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人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice) 新書 – 2010/12/16
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2010/12/16
- ISBN-104153200166
- ISBN-13978-4153200166
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商品の説明
著者について
訳者=井口耕二(いのくち・こうじ):1959年生まれ。東京大学工学部卒業。米国オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大手石油会社勤務を経て、翻訳業。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2010/12/16)
- 発売日 : 2010/12/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 336ページ
- ISBN-10 : 4153200166
- ISBN-13 : 978-4153200166
- Amazon 売れ筋ランキング: - 170,105位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14,283位新書
- カスタマーレビュー:
著者について
翻訳者(出版・実務)。1959年生まれ、東京大学工学部卒業。大手石油会社から会社派遣で米国オハイオ州立大学大学院修士課程に留学するも、1998年、子育てに必要な時間的やりくりを家庭内でつけられるようにと退職し、技術・実務翻訳者として独立。その後、産業翻訳から出版翻訳へと仕事の主軸を移し、多くの話題作を手がける。得意分野は、エネルギー・環境、エンジニアリング、IT、ビジネスなど。翻訳フォーラム共同主宰。大昔はフィギュアスケート選手(シングル、アイスダンスで全日本に出場)で、いまは年がいもなく自転車ロードレースを走っているなど根は体育会系。楽しみは、自転車イベントで訪れた地域のクラフトビールを飲み歩くこと。
訳書:『スティーブ・ジョブズ I・II』(講談社)、『イーロン・マスク 上・下』(文藝春秋)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』『リーン・スタートアップ』(日経BP)、『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社)、『PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(文響社)など多数。
著書:『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(講談社)、『実務翻訳を仕事にする』(宝島社新書)
共著書:『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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確かに過剰反応なところもあるが、議論内容そのものはラディカルである。リナックスは結局Unixに踏襲してしまったことで、新しい創造性を失ってしまったとか、集合知が集合悪にもなり得る「負の側面」を無視すべきでないとか、信念がゾンビ(思考停止者の俗称)を生むとか、フェイスブックの若者とクラウドの支配者は、新体制における農奴と王様なのだ、といった議論は今ではさすがに気づいた人もいるが、まだまだ気づいていない人も多い。ラニアーはWikipediaで「ノーベル賞受賞者よりもポルノのスターの方が詳しく説明されていることが多い」と述べているが、日本でアニメやマンガなどの「娯楽作品」の方が情報量が充実しているから、これは世界共通の傾向なのだろう。オープンソースであることで、「メタ」な場を構築できるわけではないことを、アップルのiPhoneの事例を出して説明している。
「ラーマの出会い」の章以降で、この人の言いたい意図がようやく理解出来た。デイヴィッド・イーグルマンのTEDトーク「人間に新たな感覚を作り出すことは可能か」を以前視聴していたからだ。フィードバックデバイスさえあれば、人間は3本の腕でも同時に動かすことが出来るとラニアーは述べているが(現在では市販もされている)、イーグルマンは増幅デバイスを取り付けることにより聴覚障害者や視覚障害者に聴覚や視覚を持たせることに成功している。
だからテレビゲームにおけるVRでは、ゾンビを倒すゲームをするプレイヤー自身をゾンビにするだろうと、日本語未訳の彼の著書で述べている(参照「 Dawn of the New Everything: Encounters With Reality and Virtual Reality 」)。
また今では普及してきたが、幻肢や脳梗塞などにより、半身不随の人に鏡を使った治療で、脳のフィードバックを促す治療法を開発した、V・E・ラマチャンドラン(ラーマは彼の愛称)はVR(当時はまだローテクであった)がこの治療法に使えることを実証している(参照「 脳のなかの幽霊 (角川文庫) 」)。
あとラニアーが頭足類に一目を置いているところは面白かった。
著者もミュージシャンなので、今のコンピュータやITが個性を発揮出来る場ではなく、個性をフラット化させる場になっていることを痛感して警鐘している。つまり「道具に使われている」ことを警告しているので、このタイトルになったのだと思う。
個人で考える事(ローカル性)が重要という考えに同意.
最近のネットは,常に誰かが作ったプラットフォームの上で遊ばされている事が多い.
もっと自由であることを忘れないようにしたい.
最近、SNSの持つ意味を考えるためにどんな視点が必要かを考えて7点を抽出して、参考書籍の知見を腑分けしていましたが、見事に全視点で「もうひとつの可能性」を提示してくれました。”デジタルになると社会主義でさえ斬新に見える”といった主張に刺激があります。27か所に付箋を残しました。
「では、他にどうすればいいのか」の具体的な処方箋を迫力をもって提示するまでにはいたりませんが、現在の状況の分析だけでもそれをささえる歴史と個人的な経験の参照は十分に説得力がありました。
「マクロウィキノミクス」で紹介されていたので手に取りました。ネットの発展を楽観的にとらえる「ウィキノミクス」だけを読んでいると気付かなかった視点を紹介していたのは健全だと思います。
そこに対しては興醒めですかね。
ウィキペディアやリナックスに対する考え方を読むと、
「確かにそうかも」と思うが、
「じゃあ、こうしよう」っていうのはないように思う。
現代社会においておどらされることなく、本質を見極める視点を身につけられる。
本書は、現在のインターネットやIT技術が進んでいる方向に対する警鐘と言ってもいいだろう。著者の意見が年寄りの戯言ならば問題ないが、みなが薄々感じているように、この道は誤りかも知れない。
ソフトウェアとは思想の実装である。誤った思想から実装された世界は、誤った世界になる可能性がある。今の思想は正しいのか?
おそらく、伊藤計劃「ハーモニー」が最後に至る世界が、本書の懸念の行き先にある世界なのだろう。
著者の語り口が哲学的なせいか前半は意味不明の読書を強いられましたが、廣瀬通孝氏推薦の帯で最後まで辿り着けました。氏に感謝!
一方、ネットの世界では個人が表に出る自由な世界と言う認識です。 これらの解釈はもっともらしいですが
本書では違うと説明しています。
例えば、ウィキペディアは個人が記事を書いていますが、個性が出ている場所ではなく「ウィキペディア」という
塊で認識されており、誰が書いたかは関係無い状況にあります。
このことを踏まえて、ネットは個性を開放する場所ではなく、個性を埋没させる場所であると言う考えを展開しています。
また、MADなどのマッシュアップや過去の物を引っ張り出してネットに載せることの流行も、全く新しい物を生み出していないのでネット上のクリエイティブな活動を停滞させているとも説明しています。結局、テレビや映画などの既存のメディアがクリエイティブな活動を牽引しており、ネットではありません。
もちろん、ネットは個性を発揮できる場所でも有りますが全てではありません。本書では盲目的に信じているネットの未来に対して疑問を投げかける本だと思います。
ちなみに本書の原題を直訳すると
「貴方はガジェットでない」
という意味です。