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遊撃隊始末 ハードカバー – 1993/5/1
中村 彰彦
(著)
- 本の長さ492ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1993/5/1
- ISBN-10416314000X
- ISBN-13978-4163140001
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1993/5/1)
- 発売日 : 1993/5/1
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 492ページ
- ISBN-10 : 416314000X
- ISBN-13 : 978-4163140001
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,242,531位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 323,011位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ふつう私たちは、「明治維新」といえば、坂本竜馬を中心に据え「改革派」から見た歴史に接している。本書は、幕臣であった上総請西藩主の林昌之助とその遊撃隊が“殿様自ら脱藩し”世の流れに逆らってまで、主家である徳川に義を尽くす姿は一読に値する。単純に正義と思えた「明治維新」を裏から見れば、薩摩・長州連合が日本を牛耳る野望ともよめ、何やら昨今の情勢と酷似のか感もある。なにはともあれ、面白い。
2020年3月19日に日本でレビュー済み
著者は「歴史作家」で「日本近世史」の研究家である。
「林 忠崇」は「幕末」で「戊辰戦争」において「藩主」として参戦した珍しい人である。
彼は19歳のときに「上総請西藩」から「幕府軍」に参加して上洛し『鳥羽伏見の戦』に参戦しようとしたが、先に参戦していた将軍「徳川慶喜」が敗れて「大坂城」に逃げ、そこからさらに「江戸城」に逃げ帰った。敗北して再び体制を立て直そうとして「大坂城」に赴いた
しかし将軍が既に「江戸」に逃げ帰っていた。そこで将軍を追うように「船」で「浦賀」に向かい、そこから「房総半島」の「木更津」に赴いた。なぜ「上総請西藩」に戻らなかったかは「藩士」のほとんどが「林 忠崇」に従って「幕府軍」に参加していたからである。
「木更津」に着いたときに「撤兵隊」と称する「幕府軍」もやって来たが「軍紀」がなく「強盗」したり「窃盗」挙句の果ては「殺人」まで犯し「住民」の怒りを買っていた。「林 忠崇」は「撤兵隊」には加わらず、ここに遅れて上陸した「遊撃隊」(「江戸」の名剣士『伊庭八郎』も参加していた)に参加して「箱根」、「小田原」と戦ったが敗れて「海事奉行」であった『榎本武揚』に従って「仙台」に赴いたが、そこで下船してしまい北上して来た「明治維新軍」に捕まり役目を果たすことはできなかった。この辺りのことは彼を描いた同じ著者が著した『脱藩大名の戊辰戦争』(中公新書 1554-2000年9月25日)に詳しいので、そちらをご覧いただきたい。
「林 忠崇」は「幕末」で「戊辰戦争」において「藩主」として参戦した珍しい人である。
彼は19歳のときに「上総請西藩」から「幕府軍」に参加して上洛し『鳥羽伏見の戦』に参戦しようとしたが、先に参戦していた将軍「徳川慶喜」が敗れて「大坂城」に逃げ、そこからさらに「江戸城」に逃げ帰った。敗北して再び体制を立て直そうとして「大坂城」に赴いた
しかし将軍が既に「江戸」に逃げ帰っていた。そこで将軍を追うように「船」で「浦賀」に向かい、そこから「房総半島」の「木更津」に赴いた。なぜ「上総請西藩」に戻らなかったかは「藩士」のほとんどが「林 忠崇」に従って「幕府軍」に参加していたからである。
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