ずっと気になっていたので買いました
内容も良くて感動しました
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おろしや国酔夢譚 単行本 – 1992/1/1
井上 靖
(著)
ロシアに漂着した大黒屋光太夫は極寒のシベリアを横断し、女帝に謁して十年後故国に帰った。しかし幕府はこれに終身幽閉で酬いる
- 本の長さ332ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1992/1/1
- ISBN-10416312960X
- ISBN-13978-4163129600
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1992/1/1)
- 発売日 : 1992/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 332ページ
- ISBN-10 : 416312960X
- ISBN-13 : 978-4163129600
- Amazon 売れ筋ランキング: - 854,378位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 235,855位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1907-1991)旭川市生れ。
京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。
「天平の甍」での芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(1969年)、「孔子」での野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章した。
カスタマーレビュー
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5 星
小市の墓参りをしました。追記:菩提寺も参拝
皆さまが書かれているすばらしいレビューの通りだと思います。北海道は最果てに住む者として,寒さの厳しさはよく分かります。まして食料や被服,言葉,文化,宗教がみな違う異国での漂流生活は察して余るものがあります。映画でも視聴しましたが,やはり原作の本を読んだほうが苦境がよく伝わります。磯吉とともに帰国を果たすも無念の死を遂げた小市の墓が根室にあるのでお参りに行ってきました。墓参する者もなく,ひっそりとした目立たない所にありました。市内の港からはラクスマンが停泊した弁天島をすぐ近くに望むことができます。資料館には大黒屋光太夫の記録などもありますので,機会があればぜひ根室まで足を伸ばして下さい。根室のお盆は7月です。墓参した様子の画像をアップします。ロシアと同じ冷帯湿潤気候ですので,観光気分とは違うそれなりの覚悟が必要です。20180510追記小市の菩提寺をお参りしました。三重県の鈴鹿市にあります。たいそう立派な碑が建っていたので御覧ください。いまでもちゃんとお参りしてくれている方がいらっしゃいます。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・「自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまった」、「自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている」、この小説の終末に出る、10年近い異国での明日をも知れぬ過酷な漂流生活から生国日本に帰還を果たした、主人公大黒屋光太夫の行き着いた思いである。
小説は、光太夫ら17名の遭難から、3人の帰還に至る顛末が、9割以上を占め、アリューシャン列島からペテルブルグまでの広大なユーラシア自然を舞台に、描かれる。望郷の念果たせずに、累々と重なる仲間の死を始め、果てしのない悲惨、その中で漂流民のぎりぎりの生死選択が、井上靖氏の静かに突き放すような筆致で、劇的に展開する。
取り様は、読む人の数ほどあろう。ロシア史の一端も知れるし、250年前の漂流譚として、また先が皆目読めぬ全くの別世界で、人はどう生き抜いたか、生き得るか、とも読めよう。更に時代は違うが、個人と国家、その冷酷さを見る、或いは光太夫の言動にリーダーシップの在り方を探る、それも可能である。
しかしながら井上靖氏は、この小説に「酔夢譚」の表題を付した。して生国帰還後の主人公光太夫の生涯を見れば、命懸けの念願を果たしながら、現実を前に抱かされたのが、件の思いである。10年漂流中に生きる糧として記録した異国での詳細は、幕府に秘匿を命じられて、凡そ活かすことが出来ずに四半世紀余り、「半幽囚」の内に、生涯を閉じねばならなかった。
違いは様々あれど、人生斯くありなん、氏の作意に添えたかはさて置き、そんな気に引き込まれる読書となった。
小説は、光太夫ら17名の遭難から、3人の帰還に至る顛末が、9割以上を占め、アリューシャン列島からペテルブルグまでの広大なユーラシア自然を舞台に、描かれる。望郷の念果たせずに、累々と重なる仲間の死を始め、果てしのない悲惨、その中で漂流民のぎりぎりの生死選択が、井上靖氏の静かに突き放すような筆致で、劇的に展開する。
取り様は、読む人の数ほどあろう。ロシア史の一端も知れるし、250年前の漂流譚として、また先が皆目読めぬ全くの別世界で、人はどう生き抜いたか、生き得るか、とも読めよう。更に時代は違うが、個人と国家、その冷酷さを見る、或いは光太夫の言動にリーダーシップの在り方を探る、それも可能である。
しかしながら井上靖氏は、この小説に「酔夢譚」の表題を付した。して生国帰還後の主人公光太夫の生涯を見れば、命懸けの念願を果たしながら、現実を前に抱かされたのが、件の思いである。10年漂流中に生きる糧として記録した異国での詳細は、幕府に秘匿を命じられて、凡そ活かすことが出来ずに四半世紀余り、「半幽囚」の内に、生涯を閉じねばならなかった。
違いは様々あれど、人生斯くありなん、氏の作意に添えたかはさて置き、そんな気に引き込まれる読書となった。
2022年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんな(ロシアのウクライナ侵攻)状況下で、昔読んだこの本を思い出して探すが見当たらず、改めて購入。大黒屋光太夫たち17人が三重から出港して遭難してカムチャッカ・ロシアに渡り、ほぼ10年後にラクスマンと根室に戻ってくる(日本人は3人)話。壮大な実話(実話であることがすごい)。
昔、大学受験した時の日本史の参考書を何かにつけ便利なので置いてある。ラクスマンのところを見る。光太夫のことが欄外に小さな文字で書かれてある。ラクスマンは覚えたな。次はラザノフだった。
今回、読んでいろんなことを考えてしまった。
光太夫の統率力は凄い、今の世なればソフトバンクの孫さんくらいの器かな?変な比較??
それと当時のロシア、エカチェリーナ二世の世には国土を拡大して意気揚々の時代。私生活も凄い。
いい人材がいて、育てば国は強くなる。
長い歴史を辿れば、人間は争いばかりしている。今回のウクライナも数ある陣地取りの一つに過ぎない。
本当に不思議な生き物である。光太夫の人生、エカチェリーナ二世の人生それにラクスマンの人生・・それぞれ考えさせるものがある。また、17人の日本人のなかでロシアに残った人たち、ロシアで出た日本に関する書物に名前が出て来るのがなんとも感激であった。日本人、日本国籍とは??
【追加】
序章の光太夫の前にカムチャッカあたり?の北方ロシアに漂流して、名前が分かっているデンベイ、サニマ、ソウザ、ゴンザ・・・という人物の話も実に興味深い。
あと、10年ぶりに帰国した光太夫たち3人(生き残ったのは2人)の処遇(まだ鎖国中、外国に渡った人物が日本にいることがご法度の時代)、帰ってこない方が良かったのではと、光太夫の世界観の方が当時の役人より上回ってしまっている。ローマに行ったキリシタンの4人の少年の話を思い出した。鎖国の功罪、良かったと思うことも多いですけど。いろいろ考えさせてくれる名作です。
昔、大学受験した時の日本史の参考書を何かにつけ便利なので置いてある。ラクスマンのところを見る。光太夫のことが欄外に小さな文字で書かれてある。ラクスマンは覚えたな。次はラザノフだった。
今回、読んでいろんなことを考えてしまった。
光太夫の統率力は凄い、今の世なればソフトバンクの孫さんくらいの器かな?変な比較??
それと当時のロシア、エカチェリーナ二世の世には国土を拡大して意気揚々の時代。私生活も凄い。
いい人材がいて、育てば国は強くなる。
長い歴史を辿れば、人間は争いばかりしている。今回のウクライナも数ある陣地取りの一つに過ぎない。
本当に不思議な生き物である。光太夫の人生、エカチェリーナ二世の人生それにラクスマンの人生・・それぞれ考えさせるものがある。また、17人の日本人のなかでロシアに残った人たち、ロシアで出た日本に関する書物に名前が出て来るのがなんとも感激であった。日本人、日本国籍とは??
【追加】
序章の光太夫の前にカムチャッカあたり?の北方ロシアに漂流して、名前が分かっているデンベイ、サニマ、ソウザ、ゴンザ・・・という人物の話も実に興味深い。
あと、10年ぶりに帰国した光太夫たち3人(生き残ったのは2人)の処遇(まだ鎖国中、外国に渡った人物が日本にいることがご法度の時代)、帰ってこない方が良かったのではと、光太夫の世界観の方が当時の役人より上回ってしまっている。ローマに行ったキリシタンの4人の少年の話を思い出した。鎖国の功罪、良かったと思うことも多いですけど。いろいろ考えさせてくれる名作です。
2011年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半、史実を書き綴っている部分が割と長いせいか
頭がこんがらがってしまい、なかなかページが進みませんでした。
中盤以降、主人公の光大夫の心情や仲間たちとの心のつながり等が
多く描かれる様になってからは、感情移入もできて
どんどん引き込まれて行きました。
鎖国の時代に海外を見てしまった人が、
どんな扱いを受けたのかをしり、驚きと共に
現代に生きる私達は、溢れる情報を無駄にしているんだなぁ…と反省してしまいます。
時の流れを感じられる1冊でした。
前半からもう少し読みやすくしてくれたら…の思いで
★3つです
頭がこんがらがってしまい、なかなかページが進みませんでした。
中盤以降、主人公の光大夫の心情や仲間たちとの心のつながり等が
多く描かれる様になってからは、感情移入もできて
どんどん引き込まれて行きました。
鎖国の時代に海外を見てしまった人が、
どんな扱いを受けたのかをしり、驚きと共に
現代に生きる私達は、溢れる情報を無駄にしているんだなぁ…と反省してしまいます。
時の流れを感じられる1冊でした。
前半からもう少し読みやすくしてくれたら…の思いで
★3つです
2020年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
江戸の異文化交流を楽しむ。
2020年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
北搓聞略(大黒屋光太夫ロシア漂流記)の現代語版と言って良い。
著者は「歴史作家」として名高い。
「大黒屋光太夫」は天明2年(1781年)12月13日に伊勢の「白子」(現在の「伊勢市」)から「神昌丸」(乗員 16名-船頭「大黒屋光太夫」)木綿、薬種、紙などを乗せて「江戸」に向かったが、嵐に会い遭難し
遠く「ロシア」の「カムチャッカ島」に天明3年(1982年)5月20日に漂着した。「神昌丸」はここで嵐のため破損して使い物にならなくなった。6ヶ月も海に漂っていたことになる。ここで乗員7名が死亡し、残り9名となった。
ところが「ロシア戦艦」(ニジビモク艦長)も天明6年(1986年)7月に漂着したが、同じように破損して使い物にならなくなった。「神昌丸」が漂着してから3年。孤島での厳しい生活下では乗員が亡くなるはずだ。生き残っているのが奇跡だろう。
「日本人」と「ロシア人」は何としてでも「ロシア」本土に行きたいと新たな船を共同で建造しようとし成功して「ニジビモク号」と名付けて、天明7年(1987年)7月18日に「ロシア」本土に向かった。乗員はロシア人-16名、日本人-9名)で、船頭は「大黒屋光太夫」で「ニジビモク艦長」は「雑役夫」に成り下がった。これは操船技術の差であろう。船はまず「カムチャッカ半島」の「ウスチャムチャク」に着いた。ここでも「日本人」3名が死亡し残り6名となった。ここから川船で「アルク-ツク」(場所不明)を経由して「ロシア」本土の「イルク-ツ」に翌(1788年〔天明8年〕)に到着した。ここで昔同じく「ロシア」に漂着して「ロシア人」と結婚した「日本人」との混血児に出会った。彼らは「日本語学校」の教師をしていた。当時「ロシア」は「日本」に交易のため遣使したいと考えており「日本語学校」の教師が必要だったのである。それを聞いてか乗務員の「新蔵」、「庄蔵」はここに残り「日本語学校」の教師をしたいと希望するようになった。
幸いなことにここで「硝子工場」を営む富豪「ラックスマン」と出会い日本への「帰国嘆願書」を作成してもらい、それを役所に提出した。「ラックスマン」は「日本」に興味があり2回目の旅をしたいと考えており彼らに「日本地図」の作成を依頼した。ここでも1名が亡くなり残り5名となった。
1790年〔天明10年〕1月13日に「ラックスマン」と一緒に首都「サントペレルスブルク」に向かい、途中5月8日に「モスクワ」経由して「サントペレルスブルク」に到着して皇帝「エカテリ-ナ二世(女帝)」(彼女は1762年に即位し、2回にわたる「露土戦争(対トルコ戦争)」で勝利し「トルコ」が支配していた「バルカン半島」の領有権を得た。さらに隣国の「ポ-ランド」を屈服させ、それと共に「リトアニア」も植民地化した<ロシア帝國>の中興の祖である)に5月28日に接見し9月29日に「日本」への帰国許可を得て11月26日に「新蔵」と「庄蔵」を除いて2名で「サントペレルスブルク」から離れて「モスクワ」に向かい12月11日に到着し、さらに「イルク-ツク」に12月23日に到着した。翌1791年〔天明11年〕4月20日に「イルク-ツク」から「オホ-ツク」に着き、9月13日に「エカテリ-ナ号」に乗船して10月9日に「根室港」に到着した。この間「ラックスマン」が同道していた。彼も「日本」への2度目の渡航が叶ったのである。
「大黒屋光太夫」が天明2年(1781年)12月13日に伊勢の「白子」から出向してから約9年6月が経過していた。
翌寛政5年(1793年)5月26日に「箱館」に着いた。「大黒屋光太夫」と「磯吉」はこの地に留まり故郷には帰らなかった。その理由は定かではない。「大黒屋光太夫」は文政11年(1828年)4月15日に78歳で、「磯吉」は天保9年(1839年)に75歳で、それぞれ亡くなっている。当時にしては長生きであった。
本書は「大黒屋光太夫」の「ロシア」滞在記を明らかにしており、当時の「ロシア」を知るうえで貴重なものとなっている。是非とも購入して読まれることをお勧めしたい。
著者は「歴史作家」として名高い。
「大黒屋光太夫」は天明2年(1781年)12月13日に伊勢の「白子」(現在の「伊勢市」)から「神昌丸」(乗員 16名-船頭「大黒屋光太夫」)木綿、薬種、紙などを乗せて「江戸」に向かったが、嵐に会い遭難し
遠く「ロシア」の「カムチャッカ島」に天明3年(1982年)5月20日に漂着した。「神昌丸」はここで嵐のため破損して使い物にならなくなった。6ヶ月も海に漂っていたことになる。ここで乗員7名が死亡し、残り9名となった。
ところが「ロシア戦艦」(ニジビモク艦長)も天明6年(1986年)7月に漂着したが、同じように破損して使い物にならなくなった。「神昌丸」が漂着してから3年。孤島での厳しい生活下では乗員が亡くなるはずだ。生き残っているのが奇跡だろう。
「日本人」と「ロシア人」は何としてでも「ロシア」本土に行きたいと新たな船を共同で建造しようとし成功して「ニジビモク号」と名付けて、天明7年(1987年)7月18日に「ロシア」本土に向かった。乗員はロシア人-16名、日本人-9名)で、船頭は「大黒屋光太夫」で「ニジビモク艦長」は「雑役夫」に成り下がった。これは操船技術の差であろう。船はまず「カムチャッカ半島」の「ウスチャムチャク」に着いた。ここでも「日本人」3名が死亡し残り6名となった。ここから川船で「アルク-ツク」(場所不明)を経由して「ロシア」本土の「イルク-ツ」に翌(1788年〔天明8年〕)に到着した。ここで昔同じく「ロシア」に漂着して「ロシア人」と結婚した「日本人」との混血児に出会った。彼らは「日本語学校」の教師をしていた。当時「ロシア」は「日本」に交易のため遣使したいと考えており「日本語学校」の教師が必要だったのである。それを聞いてか乗務員の「新蔵」、「庄蔵」はここに残り「日本語学校」の教師をしたいと希望するようになった。
幸いなことにここで「硝子工場」を営む富豪「ラックスマン」と出会い日本への「帰国嘆願書」を作成してもらい、それを役所に提出した。「ラックスマン」は「日本」に興味があり2回目の旅をしたいと考えており彼らに「日本地図」の作成を依頼した。ここでも1名が亡くなり残り5名となった。
1790年〔天明10年〕1月13日に「ラックスマン」と一緒に首都「サントペレルスブルク」に向かい、途中5月8日に「モスクワ」経由して「サントペレルスブルク」に到着して皇帝「エカテリ-ナ二世(女帝)」(彼女は1762年に即位し、2回にわたる「露土戦争(対トルコ戦争)」で勝利し「トルコ」が支配していた「バルカン半島」の領有権を得た。さらに隣国の「ポ-ランド」を屈服させ、それと共に「リトアニア」も植民地化した<ロシア帝國>の中興の祖である)に5月28日に接見し9月29日に「日本」への帰国許可を得て11月26日に「新蔵」と「庄蔵」を除いて2名で「サントペレルスブルク」から離れて「モスクワ」に向かい12月11日に到着し、さらに「イルク-ツク」に12月23日に到着した。翌1791年〔天明11年〕4月20日に「イルク-ツク」から「オホ-ツク」に着き、9月13日に「エカテリ-ナ号」に乗船して10月9日に「根室港」に到着した。この間「ラックスマン」が同道していた。彼も「日本」への2度目の渡航が叶ったのである。
「大黒屋光太夫」が天明2年(1781年)12月13日に伊勢の「白子」から出向してから約9年6月が経過していた。
翌寛政5年(1793年)5月26日に「箱館」に着いた。「大黒屋光太夫」と「磯吉」はこの地に留まり故郷には帰らなかった。その理由は定かではない。「大黒屋光太夫」は文政11年(1828年)4月15日に78歳で、「磯吉」は天保9年(1839年)に75歳で、それぞれ亡くなっている。当時にしては長生きであった。
本書は「大黒屋光太夫」の「ロシア」滞在記を明らかにしており、当時の「ロシア」を知るうえで貴重なものとなっている。是非とも購入して読まれることをお勧めしたい。
2017年12月2日に日本でレビュー済み
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シベリアやロシア語に興味があって、題材にしている小説は無いかなぁーと探している時にこちらを発見しました。
とてもおもしろかったですし、考えさせられました。実話というのが凄いです…。歴史の勉強にもなります。
主人公の、幾度となく訪れる絶望的な境遇にも絶対に屈しない強靭な精神力と、頭の良さには本当に何度も感銘を受けました。
登場人物がたくさん出てきます。色んな人間模様、それぞれの人生が描かれています。
長い長い命懸けの旅路なのですが途中で出遭いもあれば別れもあります。
ある仲間との別れのシーンは本当に切なくて悲しくて号泣してしまいました。
今なら日本ーロシアはパスポートとビザさえあれば飛行機で数時間で行き来できますが、当時はそういう訳にも行かず…。
当時の日本人の目を通したシベリア〜ロシアの世界、そこに住む人々の生活様式等についても非常に興味深かったです。
名作です、たくさんの人に読んでほしいです。
とてもおもしろかったですし、考えさせられました。実話というのが凄いです…。歴史の勉強にもなります。
主人公の、幾度となく訪れる絶望的な境遇にも絶対に屈しない強靭な精神力と、頭の良さには本当に何度も感銘を受けました。
登場人物がたくさん出てきます。色んな人間模様、それぞれの人生が描かれています。
長い長い命懸けの旅路なのですが途中で出遭いもあれば別れもあります。
ある仲間との別れのシーンは本当に切なくて悲しくて号泣してしまいました。
今なら日本ーロシアはパスポートとビザさえあれば飛行機で数時間で行き来できますが、当時はそういう訳にも行かず…。
当時の日本人の目を通したシベリア〜ロシアの世界、そこに住む人々の生活様式等についても非常に興味深かったです。
名作です、たくさんの人に読んでほしいです。
2017年11月30日に日本でレビュー済み
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図書館で借りたDVD映画「おろしや国酔夢譚」という映画がある。なかなか綺麗な情景だが、原書が読みたくなり井上靖著の原書をネットで購入した。ストーリーは江戸時代に大黒屋光太夫という船頭が乗る船が嵐で漂流しロシアに流れ着き、そこから日本に戻れるまでの10年近くを描くという実話だ。映画を否定するつもりはないが、やはり文章で頭の中で描く情景は、それなりの作家だからだろうが小説の方が勝ると感じるところだ。なお、この小説も、船頭たる大黒屋光太夫のリーダー論と捉えることができるだろう。