ロンググッドバイに続いて、チャンドラーの2作目として読みました。
最初に驚いたのは、マシンガンのように放たれる比喩を含む描写の数々。
ロンググッドバイでは、ここまで多くなかったと思い、読み返してみたらやっぱりそうでした。
両作の間には十年以上も開きがあるので、チャンドラー自身がまだ若かったということなのでしょうか。
例えば、ある場所から別の場所に舞台が移り変わるたびに、2、3ページに渡って情景描写が差し込まれます。
人物の外見描写も普通よりかなり長く、比喩が多いですね。
これが、チャンドラー人気の理由なんでしょうね。
ミステリーとしても、とても面白く、楽しめました。
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さよなら、愛しい人 単行本 – 2009/4/15
レイモンド・チャンドラー
(著),
村上春樹
(翻訳)
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購入オプションとあわせ買い
刑務所から出所したばかりの大男、ヘラ鹿(ムース)マロイは、
8年前に別れた恋人ヴェルマを探しに黒人街の酒場にやってきた。
しかし、そこで激情に駆られて殺人を犯してしまう。
偶然、現場に居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、
行方をくらましたマロイと女を探して紫煙たちこめる夜の酒場をさまよう。
狂おしいほど一途な愛を待ち受ける哀しい結末とは?
読書界に旋風を巻き起こした『ロング・グッドバイ』につづき、
チャンドラーの代表作『さらば愛しき女よ』を村上春樹が新訳した話題作。
8年前に別れた恋人ヴェルマを探しに黒人街の酒場にやってきた。
しかし、そこで激情に駆られて殺人を犯してしまう。
偶然、現場に居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、
行方をくらましたマロイと女を探して紫煙たちこめる夜の酒場をさまよう。
狂おしいほど一途な愛を待ち受ける哀しい結末とは?
読書界に旋風を巻き起こした『ロング・グッドバイ』につづき、
チャンドラーの代表作『さらば愛しき女よ』を村上春樹が新訳した話題作。
- 本の長さ375ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2009/4/15
- ISBN-104152090235
- ISBN-13978-4152090232
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商品の説明
著者について
1888年シカゴ生まれ。
7歳のころ両親が離婚し、母についてイギリスへと渡る。
名門ダリッチ・カレッジに通うも卒業することなく中退。
1912年アメリカへ戻り、いくつかの職業を経たのち、1933年にパルプ雑誌《ブラック・マスク》に寄稿した短篇「ゆすり屋は撃たない」で作家デビューを飾る。
1939年には処女長篇『大いなる眠り』を発表。同書の主人公、私立探偵フィリップ・マーロウは、永遠のアイコンとなった。
1953年に発表した『ロング・グッドバイ』(早川書房刊)で、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長篇賞を受賞した。1959年没。享年70。
7歳のころ両親が離婚し、母についてイギリスへと渡る。
名門ダリッチ・カレッジに通うも卒業することなく中退。
1912年アメリカへ戻り、いくつかの職業を経たのち、1933年にパルプ雑誌《ブラック・マスク》に寄稿した短篇「ゆすり屋は撃たない」で作家デビューを飾る。
1939年には処女長篇『大いなる眠り』を発表。同書の主人公、私立探偵フィリップ・マーロウは、永遠のアイコンとなった。
1953年に発表した『ロング・グッドバイ』(早川書房刊)で、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長篇賞を受賞した。1959年没。享年70。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2009/4/15)
- 発売日 : 2009/4/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 375ページ
- ISBN-10 : 4152090235
- ISBN-13 : 978-4152090232
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,876位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,532位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1888年シカゴ生まれ。7歳のころ両親が離婚し、母についてイギリスへと渡る。名門ダリッチ・カレッジに通うも卒業することなく中退。
1912年アメリカへ戻り、いくつかの職業を経たのち、1933年にパルプ雑誌《ブラック・マスク》に寄稿した短篇「ゆすり屋は撃たない」で作家デビューを飾る。
1939年には処女長篇『大いなる眠り』を発表。同書の主人公、私立探偵フィリップ・マーロウは、永遠のアイコンとなった。1953年に発表した『ロング・グッドバイ』で、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長篇賞を受賞した。1959年没。享年70。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月26日に日本でレビュー済み
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2016年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカを代表するハードボイルド小説作家レイモンド・チャンドラー(1888 - 1959)の〈私立探偵フィリップ・マーロウ〉シリーズ第2作
“Farewell, My Lovely”(1940)の邦訳。旧訳『さらば愛しき女よ』(清水俊二訳、1956)と同じ早川書房から、村上春樹氏により『さよなら、愛しい人』として出版された新訳です。
本作はシリーズのなかでプロットのひねりぐあいが控えめで、読みやすいほうの作品でしょう。くわえてシリーズ前期の作品ということで、主人公マーロウもまだ若く、後年にくらべてシニカルになりすぎず、さほど厭世観にひたってはいません。
のろのろとしか進めず、なにを探しているのかもわからず、たとえ転げ落ちても、それでもどこかに向かおうとする小さな虫に感情移入するマーロウ。愛について悲観的な想いを抱きつつ、それでも愛にかすかな希望を持とうするマーロウ。本作を読むたびに、それらの描写に胸をうたれてしまいます。
(以下、訳について)
訳文の傾向でいえば、清水訳は意訳が多く、テンポ重視。清水氏が映画のなかで話される英語をかぎられた文字数の日本語に移し替える字幕の仕事を手がけていただけあって、清水訳では原文の単語や文章が削られている箇所が多い。ばあいによっては数行にわたる文章が一行くらいに要約されているところもあります。
反対に、村上訳は直訳調で、なるべく単語や文章を削ることなく忠実に日本語に置き換えようとされています。個人的には村上訳のほうがマーロウの皮肉屋っぷりや天邪鬼っぽさがよくでていると思います。ただし重要な描写で間違いがあるということはないものの、村上訳は訳に違和感を感じる箇所が散見されます。
たとえば、林のなかでマーロウが依頼人マリオ(村上訳では「マリオット」)の乗っている車を一度離れ、ふたたびそこに戻り、依頼人に話しかけたすぐあとのシーン。清水訳は1976年に再刊された版を参照しています。
“There was a vague movement behind but he didn’t answer. I went on trying to see something besides bushes.
Whoever it was had a nice easy shot at the back of my head. Afterwards I thought I might have heard the swish of a sap. Maybe you always think that - afterwards.”(原文)
「私の背後で何かがかすかに動いたような気がしたが、マリオは返事をしなかった。私は叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った。
誰が殴ったのかしらないが、私の頭をうしろから殴ったものがった。狙いがはずれるはずはなかった。後で考えてみると、私は背後で物音を聞いたような気がした。いつも、後になってから、そんなことを考えるものだ。」(清水訳、p.77)
「後部席で定かではない動きがあった。しかし返事はなかった。私は茂みのわきに何かがあるのを目にとめ、そちらに行って確かめようとした。
そのとき誰かが、私の首の後ろに手際の良い一撃を食らわせた。どこかの誰かだ。ブラックジャックがさっと空気を切る音を耳にしたような気が、あとになってした。人はいつもあとになって思うものなのかもしれない。そういえばと。」(村上訳、p.98)
“behind” が清水訳では「私の背後で」、村上訳では「後部席で」と訳されています。村上氏は、マーロウが一度車を離れる前のシーンで依頼人が後部座席にいたため、「後部席で」と訳したのでしょう。
けれど、そうするとマーロウは「後部席で定かではない動き」を見てとったのに、その直後に茂みにもなにかを見てとり、前者ではなく後者に意識を切り替えたことになります。それでは、移動や連続性を示す “went on” という次の文章の語句とに齟齬がでてしまいます。ここは清水訳のように「私(マーロウ)の背後で何かがかすかに動いた」ので「(マーロウの背後にあった)叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った」とすべきです。
そのあとの段落の文章も村上訳のほうがうまいのですが、マーロウが誰かに殴られる箇所での “the back of my head” は「首の後ろ」ではなく、清水訳の「後頭部」と訳したほうが適切です。下記のように、次のシーンで「帽子があって助かった(The hat had helped)」という記述があるからです。たしかに “head” は「首」という意味もありますが、マーロウがかぶる帽子はハットです。ハットは首まで守ってくれません。
“I felt the back of may head. My hat was still on. I took it off, not without discomfort and felt the head underneath. Good old head, I’d had it a long time. It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender. But a pretty light sapping at that. The hat had helped. I could still use the head. I could use it another year anyway.”(原文)
「私は後頭部に手を触れようとした。私はまだ帽子をかぶっていた。私は帽子をとって頭に手を触れた。永らく使っている頭だ。少々ふらふらしていた。だが大したことはなかった。帽子で助かったのだ。まだ、使える頭なのだ。とにかく、あと一年ぐらいは使える頭なのだ。」(清水訳、p.79)
「私は首の後ろをそろそろとさすってみた。帽子はまだ頭の上に載っていた。帽子を取ったが、それは少なからぬ痛みを伴った。それからその下の頭を撫でた。昔なじみの頭だ。長い間それひとつでやっている。今ではいくらかソフトになり、いくらかぐずぐずになり、かなり大幅に脆くなっていた。しかし完膚なきまでに殴られたわけではない。帽子が衝撃を和らげてくれた。今しばらくこの頭でやっていくことはできそうだ。少なくともあと一年くらいは。」(村上訳、p.101)
上の文章で一番違うのは、“It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender” の訳。清水訳では(適訳なのかわかりませんが)「少々ふらふらしていた」とすっきりと訳されていますが、村上訳では逐語訳です。
チャンドラーの文章にはひねられすぎて意味のとりづらいものが多く、そうした文章は清水訳ではコンパクトに意訳される一方、村上訳ではひとつひとつ漏らさずに訳そうとされています。テンポのよさを求める方には清水訳、多少の違和感があっても全文訳を求める方には村上訳のほうがいいように思われます。
“Farewell, My Lovely”(1940)の邦訳。旧訳『さらば愛しき女よ』(清水俊二訳、1956)と同じ早川書房から、村上春樹氏により『さよなら、愛しい人』として出版された新訳です。
本作はシリーズのなかでプロットのひねりぐあいが控えめで、読みやすいほうの作品でしょう。くわえてシリーズ前期の作品ということで、主人公マーロウもまだ若く、後年にくらべてシニカルになりすぎず、さほど厭世観にひたってはいません。
のろのろとしか進めず、なにを探しているのかもわからず、たとえ転げ落ちても、それでもどこかに向かおうとする小さな虫に感情移入するマーロウ。愛について悲観的な想いを抱きつつ、それでも愛にかすかな希望を持とうするマーロウ。本作を読むたびに、それらの描写に胸をうたれてしまいます。
(以下、訳について)
訳文の傾向でいえば、清水訳は意訳が多く、テンポ重視。清水氏が映画のなかで話される英語をかぎられた文字数の日本語に移し替える字幕の仕事を手がけていただけあって、清水訳では原文の単語や文章が削られている箇所が多い。ばあいによっては数行にわたる文章が一行くらいに要約されているところもあります。
反対に、村上訳は直訳調で、なるべく単語や文章を削ることなく忠実に日本語に置き換えようとされています。個人的には村上訳のほうがマーロウの皮肉屋っぷりや天邪鬼っぽさがよくでていると思います。ただし重要な描写で間違いがあるということはないものの、村上訳は訳に違和感を感じる箇所が散見されます。
たとえば、林のなかでマーロウが依頼人マリオ(村上訳では「マリオット」)の乗っている車を一度離れ、ふたたびそこに戻り、依頼人に話しかけたすぐあとのシーン。清水訳は1976年に再刊された版を参照しています。
“There was a vague movement behind but he didn’t answer. I went on trying to see something besides bushes.
Whoever it was had a nice easy shot at the back of my head. Afterwards I thought I might have heard the swish of a sap. Maybe you always think that - afterwards.”(原文)
「私の背後で何かがかすかに動いたような気がしたが、マリオは返事をしなかった。私は叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った。
誰が殴ったのかしらないが、私の頭をうしろから殴ったものがった。狙いがはずれるはずはなかった。後で考えてみると、私は背後で物音を聞いたような気がした。いつも、後になってから、そんなことを考えるものだ。」(清水訳、p.77)
「後部席で定かではない動きがあった。しかし返事はなかった。私は茂みのわきに何かがあるのを目にとめ、そちらに行って確かめようとした。
そのとき誰かが、私の首の後ろに手際の良い一撃を食らわせた。どこかの誰かだ。ブラックジャックがさっと空気を切る音を耳にしたような気が、あとになってした。人はいつもあとになって思うものなのかもしれない。そういえばと。」(村上訳、p.98)
“behind” が清水訳では「私の背後で」、村上訳では「後部席で」と訳されています。村上氏は、マーロウが一度車を離れる前のシーンで依頼人が後部座席にいたため、「後部席で」と訳したのでしょう。
けれど、そうするとマーロウは「後部席で定かではない動き」を見てとったのに、その直後に茂みにもなにかを見てとり、前者ではなく後者に意識を切り替えたことになります。それでは、移動や連続性を示す “went on” という次の文章の語句とに齟齬がでてしまいます。ここは清水訳のように「私(マーロウ)の背後で何かがかすかに動いた」ので「(マーロウの背後にあった)叢のそばのものを見ようとその方へ歩いて行った」とすべきです。
そのあとの段落の文章も村上訳のほうがうまいのですが、マーロウが誰かに殴られる箇所での “the back of my head” は「首の後ろ」ではなく、清水訳の「後頭部」と訳したほうが適切です。下記のように、次のシーンで「帽子があって助かった(The hat had helped)」という記述があるからです。たしかに “head” は「首」という意味もありますが、マーロウがかぶる帽子はハットです。ハットは首まで守ってくれません。
“I felt the back of may head. My hat was still on. I took it off, not without discomfort and felt the head underneath. Good old head, I’d had it a long time. It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender. But a pretty light sapping at that. The hat had helped. I could still use the head. I could use it another year anyway.”(原文)
「私は後頭部に手を触れようとした。私はまだ帽子をかぶっていた。私は帽子をとって頭に手を触れた。永らく使っている頭だ。少々ふらふらしていた。だが大したことはなかった。帽子で助かったのだ。まだ、使える頭なのだ。とにかく、あと一年ぐらいは使える頭なのだ。」(清水訳、p.79)
「私は首の後ろをそろそろとさすってみた。帽子はまだ頭の上に載っていた。帽子を取ったが、それは少なからぬ痛みを伴った。それからその下の頭を撫でた。昔なじみの頭だ。長い間それひとつでやっている。今ではいくらかソフトになり、いくらかぐずぐずになり、かなり大幅に脆くなっていた。しかし完膚なきまでに殴られたわけではない。帽子が衝撃を和らげてくれた。今しばらくこの頭でやっていくことはできそうだ。少なくともあと一年くらいは。」(村上訳、p.101)
上の文章で一番違うのは、“It was a little soft now, a little pulpy, and more than a little tender” の訳。清水訳では(適訳なのかわかりませんが)「少々ふらふらしていた」とすっきりと訳されていますが、村上訳では逐語訳です。
チャンドラーの文章にはひねられすぎて意味のとりづらいものが多く、そうした文章は清水訳ではコンパクトに意訳される一方、村上訳ではひとつひとつ漏らさずに訳そうとされています。テンポのよさを求める方には清水訳、多少の違和感があっても全文訳を求める方には村上訳のほうがいいように思われます。
2022年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上春樹の小説を読んで、描写がチャンドラーに似ていると感じ、この本を読みました。映画のロバート・ミッチャムは老いていてイマイチでしたが、小説は人物・風景描写等が秀逸です。50年前に読んだ時に比べ、社会経験・想像力が増したせいか夢中になりました。これから村上春樹版を全巻読もう決めました。
2020年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マーロウはかっこいいですね、シェイクスピアの言い回しがかっこいいです(シェイクスピア読んだことないんですが)。
今回は伏線がたくさんあり、ミステリアスな内容です。気合入れて読まないと、伏線回収で付いていけなくなります(私です)。
今回は伏線がたくさんあり、ミステリアスな内容です。気合入れて読まないと、伏線回収で付いていけなくなります(私です)。
2019年10月4日に日本でレビュー済み
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フィリップ・マーロウかっこよすぎ!
このシリーズは全部愛読書です!
このシリーズは全部愛読書です!
2015年3月27日に日本でレビュー済み
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ネタバレになるので内容は書きません。
ただ翻訳についての感想を書かせていただきます。
私は原文も読んでいますし、また清水訳も読んでいます。ただ大分前の話になるし、好きなチャンドラー作品ということもあり今回村上春樹訳ということで新しい小説を読む感じで幾分期待して購入しました。
読み始めて数ページ、なんか違和感を感じる。あれ?チャンドラー作品ってこんなに読みにくかったけ?変だな。すかさず清水訳を手にとり読み直してみた。その文章のスピーディーでリズミカルなこと。ウィスキーサワーをウィスキーと訳していたりしたのは残念ではあるがとにかく読みやすい。それから原文をみてみる。なんてことだ。村上春樹訳が読みにくい原因はなぜだかしらないが、ささいなところを省いてしまっているではないか、また選ぶ言葉が丁寧すぎる。清水訳では最初のシーンにきちんと原文にあるとおりマーロウと黒人バーテンダーは手を壁につかされるし、マーロウは黒人バーテンダーを突き飛ばす。jostledという言葉が原文で使われた言葉だ。村上訳にはマーロウは手をつかないし、バーテンダーを押し出してしまう。突き飛ばすと押し出すとは細かいようだが印象が大分変わってしまう。村上春樹訳にもいいところがもちろん沢山あるんだが、やはり原文とは性質が違っている。
そのことをわきまえ読んでいたほうがいい。他のレビューにあったように100%忠実とは私には思えなかった。
ただ翻訳についての感想を書かせていただきます。
私は原文も読んでいますし、また清水訳も読んでいます。ただ大分前の話になるし、好きなチャンドラー作品ということもあり今回村上春樹訳ということで新しい小説を読む感じで幾分期待して購入しました。
読み始めて数ページ、なんか違和感を感じる。あれ?チャンドラー作品ってこんなに読みにくかったけ?変だな。すかさず清水訳を手にとり読み直してみた。その文章のスピーディーでリズミカルなこと。ウィスキーサワーをウィスキーと訳していたりしたのは残念ではあるがとにかく読みやすい。それから原文をみてみる。なんてことだ。村上春樹訳が読みにくい原因はなぜだかしらないが、ささいなところを省いてしまっているではないか、また選ぶ言葉が丁寧すぎる。清水訳では最初のシーンにきちんと原文にあるとおりマーロウと黒人バーテンダーは手を壁につかされるし、マーロウは黒人バーテンダーを突き飛ばす。jostledという言葉が原文で使われた言葉だ。村上訳にはマーロウは手をつかないし、バーテンダーを押し出してしまう。突き飛ばすと押し出すとは細かいようだが印象が大分変わってしまう。村上春樹訳にもいいところがもちろん沢山あるんだが、やはり原文とは性質が違っている。
そのことをわきまえ読んでいたほうがいい。他のレビューにあったように100%忠実とは私には思えなかった。
2012年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んでいて大変勉強になった。読後感は二点である。
一点目。村上春樹は気のきいた喩えやセリフで有名であるが、その先生はチャンドラーであることが
今回良く分かった。実際に本書を読んでいると、チャンドラーのセンスの冴えにはいささか驚かされた。
村上はチャンドラーを「文章で戦える人」だとどこかで評していた記憶があるが、その意味が今回良く
分かった。かつ文章やセリフのセンスという点では、チャンドラーは村上を凌駕していることも強く
感じた。先生である以上、生徒には負けられないとでも言うべきか。
二点目。チャンドラーに欠けているものも本書から見えてくる思いがした。
本書には鮮やかな脇役が出てくる点は村上も指摘している。但しきらりと光る登場人物が有っても
背景が書きこまれない重要人物も多い。特にムースマロイに関しては、彼の「哀しみ」にもう少し彫の
深さが有ったら本書はがらりと変わったはずだ。Farewell,My Lovelyと言っているのはマロイだと理解
した僕としては、そのFarewellという言葉の重さをもう少し感じたいと思った次第である。
「一流の文学」という言い方は好きではない。しかし敢えて使うとしたら、チャンドラーは「一流の
文学」という範疇には入らないかもしれない。但し、村上が何故チャンドラーを今再発見させているのか
を想像することは楽しい。勿論、村上がチャンドラーを偏愛しているからであろうが、では何故村上
がチャンドラーを偏愛しているのかである。僕としては、それは上記の通り「文章で戦う」という
点で村上はチャンドラーに強く共感したからだと思う。
実際、優れた文章とは、含まれているコンテンツだけではなく、表現形態としての「文章」に因る
部分は非常に大きい。これは文学だけではなく、例えば業務上の報告書でも同様だ。僕自身、例えば
出張報告といった無味乾燥な文章にも妙にこだわりがある。それは非常に稚拙なレベルとはいえ、村上
の「共感」に共感しているからかもしれない。
一点目。村上春樹は気のきいた喩えやセリフで有名であるが、その先生はチャンドラーであることが
今回良く分かった。実際に本書を読んでいると、チャンドラーのセンスの冴えにはいささか驚かされた。
村上はチャンドラーを「文章で戦える人」だとどこかで評していた記憶があるが、その意味が今回良く
分かった。かつ文章やセリフのセンスという点では、チャンドラーは村上を凌駕していることも強く
感じた。先生である以上、生徒には負けられないとでも言うべきか。
二点目。チャンドラーに欠けているものも本書から見えてくる思いがした。
本書には鮮やかな脇役が出てくる点は村上も指摘している。但しきらりと光る登場人物が有っても
背景が書きこまれない重要人物も多い。特にムースマロイに関しては、彼の「哀しみ」にもう少し彫の
深さが有ったら本書はがらりと変わったはずだ。Farewell,My Lovelyと言っているのはマロイだと理解
した僕としては、そのFarewellという言葉の重さをもう少し感じたいと思った次第である。
「一流の文学」という言い方は好きではない。しかし敢えて使うとしたら、チャンドラーは「一流の
文学」という範疇には入らないかもしれない。但し、村上が何故チャンドラーを今再発見させているのか
を想像することは楽しい。勿論、村上がチャンドラーを偏愛しているからであろうが、では何故村上
がチャンドラーを偏愛しているのかである。僕としては、それは上記の通り「文章で戦う」という
点で村上はチャンドラーに強く共感したからだと思う。
実際、優れた文章とは、含まれているコンテンツだけではなく、表現形態としての「文章」に因る
部分は非常に大きい。これは文学だけではなく、例えば業務上の報告書でも同様だ。僕自身、例えば
出張報告といった無味乾燥な文章にも妙にこだわりがある。それは非常に稚拙なレベルとはいえ、村上
の「共感」に共感しているからかもしれない。
2009年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いかにも現代的というか,読みやすい翻訳のおかげであっという間に読むことができる。
チャンドラーの言い回しの妙がしっかりと伝わってくる作品になっている。
原書で読もうという気は起こらないけれども,次の作品に期待してしまう。
チャンドラーの言い回しの妙がしっかりと伝わってくる作品になっている。
原書で読もうという気は起こらないけれども,次の作品に期待してしまう。