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ボーン・トゥ・ラン 下: ブルース・スプリングスティーン自伝 単行本 – 2016/9/27
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- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2016/9/27
- 寸法13.1 x 2.5 x 18.8 cm
- ISBN-104152096411
- ISBN-13978-4152096418
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2016/9/27)
- 発売日 : 2016/9/27
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 352ページ
- ISBN-10 : 4152096411
- ISBN-13 : 978-4152096418
- 寸法 : 13.1 x 2.5 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 458,687位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,433位音楽一般の本
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
既出の内容もありましたが、それでもやはり、ブルース自身が自身の人生を詳細に語る…とても充実した内容でした。
2017年2月3日に日本でレビュー済み
■うちなる悪魔
『明日なき暴走』での大成功のあとも“BOSS”は『闇に吠える街』、『ザ・リバー』、『ネブラスカ』とたて続けに優れたアルバムを発表する。いずれもロック史に残る名盤だ。
だがこの頃から少しずつ、その後も彼を苦しめ続ける“悪魔”が顔を出しはじめる。
当時を振り返って彼はこう語る。
「いうまでもなく、そこには素晴らしい面もあるが、おれはまだ自分というものが定まっていなかった。」
これ程のことを成し遂げているにもかかわらず、”自分が定まっていない“だなんて!
それまでは音楽に没頭することで避けてきた”病魔“が徐々に彼の心を蝕んでいく。
「長い間、おれは砦を築いてきた。それは子供のころにストレスに耐えるためであったり、自分のものを自力で守るためであったりしたが、その砦はもう役割を終えており、かつて身を守ってくれた力を俺は乱用するようになっていた。自分を不当に孤立させ、疎外感を封印し、世間から切り離し、他者を支配し、自分の感情を押し殺すために、その力に頼っていた。」
ついに“鬱”を発症。
自らの感情をもはや安全に地上への汲み上げることすらできなくなる。
だが、親友ジョン・ランダウの助け、適切な治療のおかげで落ち着きを取り戻す。
そして『ボーン・イン・ザ・U.S.A』の大ヒット。彼のキャリアは“絶頂”を迎える。
(タイトル曲『ボーン・イン・ザ・U.S.A』を聴いたことがない人間なんているのだろうか?)
彼は“ニュージャージーの片田舎の若造“から一夜にして”ハリウッド・スター“になる。
そして一度目の結婚。ロックンロールの薬が効かなくなってきていたことに気付いてきていた彼は音楽に替わる安らぎの場所を“家庭”に、“家族”に求めていたのだろうか。
だが一度目の結婚のときは、まだ彼は自分自身をさらけ出す術を知らず、ぎこちない結婚生活が数年続いたのち破たんする。
“BOSS”の人生において最大の転換点は二度目の妻、パティとの結婚だろう。
“最愛の赤毛”、パティの支え、愛情がなければ、彼の人生はもっと破滅的なものになっていたに違いない。
パティとの結婚、3人の子供を授かったことによって、“BOSS”は初めて心の底から安らげる”家“を見つけたのではないだろうか。
90年代は“BOSS”にとってキャリア的にはやや停滞していた時期ともいえるかもしれないが、私生活においては充実していたように思えるのが、とても嬉しい。
その後、ロックの殿堂入り、Eストリートバンドの劇的な復活を得て、再びシーンのトップに“BOSS”は還ってきた。
2000年代以降の精力的な活動、今なお衰え知らずのライブ、老いてなお盛んとなる創作活動は、友と言えるメンバー達、ダニー・フェデリシ、“ビック・マン”ことクラレンス・クレモンズらの死という現実を受け入れてもなお、止まることを知らないようだ。
そんな第二の黄金期を謳歌しているかのように見えていた“BOSS”にとって、実は彼を蝕む“悪魔との戦い”は現在進行形で続いていたのだという事実に驚かされる。
”それ”はむしろ年々、酷くなっているそうだ。彼の父親と同じように――。
“BOSS”本人の弁によれば「自分は物心つく前から常に父親から“競争相手”、“ライバル”だと見なされていた」と言う。
だが、一方で、それ以上に“BOSS”自身が、彼の父親を“競争相手”、”ライバル“だと見なしていたのではないだろうか。
父親と違う自分、父親よりも成功した自分、父親よりも善き人である自分、父親のような醜態を晒さない自分、父親のように周りを、家族を傷つけない自分――。
彼の価値判断基準は全て“父親”であり、父親よりマシであるかどうか、父親と違う選択をしたかどうかが極めて大きく左右していたように思う。
そんな“BOSS”の人生のライバル、常に精神的ストレスの対象だった父親も、晩年は己の悪魔に打ち勝ち、穏やかになり、彼の孫、すなわち“BOSS”の子供たちから好かれ、その死を惜しまれながらこの世を去ったという。
■天に召します我らの父よ
世界中の人に歌を、物語を、熱狂を、一夜の奇跡を、魔法を、今なおロック・キッズに贈りとどけ続けてくれている“BOSS”も齢67歳。
永遠に続くように思える”魔法“もいつしか解ける日がくる。
ファンとしては受け入れ難いが、それはどうしようもなく避けがたい現実だ。
ならばこそ、できることならば、敬虔なクリスチャンである“BOSS”が信じるところの“聖なる主”がいるならば、彼の晩年は彼の父親と同じようにしてあげて欲しい。
己の中の悪魔に、病魔に打ち勝ち、穏やかな日々を送り、余生を息子たち孫たちと楽しみながら、笑い合いながら、互いを尊敬しながら過ごす日々を彼に、我らが”BOSS”に与えてあげて欲しい。
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるところとおり地にも行われますように。
私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください・・・。
わたしたち全員を、永遠に。
アーメン。
『明日なき暴走』での大成功のあとも“BOSS”は『闇に吠える街』、『ザ・リバー』、『ネブラスカ』とたて続けに優れたアルバムを発表する。いずれもロック史に残る名盤だ。
だがこの頃から少しずつ、その後も彼を苦しめ続ける“悪魔”が顔を出しはじめる。
当時を振り返って彼はこう語る。
「いうまでもなく、そこには素晴らしい面もあるが、おれはまだ自分というものが定まっていなかった。」
これ程のことを成し遂げているにもかかわらず、”自分が定まっていない“だなんて!
それまでは音楽に没頭することで避けてきた”病魔“が徐々に彼の心を蝕んでいく。
「長い間、おれは砦を築いてきた。それは子供のころにストレスに耐えるためであったり、自分のものを自力で守るためであったりしたが、その砦はもう役割を終えており、かつて身を守ってくれた力を俺は乱用するようになっていた。自分を不当に孤立させ、疎外感を封印し、世間から切り離し、他者を支配し、自分の感情を押し殺すために、その力に頼っていた。」
ついに“鬱”を発症。
自らの感情をもはや安全に地上への汲み上げることすらできなくなる。
だが、親友ジョン・ランダウの助け、適切な治療のおかげで落ち着きを取り戻す。
そして『ボーン・イン・ザ・U.S.A』の大ヒット。彼のキャリアは“絶頂”を迎える。
(タイトル曲『ボーン・イン・ザ・U.S.A』を聴いたことがない人間なんているのだろうか?)
彼は“ニュージャージーの片田舎の若造“から一夜にして”ハリウッド・スター“になる。
そして一度目の結婚。ロックンロールの薬が効かなくなってきていたことに気付いてきていた彼は音楽に替わる安らぎの場所を“家庭”に、“家族”に求めていたのだろうか。
だが一度目の結婚のときは、まだ彼は自分自身をさらけ出す術を知らず、ぎこちない結婚生活が数年続いたのち破たんする。
“BOSS”の人生において最大の転換点は二度目の妻、パティとの結婚だろう。
“最愛の赤毛”、パティの支え、愛情がなければ、彼の人生はもっと破滅的なものになっていたに違いない。
パティとの結婚、3人の子供を授かったことによって、“BOSS”は初めて心の底から安らげる”家“を見つけたのではないだろうか。
90年代は“BOSS”にとってキャリア的にはやや停滞していた時期ともいえるかもしれないが、私生活においては充実していたように思えるのが、とても嬉しい。
その後、ロックの殿堂入り、Eストリートバンドの劇的な復活を得て、再びシーンのトップに“BOSS”は還ってきた。
2000年代以降の精力的な活動、今なお衰え知らずのライブ、老いてなお盛んとなる創作活動は、友と言えるメンバー達、ダニー・フェデリシ、“ビック・マン”ことクラレンス・クレモンズらの死という現実を受け入れてもなお、止まることを知らないようだ。
そんな第二の黄金期を謳歌しているかのように見えていた“BOSS”にとって、実は彼を蝕む“悪魔との戦い”は現在進行形で続いていたのだという事実に驚かされる。
”それ”はむしろ年々、酷くなっているそうだ。彼の父親と同じように――。
“BOSS”本人の弁によれば「自分は物心つく前から常に父親から“競争相手”、“ライバル”だと見なされていた」と言う。
だが、一方で、それ以上に“BOSS”自身が、彼の父親を“競争相手”、”ライバル“だと見なしていたのではないだろうか。
父親と違う自分、父親よりも成功した自分、父親よりも善き人である自分、父親のような醜態を晒さない自分、父親のように周りを、家族を傷つけない自分――。
彼の価値判断基準は全て“父親”であり、父親よりマシであるかどうか、父親と違う選択をしたかどうかが極めて大きく左右していたように思う。
そんな“BOSS”の人生のライバル、常に精神的ストレスの対象だった父親も、晩年は己の悪魔に打ち勝ち、穏やかになり、彼の孫、すなわち“BOSS”の子供たちから好かれ、その死を惜しまれながらこの世を去ったという。
■天に召します我らの父よ
世界中の人に歌を、物語を、熱狂を、一夜の奇跡を、魔法を、今なおロック・キッズに贈りとどけ続けてくれている“BOSS”も齢67歳。
永遠に続くように思える”魔法“もいつしか解ける日がくる。
ファンとしては受け入れ難いが、それはどうしようもなく避けがたい現実だ。
ならばこそ、できることならば、敬虔なクリスチャンである“BOSS”が信じるところの“聖なる主”がいるならば、彼の晩年は彼の父親と同じようにしてあげて欲しい。
己の中の悪魔に、病魔に打ち勝ち、穏やかな日々を送り、余生を息子たち孫たちと楽しみながら、笑い合いながら、互いを尊敬しながら過ごす日々を彼に、我らが”BOSS”に与えてあげて欲しい。
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるところとおり地にも行われますように。
私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください・・・。
わたしたち全員を、永遠に。
アーメン。
2016年11月15日に日本でレビュー済み
下巻は、おれブルースの後半生についての自叙伝です。
「ボーン・イン・ザ・USA」は、ベトナム帰還兵の物語のプロテスト・ソング、4分39秒でレコーディングを完成した、おれの最高傑作のひとつ、GIブルーズ。
この曲は、もっとも誤解された曲でもあったそうです。「暗い」ブルーズと「明るい」宣言のようなコーラスが、矛盾しているようにも聴こえるからです。
「レコードは聴覚で診断するロールシャッハテストになることがよくあり、人は自分の聞きたいものを聴き取る」(82頁)というブルース哲学。
労働者も大統領も同じ人間ですが、「ボーン・イン・ザ・USA」という曲に対して、まったく正反対の受け止め方、矛盾する聴き取り方をすることがあったことを、この自叙伝は教えてくれます。「政治的なポップミュージックには、しばしばそういう反応が返ってくる」んだそうです。
ブルースは「ボーン・イン・ザ・USA」という曲の中に、「出生地(アメリカ合衆国、ニュージャージー州)に対する誇り」と、同時に、「『批判的な』愛国心を持つ権利」という(面倒くさい!)内容を組み合わせてプロテスト・ソングにしたそうです。
「おれの仕事は常に、アメリカの現実とアメリカの夢の間の距離を測ることと認識し続け、経済危機を背景に格差社会の広がりへの怒りと公平な社会への希望を歌い続けてきた」。おれは、この本の執筆に7年かかった(347頁)と「謝辞」にありました。
節度とほかの人への配慮があって、おれは自分の「すべて」をこの本に書いてはいない、とも言っています。
しかし、この本の読者に対する「自分の心の内を明かすよう心がける」(338頁)という約束は、この本の上巻・下巻の中で「十分に」明かされていたと思いました。
ボブ・ディランは、政治的な問題と個人的な問題を巧みに融合させ、その両方に力を加え、共鳴させた。「おれは、これに同意した。」おれの音楽はかなり長いあいだ「そちらの方向」に進んだ(102頁)そうです。
おれたちはコンサートで毎晩「我が祖国」(大恐慌時代の労働者を歌った曲)をカバーして、レーガン政権時代の1980年代に、アメリカのロックンロールがあまり語らなかった「物語」を紹介するようになった(53頁)そうです。
そんなおれが製鉄工場の労働者の町でコンサートをやっていたある晩、レーガン大統領がおれの名を挙げ「賛辞」を向けたと聞き、
「あん畜生!」「大統領がおれの名前を言いやがった!」
と拒絶反応を示した(101頁)と書いてありました。
この拒絶反応を読んで、ブルースの「心の内」がここにも明かされていたと思いました。
「ボーン・イン・ザ・USA」は、ベトナム帰還兵の物語のプロテスト・ソング、4分39秒でレコーディングを完成した、おれの最高傑作のひとつ、GIブルーズ。
この曲は、もっとも誤解された曲でもあったそうです。「暗い」ブルーズと「明るい」宣言のようなコーラスが、矛盾しているようにも聴こえるからです。
「レコードは聴覚で診断するロールシャッハテストになることがよくあり、人は自分の聞きたいものを聴き取る」(82頁)というブルース哲学。
労働者も大統領も同じ人間ですが、「ボーン・イン・ザ・USA」という曲に対して、まったく正反対の受け止め方、矛盾する聴き取り方をすることがあったことを、この自叙伝は教えてくれます。「政治的なポップミュージックには、しばしばそういう反応が返ってくる」んだそうです。
ブルースは「ボーン・イン・ザ・USA」という曲の中に、「出生地(アメリカ合衆国、ニュージャージー州)に対する誇り」と、同時に、「『批判的な』愛国心を持つ権利」という(面倒くさい!)内容を組み合わせてプロテスト・ソングにしたそうです。
「おれの仕事は常に、アメリカの現実とアメリカの夢の間の距離を測ることと認識し続け、経済危機を背景に格差社会の広がりへの怒りと公平な社会への希望を歌い続けてきた」。おれは、この本の執筆に7年かかった(347頁)と「謝辞」にありました。
節度とほかの人への配慮があって、おれは自分の「すべて」をこの本に書いてはいない、とも言っています。
しかし、この本の読者に対する「自分の心の内を明かすよう心がける」(338頁)という約束は、この本の上巻・下巻の中で「十分に」明かされていたと思いました。
ボブ・ディランは、政治的な問題と個人的な問題を巧みに融合させ、その両方に力を加え、共鳴させた。「おれは、これに同意した。」おれの音楽はかなり長いあいだ「そちらの方向」に進んだ(102頁)そうです。
おれたちはコンサートで毎晩「我が祖国」(大恐慌時代の労働者を歌った曲)をカバーして、レーガン政権時代の1980年代に、アメリカのロックンロールがあまり語らなかった「物語」を紹介するようになった(53頁)そうです。
そんなおれが製鉄工場の労働者の町でコンサートをやっていたある晩、レーガン大統領がおれの名を挙げ「賛辞」を向けたと聞き、
「あん畜生!」「大統領がおれの名前を言いやがった!」
と拒絶反応を示した(101頁)と書いてありました。
この拒絶反応を読んで、ブルースの「心の内」がここにも明かされていたと思いました。
2017年7月3日に日本でレビュー済み
アイルランド系&イタリア系移民の末裔であり、叩き上げ労働者階級ロックンローラーの自伝第2部(下巻)。
そう言えば、ドナルド・トランプとかいう男もドイツ系&スコットランド系移民の血を引くのに、同じ移民の立場にあり多大なリスクを背負いつつ異国アメリカで新生活を始めようとするヒスパニック系やアラブ系に冷たいのは、自らが属する白色系人種が傲慢さと搾取と流血から確立した既得権益を、損なわれるかもしれないという妄想に怯えているから?
テロを擁護する気は毛頭ないが、元々は、アメリカが中東において濡れ手で粟のボロ儲けしようとした助平心からだ。
この本の著者で、アメリカのもう一人のボスかもしれない男は、自らに影響を与え生きる支えともなった音楽的ルーツの多くが有色系人種から発信されたこともあってか、「彼等こそアメリカの未来を築く第三世代」と明言、何たる違い。
P52~、「今この世界で起きることには、ごくわずかであっても、おれにも責任の一端がある。ここはおれの場所であり、おれの時代であり、おれの声をかすかではあっても聞いてもらえる機会なのだ」(訳が少し変だが・・・)、と。
しかし、全米1位にはなったもののアルバム『レッキング・ボール』(2012年)の予想を下回る反響のなさ(P298)に“ロック・ミュージックの衰え”を自ら実感、“新種のスーパーポップ、ヒップホップ、あるいはほかのエキサイティングで多彩なジャンルの音楽が、今の時代精神を伝えるのにふさわしい流行のホットラインになったのだろう”と、赤裸々に書いている。
ツアーを行えば世界中で想像を絶する大観衆を集め、今も第一線で闘い、輝き続けている現役の大物なのに。
地元のイヴェントで展示販売されているコーヒーカップやTシャツにプリントされた自らの顔を、“指名手配中の重罪犯”と形容し、“おれの滑稽な銅像”は“カモメに糞を落されるのをいつでも歓迎している”、とも。
重度の鬱病及び統合失調症(と明記、昔で言う分裂病)を患った父親との散々な大葛藤があり、自分もその遺伝的資質に深く悩み続けているのにも拘わらず、この率直さ、気取らなさ、ユーモア精神はどうだ。
P28~、傑作2枚組『ザ・リバー』(1980年)を生み出す苦闘が綴られている。
リアル・タイムでB面ラストのタイトル曲を初めて聴いたおり、あまりにも哀しげなオープニングのブルース・ハープと暗い曲調、有り余る感情を押し殺し、そして、溜めに溜めていた遣り場のない怒りをここぞというところで爆発させるヴォーカルに圧倒されたこと、さらに、歌詞と対訳を読んで驚いたことを、今でもありありと憶い出すことができる。
題材は故郷の建設業界破綻、実入りの良い職を失い一家が生き延びるため愚痴も零さず懸命に働く義弟、その妻であり三児の母であり、著者が“全力で逃げ出した人生をしっかり掴んで生きている”へこたれないKマート店員の実妹。
彼女は初めてこの歌を聴いた時に楽屋に押しかけ、著者を抱き締め「あれはあたしの人生だわ」と言ったそうだ(P40)。
あれほど、社会と個人を緊密に結び付け、堅固な表現にまで昇華されたポピュラー音楽の詞はなかなかないと思う。
まさに感動的であり、スプリングスティーンは、やっぱり、スゲー奴だったと再確認。
我が国でも家族を歌った歌は少なくはなく、かぐや姫「妹よ」、さだまさし「親父のいちばん長い日」なんかを改めて聴き直してみようか・・・、いや、特にやるべきこともなく暇なのだが、それは必要ないかな。
しかし、来年還暦を迎えられる音楽評論家/翻訳家でいらっしゃる五十嵐正さんの解説は、解り易くてよくまとまってはいるものの、何処かスノッブなクールさが滲み、乙に澄ましているニュアンスがあり、それ故に賛辞も空虚感が漂い、熱く泥臭いワーキング・クラス出身である著者の自伝にはそぐわないような気もするのだけど。
そう言えば、ドナルド・トランプとかいう男もドイツ系&スコットランド系移民の血を引くのに、同じ移民の立場にあり多大なリスクを背負いつつ異国アメリカで新生活を始めようとするヒスパニック系やアラブ系に冷たいのは、自らが属する白色系人種が傲慢さと搾取と流血から確立した既得権益を、損なわれるかもしれないという妄想に怯えているから?
テロを擁護する気は毛頭ないが、元々は、アメリカが中東において濡れ手で粟のボロ儲けしようとした助平心からだ。
この本の著者で、アメリカのもう一人のボスかもしれない男は、自らに影響を与え生きる支えともなった音楽的ルーツの多くが有色系人種から発信されたこともあってか、「彼等こそアメリカの未来を築く第三世代」と明言、何たる違い。
P52~、「今この世界で起きることには、ごくわずかであっても、おれにも責任の一端がある。ここはおれの場所であり、おれの時代であり、おれの声をかすかではあっても聞いてもらえる機会なのだ」(訳が少し変だが・・・)、と。
しかし、全米1位にはなったもののアルバム『レッキング・ボール』(2012年)の予想を下回る反響のなさ(P298)に“ロック・ミュージックの衰え”を自ら実感、“新種のスーパーポップ、ヒップホップ、あるいはほかのエキサイティングで多彩なジャンルの音楽が、今の時代精神を伝えるのにふさわしい流行のホットラインになったのだろう”と、赤裸々に書いている。
ツアーを行えば世界中で想像を絶する大観衆を集め、今も第一線で闘い、輝き続けている現役の大物なのに。
地元のイヴェントで展示販売されているコーヒーカップやTシャツにプリントされた自らの顔を、“指名手配中の重罪犯”と形容し、“おれの滑稽な銅像”は“カモメに糞を落されるのをいつでも歓迎している”、とも。
重度の鬱病及び統合失調症(と明記、昔で言う分裂病)を患った父親との散々な大葛藤があり、自分もその遺伝的資質に深く悩み続けているのにも拘わらず、この率直さ、気取らなさ、ユーモア精神はどうだ。
P28~、傑作2枚組『ザ・リバー』(1980年)を生み出す苦闘が綴られている。
リアル・タイムでB面ラストのタイトル曲を初めて聴いたおり、あまりにも哀しげなオープニングのブルース・ハープと暗い曲調、有り余る感情を押し殺し、そして、溜めに溜めていた遣り場のない怒りをここぞというところで爆発させるヴォーカルに圧倒されたこと、さらに、歌詞と対訳を読んで驚いたことを、今でもありありと憶い出すことができる。
題材は故郷の建設業界破綻、実入りの良い職を失い一家が生き延びるため愚痴も零さず懸命に働く義弟、その妻であり三児の母であり、著者が“全力で逃げ出した人生をしっかり掴んで生きている”へこたれないKマート店員の実妹。
彼女は初めてこの歌を聴いた時に楽屋に押しかけ、著者を抱き締め「あれはあたしの人生だわ」と言ったそうだ(P40)。
あれほど、社会と個人を緊密に結び付け、堅固な表現にまで昇華されたポピュラー音楽の詞はなかなかないと思う。
まさに感動的であり、スプリングスティーンは、やっぱり、スゲー奴だったと再確認。
我が国でも家族を歌った歌は少なくはなく、かぐや姫「妹よ」、さだまさし「親父のいちばん長い日」なんかを改めて聴き直してみようか・・・、いや、特にやるべきこともなく暇なのだが、それは必要ないかな。
しかし、来年還暦を迎えられる音楽評論家/翻訳家でいらっしゃる五十嵐正さんの解説は、解り易くてよくまとまってはいるものの、何処かスノッブなクールさが滲み、乙に澄ましているニュアンスがあり、それ故に賛辞も空虚感が漂い、熱く泥臭いワーキング・クラス出身である著者の自伝にはそぐわないような気もするのだけど。