嗣 複雑で迷走する心理描写が精確に読者の胸に迫ってくる。
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ロジー・カルプ (ハヤカワepi ブック・プラネット) 単行本 – 2010/3/19
フランス最高峰のフェミナ賞受賞!
欺瞞と幻惑が絡み合う家族の物語。
カリブ海に浮かぶリゾート島、グアドループに降り立った子連れの妊婦、ロジー・カルプ。彼女はフランス本土での暮らしに疲れ、この地で成功を収めている兄ラザールを頼ってこの島に流れ着いたのだ。しかし、空港に迎えに来るはずの兄は一向に姿を現さない。なぜ身内からさえ、こんな仕打ちを受けなくてはならないの?
彼女の苛立ちは募った。やがて、息子のティティがぐずり始めた頃、身なりのよい黒人青年がロジーに声をかける。その青年は、兄の代理で迎えに来たのだという。ロジーとティティは青年の真新しいトヨタのピックアップに乗りこみ、新生活への一歩を踏み出すが……。
現代フランス文学最重要作家の代表作。
欺瞞と幻惑が絡み合う家族の物語。
カリブ海に浮かぶリゾート島、グアドループに降り立った子連れの妊婦、ロジー・カルプ。彼女はフランス本土での暮らしに疲れ、この地で成功を収めている兄ラザールを頼ってこの島に流れ着いたのだ。しかし、空港に迎えに来るはずの兄は一向に姿を現さない。なぜ身内からさえ、こんな仕打ちを受けなくてはならないの?
彼女の苛立ちは募った。やがて、息子のティティがぐずり始めた頃、身なりのよい黒人青年がロジーに声をかける。その青年は、兄の代理で迎えに来たのだという。ロジーとティティは青年の真新しいトヨタのピックアップに乗りこみ、新生活への一歩を踏み出すが……。
現代フランス文学最重要作家の代表作。
- 本の長さ406ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2010/3/19
- ISBN-104152089687
- ISBN-13978-4152089687
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2010/3/19)
- 発売日 : 2010/3/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 406ページ
- ISBN-10 : 4152089687
- ISBN-13 : 978-4152089687
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,220,367位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 298,715位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2010年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
単行本の帯封には「カリブ海の島に降り立った妊婦。ロジー・カルプ。赤子の父親が誰なのか、自分でさえ知らない女」とありました。
とても期待して読みました。
著者は、セネガル人の父とフランス人の母との間に1967年に生まれる。フェミナ賞受賞。
以下、ネタばれ含みます。 気になる方は読まないでください。
登場人物はどうしようもない白人たち、ロジー・カルプ、その兄ラザール、そして兄の悪友で殺人まで犯すアベル、カルプ夫妻。ロジーは職場の上司副支配人マックスの子ティティを産む。さらに、マックスの二回目の結婚パーティーの際、ロジーは酔っ払い、誰かの子供を孕んでしまう。
また、カルプ婦人は若い彼と不倫し、子を孕む。どうしようもない白人たち。それに対して、しっかりとした黒人のラグラン。神的なルネ。ラグランの妹アニータの夫はラザールで、その子供はジャード。・・・どうも登場人物を一人とて好きになれない(*_*;
フランスの複雑な世相を反映しているように思う。どうしてラグランがラザールにかくも寛容なのか?ラザールがだめ白人だからか?なぜラグランがロジーを好きになるのか?そのあたりの、心の動きの描写がそうまくないのか、わかりづらい。また、主人公のロジーの感情の起伏も、普通の感覚ではついていけない。
※フォークナー「八月の光」がお手本とのこと。
とても期待して読みました。
著者は、セネガル人の父とフランス人の母との間に1967年に生まれる。フェミナ賞受賞。
以下、ネタばれ含みます。 気になる方は読まないでください。
登場人物はどうしようもない白人たち、ロジー・カルプ、その兄ラザール、そして兄の悪友で殺人まで犯すアベル、カルプ夫妻。ロジーは職場の上司副支配人マックスの子ティティを産む。さらに、マックスの二回目の結婚パーティーの際、ロジーは酔っ払い、誰かの子供を孕んでしまう。
また、カルプ婦人は若い彼と不倫し、子を孕む。どうしようもない白人たち。それに対して、しっかりとした黒人のラグラン。神的なルネ。ラグランの妹アニータの夫はラザールで、その子供はジャード。・・・どうも登場人物を一人とて好きになれない(*_*;
フランスの複雑な世相を反映しているように思う。どうしてラグランがラザールにかくも寛容なのか?ラザールがだめ白人だからか?なぜラグランがロジーを好きになるのか?そのあたりの、心の動きの描写がそうまくないのか、わかりづらい。また、主人公のロジーの感情の起伏も、普通の感覚ではついていけない。
※フォークナー「八月の光」がお手本とのこと。