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日と月と刀 上 単行本 – 2008/4/14
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- 本の長さ514ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/4/14
- ISBN-104163268901
- ISBN-13978-4163268903
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2008/4/14)
- 発売日 : 2008/4/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 514ページ
- ISBN-10 : 4163268901
- ISBN-13 : 978-4163268903
- Amazon 売れ筋ランキング: - 678,471位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 15,620位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
1943 年 12 月 23 日生まれ。長野県飯山市出身
1964 年 国立仙台電波高等学校(現在の国立仙台電波工業高等専門学校の前身)を卒業後、
東京の商社に勤務
1966 年「夏の流れ」第 23 回文学界新人賞受賞
1967 年「夏の流れ」第 56 回芥川賞受賞
1968 年 長野県へ移住
1973 年「雨のドラゴン」第 9 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退
1976 年「火山の歌」第 12 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退
1987 年「月に泣く」第 14 回川端康成文学賞候補作となるが辞退
長野県に移住後、文壇とは一線を画した独自の創作活動を続ける。長編小説のほか、メッセ
ージ性の高いエッセイや写真と散文による写文集などを刊行。著書多数。
最新刊として、2011 年 2 月エッセイ『さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない』(求
龍堂)、2011 年3月写文集『草情花伝』(駿河台出版社)、2011 年 4 月小説『眠れ、悪し
き子よ』(上下巻/文藝春秋)を近年の集大成として 3 冊連続刊行。
2011 年 4 月 28 日から公式サイト「WEB 丸山健二」で Twitter(毎日更新)とブログ(週 1 回
更新)で強烈なメッセージを送り続けている。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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丸山健二というひとりの人間が、文學にいのちを賭けて執筆してきた集大成といえるだろう。
◇
本作は『オデュッセイア』であり『オイディプス王』であり『白鯨』であり丸山健二の人生そのものだ。
主人公無名丸が日本各地を羈旅して、摩訶不思議なる体験をするのは『オデュッセイア』的である。
其処に、無名丸の出生の秘密がからまってくるところは、無論、『オイディプス王』を髣髴させる。
上記の放浪譚と、将軍や真実の父親をめぐるたたかいを俯瞰すれば、丸山健二の愛読書である『白鯨』とおなじ構造であることが浮彫になる。
最終的に、窮極の絵画をものにして人生を終焉させんとする無名丸のすがたは、丸山健二自身の人生にかさねられるであろう。
◇
本作は、現代文學や近代文學といった範疇では峻別できない領域に突入している。
つまり、丸山健二は本作において、平家物語を劈頭とする古典の魂魄を、現代文學へと輪廻させんとしているのである。
わかりやすいのが、視点の混在だ。
小説の入門書を漁労すると、かならずといってよいほど、『三人称では無闇に視点を変更してはならない』と注意されている。
翩翻として、本作で丸山健二は、一段落に平気でふたり三人の視点を攪拌させているのだ。
そもそも、『三人称で、視点をひとりにしぼらなければならない』という作劇法は、西洋の一神教の文化圏において確立せしめられたものとおもわれる。
ダヴィンチの「最後の晩餐」が、基督を消失点とした一点透視図法でえがかれているのを髣髴すれば、わかりやすいだろう。
翩翻として、一神教文化の根付いていなかった中世日本の古典には、一点透視図法的な視点の統一は存在しなかった。
ただ単純に、明治維新で時代が劃され、西洋の作劇法が伝播されたために、『三人称では視点がぶれてはならない』という、宗教的ドグマが生まれたにすぎない。
畢竟、丸山健二は本作をもって、あえて現代的なドラマツルギーを抛擲することで、不滅の古典たちを宿敵とする挑戦をえらんだのである。
諸説あるが、近代以前には、大衆文學と純文學という区別はなかった。
ゆえに、本作は、『なぜ純文學に拘泥していた丸山健二が、大衆文學を執筆したのか』とおもわれるかもしれないが、丸山健二は此処において、『大衆文學も純文學も関係ない領域まで遡及せん』としているのである。
実際に、本作の質的な成功を瞥見すると、丸山健二はエンターテインメント作家になるべきだったとすらおもえる。
丸山健二がミステリーやSFや幻想文學を執筆していたら、丸山氏の文學的人生は、人類史上稀有なほどに豊饒になっていたのではないかとすら妄想してしまう。
前述のとおり、それこそが、『文學』の本来あるべきすがただったからだ。
◇
唯一、残念だったのは、ラストのアクションがすこしよわかったことである。
この一点のみにおいて、本作は『争いの樹の下で』を凌駕できなかったともいえる。
が、前述のとおり、本作は、古典、現代文を包裹して、日本文學史上最高峰のひとつとしてかぞえられるべきであろう。
同時に、これが丸山健二のいうところの『真の文學のはじまり』にすぎないのかもしれない。
本作が、おおくの天才的なアマチュア作家たちの作品のように、文學史上の闇から闇へと葬られるのは、あまりにも惜しい。
丸山文學のほとんどは、現在、絶版のようだが、本作をふくめ、幾許かの傑作群は、有志によって、後年につたえられるべきだし、『白鯨』のように、百年後、二百年後に読みつがれるべきかとおもわれる。
そうすれば、本作は日本文學の範疇を超越し、世界文學のひとつとなるだろう。
数ページめくれば物語の中に引きずり込まれ、
気付いてみれば癖になっている、
とにかく力強く、壮絶極まる物語。
長編ながら息つく暇が無く、映画を見ているかの
ような臨場感であっという間に読み切って
しまった。
日本文学とは、かくも美しく繊細で味わい深いことを
再認識した。
鍛冶場で元服を済ませるところまでは流れがいいのですが、そこからの
飄々とした旅路は、場面のめくるめく展開振りは著者ならではで
素敵なのですが、10年前の作品群と比べると、何か物足りない感じが
します。上巻の最後には将軍との出会いそして刀を巡る攻防戦が
あり、ここの緊迫感は秀逸ですが、その間はかなり苦しいです。
丸山健二が歴史小説というと、古いファンにはこれまたらしくない印象があったが、実在の人物を描くのではなく、作者不詳となっている「日月山水図屏風」の成立を架空の人物・無名丸に託して書き綴ったのが本作。
この作家に特にいえることだと思うが、とにかく陰気臭くない。サッパリした文体はもちろん、青春だのブンガクだのうすっぺらな価値観とは無縁。それでいて底抜けな明るさや希望を感じさせてくれる。ユーモアにも嫌みがなくて素晴らしい。
本作が「千日の瑠璃」同様、丸山健二の代表作となるのは間違いないだろう。
何より楽しんで書いていた様子が読んでいても伝わってくるのだ。
ブンガクよりもマンガの方がはるかにまともな作家を集めている今の現状で、丸山健二の存在は両者にとって刺激となるだろう。
これを漫画化できるとしたら、花輪和一氏しか、今のところは思い付かない。
しかし、なぜかそのままにすることもできず、いつのまにか途中のページから、また読み出
し、一旦読み出すとその面白さをたちまち知り、もはや手放すこともできず、日常の些事に
読書を中断されることに怒りさえ覚える心境になり、何事も手につかず、ひたすら終章まで
読み進むことのほかは望まなくなり、そのくせ終わりが近づくと今までの物語の終焉が来る
ことに寂しさを憶える。
そんな本です。 誰か漫画化してくれないかな。 映画やドラマにはしないで欲しいけど。
室町時代、賊に連れ去られた挙句投棄されて首の折れた女から産み落とされた薬王寺無明丸。絢爛たる歴史絵巻のごとく語られる重厚かつ渾身の復讐譚は従来の「時代小説」の枠を軽々と飛び越えており、むしろ芸術の域に達していると言うべきだろう。
しかしやや難易度が高めの漢語なども多用されているため、村上春樹程度の作品で満足しているライトな文学ファンには絶対にお勧めしない。この作品を読み解くにはまず一定の教養を身につけなければならない。そうすることによって初めて、この作品の場面場面が極めて高解像度の映像となって読者の脳裏に刻まれる。
丸山健二でしか成し得なかった日本文学の一大記念碑。実にお見事というしかない出来栄え。日本語の「美」を実に遺憾なく証明してくれる逸品。