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閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義 単行本 – 2012/2/23
本書を読まずして、これからの情報社会は語れない。
「あなたが見ているネットは、わたしが見ているネットと同じではない。
広告から検索結果まで、あらゆる情報がカスタマイズされるいま、
グーグル、フェイスブック、ツイッターの未来について考えることは『政治』そのものなのだ。」
――東浩紀(『一般意志2.0』)
「ネットはもはや『誰でも自由に参加できる情報の公共空間』ではない。
我々に今求められているのは、情報社会の未来像を知り、自ら考え、行動することだ。
最新のスマホを買う前に本書を読み、それを持つことの意味を考えてもらいたい。」
――津田大介(『情報の呼吸法』)
「衝撃的な一冊。」
――クリス・アンダーソン(『フリー』)
「10年以上前から、先見の明ある人々は、インターネットの「完璧すぎるパーソナライズ」が行きつく先を懸念してきた。
本書はこの問題をめぐる最もパワフルかつタフな論考である。」
――ローレンス・レッシグ(『CODE』)
自由でパブリックでオープンな場――。かつてインターネットを創った人々が目指したのは、情報を統制から解放し、異なる意見を持つ人間どうしがつながる時代をもたらすことだった。 だが今日のネットは逆方向に進化している。急速なアルゴリズムの発達により、私たちは、自分が見たい情報だけをフィルタリングして見せてくれる「フィルターバブル」で覆われつつあるのだ。 情報過多の現代において一見「福音」とも思えるこのフィルターバブルが、私たちの思想、行動、ひいては民主主義に及ぼす悪影響とは? 黎明期のネットの理想を実現するために、政府、企業、そして私たちは何をすべきか?
著者イーライ・パリサーのTED講演(日本語字幕付き)はこちら: http://www.ted.com/talks/lang/ja/eli_pariser_beware_online_filter_bubbles.html
- ISBN-104152092769
- ISBN-13978-4152092762
- 出版社早川書房
- 発売日2012/2/23
- 言語日本語
- 本の長さ344ページ
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商品の説明
著者について
1980年生まれ。アメリカ最大のリベラル系市民政治団体の1つ、「ムーブオン」(MoveOn.org)の元エグゼクティブ・ディレクターで、現在は理事会長。
2001年、暴力の連鎖を断ち切って平和を訴える署名サイト「9‐11peace.org」を開設。わずか数週間で192カ国から50万人の署名を集めたことで脚光を浴び、ムーブオンのキャンペーン・ディレクターにスカウトされる。「Obama in 30 Seconds」など彼の独創性あふれるキャンペーンと、少額寄付システムの確立によって、ムーブオンは会員数500万人を突破。1億2000万ドルの寄付を集める有力NPOに成長している。
2011年、本書のテーマでTED講演"Beware online "filter bubbles""を行ない、大きな反響を呼んだ。
井口耕二(いのくち・こうじ)
1959年生まれ。東京大学工学部卒業。米国オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大手石油会社勤務を経て、技術・実務翻訳者として独立。翻訳活動のかたわら、プロ翻訳者の情報交換サイト「翻訳フォーラム」を共同主宰。訳書にアイザックソン『スティーブ・ジョブズ』、ガロ『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』、ウォズニアック『アップルを創った怪物』、ジットレイン『インターネットが死ぬ日』、ラニアー『人間はガジェットではない』など多数。著書に『実務翻訳を仕事にする』がある。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2012/2/23)
- 発売日 : 2012/2/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 344ページ
- ISBN-10 : 4152092769
- ISBN-13 : 978-4152092762
- Amazon 売れ筋ランキング: - 374,008位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 47,375位社会・政治 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
翻訳者(出版・実務)。1959年生まれ、東京大学工学部卒業。大手石油会社から会社派遣で米国オハイオ州立大学大学院修士課程に留学するも、1998年、子育てに必要な時間的やりくりを家庭内でつけられるようにと退職し、技術・実務翻訳者として独立。その後、産業翻訳から出版翻訳へと仕事の主軸を移し、多くの話題作を手がける。得意分野は、エネルギー・環境、エンジニアリング、IT、ビジネスなど。翻訳フォーラム共同主宰。大昔はフィギュアスケート選手(シングル、アイスダンスで全日本に出場)で、いまは年がいもなく自転車ロードレースを走っているなど根は体育会系。楽しみは、自転車イベントで訪れた地域のクラフトビールを飲み歩くこと。
訳書:『スティーブ・ジョブズ I・II』(講談社)、『イーロン・マスク 上・下』(文藝春秋)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』『リーン・スタートアップ』(日経BP)、『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社)、『PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(文響社)など多数。
著書:『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(講談社)、『実務翻訳を仕事にする』(宝島社新書)
共著書:『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社)
カスタマーレビュー
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Amazon.comにログインすると、人によって、おすすめ商品など、全然違う商品が表示されるということは誰でも知っています。Facebookのタイムラインも、「エッジランク」という仕組みに従って、投稿された順番では得なく、「いいね」の数、投稿された時間、投稿相手との仲の良さなどをアルゴリズムとして把握し、表示順を定めています。すでに、人のタイムラインにより多く表示されるために、SEOならぬNFO(news feed optimization)という、分野まで現れてきています。
WEBの世界は、今ものすごい勢いで「パーソナライズ化」が進んでいます。このパーソナライズ化の波の中で、特に大きな力を振るうことになるのが、FacebookとGoogleの存在です。Amazon.comに関しては、基本的には商品の購入に用途が限定されていますが、Goolgeは、様々な情報を調べるために使われ、Facebookは、友達とのやり取りや、知り合い関係での情報収集に利用される、いわば情報の「結節点」になっています。
「パーソナライズ化」とは、現在においては、システムがあなたの行動履歴を記憶し、もっとも最適(好きそう)な情報ばかりを表示する状態になっています。この著書では、主に「パーソナライズ化」によって起きる、情報の偏食の危険性を、様々な事例や観点から論じています。
先程、触れたようにGoogleは、徐々に検索結果のパーソナライズ化を始めています。つまり、私が検索した結果と、あなたの検索した結果が異なる可能性があるのです。たとえば、「最近うちの会社のホームページが、◯◯っていうキーワードでいつも1位なんだよね!」と喜んでいたら、それは自分のパソコンだけの可能性があります。あなたが何回も自分のホームページを見ているので、お気に入りと判断して優先的に上位表示するようにしているのです。自慢していたら、それは自分の環境だけだったというのは笑えません。
まだ、全然甘々なパーソナライズ化ですが、突き詰めればAmazon.comと同様、検索結果に好みのサイトばかりが上位表示される環境が将来出来上がってくる可能性がでてきます。
今まで、検索結果は、誰もが平等というので安心して使っていましたが、これは果たして検索エンジンのあり方として正しいのでしょうか?検索エンジンを辞書に近いものと考えるのであれば、調べごとをした時に、好みに近い答えばかり返ってくるというのは、客観性に欠ける気がします。バカにはバカの世界しか見えないし、賢者には賢者の世界しか見えない。
また、Facebookは「いいね」ボタンや「コメント」の数が情報の優劣を決める大きな要因になっています。この「いいね」の機能について著者は警告を発します。なぜなら、情報の重要度とは関係なく「いいね」の押されやすい情報とそうでない情報が存在するからです。具体的には、「美味しいそうな料理の写真」や、「ダイエット成功!」といった内容の情報には、確実に「いいね」が集まる。しかし、「料理の写真」と「ダイエット成功!」という宣言が、社会的にどれだけ価値があるでしょうか?
逆に、「朝鮮半島情勢に対する政治コメント」など、重要に感じても、内容が重過ぎて「いいね」を押すのにはばかられる情報は見事に埋もれます。
これらの傾向が、私たちの手に入れる情報の偏食、低俗化をもたらすだけでなく、イレギュラーな情報が減ることで、異質な情報に触れる機会を減らし、私たちの発想を減退させる可能性も十分に考えられます。
あなたは、大きな書店に買い物に行って、普段興味のない分野のコーナーを通りがかった時、ふと目にした本から、意外な発見などがあって、興味を広げるきっかけになたり、発想のもとになった経験をしたことはありませんでしょうか?あの感動が今のWEBのパーソナライズ化には無いのです。
私が面白いと感じているのは、同じパーソナライズ化でも、Facebookと、Googleではその方向が全く異なるものになるということです。
Facebookでは、周り(フレンド)の目があるので、本音ではなく「ヒーロー」「善人」として振るまいがちです。Facebookにいる自分は、「本当の自分」ではなく、「なりたい自分」です。「いいね」ボタンをクリックした集積データも「なりたい自分」が押した「いいね」ボタンの集積データです。
一方、Googleは、ひっそリ人に知られたくない情報を検索する用途にも使われます。自分のコンプレックスの解消法(抜け毛、ダイエット、病気etc)、また、アダルト画像の検索など・・・・。つまり、Googleが集積している情報とその結果は、「知られたくない本当の自分」です。人によっては低俗な自分の集積かもしれません。
そういえば昔、Google検索で「夫」の後にスペースを入れると予測変換で「死んで欲しい」が出てくるってのがありましたね(汗。
「見栄っ張りな自分(Facebook)」の集積データにしても、「知られたくない自分(Google)」の集積データにしても、それぞれ違った意味でイヤらしい価値がありそうです。というより、見えっ張りな自分も、全体像でまとめられると、十分に知られたくない自分ですね。(笑)
これらの情報は、当然商業的にも、政治的にも価値のあるものになるのは言うまでもありません。この著書では、その情報を利用することによって、どんなリスクがあるのか、どのような可能性があるのかまで、示唆しています。Facebookの「いいね」を押しているだけで「犯罪の容疑者」にされるとか、洒落になりません。詳細は、ぜひ読んでみてください。
パーソナライズ化で奪われる私たちの感動、奪われる個人情報。エンジニアたちは、現時点では、これらの倫理については極めてピュア(場合によっては革新的に)と言わざるをえません。Googleは、don't be evil(邪悪になるな)と標榜していますが、どのように具体的な倫理規範を持つかは言及していません。邪悪ではない技術と行動が、邪悪な者に利用されるのは、チープな映画でも見飽きるほど出てくるテーマです。
私としては、WEBのパーソナライズ化そのものに問題があるのではなく、その取り扱い方と、技術に対応した十分な倫理基準を定めれば、未来においても問題を抑えていくことは充分に可能なように思えます。実際に、著者も具体的な提案を複数本書の中で提示しています。
今後必要なのは、WEB技術に対する深い知識と、倫理、社会に対する見識を持った人たちをうまく企業と関わらせていく作業でしょう。
WEBのパーソナライズ化は、まだ気がついていない人も多いようですが、インターネット社会の未来に食い込む最重要テーマの一つです。もし、Amazon.comのおすすめ商品や、おすすめメールなどに、微妙な違和感や、不気味さを感じた方は、本書は、必ず心に響く内容となるでしょう。
専門的な参照文献の参照や、具体的なインタビューも豊富で、大変よく書かれている著書ですので読み手があります。
googleの検索結果も人によって違うことも知っているだろうか?
そのうちテレビ広告もテレビによって違うものが・・?
パーソナライズと呼ばれる、「個人に最適化する」動きは、
莫大な情報の絞り込みという有利な面もある一方、新しいものにアクセスできなくなる、
さらには自分がアクセスする先があらかじめ決められている、そんな可能性まではらんでいる。
本書はこれをフィルターバブル=フィルターの泡に閉じ込められる現象として、
可能性や問題点はもちろん、なぜそれが問題かといったところまで、
ブッシュの政治活動からAmazonの広告といったフレッシュな例を交えて説明している。
危険を煽り立てるというよりも、テクノロジーの進歩の方向性を冷静に見つめていて、
特にネットの今後の方向性なんかに興味がある方にオススメの一冊。
だが、今は一人一人パーソナライズされた結果が出てくる。
より最適化された結果が見れるというポジティブな受け止め方もあるが、著者の立場は少々異なる。
これは「フィルターバブル」だと著者は表現するのである。
フィルターバブルとはフィルターをインターネットにしかけ、あなたが好んでいるらしいものを観察し、それをもとに推測することだ。
これによって、私たちの触れられる情報は制限される。
つまり我々が選んでいないのにもかかわらず、情報が選別される。
そこに著者は警鐘を鳴らしている。
インターネットとは非常に開かれているという印象があるが、実は近年は閉じられてきているということだ。
インターネットでの世界でのパーソナライゼーションはどこまで進むべきなのか。
そのテーマについて考えさせられた。
自分の中を通り過ぎた情報は、感覚的にいえば排泄物に近いのだが、そういう排泄物は「あちら側」では金になるそうだ。「あちら側」では排泄物を高度な技術で分解処理し、そこから「私」という人間をありとあらゆる角度から割り出す。住所、年齢、職業などは言うにおよばず、学歴、渡航歴、既往歴、交遊関係、家族構成、年収、趣味、性的指向、宗教、信条、IQ……といったもの難なく割り出せるだろう。そうやって細切れの情報をつなぎあわせて「私」をプロファイリングすることで、特定のものを買わせたり、特定の行動をとらせたりするように誘導することができる。
つまり私たちは「あちら側」と取引をしているのだ。タダでネットを使うかわりに、アイデンティティを切り売りしている。それらを「あちら側」はつなぎ合わせて、今度は私たちに金を払うよう仕向けるのだ。私たちのことを研究した彼らは、親密さと快適さを装って巧妙に近づいてくるから、私たちはその企みに気づかず、気持ちよく「あちら側」に金を落とす。
インターネットがすでにそういう取引の場になっていることは薄々は感じていたが、グーグルの検索結果が個人によって異なることや、フェイスブックのウォールに友だちの情報のすべてが載っているわけではないといったことを本書で知り、頼んでもいない「パーソナライゼーション」が想像以上に進んでいるのだなと、どんよりとした気持ちになった。こうした取引を通じて、どんな些細な情報も「あちら側」にわたってしまう。忘れたり、知らなかったり、知られなかったりした情報までもがどこかで掬い上げられて蓄積され、思わぬ形で「こちら側」の生身の人間が不利益を被る可能性もある。しかもそれに対してなすすべはいまのところまったくないのだ。知らないほうがよいかもしれないこと(昔の恋人のこととか)も知ることができるようになる一方、知りたくないことは遮断できる時代。でも、知りたいことだけ(つまり既知のこと)だけを選択して取り入れることで、未知への好奇心や耐性が失われ、知らぬ間に孤立していく。いろんな意味で、「知らぬが仏」はもう通用しない。
商品をすすめられたり、多少内向きになるくらいならまだいい。もっと深刻なのは、快適さや親密さと引き換えに提供した個人情報が本人の知らないところで蓄積され、そのデータをもとに本人が知りえない目的のためにプロファイリングが行われる可能性である。極端にいえば、フェイスブックで誰かを友達にしたり、ほとんど無意識に「いいね!」ボタンを押し続けているだけで、犯罪の容疑者にされるとか、採用の候補者から外されるとか、入学や保険加入を拒否されるとかいったことが起こりうるということだ。ある特性をもったグループをサービス対象から本人には知られずに「あちら側」から排除することができる。直接会ったり何かをたずねたりしなくても、その人物のことを調べ上げることができるということは、そういうことである。さらに恐しいのは、「あちら側」に蓄積された自分に関する膨大なデータの誤りや変更を本人が修正する機会がないことだ。ある時点での「私」のデータに死ぬまでつきまとわれる。過去は消せないと言うが、それは過去の行動が本人の手の及ばないところで逐一記録され、それをもとに勝手なふるい分けが行われることとはまったく別問題である。後者はかたちをかえた監視社会だ。こうした動きに敏感な人たちは、自衛するためにネットでの行動を自己規制するようになるかもしれない。自分でない自分を「演じる」ということである。しかしその自分でない自分の情報い基づいて、「あちら側」から送られてくる情報に、「本当の自分」は影響を受け(プライミング効果)、「演じた自分」と一体化していってしまう。ネットやめますか、それとも自分やめますか、の世界だ。
著者は、「あちら側」の世界の創造主にして運営管理人であるところのプログラマーやエンジニアが自分たちが「社会の未来を形づくる大きな力」を期せずして持ってしまったと指摘する。そして、ひたすら技術による「高み」を目指して昼夜を分かたずプログラミングしていればハッピーだった人たちに「邪悪にならない」レベルをはるかに超えた倫理観を持つことを求める。一方でユーザーに対しても、自分の殻にこもっている場合ではないと呼びかける。「あちら側」では、巨額の金を動かせる地球上で最強の企業群が結託している。際限のない個人データの収集と蓄積と濫用を防ぐために、規制が必要なことは自明だが、それが政治的にはきわめて困難な事業になることは目に見えている。パーソナライゼーションによって分断されることにより、公共という概念がどんどん希薄になっていくこと、政治のプロセスそのものが機能しなくなっていくこと、著者にいわれるまでもなく、私たちはこれらのリスクを常に念頭に置き、声をあげていくべきである。私たちが快適なインターネットバブルのなかでパンやサーカスに興じているあいだに、政府が「あちら側」にとりこまれている可能性は大いにあるのだから。
風穴を開け、通信革命をもたらし、
社会に変革を与えたことは筆者は認めている。
サービス提供企業(Googleなど)がインターネットの
利用性を向上させ、利便性の向上にも役立ってる事も理解はしている。
しかしながら、サービス提供企業が巨大になりすぎ、
多大な情報を入手し(今後も現在進行形)
インターネットはオープンであることが前提だが
サービス提供企業により操作され、
本当は表示されるWebページが表示されない。
しかもユーザーはそのことには気付かない。
一見複雑に見えるオプション機能を導入することにより
ユーザーがデフォルト設定の認識を誤り、それによる生ずる
ユーザーが意図しない問題が数多く起こっていく。
という状況が日常的になることを危惧している。
これを「フィルターバブル」と定義し警鐘している。
読後は「インターネットの利便性とは」と妄想する日々かもしれません。