妄想なのか、現実なのか、信頼できない語り手によるジェットコースターな物語です。
残念ながら、最後のほうは展開が唐突になってきたようですが、なかなか面白く読ませていただきました。
この手の作品は、語られない部分を読み解くことを要求されるので、すべてを説明してくれることを求める人には不評かもしれません。しかし、語られないことを想像しながら読み進めて、(大抵は)最後にその想像を裏切られる驚きに読書の喜びを見出す人にはお勧めできます。
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バッド・モンキーズ 単行本 – 2009/10/12
自分は悪を倒す秘密組織の殺し屋だ――殺人犯が語る奇怪な活劇譚。妄想か現実か? 深まる謎が臨界に達した時、衝撃的な真相が
- 本の長さ310ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2009/10/12
- ISBN-104163286209
- ISBN-13978-4163286204
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2009/10/12)
- 発売日 : 2009/10/12
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 310ページ
- ISBN-10 : 4163286209
- ISBN-13 : 978-4163286204
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,062,352位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年11月22日に日本でレビュー済み
そんなに他人を全面的に信頼するわけなんかなくって、口じゃそう言ってるけどほんとは違うこと考えてるんじゃないか、とか、普段他人と接しているとき、いろいろ思うことあるんじゃないか、と思う。
でも、なぜか、小説を読むときは語り手の言う事を全面的に信用してしまう。
現実の他人には真意を問うのに、なぜ小説の語り手は疑わない? もしかしたら、前未来形で自分を語っているのかもしれないじゃない? 語ることによって、自分をそう思ってもらいたいという欲望に基いて物語を語っているかもしれない。語りは、いつの間にか騙りへと変貌し、文学空間とはすなわち騙りの地平に広がっていく曖昧模糊にしていくつもの内側へ折り重なる襞によって形作られるのかもしれない。
たとえば田山花袋の「蒲団」は、確かにいやらしい自己意識が解剖学的に語られているけれど、あれがすべてだったかどうか、誰にも断言できない。もっと卑劣なことを考えたり、もっとスケベなことを蒲団にしたことを隠蔽するために書かれたという見方を誰が否定できるだろう(この場合、田山花袋が考えたこと、したことではなく、あくまで「蒲団」の語り手のこと)。
書かれたことが読者に与えられたすべてであるにも関わらず、それが何かを隠蔽するために書かれたテクストであるかもしれない疑いを私たちはぬぐい去ることができない。
小説を読むときに語り手を疑う。これは小説の楽しみ方の一つとして重要なんじゃないか、と思う。
たとえば「そんな風にして私は殺されました」という文。もちろん、コンテクストからレトリックとしての死が語られたんだと了解される場合もあるだろうけれど、どうやら、おいおい、この主人公、ほんとに死んじゃったみたいだよ、という場合、私たちはどうしたらいいのだろう。この主人公はどこから語りかけてきているのだろう(それを逆手に取って「うまい」小説を若くして書いたのが乙一。彼の「夏と花火と私の死体」は、しかし、あのジャンルだから許されている部分もあるんじゃないか)。
「オンリーワンで本当の私」なんてもんが気持ちの悪い妄想のように、「本当の語り手」など存在しない。小説とはすべて騙りの地平で編まれながら、良質なものは真正な力を持つ不思議な存在だと思う。
で、長々とマクラを振ってきて、この「バッドモンキーズ」。語られる内容はまるでパルプ・フィクションなんだけれど、そのパルプぶりが楽しい。インチキっぽい光線銃、悪と戦う秘密結社、斧を持って後部座席で控えていた助っ人(のようなもの)、どれも薄っぺらいパルプぶりで、その薄っぺらな活躍が楽しい。
そして、この小説の荒唐無稽さを支えているのが、語り手が信用できるのかできないのか、その判別を保留にしたまま語られる危うさにある。ものすごいバランスの上に成り立っている小説だと思う。そしてその心意気は、実はアニーという、いつもワケの分からない言葉を口走っている登場人物に現れている。この小説、ぼくが一番評価するのはアニーという登場人物を存在させたこと。アニーという存在は、まんま小説全体を象徴している。ワケの分からない言葉を口走っているアニー、頼りになって誠実なアニー、その二面性は語り手であり、人間そのものであり、この小説の枠組みそのものだって、そしてただのパルプ・フィクションじゃなくて、ちょいメタで異化作用のある作品なんだよ、という作者の「気づいてよ」サインのようにも思えた。
なかなか楽しめた作品。装丁も本文の紙質もパルプ・フィクションっぽくていい。
でも、なぜか、小説を読むときは語り手の言う事を全面的に信用してしまう。
現実の他人には真意を問うのに、なぜ小説の語り手は疑わない? もしかしたら、前未来形で自分を語っているのかもしれないじゃない? 語ることによって、自分をそう思ってもらいたいという欲望に基いて物語を語っているかもしれない。語りは、いつの間にか騙りへと変貌し、文学空間とはすなわち騙りの地平に広がっていく曖昧模糊にしていくつもの内側へ折り重なる襞によって形作られるのかもしれない。
たとえば田山花袋の「蒲団」は、確かにいやらしい自己意識が解剖学的に語られているけれど、あれがすべてだったかどうか、誰にも断言できない。もっと卑劣なことを考えたり、もっとスケベなことを蒲団にしたことを隠蔽するために書かれたという見方を誰が否定できるだろう(この場合、田山花袋が考えたこと、したことではなく、あくまで「蒲団」の語り手のこと)。
書かれたことが読者に与えられたすべてであるにも関わらず、それが何かを隠蔽するために書かれたテクストであるかもしれない疑いを私たちはぬぐい去ることができない。
小説を読むときに語り手を疑う。これは小説の楽しみ方の一つとして重要なんじゃないか、と思う。
たとえば「そんな風にして私は殺されました」という文。もちろん、コンテクストからレトリックとしての死が語られたんだと了解される場合もあるだろうけれど、どうやら、おいおい、この主人公、ほんとに死んじゃったみたいだよ、という場合、私たちはどうしたらいいのだろう。この主人公はどこから語りかけてきているのだろう(それを逆手に取って「うまい」小説を若くして書いたのが乙一。彼の「夏と花火と私の死体」は、しかし、あのジャンルだから許されている部分もあるんじゃないか)。
「オンリーワンで本当の私」なんてもんが気持ちの悪い妄想のように、「本当の語り手」など存在しない。小説とはすべて騙りの地平で編まれながら、良質なものは真正な力を持つ不思議な存在だと思う。
で、長々とマクラを振ってきて、この「バッドモンキーズ」。語られる内容はまるでパルプ・フィクションなんだけれど、そのパルプぶりが楽しい。インチキっぽい光線銃、悪と戦う秘密結社、斧を持って後部座席で控えていた助っ人(のようなもの)、どれも薄っぺらいパルプぶりで、その薄っぺらな活躍が楽しい。
そして、この小説の荒唐無稽さを支えているのが、語り手が信用できるのかできないのか、その判別を保留にしたまま語られる危うさにある。ものすごいバランスの上に成り立っている小説だと思う。そしてその心意気は、実はアニーという、いつもワケの分からない言葉を口走っている登場人物に現れている。この小説、ぼくが一番評価するのはアニーという登場人物を存在させたこと。アニーという存在は、まんま小説全体を象徴している。ワケの分からない言葉を口走っているアニー、頼りになって誠実なアニー、その二面性は語り手であり、人間そのものであり、この小説の枠組みそのものだって、そしてただのパルプ・フィクションじゃなくて、ちょいメタで異化作用のある作品なんだよ、という作者の「気づいてよ」サインのようにも思えた。
なかなか楽しめた作品。装丁も本文の紙質もパルプ・フィクションっぽくていい。
2010年1月13日に日本でレビュー済み
「このミステリがすごい!」海外部門4位ということで読みましたが、
いやすごい、面白かったです!
とくに「褒め言葉として、頭おかしい」作品が好きな方に強くお勧め。
あらすじは下の方が端的に書いてくださっているので書きませんが、
オリジナリティが強く、かと言ってけっして玄人オンリーって
わけでもなく(わりとすぐ読めますし)、
ミステリ読みにもSF読みにも広く喜んでもらえる傑作だと思います。
寺田克也氏の装画も、中身のドライブ感を明確に映し出していて、
読了後に読むとますますにやりとできるしかけ。大満足です。
いやすごい、面白かったです!
とくに「褒め言葉として、頭おかしい」作品が好きな方に強くお勧め。
あらすじは下の方が端的に書いてくださっているので書きませんが、
オリジナリティが強く、かと言ってけっして玄人オンリーって
わけでもなく(わりとすぐ読めますし)、
ミステリ読みにもSF読みにも広く喜んでもらえる傑作だと思います。
寺田克也氏の装画も、中身のドライブ感を明確に映し出していて、
読了後に読むとますますにやりとできるしかけ。大満足です。
2009年10月15日に日本でレビュー済み
陰謀論、妄想、都市伝説、中二病、信用できない語り手、の区別が全くつかない怪作。
陰謀論こそが真実、という『フーコーの振り子』や〈イルミナティ〉三部作が思い浮かぶ。圧倒的な情報量と勢いで説得力のある(説得されるかどうかは別)の上述二作に比べると、こちらはタランティーノ的ダベりというか、ひじょうにチープでコミック的。でも、そのチープさこそがひじょうに魅力的。クロスワードのキーが指示になってたり、後部座席に斧を持った男がうずくまっていたら喜ぶしかないでしょ!?
同時に、精神病的妄想を読んでるようでもあり、そこに不安を感じたりもする。
このコミック的展開と精神病的不安を両輪にラストまで突っ走り……何とも言えない非現実感。この手の小説であまり感じたことのない読後感だなぁ。
何はともあれ、ひじょうに楽しめました。あまりオススメしないけど(笑)
ちょっとダメージを受けやすい装丁(これもいい!)なんで、コレクターは新刊買いした方がいいかと。
陰謀論こそが真実、という『フーコーの振り子』や〈イルミナティ〉三部作が思い浮かぶ。圧倒的な情報量と勢いで説得力のある(説得されるかどうかは別)の上述二作に比べると、こちらはタランティーノ的ダベりというか、ひじょうにチープでコミック的。でも、そのチープさこそがひじょうに魅力的。クロスワードのキーが指示になってたり、後部座席に斧を持った男がうずくまっていたら喜ぶしかないでしょ!?
同時に、精神病的妄想を読んでるようでもあり、そこに不安を感じたりもする。
このコミック的展開と精神病的不安を両輪にラストまで突っ走り……何とも言えない非現実感。この手の小説であまり感じたことのない読後感だなぁ。
何はともあれ、ひじょうに楽しめました。あまりオススメしないけど(笑)
ちょっとダメージを受けやすい装丁(これもいい!)なんで、コレクターは新刊買いした方がいいかと。