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うらなり 単行本 – 2006/6/1

4.3 5つ星のうち4.3 27個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2006/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 202ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4163249508
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163249506
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 27個の評価

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小林 信彦
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2013年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
息子の本棚から「坊っちゃん」を引っ張り出し、脇に置いて本書を読み始めたが、それはちょっと無粋だなと思ってやめた。
「坊っちゃん」がわかっていなければ楽しめいないかなと思ったが、そうしないと読めないような小説を小林信彦が書くわけはない。

これは複雑な構造の本だな。
「坊っちゃん」の脇役であるうらなり・古賀が“あの時”をどう思っていたか、登場シーンの少なかったうらなりとはどんな人物であったか、本人はどう自己分析していたか。
そんなスピンオフ小説、「坊っちゃん」へのオマージュだけではない。東京の人である小林が地方の人であるうらなりの目線で、東京生まれの坊っちゃんや昭和初期の銀座を見る。
それは小林が自身を冷静に見て語っている、という風に思える。うらなりを狂言回しとして随筆や自伝的小説ではなく、改めて冷静に東京や東京をめぐる時代を考えているような気がする。

小林はどこかでうらなりに通じているものを感じていたのか。ぜんぜん違うタイプではあるけれど、坊っちゃんややまあらしのように身体で表現できないところとかあるのだろうか。
節目がちでいながら(意外と?)しっかりと周りを見ていたうらなり。坊っちゃんのように自らの意見を率直に(=あまり考えずに)出すことをしないうらなり。どこかで小林はうらなりにシンパシーを感じていたのだろうか。

この小説の中では明治・大正・昭和が一気に過ぎる。うらなりの後日譚として読み進めながらも時代の変容を少しずつ感じる。その中で生きていた人の心持も感じる。「坊っちゃん」の表面的な明るさはない。坊っちゃんややまあらしが拳で表そうとした怒りもない。控えめに生きてきた、でも何かを大事にしてきた男の気持ちがある。ラスト2行、私は不意を打たれ、少し涙。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著名な文学の愛すべき登場人物を主人公にした作品で、文学賞を受賞したというので読んでみたが、どうということもない読後感である。原作は誰もが知っているので最初から登場人物はつかめる。あの本を異なる切り口から解いてみたらたらこうなる、という一つの例といえる。ほかの登場人物、例えば赤シャツや堀田の視点から語らせることもできよう。
昭和9年から振り返るという発想は面白い。五十台後半らしいうらなりは肝硬変で先行き長くないことが暗示されているが、堀田は戦後何歳まで生きたのだろうか、とか想像するのも楽しい。
赤シャツらが制裁を加えられる原作の結末は、昔読んだときはただ痛快と思っただけだが、考えてみれば今なら暴行傷害で刑事事件になっているところだ。維新からまだ三十数年の頃だから武家の空気がまだ残っていたのか。
ただ、新しい解釈とか驚愕の裏話があったとかの新鮮な感動はない。あくまでも地味で小心なうらなりの後半生という本である。
2006年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和初期の設定で、“山嵐”と“うらなり”が銀座で会うところから話が始まる。

静かな少し物悲しい筆使いで“うらなり”が語る。

しかも山嵐のイメージは壊さない。その他の「坊ちゃん」の登場人物の印象はそのまま残る。しかし雰囲気は筆者のものである。昭和一桁の雰囲気、飛躍すれば、向田邦子の世界である。

読み始めたときは、これは私小説か?とさえ思える語り手への思い入れがある。

そのうちくだけてきて、やや明るくテンポも速くなる。

評者が特に身につまされたのは、延岡から姫路に転居してからの、主人公の身の回りである。

いろいろの女性との見合い、マドンナとの神戸での意味不明でありながら、有意義であった会見。昭和初期情緒たっぷりである。(評者は昭和5年生まれ)

結婚のいきさつ、妻と母との関係、さりげなく書かれた、インフルエンザでの妻の死、そして山嵐とのステーションホテルでの朝食。

漱石と“うらなり”を使った著者の世界が静かに広がる。

昭和一桁生まれにとっては、たまらない本ではなかろうか。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
漱石「坊っちゃん」の舞台の30年後の「うらなり」の回想談という形式で、「坊っちゃん」の再考察・解題を試みたもの。一見、痛快劇に見える「坊っちゃん」が、実は「明治の近代化がもたらした悲劇」を描いた作品である事は今では定説となった感があるが、初めて小説という形式でそれを表明した作品と言える。「うらなり」を視点の中心に置いている所に作者の鋭い観察眼がある。近代化という意味において、「おれ=敗者」、「赤シャツ=勝者」であり、「うらなり」は「おれ」にシンパシーを寄せる中庸の人物なのだから。

静謐感溢れる文体である。「うらなり」の"人となり"を反映したものとも言えるが、時流に乗れなかった弱者達への挽歌を想わせる。江戸気質を堅持する「おれ」と「うらなり」の悲哀が淡々と描かれている。改めて「坊っちゃん」が「江戸vs明治」の対立構図を描いた作品である事が伝わって来る。「山嵐」が会津出身なのは偶然ではあるまい。文章の途中に、外来カタカナ語や英語をワザと挿入しているのは、近代化の流れに上手く乗った「赤シャツ」達への皮肉でもあり、漢籍の教養を文章中に自在に取り入れた漱石へのオマージュでもあろう。それでいて、本作の時代設定である明治末期〜昭和初期の雰囲気も巧く醸し出されている。諦観に満ちた清々しい文章である。勝ち組の筈であった<マドンナ>のその後が描かれているのも可笑しさと哀れを感じさせる。

作品の意匠・モチーフは異なるが、「ビートルズの優しい夜」を読んだ時と同種の印象を受けた。作者の真摯で心暖まる姿勢と練達した文章、漱石への敬愛の念がヒシヒシと感じられる秀作だと思う。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 「うらなり」は周知の通り夏目漱石の「坊っちゃん」に出て来る冴えない英語教師に坊っちゃんが付けたあだ名だ。彼の婚約者マドンナの横取りを狙う教頭「赤シャツ」によって日向の延岡に飛ばされてしまう。
 「坊っちゃん」では影の薄い「うらなり」を主人公として、その視点で「坊っちゃん」の筋立てを描くと、全く違う小説になることを実証したのが本書の前半だ。後半は「坊っちゃん」からは消えた「うらなり」の後日談である。坊っちゃんの名前が原作には書いてないから、彼の名前を「うらなり」は思い出せなかったことにしている。「うらなり」は東京でかっての同僚の数学教師「山嵐」に会い、当時のことを語る。すっかりおばさんになったマドンナにも会う。
 なぜ本書を書くに至ったかの筆者の想いは「創作ノート」に詳しい。
 まず驚くのは舞台となった昭和9年前後の時代考証への執心と正確さである。昭和7年生まれという筆者の年代だけでなく、徹底した調査が光る。プロットが面白く、気のせいか瀟洒な文体まで漱石風だ。但し「坊っちゃん」を読み直してから本書を読んだ方がよい。とにかく楽しめる本だ。 
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1時間程度で読めました。主人公「うらなり」の心の葛藤も薄く、左遷後の彼の人生も意外に単調で深みが無く、読者がこの「うらなり」に感情移入することは難しいと思います。途中出てきます「マドンナ」のその後の方が余程その背後にドラマチックな人生を感じさせます。皮肉ですがそのマドンナとの再会の場面にはあまり重きが置かれておらず、太くなり荒れたマドンナの指先で彼女の現状と時の経過を語らせたあたりは少々陳腐ではないでしょうか。ただし、彼女に必ずしも幸福な結婚をさせなかったところが小林氏の優しさであるととることもできると思いまし、こうした設定自体は読者を裏切ってはいないと思います。全体的にみて『坊っちゃん』からの引用が多く、坊っちゃんの「ダイジェスト版」+αという感じの作品に仕上がっています。10人作家がいれば10人の「うらなり」が書けたはずですが、「うらなり」は意外に『坊っちゃん』後の展開が容易に想像できてしまう人物であり、漱石が『坊っちゃん』で彼に関して多く語らなかったのはある意味必然だったのかもしれません。

最後に「創作ノート」がついていますが、私はこちらの方が作品自体よりも面白く読めました。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年10月5日に日本でレビュー済み
 漱石の作品は中高生の頃いくつか読んだのですが、「坊ちゃん」は自分にとってはあまりしっくりくる作品ではありませんでした。でも同業に就いてから「坊ちゃん」を読み返すと明治も昭和・平成も学校(人間の関係)って変わんないんだな、とつくづく身につまされる面白い内容でした。 二言目には「先生方を守るため」と繰り返しのたまう保身しか眼中にない管理職や、人(生徒や教員)を見抜かなければいけない業界なのにまるで目が節穴の管理職や教員が結構いたりして・・・・・・(そうでない教員もいっぱいいるんですよ)。
 また坊ちゃんタイプの教員もたまにいたりして、いけしゃあしゃあと“正義”とか口に出したりするわけで・・・・・。きょうび、少年漫画だって単純な善悪の対立を描いたものなんかお目にかかれないし、少し気の利いた奴なら小学生だって“正義”なんて言葉は口に出さないわけで・・・・・・。恥ずかしいからね。当たり前のことだけど、時代・地域・立場・その他もろもろの状況で正義の意味合いはかなり変わってくるわけで、たとえば、“テロとの戦い”と称して無人機で誤爆して民間人を多数殺してしまうのが“正義”と言われた日にゃ「何をかいわんや」、ですよね(尊い犠牲とか言って誤魔化しちゃうんだろな、多分)。
 この業界に長くいて、自分が「うらなり」に近い思考や立ち位置になった(「うらなり」ほどかっこよくはないのですが・・・)ためと思われますが、この作品はとても感動したし、同業者(以外でも)にぜひ読んでほしいと思ったわけです。とても深い作品です。漱石が「則天去私」の境地に辿りついたように、小林先生も深い境地に達したからこそ書けた内容だと思います。
 
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年1月11日に日本でレビュー済み
単行本も読みましたが、文庫も読みました。
幸福な時間を過ごせました。
漱石の作中人物・うらなり先生の視点から書くという
天才の発想としかおもえません。
今度は「我輩は猫である」をクシャミ先生の視点から書いてほしいです。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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