その日、物語の語り手たる「僕」は現出する。「僕」は人の顔を識別することができない。しかし、色と音と温度で人や世界を捉える能力の持ち主である。
「僕」と導かれるようにして出会った青年ウナ、そして傷ついた女性カネコ。導かれし3人は夏休みの冒険と称して、海を目指して出発する。
道中で出会うのは、賑やかな3人組の子供、ユーモラスなおじさん、弁天様に呪われたというカップル、綺麗な中国人姉妹、委員会と名乗る学生軍団・・
珍妙だか愉快なメンバーたちが、導かれし3人の夏休みの冒険に加入する。
東京の地理を精緻に描写しつつも、その一方で柔らかいタッチによってメンバーたちの温かい掛け合いが描かれていく。それによって、高度に機械化された大都市である東京が、癒しの幻想空間という新たな一面を魅せる。
この物語にあるのは、人の優しさや頼もしさ、温かさや誠実さ。特異なバックグラウンドを持つ登場人物たちが魅せるライトサイドは、我々を癒しの幻想空間としての東京へ招待し、導かれし彼ら彼女らと共に冒険しているかのように錯覚させる。その冒険は「僕」やカネコを癒し、新たな人生の始まりさえ予感させる。
海への冒険を通じて人間のライトサイドを描いた、癒しのロードノベル。
まさに称えるに値する一冊だと思ったニャ。
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サマーバケーションEP 単行本 – 2007/3/15
古川 日出男
(著)
生まれつき他人の顔を憶えられない青年が、神田川の源流から河口までを歩く――偶然出会った人々と連れだちながら。うつくしい夏の物語
- 本の長さ335ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2007/3/15
- ISBN-104163257209
- ISBN-13978-4163257204
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2007/3/15)
- 発売日 : 2007/3/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 335ページ
- ISBN-10 : 4163257209
- ISBN-13 : 978-4163257204
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,370,916位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 32,103位日本文学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年11月7日に日本でレビュー済み
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2009年3月30日に日本でレビュー済み
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古川日出男さんはベルカ、LOVEとこの3作品を読みました。普段小説は読まないのですが、アジカン後藤氏の影響で手に取ってみました。
読んだ3作品の中で、このサマーバケーションEPが一番好きです。
平坦な言葉で綴られますが、その空気感が好きです。
一度で良いから、登場人物の真似をしてプチ冒険してみようかなぁ、と思いました。
読んだ3作品の中で、このサマーバケーションEPが一番好きです。
平坦な言葉で綴られますが、その空気感が好きです。
一度で良いから、登場人物の真似をしてプチ冒険してみようかなぁ、と思いました。
2012年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハンディキャップがある主人公の目線で書かれているので、僕にとっては申し訳ないが回りくどくて面倒な表現が多く、この世界には入り込めませんでした。
2013年9月27日に日本でレビュー済み
春休みよりも冬休みよりも、身体性は夏休みと仲がいいと思います。身体性と夏休みが仲良く肩を組んで赤羽で飲み歩いている姿をよく見かけたりもんです。この間九十九里に行ったときは、ビキニを着た若い女の子の肉体に圧倒されました。なんというか、むき出しの身体性。思わず、西東三鬼の「恐るべき君等の乳房夏来る」の句が浮かびます。その身体性は圧倒的だったのだけれど、不思議にエロティックじゃなかった、おじさんは、君たちの若さはすでに異物としてしか感じられないんだよ、そう思うと少し哀しくもなりましたが、よろしく哀愁。
また、夏の持つ身体性は露出度の高さだけじゃありません。
夏は身体を用いたアクティヴィティと仲がいいんです。冬や春よりも、実際に身体を使って何かをやろうと(本当はやらないにしても、だ)思わせる、そんな季節です。
そしてこの高い気温は人の体臭を誘います。
「いまは夏です。とても暑い、夏です。けれども僕にはぴったりです。暑いと、人の匂いがわかるからです。体臭は一人ひとりちがいます。だから僕は、そういう匂いで、助けられます。夏に助けられます。
夏が僕を助けるんです。匂いをいっぱいにして」
主人公は生まれつき人の顔を認識することができません。概念として口が一つ、鼻が一つ、目が二つなどはわかるけれど、そうした数の概念では個体を識別することはできない。だって、パーツの数で言えばぼくは麻生久美子と一緒なわけで、それは顔としての情報としては失格なわけです。
主人公はその日初めて「ホーム」から自由行動を許されます。彼にとって初めての自由行動は冒険です。つまり、夏のある日、彼は冒険に出かけるわけです。
そこで訪れた井の頭公園。主人公はその池が神田川を経由して、隅田川となり海につながっていることを知ります。
たまたま知り合った永遠の夏休みに憧れるウナさん、自殺したカネコさん、弁天池でボートに乗ったので呪いがかかってしまった、なんでボートになんか乗ったんだよと騒ぐイギリス人とそんなの知らなかったんだもんと応じないへそ出しルックの日本人女性のカップル、彼らと冒険を共有しに、井の頭公園から海まで歩こうと。そんなふうに、夏の旅が始まります。
変な話でしょ。でも、ぼくはわかる。川があって、それが海に続いていたら、海に行きたくなるでしょ? ならない? なるって。だって、川だよ。で、それが海につながってるんだよ。ほら、行きたくなったでしょ? 歩いてでも自転車でもいいけれど、自分の脚で行きたくなるでしょ。で、そんな風に海に行きたくなる季節を人びとは夏と名づけたんです。一年の内で一番暑い季節を夏と呼ぶんじゃないんです。本末転倒なんです。自分の脚で旅に出たくなる季節、それが夏なんです。たまたまそれが暑かっただけなんです。言ってることのほぼすべてがむちゃくちゃであることを自覚しつつ、話を進めます。
あ、あと経験則で言うと、井の頭公園の池でボートを漕ぐと別れるという伝説は本当です。というか、ぼくの経験では、ボートを漕がなくてもいずれ別れるという、諸行無常の響きが結構なビートで刻まれています。
さて、ここからはこの旅の醍醐味、川と電車と地形とが出現してきます。
「かわりに、川が沈んだわけだ」とウナさんは言います。
「そうか」とカネコさんが答えます。「そうとも言えるね。レールが地面とおんなじ高さになって、神田川のほうは、こんなふうに何メートルも、あたしたちのいる地面より、下、流れるようになって」
「うん、下な」とウナさんが応じます。「沈んでね。もう、どんどん地形が変わる。地形、だよね?」
GAKKENから出版された「JR東日本全線鉄道地図帳」というDVD付きMOOKがあるんですけれど、川と鉄道と地形の高低差ってものすごく面白いんです。とりあえず、ぼくの持っているのは第1巻の「東京編」なんですが、線路って川と一緒なんだな、と実感します。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」では川は龍(=翁=童子)として表されていました。巣鴨の江戸橋から下を走る電車を見ていると、まさに鉄道は川であり、そこをうねりながら猛スピードで走ってくる電車は現代の龍のように見えます。そんな実感はこの本にもあって、
「―――線路は電車の川だなあって思います。僕たち、いろんな線路を見てきたんです、ここまで。いろんな電車が通過するのも。だから、これも神田川に交差したり並行したりする、いろんな川の一つだって僕は感じるんです」
途中、さまざまな出会いと別れを経て、主人公とウナさん、カネコさんは進んでいきます。そして夏の一瞬が永遠と化すんです。
「時間が氾濫しているのがわかります。
時間があふれて、永遠なのがわかります。
それが僕たちの夏休みなのがわかります」
時間は永遠ではありません。そんなことは誰もが知っています。だけれど、永遠に残る時間というものは確かにあります。そしてそういう時間を持っている人を幸せな人と呼ぶんです。お金じゃありません、地位でもありません。もちろん、お金があっても、地位が高くても構いません。問題はそういうことではなくて、永遠の時間と呼べるものをあなたは経験したことがあるか、ということです。主人公たちの旅は小さな旅です。東京から一歩も外に出ていません。だけれど、その旅で彼らは永遠の時間を一つ手に入れました。
そんな素敵なサマーヴァケーション。2013年夏、ぼくのサマーブックです。
また、夏の持つ身体性は露出度の高さだけじゃありません。
夏は身体を用いたアクティヴィティと仲がいいんです。冬や春よりも、実際に身体を使って何かをやろうと(本当はやらないにしても、だ)思わせる、そんな季節です。
そしてこの高い気温は人の体臭を誘います。
「いまは夏です。とても暑い、夏です。けれども僕にはぴったりです。暑いと、人の匂いがわかるからです。体臭は一人ひとりちがいます。だから僕は、そういう匂いで、助けられます。夏に助けられます。
夏が僕を助けるんです。匂いをいっぱいにして」
主人公は生まれつき人の顔を認識することができません。概念として口が一つ、鼻が一つ、目が二つなどはわかるけれど、そうした数の概念では個体を識別することはできない。だって、パーツの数で言えばぼくは麻生久美子と一緒なわけで、それは顔としての情報としては失格なわけです。
主人公はその日初めて「ホーム」から自由行動を許されます。彼にとって初めての自由行動は冒険です。つまり、夏のある日、彼は冒険に出かけるわけです。
そこで訪れた井の頭公園。主人公はその池が神田川を経由して、隅田川となり海につながっていることを知ります。
たまたま知り合った永遠の夏休みに憧れるウナさん、自殺したカネコさん、弁天池でボートに乗ったので呪いがかかってしまった、なんでボートになんか乗ったんだよと騒ぐイギリス人とそんなの知らなかったんだもんと応じないへそ出しルックの日本人女性のカップル、彼らと冒険を共有しに、井の頭公園から海まで歩こうと。そんなふうに、夏の旅が始まります。
変な話でしょ。でも、ぼくはわかる。川があって、それが海に続いていたら、海に行きたくなるでしょ? ならない? なるって。だって、川だよ。で、それが海につながってるんだよ。ほら、行きたくなったでしょ? 歩いてでも自転車でもいいけれど、自分の脚で行きたくなるでしょ。で、そんな風に海に行きたくなる季節を人びとは夏と名づけたんです。一年の内で一番暑い季節を夏と呼ぶんじゃないんです。本末転倒なんです。自分の脚で旅に出たくなる季節、それが夏なんです。たまたまそれが暑かっただけなんです。言ってることのほぼすべてがむちゃくちゃであることを自覚しつつ、話を進めます。
あ、あと経験則で言うと、井の頭公園の池でボートを漕ぐと別れるという伝説は本当です。というか、ぼくの経験では、ボートを漕がなくてもいずれ別れるという、諸行無常の響きが結構なビートで刻まれています。
さて、ここからはこの旅の醍醐味、川と電車と地形とが出現してきます。
「かわりに、川が沈んだわけだ」とウナさんは言います。
「そうか」とカネコさんが答えます。「そうとも言えるね。レールが地面とおんなじ高さになって、神田川のほうは、こんなふうに何メートルも、あたしたちのいる地面より、下、流れるようになって」
「うん、下な」とウナさんが応じます。「沈んでね。もう、どんどん地形が変わる。地形、だよね?」
GAKKENから出版された「JR東日本全線鉄道地図帳」というDVD付きMOOKがあるんですけれど、川と鉄道と地形の高低差ってものすごく面白いんです。とりあえず、ぼくの持っているのは第1巻の「東京編」なんですが、線路って川と一緒なんだな、と実感します。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」では川は龍(=翁=童子)として表されていました。巣鴨の江戸橋から下を走る電車を見ていると、まさに鉄道は川であり、そこをうねりながら猛スピードで走ってくる電車は現代の龍のように見えます。そんな実感はこの本にもあって、
「―――線路は電車の川だなあって思います。僕たち、いろんな線路を見てきたんです、ここまで。いろんな電車が通過するのも。だから、これも神田川に交差したり並行したりする、いろんな川の一つだって僕は感じるんです」
途中、さまざまな出会いと別れを経て、主人公とウナさん、カネコさんは進んでいきます。そして夏の一瞬が永遠と化すんです。
「時間が氾濫しているのがわかります。
時間があふれて、永遠なのがわかります。
それが僕たちの夏休みなのがわかります」
時間は永遠ではありません。そんなことは誰もが知っています。だけれど、永遠に残る時間というものは確かにあります。そしてそういう時間を持っている人を幸せな人と呼ぶんです。お金じゃありません、地位でもありません。もちろん、お金があっても、地位が高くても構いません。問題はそういうことではなくて、永遠の時間と呼べるものをあなたは経験したことがあるか、ということです。主人公たちの旅は小さな旅です。東京から一歩も外に出ていません。だけれど、その旅で彼らは永遠の時間を一つ手に入れました。
そんな素敵なサマーヴァケーション。2013年夏、ぼくのサマーブックです。
2007年4月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読むのが楽しくて、それでも読み終わってしまうのがもったいないような気持ちになったのは久しぶりです。自分の良く見知った場所ばかりで、情景が浮かびやすいというのもあったかもしれません。それにしても、どうして人はこんなにも水辺に引きつけられるのでしょうか。夏の陽を受けて、ゆっくりと流れる神田川を一緒に眺めて、また商店街や川縁を自転車で疾走するその風を一緒に感じて、いつまでもこんな夏休みを過ごしたいと思いました。
2007年11月21日に日本でレビュー済み
夏。井の頭公園の湧き水から、神田川へ。そして海までの冒険。
主人公の僕とウナさんの出会いは偶然。カネコさんが、加わる。
僕たちの冒険は、小さな水の流れが合わさるようにして始まった。
小さな流れが川になり、川が幾本も合流したり、また分岐したりするように、
僕たちは、出会う人たちが海までの冒険に加わると言えば行動をともにする。
イギリス人男性と日本人の女の子のカップルも、小学生の男子3人組も加わる。
離婚して息子に会わせてもらえない謎めいたおじさんも、中国人の双子の姉妹も加わる。
会話は、硬質な感じで、僕という人のある特性から、ぎこちないくらいの単語が
並んだりする。それでも、独特のリズムで人とコミュニケーションするようすが、
実に印象的。僕といっしょに歩く人たちは、するりと僕を受けいれる。
劇的なことはなにも起こらない。けれど、神田川から隅田川へ。そして海へ、と
知らない者どうしがひとつの川のようになって歩いている、そのこと自体が
ほとんど奇跡のようなできごとだと思える。
途中で、別れていく人たちもいた。自分の冒険はここまでと、区切りをつけて。
おもしろい中学生グループと助け合う一幕もあった。
謎めいたおじさんが、とてもいいタイミングでみんなをバックアップしたり、
イギリス人といっしょにいた女の子が、「絶対に忘れない」と書き残して
くれたり……。
偶然の出会いが、すべてつながっていく不思議。人と人は、こんなにも
受けいれられる懐があるのだと、あたたかな気持ちにさせられた。
忘れられない夏の冒険。読んでいる間じゅう、登場人物たちのピュアな
心の動きに魅了され、愉しい時間を過ごした。
主人公の僕とウナさんの出会いは偶然。カネコさんが、加わる。
僕たちの冒険は、小さな水の流れが合わさるようにして始まった。
小さな流れが川になり、川が幾本も合流したり、また分岐したりするように、
僕たちは、出会う人たちが海までの冒険に加わると言えば行動をともにする。
イギリス人男性と日本人の女の子のカップルも、小学生の男子3人組も加わる。
離婚して息子に会わせてもらえない謎めいたおじさんも、中国人の双子の姉妹も加わる。
会話は、硬質な感じで、僕という人のある特性から、ぎこちないくらいの単語が
並んだりする。それでも、独特のリズムで人とコミュニケーションするようすが、
実に印象的。僕といっしょに歩く人たちは、するりと僕を受けいれる。
劇的なことはなにも起こらない。けれど、神田川から隅田川へ。そして海へ、と
知らない者どうしがひとつの川のようになって歩いている、そのこと自体が
ほとんど奇跡のようなできごとだと思える。
途中で、別れていく人たちもいた。自分の冒険はここまでと、区切りをつけて。
おもしろい中学生グループと助け合う一幕もあった。
謎めいたおじさんが、とてもいいタイミングでみんなをバックアップしたり、
イギリス人といっしょにいた女の子が、「絶対に忘れない」と書き残して
くれたり……。
偶然の出会いが、すべてつながっていく不思議。人と人は、こんなにも
受けいれられる懐があるのだと、あたたかな気持ちにさせられた。
忘れられない夏の冒険。読んでいる間じゅう、登場人物たちのピュアな
心の動きに魅了され、愉しい時間を過ごした。
2009年12月6日に日本でレビュー済み
井の頭公園で少年が出会った人たちと神田川をたどり、隅田川まで歩いていくという小説。あら筋だけみれば、なんて単純な話、と思うけど、そこは古川日出男らしく、ポップな文体で、彼独特のリズム感で、とっても気持ちがよくなる小説だ。
彼の文章って不思議なトリップ感があって、慣れないと辛いけど、読んでいくうちに、どんどん惹きこまれていく。
彼とは同じ年、しかも大学も一緒。神田川を下る途中でで出てくる高田馬場や飯田橋のあたりは、自分も学生時代に歩いていた。当時は、別に神田川を意識したことはなかったが、この小説で出てくる馬場のさかえ通りの喧騒や椿山荘の近くの江戸川公園の当たりの描写を読むと、当時の思い出が甦ってくる。なんかとっても懐かしかった。
彼の文章って不思議なトリップ感があって、慣れないと辛いけど、読んでいくうちに、どんどん惹きこまれていく。
彼とは同じ年、しかも大学も一緒。神田川を下る途中でで出てくる高田馬場や飯田橋のあたりは、自分も学生時代に歩いていた。当時は、別に神田川を意識したことはなかったが、この小説で出てくる馬場のさかえ通りの喧騒や椿山荘の近くの江戸川公園の当たりの描写を読むと、当時の思い出が甦ってくる。なんかとっても懐かしかった。
2018年7月30日に日本でレビュー済み
言葉遣いだけは現代風の登場人物たちの内面や葛藤はあえて描かず、
最後までですます調でさらさらと流れていく文章が、ファンタジー
ぽくていいという読者もいるだろうが、私は物足りないと感じた。
少なくとも、カネコさんは登場時はけっこう深刻な状況だったはず
なのに、その後の言動はけろっとし過ぎているようだし、神田川の
遠足で癒されたとかいうのは、少し都合が良過ぎるようにも思える。
最後までですます調でさらさらと流れていく文章が、ファンタジー
ぽくていいという読者もいるだろうが、私は物足りないと感じた。
少なくとも、カネコさんは登場時はけっこう深刻な状況だったはず
なのに、その後の言動はけろっとし過ぎているようだし、神田川の
遠足で癒されたとかいうのは、少し都合が良過ぎるようにも思える。