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遅い男 単行本 – 2011/12/20
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購入オプションとあわせ買い
右側からガツンときて、感電したかのような、思いもよらぬ鋭い痛みが走り、彼は自転車からふっ飛ぶ――。
六十代の独身男ポール・レマンは自転車の事故で片脚を失った。医師は義足を勧めるが、ポールはかたくなに拒否、アデレードの自分のフラットで要介護の暮らしを始める。かつて離婚を経験し、その後は勝手気ままに暮らしてきた。それゆえに、福祉事務所から紹介される介護士たちの年寄り扱い、子供扱いへの苛立ちは募るばかり。彼は人生に絶望しかかっていた。そんな折、ポールのもとにマリアナ・ヨキッチという介護士が送られてくる。仕事熱心で美しいマリアナに、ポールは惹かれていく。だが、彼女には夫と子どもたちが。ポールマリアナに愛を伝えようと苦心するが、見知らぬ女性作家の出現が彼の人生のさらなる混乱へと導くのだった。 ノーベル賞作家の傑作長篇。
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2011/12/20
- ISBN-104152092610
- ISBN-13978-4152092618
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商品の説明
著者について
1940年、南アフリカ・ケープタウン生まれ。ケープタウン大学で文学の修士号を、テキサス大学オースティン校で言語学の博士号を取得。アメリカ、南アフリカの大学で教鞭を取りながら小説の執筆をはじめ、1974年、『ダスクランド』で長篇デビュー。1977年発表の『石の女』にて南アフリカで最も権威あるCNA賞を受賞。1980年の『夷狄を待ちながら』では、CNA賞に加え、英国のジェイムズ・テイト・ブラック記念賞を受賞した。1983年の『マイケル・K』で英国最高峰のブッカー賞、フランスのフェミナ賞を受賞するなどして世界的な評価が高まり、1999年の『恥辱』(ハヤカワepi文庫)では史上初となる二度目のブッカー賞に輝く。2003年にはついにノーベル文学賞を受賞。同年には『エリザベス・コステロ』(早川書房)を、2005年にはノーベル賞受賞後第一作として本書を発表した。 2002年よりオーストラリアのアデレードに居を移し、2006年には同国の市民権を取得。2006年9月末には、国際サミュエル・ベケット・シンポジウムに特別ゲストとして初来日を果たした。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2011/12/20)
- 発売日 : 2011/12/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 333ページ
- ISBN-10 : 4152092610
- ISBN-13 : 978-4152092618
- Amazon 売れ筋ランキング: - 744,659位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年11月13日に日本でレビュー済み
前半のかんじで最後までいけば素晴らしい小説だっただろうが、クッツェーともなるとそれだけでは満足できないようだ。
2013年5月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は「恥辱」「夷狄を待ちながら」「マイケル・K」と手に入れやすい
文庫版を中心にクッツェー読んできましたが、その延長で期待して読
むと本作はもう一つ物足りなく感じる内容でした。
全体の構成だけ見ればクッツェーらしい展開なのですが、狂言回しめ
いたコステロが全てを台無しにしています。コステロ抜きてこの物語
を書いてほしかったです。面白いキャラクターではあるのですが、突
拍子もない登場で、物語における必然性にかけるのですね…。
文庫版を中心にクッツェー読んできましたが、その延長で期待して読
むと本作はもう一つ物足りなく感じる内容でした。
全体の構成だけ見ればクッツェーらしい展開なのですが、狂言回しめ
いたコステロが全てを台無しにしています。コステロ抜きてこの物語
を書いてほしかったです。面白いキャラクターではあるのですが、突
拍子もない登場で、物語における必然性にかけるのですね…。
2016年5月27日に日本でレビュー済み
「右側からがつんと来て、感電したかのような、思いもよらぬ鋭い痛みが走り、彼は自転車から吹っ飛ぶ」、と唖然とする書き出しに続き、4頁後には、気絶したまま運ばれた病院で、大腿部を切断されているのだから度肝を抜かれる。
ポール・レマン、60代、肖像写真家にして古写真収集家。家族なし、離婚歴あり、オーストラリア南部アデレートの高級住宅街にフラットを所有し、悠々自適の老後。の筈だったが、事故で状況は一変する。
と、話は深刻だが、それにしては文章が明るい。原文のせいなのか。鴻巣友季子のせいなのか。鴻巣氏の翻訳を最初に読んだのは2003年の『嵐が丘』だったが、ひどい違和感があった。いま思えば長年親しんできた「翻訳調」に侵されていたのだ。老翻訳家は去り時代は変わった。本書は名訳といえるほどで、この小説には、老人語や若者語、さらには移民の誤表現やら方言やらが溢れているはずで、それらが書き分けられている他に、最近の翻訳書では流行らなくなった割書の注が適宜挿入されていて、クッツェーが工夫を凝らしただろう蘊蓄が判るようになっているのも楽しい。
さてそのポールは週6日間の約束で雇った、クロアチア出身の介護師に熱を上げてしまう。彼女-マリアナ・ヨキッチ-30代は、母国で美術修復を学び学位を得たが、これも故郷で18世紀のからくり人形を復元して名をはせた機械修理工の夫と12年前にこの地に移民した。理由は述べられないが、ユーゴスラビア動乱に関係するだろう。新しい国オーストラリアには修復を待つ古美術品や動く人形などはなく、マリアナは介護士の資格を取り、夫は自動車修理工になった。新旧の世界を垣間見るシーンだ。ヨキッチ家には3人の子もいて生活は楽でない。ポール宅には子連れで通う。
そんななか。この屋にもう一人の女性が侵入してくる。エリザベス・コステロという女性作家。このコステロさん。クッツェーの別の著書『エリザベス・コステロ』の主人公でもある想像上の人物。彼女の登場でこの物語はにわかにメタフィクション風に替わってゆく。ポールは彼女を「コステロ女」(原文ではどう書かれているのだろう)と呼んで迷惑がるが、彼女は構わす、ポールが頭の中で考えていることを暴いてゆく。初め彼女は小説のなかで、ポールの「内的独白の外部化」といったけったいな役割を演じているように見えるが、すこし進むと、実は彼女こそがこの小説の作者で、ポールは作家の思うとおりに動かない主人公であるという側面が明らかになる。なんとも複雑な「入れ子細工」構造だ。
仕掛けはともかく、物語は弾んでゆく。ポールにはセックスフレンドがいたが、ベッドで太ももをさらすのを躊躇している間に消えてしまう。マリアナには下半身を露出して切断面を洗って貰う。彼女には患者を幼児扱いするてらいがない。そこまで親密になれば「恋情」も湧くというもの。ポールは彼女への愛の証しとして子供たちの教育費援助を申し出るが、容易には受け入れられない。それはそうだろう。介護者のひとりに過ぎない男から紐付きと疑われる金を「貞淑な妻」が貰えるはずない。
ポールの「妄想」を知ったコステロ女は、マリアナの代わりにマリアンナという、醜い脚を見ることのない盲目の女性を紹介したりする。だが障害者同士が助け合いながら老後を送るといった発想はポールの忌み嫌うことだと判る。ポールはまた義足を付けることをあくまでも拒否する。障害者でないような身振りで生きることは、ポールにとっては偽善者として生きることと同じ。しかしいつまでその信念を貫き通せるか。
コステロ女は、ポールの思いに足を引っ張ったり、逆にけしかけたり、矛盾だらけだが、それはポールより年長である彼女自身の、老いに対するあがきでもある。こう考えてゆくと、この本は老人の「落ち着き処」を模索しているのだと読める。ポールの大腿部切断というのも、やがてポールが味わねばならぬ身体の不調を先取りする象徴とも読めるのである。
子供のいないポールには、血も財産も継ぐべき人がいない。マリアナの次女の万引きの後始末を付けてやったり、長男の古写真の無断複製をやわらかく咎めたりしながら(マリアナの屁理屈はベンヤミンを思い出させて可笑しい)、ポールの恋は彼女の夫を含む全家族に向けた「教父=God father」的な愛に替わってゆく。ここを(政治的に)深読みすれば、作者は、世界を持続するには老いた富める者(国)から若い貧しい者(国)への所得再分配が必要だと示唆しているのかもしれない。
とにあれ、この「疑似家族」が、ポールの最終的な落ち着き先になりそうな予感を秘めて、逆にコステロ女が実子の世話になるのを拒否し、メルボルンで一緒に暮らそうという誘いを「これは愛じゃない」といって退けたところで物語は終わるのだが、ヨキッチ一家全員でポールのために試作した、手漕ぎ三輪車には絶対に乗るものかと、なお意気盛んである。本書の題名はヨキッチ一家との会話のなかで、「PR・ザ・ロケットマン」と名付けた三輪車に乗るポールを「スロー・マンのくせに」と笑う末っ子のリューバの冗談から来ているのだが、例へいかに遅くとも、あくまでも自立した男の矜持を手放さないでいようとするポールの頑迷振りに戸惑いつつ、共感せざるを得ない。
ポール・レマン、60代、肖像写真家にして古写真収集家。家族なし、離婚歴あり、オーストラリア南部アデレートの高級住宅街にフラットを所有し、悠々自適の老後。の筈だったが、事故で状況は一変する。
と、話は深刻だが、それにしては文章が明るい。原文のせいなのか。鴻巣友季子のせいなのか。鴻巣氏の翻訳を最初に読んだのは2003年の『嵐が丘』だったが、ひどい違和感があった。いま思えば長年親しんできた「翻訳調」に侵されていたのだ。老翻訳家は去り時代は変わった。本書は名訳といえるほどで、この小説には、老人語や若者語、さらには移民の誤表現やら方言やらが溢れているはずで、それらが書き分けられている他に、最近の翻訳書では流行らなくなった割書の注が適宜挿入されていて、クッツェーが工夫を凝らしただろう蘊蓄が判るようになっているのも楽しい。
さてそのポールは週6日間の約束で雇った、クロアチア出身の介護師に熱を上げてしまう。彼女-マリアナ・ヨキッチ-30代は、母国で美術修復を学び学位を得たが、これも故郷で18世紀のからくり人形を復元して名をはせた機械修理工の夫と12年前にこの地に移民した。理由は述べられないが、ユーゴスラビア動乱に関係するだろう。新しい国オーストラリアには修復を待つ古美術品や動く人形などはなく、マリアナは介護士の資格を取り、夫は自動車修理工になった。新旧の世界を垣間見るシーンだ。ヨキッチ家には3人の子もいて生活は楽でない。ポール宅には子連れで通う。
そんななか。この屋にもう一人の女性が侵入してくる。エリザベス・コステロという女性作家。このコステロさん。クッツェーの別の著書『エリザベス・コステロ』の主人公でもある想像上の人物。彼女の登場でこの物語はにわかにメタフィクション風に替わってゆく。ポールは彼女を「コステロ女」(原文ではどう書かれているのだろう)と呼んで迷惑がるが、彼女は構わす、ポールが頭の中で考えていることを暴いてゆく。初め彼女は小説のなかで、ポールの「内的独白の外部化」といったけったいな役割を演じているように見えるが、すこし進むと、実は彼女こそがこの小説の作者で、ポールは作家の思うとおりに動かない主人公であるという側面が明らかになる。なんとも複雑な「入れ子細工」構造だ。
仕掛けはともかく、物語は弾んでゆく。ポールにはセックスフレンドがいたが、ベッドで太ももをさらすのを躊躇している間に消えてしまう。マリアナには下半身を露出して切断面を洗って貰う。彼女には患者を幼児扱いするてらいがない。そこまで親密になれば「恋情」も湧くというもの。ポールは彼女への愛の証しとして子供たちの教育費援助を申し出るが、容易には受け入れられない。それはそうだろう。介護者のひとりに過ぎない男から紐付きと疑われる金を「貞淑な妻」が貰えるはずない。
ポールの「妄想」を知ったコステロ女は、マリアナの代わりにマリアンナという、醜い脚を見ることのない盲目の女性を紹介したりする。だが障害者同士が助け合いながら老後を送るといった発想はポールの忌み嫌うことだと判る。ポールはまた義足を付けることをあくまでも拒否する。障害者でないような身振りで生きることは、ポールにとっては偽善者として生きることと同じ。しかしいつまでその信念を貫き通せるか。
コステロ女は、ポールの思いに足を引っ張ったり、逆にけしかけたり、矛盾だらけだが、それはポールより年長である彼女自身の、老いに対するあがきでもある。こう考えてゆくと、この本は老人の「落ち着き処」を模索しているのだと読める。ポールの大腿部切断というのも、やがてポールが味わねばならぬ身体の不調を先取りする象徴とも読めるのである。
子供のいないポールには、血も財産も継ぐべき人がいない。マリアナの次女の万引きの後始末を付けてやったり、長男の古写真の無断複製をやわらかく咎めたりしながら(マリアナの屁理屈はベンヤミンを思い出させて可笑しい)、ポールの恋は彼女の夫を含む全家族に向けた「教父=God father」的な愛に替わってゆく。ここを(政治的に)深読みすれば、作者は、世界を持続するには老いた富める者(国)から若い貧しい者(国)への所得再分配が必要だと示唆しているのかもしれない。
とにあれ、この「疑似家族」が、ポールの最終的な落ち着き先になりそうな予感を秘めて、逆にコステロ女が実子の世話になるのを拒否し、メルボルンで一緒に暮らそうという誘いを「これは愛じゃない」といって退けたところで物語は終わるのだが、ヨキッチ一家全員でポールのために試作した、手漕ぎ三輪車には絶対に乗るものかと、なお意気盛んである。本書の題名はヨキッチ一家との会話のなかで、「PR・ザ・ロケットマン」と名付けた三輪車に乗るポールを「スロー・マンのくせに」と笑う末っ子のリューバの冗談から来ているのだが、例へいかに遅くとも、あくまでも自立した男の矜持を手放さないでいようとするポールの頑迷振りに戸惑いつつ、共感せざるを得ない。
2013年1月7日に日本でレビュー済み
クッツエーは一貫して不条理を書く。初期の文学的仕事はベケットの文体研究であったし、代表作「マイケルK」はカフカの更新を試みるものであった。そこへ南アフリカという彼の出自が混淆し、共同体が孕む暴力に否応もなく取り込まれていく人物を描くのが真骨頂だ。「恥辱」や「夷狄を待ちながら」といった作品群がその典型であり、ノーベル文学賞の受賞もそこに依るところが大きい。
車の無謀運転という暴力によって片脚を失った初老の男が、介護を受けながらいかに生きていくかという今日的な問題を扱いながらも、本書の底流を成すのはやはり不条理と暴力だ。身体の不自由な被介護者は、介護に潜在する暴力的な気配に敏感にならざるを得ない。だが、主人公がヘルパー女性に依存するのは仕方ないとしても、既婚の彼女を愛するようになり、彼女の息子の学費まで援助すると申し出るあたりから物語は異様にねじれていく。
さらには、本作の作者と思しき女性作家の出現によって、物語は書く者と書かれる者らが同じ場所に混在するメタフィクションの様相を呈す。
主人公とヘルパー女性の絶望的な温度差は、二つの異なる小説を読むかのように読者の感情移入を阻み、狂言回しのごとく小説を内部から破壊しようとする女性作家の意図は理解しかねるが、それこそがクッツエーの狙いであろう。一筋縄ではいかぬ介護小説として実に読み応えがある。
車の無謀運転という暴力によって片脚を失った初老の男が、介護を受けながらいかに生きていくかという今日的な問題を扱いながらも、本書の底流を成すのはやはり不条理と暴力だ。身体の不自由な被介護者は、介護に潜在する暴力的な気配に敏感にならざるを得ない。だが、主人公がヘルパー女性に依存するのは仕方ないとしても、既婚の彼女を愛するようになり、彼女の息子の学費まで援助すると申し出るあたりから物語は異様にねじれていく。
さらには、本作の作者と思しき女性作家の出現によって、物語は書く者と書かれる者らが同じ場所に混在するメタフィクションの様相を呈す。
主人公とヘルパー女性の絶望的な温度差は、二つの異なる小説を読むかのように読者の感情移入を阻み、狂言回しのごとく小説を内部から破壊しようとする女性作家の意図は理解しかねるが、それこそがクッツエーの狙いであろう。一筋縄ではいかぬ介護小説として実に読み応えがある。
2012年5月7日に日本でレビュー済み
こんなにおもしろいとは思いませんでした。
クッツェーって名前は知っていましたが、ノーベル賞作家だということもよくは知らず、あの「ゴドー」の著者とも思わずに読んでみて仰天。
痛くて苦くて可笑しくて。
知性はユーモアへと昇華するものなんでしょうかっ?
若い読者には理解しがたい部分もあるかもしれませんが、40過ぎて、しかも今現在パートナーのいない読者のツボにはハマることまちがいなし!
結末にはおおいに共感。
「恥辱」や「エリザベス・コステロ」(これがまた凄そうなキャラで・・・)もぜひ読んでみたいと思っています!
クッツェーって名前は知っていましたが、ノーベル賞作家だということもよくは知らず、あの「ゴドー」の著者とも思わずに読んでみて仰天。
痛くて苦くて可笑しくて。
知性はユーモアへと昇華するものなんでしょうかっ?
若い読者には理解しがたい部分もあるかもしれませんが、40過ぎて、しかも今現在パートナーのいない読者のツボにはハマることまちがいなし!
結末にはおおいに共感。
「恥辱」や「エリザベス・コステロ」(これがまた凄そうなキャラで・・・)もぜひ読んでみたいと思っています!