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発売元 新風堂書店
コンディション: 中古商品: 良い
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母子寮前 ハードカバー – 2010/12/16

3.6 5つ星のうち3.6 18個の評価

ガンを告知された母との最後の1年間。病院との争い、異常な父との鬼気迫る確執。静けさの中から思いがあふれ出す、究極の私小説
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2010/12/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/12/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ハードカバー ‏ : ‎ 166ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4163298304
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163298306
  • カスタマーレビュー:
    3.6 5つ星のうち3.6 18個の評価

著者について

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小谷野 敦
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作家、比較文学者。1962年茨城県生まれ、埼玉県育ち。海城高校卒、東大文学部英文科卒、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学言語文化部講師、助教授(英語)、国際日本文化研究センター客員助教授、現在は文筆家。博士論文は『<男の恋>の文学史』、1999年『もてない男』がベストセラーに。2002年『聖母のいない国』でサントリー学芸賞。2011年『母子寮前』で芥川賞候補、2014年「ヌエのいた家」で同。

カスタマーレビュー

星5つ中3.6つ
5つのうち3.6つ
18グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年1月15日に日本でレビュー済み
本書は、比較文学を専門とし、

評論家としても活躍する著者による、中編小説です。

母の肺に影が見つかったことを、突如告げられた主人公と家族

その日から、母の死に至るまでの日々や心情を、

著者を思わせる主人公の視点から淡々と描きます。

病院の対応への不信や苛立ち

元気だった頃の母との思い出と、その病状を知ることへの恐怖

そして、癌になった母に暴言を浴びせる父と、彼に対する主人公の想い―

どの場面も痛切で印象深いのですが、とりわけ心に残ったのは

母が亡くなった後の、父に対する気持ちの変化です。

深い信頼で結ばれた母の死に直面した子の心情を赤裸々に記し、

身近な人との別離に思いを巡らせてくれる本書。

純文学や著者の作品が好きな方に限らず、

多くの方にオススメしたい著作です。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラノベ並みに読みやすく、それでいて比較にならぬほど複雑な事実を読者に伝えることのできる、見かけ以上に配慮の行き届いた文章だと思う。どうやら芥川賞の候補だったらしいが、このレベルの文章が書ける選考委員はいなかろうから、当然正しい評価もできまい。まあ落選でもいいんじゃないか?
介護の記録みたい、という人もいるが、こんなにコンパクトにたくさんの事実をまとめた介護記録なんてないでしょう。だからこれは藝として十分に成立していると思う。
ところで、私は実際に母を介護するうえで、行き詰まる危機を感じたからその手のものをたくさん読んだが、本として出ているものはどれもハッピーエンドかお涙頂戴に持ってゆくためのゆがみがあり、この作中に、死にゆく母と時間を共にする閉ざされた世界と仕事を順調にこなす通常の世界との対比が語られているが、その伝で言うなら、通常の世界にとどまっているくせに無理に感動的に仕上げてあると非難したくなる代物である。むろん向こう側に行ってしまったブログなどもあるが、惜しむらくはとても散漫だし、なおその世界なりのきれいごとが存在する。向こう側というのは、例えばこの作の母が、主人公に暴力をふるい、汚い言葉を投げつけ、殺意すら抱く世界である。そこに飛び込むことは、作者の仕事上無理なのだろうが(むろんこの病気だから最初から可能性はない、しかし父親の介護を引き受けたらあり得る)、通常の側からでも、歪みなく描いているのは貴重だ。小説の方が事実を正しく映すからよい、というのも変なほめ方だが、実際にそうなってしまっている。
星を一つ減じたのは、作者の評論における自分語りとあまり差が認めづらく、今回はたまたま両親の関係をネタに自分を語っている、という感じを受けてしまうから。もうちょっと小説らしさを出す工夫がありえたのかなと思う。それがどのようなものかはわからないが。
無責任な放言かな。でも本当のところ私は、小谷野氏が介護の挙句、精神崩壊して親を追い詰めてしまうような作品を読んでみたかったのだ。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まあ何にでも文句をつける主人公、いや著者か。
 本書はその「言いがかり」を「私小説風」に仕立てたもの。
 「ヌエのいた家」は著者の作だが、あまりに出来が悪く読み飛ばしたが、読ん
だ後しばらくは気分が悪いほどだった。それと似通う出来だろう。

 毒のある文章自体が悪いとは思わない。ただ意味なく毒を吐き続けることは、
読者に不快感を残すことでしかない。時折このような、自分を相手より上位にマ
ウントする目的か、人を挑発し神経を逆なでると自分が「より偉く」なり、文筆
家として成功したと思う手合いがいる。さて著者はどうだろう。

 最初から苛立ちが行間から立ち上ってくる文章。一つ一つ「事実」を提示して
いるように思わせるが、「事実」は実は著者が自分に都合の良いものを選んでい
る。「事実の選択」という形で著者が関わっているかぎり、それは「事実」とは
異なるものになる。著者は「私小説」の本道を歩んでいるつもりだろううが、そ
れは間違いだろう。

 途中で、他の私小説家の作品を批判する箇所がある。
 「(その作者の)母の死は…虚構だったのである。…私は髪の毛が逆立つほど
の怒りを覚えた。…いかにも事実そのままと見そうな文章の中で…虚構のあわい
を行く作家とはいえ、許しがたいことに感じたのである」。
 著者はフィクションとしての小説を認められないらしい。自分の「小説」を「事
実」に基づいて書こうが書くまいがそれは勝手。だが、「小説」にとって「事実
の重さ」などは付属的なもの。この著者の「虚構」に対する怒りが無気味でなら
ない。

 意味不明な「難癖」も多い。病院でのやり取りなど本人には大切だろうが、読
み手側では些末なこと。こんなことに目くじらを立ててどうするつもりなのか。
 余命の宣告について、一くさり自身の考えを作中に入れているが、著しく興趣
を削ぐ。

 あろうことか「病院内での喫煙」について、勝手な理屈をつけて「何とか病院
内での喫煙を認めろ」という趣旨の書き込みがあるが、どうかしている。「自由
に吸わせてくれ」という主張が通るなら、「副流煙を吸わない自由」もあるべき。
私もかつては喫煙者だったが、吸っている時に気にならなかった煙は酷く不快だ。
 著者は何やら「禁煙ファシズムと闘う会」(こんな名前だった「はず」)様の会
に賛同しているが、内容は稚拙な「我が儘」だろう。

 しかし「愚痴の止まらない」人である。常に他人の言葉を悪く解釈して愚痴を
こぼす。医師も、看護師も、同僚も、(指導をお願いした)教授も、同僚も、全
てが悪意を持って著者に対するらしい。非常に被害妄想的な心理状態であること
が見て取れる。

 登場する父親はかなり認知症の傾向がある。しかし著者には父親への優しさが
微塵もない。著者は学生時代のことをふり返ったりしているが、大人として父親
に接してはいない。庇護されるべき子どもとして自分を規定するが、いい年をし
てその学生時代から精神構造が変わっていない。

 全体を通して。
 最後の最後まで父と和解できぬ著者。はては父親を「ヌエ」とまで呼ぶ。
 両親の接着剤にもなれぬ子どもとは一体どのような存在か。子どものころの思
い出を「思い出し怒り」としてしか表出できぬその幼稚さ。
 なるほど、それで救いのない毒気を含んだ「小説」になるわけか。
 前半はかろうじて読んだが、後半はだれきった文章に我慢ができずに、斜め読
みした。著者の「ヌエのいた家」も駄作だったが、本作品も駄作だろう。

 ☆?。この「小説」に☆ですか。ないですね。
2014年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 私小説といってよいのでしょう。父親への憎悪と、それの反動とも言える母親への溺愛の記述はある面では見事ではあります。憎悪と溺愛の原因が描き切れているとは言えませんが、なんにしても父親を殺害しなかったのが、かえって不思議なくらいです。
 それに自分の履歴をからめて、物語を展開させていきますが、あちらこちらに様々な「不満」が書かれています。不満の羅列のような小説です。(この点は小谷野氏の評論における他人の学歴比較と御自分の処遇への文句の羅列に似ています。)

 理解出来ないのは、結婚相手となる女性の登場により、総ての不都合が主人公(筆者?)の中で解決されてしまうことです。その女性への無条件の礼讃とも言える記述は読んでいて不自然に感じてしまいます。(サマセット・モームの「人間の絆」の終盤の女性の登場の仕方もそうでした。英文学にも博学な小谷野氏はそれを意識したのでは?と失礼ながら勝手に憶測しています。)

 小谷野敦氏の評論活動に関しては、その視点の鋭さと、アクが強いとも言える個性的な文章展開を大いに認め、ある意味でその活動を賞讃しています。愛読者の一人です。特に私小説に関しての著述には、素晴らしいものがあり、田山花袋と中村光夫を論じた文章には心から感心しました。ひよっとして、中村光夫氏の跡を継ぐのは小谷野氏ではないかと思ったりもしました。

 中村氏の評論はそれなりに認めても、小説は評価しなかった小谷野氏が、何故に御自分も小説を書かれるのか、それが自分にはどうしても理解出来ません。小説を書くとはそれほどの魅力があるものなのでしょうか?
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年2月15日に日本でレビュー済み
前々から気になっていたが、ようやく読んだ。すばらしかった。
事実をたんたんと書いているといえばそうだ。
ただ読んでいると「いかにもつくりごと」というようなものでおもしろくするより、
事実に語らせるほうが本質的に意味があると思わせる力がある
(お母さんが残したメモのところなどとくに感じた)。
仮につくりごとが入っていたとしても、それに気づかせないような
配慮がなされている。
現代における人の命や死の重量感がリアリティをもって
ひしひしと伝わってきて、自分の身の回りで起きた死のことなどを
思い出し、軽々しく(感傷的に)泣く気にもならなかった
(それでも泣けてしまったが…)。
全体に暗くなりそうな雰囲気を若い奥さんが、救いのように
明るくしているのは本当によかった。
それにしても、昨年読んだ『困ってるひと』のときも
感じたが、この医者のいやな感じはなんなのだろう。
現代日本で医者をやっていると、
こういう感じの人格になってしまうものなのだろうか。
ホスピスでの医者とのやりとりのところは、本当にわなわなと震えた。
余談だが、勢古浩爾さんの名前が思わぬところで出てきて、
そしてまた、おっしゃっていたことが勢古さんらしく、
ああいいな、と思った。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
芥川賞の候補になった作品。同時受賞となった2作より面白かった。ガンに侵された実母の死をもとに書かれた。鈍感な父親の言動がリアルに描かれている。作品の終わりのほうで父親の呼称が「ヌエ」に変わる。そこが絶妙。モデルとなった父親は、おそらく無関心からこの作品を読まないだろうし、もし読んだとしてもさして傷つかないだろうと想像した。そんな風に父親が描かれている。無教養な父親と息子(語り手)が水と油のように描かれているが、語り手が父親に対して怒ったり見下したり憎んだりすればするほど、二人が、頑なさという点で似てきてしまう。読者に感慨をもたらす秀作。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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