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阿弥陀堂だより 単行本 – 1995/6/1
南木 佳士
(著)
小説家志望の男と、医者として自信を失った妻は、山間の村でふしぎな老婆に出会う。温かなユーモアに彩られた、二年ぶりの長篇
- 本の長さ234ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1995/6/1
- ISBN-104163156003
- ISBN-13978-4163156002
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
作家として自信を亡くした夫と、医師としての方向を見失った妻は、山間の美しい村でふしぎな老婆に出会う。真摯に生きること、人生を慈しむことを教えてくれる、温かなユーモアに彩られた長編。
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1995/6/1)
- 発売日 : 1995/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 234ページ
- ISBN-10 : 4163156003
- ISBN-13 : 978-4163156002
- Amazon 売れ筋ランキング: - 719,421位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16,432位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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イメージ付きのレビュー
1 星
神戸町中央公民館図書室の印鑑とシールの張ったままの盗品です。
本が好きだからこの嫌なレヴューを書きます。図書館からの盗品の故買はできません。これが日本国民が長い間世界でもまれな図書館制度を維持できたし、これからも維持するための最低限のモラルです。販売者は愛知県春日井市中新町2丁目18番9号ふわふわ王国・天国です。これを放置すればアマゾンさんも盗品の故買の共犯になります。小さいことかもしれませんが日本の美徳への挑戦ですから、警察に告訴する前提で検討しています。これまで相当数の書籍をアマゾンさんから購入してきたヘビーユーザーでだからこそのレビューです。こんな甘い緩んだ管理をしていたのかと驚いています。残念です。このふわふわ王国・天国に対してしかるべき処置をとることを強く希望します。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年2月15日に日本でレビュー済み
「阿弥陀堂だより」というのは,長野県のとある村で発行している広報紙にあるコラムコーナーの名前です。阿弥陀堂を守る九十歳を超した老婆に若い娘がインタビューして毎月記事を書き上げています。老婆の生活は,里山の自然に溶け込み,必要最小限の物資で質素に暮らしいています。記事に書かれた老婆の自然体の一言一言に味わい深い生きることへの喜びがにじみ出ています。東京の生活で疲弊した登場人物は,生まれ育ったふるさとに第二の人生を求めて移住します。春夏秋冬の移り変わりや老婆の生き様に徐々に力が湧いてきます。日常生活に疲れているとき読むと,ふっと穏やかな気持ちになり,あしたからまた頑張ろうと元気をもらいます。作者の南木さんは,「ダイヤモンドダスト」で芥川賞をとりましたが,この阿弥陀堂だよりも同様に成熟した文学作品となっています。間違いなく★五つです。
2020年12月29日に日本でレビュー済み
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紡がれる静かで大らかな生活空間。そこに漂う宇宙的でトライバルな生と死の宗教観。この上に寄り掛かる物語の本質は読む年齢によって違って見えて来る気がしました。また、5年後、10年後、それこそ80、90歳になった時にも読んでみたい。
2022年5月13日に日本でレビュー済み
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登場人物から、作品の風景から、癒される本です
2021年9月1日に日本でレビュー済み
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前半はストーリー展開も自然で引き込まれるように読み進む事ができた。
後半、村に移住したあたりから、描写というか設定が雑になってきた気がして急に冷めてしまった。
例えば薪を切ったばかりの冬に使う事は無い。普通は一年以上乾燥させる、など。
田舎の生活をリアルに描写してほしかった。
後半、村に移住したあたりから、描写というか設定が雑になってきた気がして急に冷めてしまった。
例えば薪を切ったばかりの冬に使う事は無い。普通は一年以上乾燥させる、など。
田舎の生活をリアルに描写してほしかった。
2019年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
医師であり作家である著者の作品、初めて読みました。しっかりと地に足のついた落ち着いた内容。何よりも、阿弥陀堂守の96歳のおばあさんの語りが素晴らしい。簡潔にして、欲がなく、でもユーモラス。医師ならではの、生と死についての表現もよかったです。硬派な一冊。
2021年3月1日に日本でレビュー済み
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夜中に目が覚めて、睡眠薬代わりに読もうとしたら、朝まで読み通してしまいました。眠れぬ夜となったのに、しみじみとよい気分です。
主人公夫婦の年齢を、10歳以上誤解していて、おかげで終盤勝手に驚きましたが、ストーリーで引っ張るのではなく地味で滋味がある文章で読ませる小説です。著者の長い病歴が見事に生かされており、辛い体験も無駄ではないという実例を見せてもらいました。
主人公夫婦の年齢を、10歳以上誤解していて、おかげで終盤勝手に驚きましたが、ストーリーで引っ張るのではなく地味で滋味がある文章で読ませる小説です。著者の長い病歴が見事に生かされており、辛い体験も無駄ではないという実例を見せてもらいました。
2020年6月7日に日本でレビュー済み
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なんといっても堂守のおうめ婆さんがいいですね。
本作は生と死のお話、ということになるのだろうけど、彼女の存在はそれよりも、在る、ということを強く感じさせる。
おうめ婆さんを通すと、自然や宗教や共同体が、なんと言うか、すーっとこちらに伝わってくる。
それが良いとか悪いとか、優しいとか厳しいではなく。
部分部分ではなく、ひとまとまりになった何かが伝わってくる。
そこに在るということの力強さ、美しさ。
本作は生と死のお話、ということになるのだろうけど、彼女の存在はそれよりも、在る、ということを強く感じさせる。
おうめ婆さんを通すと、自然や宗教や共同体が、なんと言うか、すーっとこちらに伝わってくる。
それが良いとか悪いとか、優しいとか厳しいではなく。
部分部分ではなく、ひとまとまりになった何かが伝わってくる。
そこに在るということの力強さ、美しさ。
2017年11月26日に日本でレビュー済み
雪雲が立ち込めた冬の信州の空のような、ともすれば陰鬱な雰囲気で覆われた作品のようにも感じた。
しかし、その「陰」の部分をリアルに描くことによって、その裏にある「陽」の部分を映し出した物語であったようにも思えてならない。
病に襲われたことを契機に、夫の「孝夫」とともに信州の小さな村に移住する「美智子」。彼女はその地で、村の診療所の医者として新たな人生をスタートさせる。その村で出会った、重病と闘いながらも村の広報誌内のコラム「阿弥陀堂だより」を執筆する「小百合」。彼女は生命の危機に陥るものの、美智子らの手術によってその命をつなぐ。そして、村の死者が眠る「阿弥陀堂」で暮らす「おうめ婆さん」。小百合の書くコラム「阿弥陀堂だより」は、この96歳になるおうめ婆さんの話したことを、小百合が口述筆記したものがもとになっている。その96歳の達観した語りに、孝夫も美智子も様々なことを考えさせられることになる。
孝夫と美智子、そしてこの本の読者もまた考えさせられるであろうこと、それは、「病や死」といったものは、日常のすぐとなりにあるはずのものであるということだ。孝夫たちが経験する、この村での物語を通して、それを改めて感じさせられた。そういったものは忌避すべきものでは決してなく、人間の日々の暮らしと地続きに存在しているはずのものなのだ。都会での暮らしではそういったものが覆い隠されているためなのか、なにごともなく平和にすごしているにもかかわらず、どこか満たされない思いをいだきながら、日々を漫然と過ごしてしまいがちである。直接的には美智子の病が移住のきっかけとなりはしたが、上で述べたようなことも、孝夫と美智子が移住した背景の一つであったことだろう。ふたりは村に移住し、人間が「自然の理(ことわり)のなかで生きる」ということを通じて、それぞれの大切なものを取り戻し始めることになる。
病の苦しみがれば、日々を健康に過ごす喜びがあり、死の悲しみがあれば、生きることの感動、新たな命が誕生する神秘もある。
読む人にそういった自然の理をあらためて想い起こさせ、よりよく生きるためにいかに自らの命を扱うべきか、そういったことことを深く考えさせる物語であった。
しかし、その「陰」の部分をリアルに描くことによって、その裏にある「陽」の部分を映し出した物語であったようにも思えてならない。
病に襲われたことを契機に、夫の「孝夫」とともに信州の小さな村に移住する「美智子」。彼女はその地で、村の診療所の医者として新たな人生をスタートさせる。その村で出会った、重病と闘いながらも村の広報誌内のコラム「阿弥陀堂だより」を執筆する「小百合」。彼女は生命の危機に陥るものの、美智子らの手術によってその命をつなぐ。そして、村の死者が眠る「阿弥陀堂」で暮らす「おうめ婆さん」。小百合の書くコラム「阿弥陀堂だより」は、この96歳になるおうめ婆さんの話したことを、小百合が口述筆記したものがもとになっている。その96歳の達観した語りに、孝夫も美智子も様々なことを考えさせられることになる。
孝夫と美智子、そしてこの本の読者もまた考えさせられるであろうこと、それは、「病や死」といったものは、日常のすぐとなりにあるはずのものであるということだ。孝夫たちが経験する、この村での物語を通して、それを改めて感じさせられた。そういったものは忌避すべきものでは決してなく、人間の日々の暮らしと地続きに存在しているはずのものなのだ。都会での暮らしではそういったものが覆い隠されているためなのか、なにごともなく平和にすごしているにもかかわらず、どこか満たされない思いをいだきながら、日々を漫然と過ごしてしまいがちである。直接的には美智子の病が移住のきっかけとなりはしたが、上で述べたようなことも、孝夫と美智子が移住した背景の一つであったことだろう。ふたりは村に移住し、人間が「自然の理(ことわり)のなかで生きる」ということを通じて、それぞれの大切なものを取り戻し始めることになる。
病の苦しみがれば、日々を健康に過ごす喜びがあり、死の悲しみがあれば、生きることの感動、新たな命が誕生する神秘もある。
読む人にそういった自然の理をあらためて想い起こさせ、よりよく生きるためにいかに自らの命を扱うべきか、そういったことことを深く考えさせる物語であった。