僕は元オウムだ。被害者の方々ご迷惑をおかけした方々には本当に申し訳なく思っている。僕自身は犯罪行為に関わらなかったけれど、教団を支えたという意味で道義的責任はあると思っている。
本書を読んで思ったのは、やはりオウム事件について理解するためには裁判の傍聴記を読まなければいけないということだった。傍聴記としては毎日新聞社会部による「オウム『教祖』法廷全記録」シリーズ、降幡賢一氏の「オウム法廷」シリーズ、青沼陽一郎氏の「オウム裁判傍笑記」を読んできた。青沼氏の「傍笑記」は傍聴の記録というよりは、裁判全体の総括に近いので別物と言ってよいと思う。こうしたオウム裁判の傍聴記とオウム問題・事件についての報道・ノンフィクションとでは書かれている内容が自ずと違ってくる。報道・ノンフィクションなどの場合は、ほぼ著者の目耳を通した解釈で成り立っている。刑事的には何があったのか明らかになっている。ただ麻原という人間が普通でないし、本人も意図してそのように振舞っていたために翻弄されてしまう。だから教団にいたわけでもなく、普段は別の事件を追っているジャーナリストが本質を見抜くのは困難だろうと思う。傍聴記には被告人(当時)と関係者の生の声が記されているし、弁護人や検察官による挑発的な質問によって、的を得た本音を引き出すことがあるために、オウム事件の概要を知ったのちはすぐに総括的な本を読むよりも、むしろ裁判の傍聴記を読んだ方が理解のための近道だと思う。
著者・江川紹子さんはもっとも古くからオウム真理教を追っていたジャーナリストだ。出家者の家族に坂本弁護士を紹介したのも江川さんだ。特に坂本弁護士事件に対して詳細に書いていて、責任を強く感じていることが伝わってくる。本書にある神奈川県警の初動のいい加減さは不可解とさえ感じるが、このことも江川さんが書籍にしなければ公にならなかったかもしれない。適切に捜査されていればその後の被害はなかったし、文字通り身も心も教団に囚われた現在の元サマナたちの多くが出家せずに済んだはずだ。
この連載の中で著者の中に教団の実態が具体的にイメージされていく過程を読み取ることができる。とくに本書の後半は非常に充実した内容になっていると感じた。いままで読んだ書籍には書かれていないエピソードやその発端など、とくにオウムにいた僕には「あれはそういうことだったのか」と思う部分が何か所もあった。そうしたエピソードが残されやすいのも傍聴記の良さだと思う。
本書の裁判の中で印象的なものを挙げる。麻原公判97年4月24日の第34回の意見陳述は読むに堪えない。いままで何度読んでも途中で馬鹿馬鹿しくなって読み飛ばしてしまったが今回は全部読めた。自分には責任はないと言い逃れしようとするが、どの事件にも深く関与しているためにごまかし切れずに最後は英語の証言に逃げてしまう。現実には逃げられないが、本人の頭の中では英単語と文法を思い出すことに専念することで、目の前の現実から逃れられるのだろう。こんなことなら発言の機会を求めなければ良かったのにと思うが、本人にとっては自分の存在が蚊帳の外のまま裁判所のペースで進められてしまうことが怖ろしくて、何とか抵抗を試みようとしたのだろう。
カルトはその指導者が自分にとって有利な世界観を作り、関連することに興味を持つ人々を囲い込んで形成される。オウムの場合は、すべての魂は六道を輪廻していて、解脱しない限り苦しみから解放されることはない。麻原が最終解脱した唯一の魂であり解脱に導くことのできる唯一の人であるという世界観であり、人類滅亡の予言を布教の道具としていた。ヨーガ、インド・仏教系の思想・世界観、予言に興味のある人が引き寄せられるようにして形成された。彼は人類滅亡と死後の転生の両方の不安の受け皿となっていた。世界の未来も人のカルマも麻原にしか見ることはできず、それを変えられるのも麻原だけという、今思えば極端に麻原にとって都合の良い教えを共有していたわけで、そのような麻原への強烈な依存性からカルト化していったと言える。
それに対して裁判は裁判長が采配する世界で、法律が支配している。麻原は指示に従う立場である。裁判の経過を見る限り、カルト指導者は自らの作った教団や組織という自分に有利な世界でなければ、自然に振舞うことができないのかもしれない。
96年10月4日の麻原の第11回公判で廣瀬健一は麻原が「男と生まれたからには、天下を取らなきゃな」と発言したと証言している。同じような発言を別人の証言でも読んだ記憶があるが思い出せない。この言葉は林郁夫の第12回公判での井上嘉浩による教団最上部が考えていた武装化と権力掌握計画の証言を裏付ける。計画の内容は妄想の域を出ない。特に綿密さがなく、実現可能性を考えると相当な時間のかかることで、その間に下向(還俗)したサマナから危険な計画を暴露されるかもしれないことなども考えると、むしろ武力によって権力を得ることは他の手段よりも困難なことが推測できる。
本書で井上嘉浩は省庁制のころのオウムについて「村井さんは実務担当でした。青山さんと石川君が麻原のブレインでした。」と言っている。97年5月20日の林郁夫の第13回公判で、元弁護士の青山吉伸が林の弁護人に出家の際は全財産を差し出すことになっているのに、青山は大阪の自宅の土地建物を寄付していない理由を尋ねられている。青山は「お布施は、自分の執着を断つためにするもので、私は元々財産に執着していませんから」と答えている。弁護士が「林郁夫はポケットの中の小銭に至るまでお布施しているが」と重ねて問うと林が財産に執着していたからだろう、という趣旨で返している。僕は不快な気分になった。麻原はベンツに乗っていたが、物欲がないから問題ないと言われていた。同じようにレストランで暴飲暴食しても、不倫しても「すでに解脱していて煩悩がないから」との理由で問題視されなかった。物欲がないならカローラで良いではないか。本来ならもっと役に立つことに使うように言ってベンツを辞退するだろう。食欲を超越しているならレストランに行っても、いつも同じメニューで良いというだろう。性欲がないなら不倫など煩わしくて、家庭に問題を持ち込むようなものだと言うだろう。
お布施をするのは物欲を断つためだというのを、逆説的に物欲がないからお布施しなくてよいとするのは宗教的にはおかしな話で、出家して必要がなくなる以上、少しでも他のために役立ててもらおうと思う、あるいはそのようなものがあれば煩わしく、出家の目的のうちである財産の束縛から解放された、精神的な身軽さを得られないと思うのが当たり前だ。本来そのような詭弁を語れるのは教祖麻原だけだったのに、それを弟子が、しかも正義の擁護者であるはずの元弁護士が言っているのが不快なのである。
同じように違和感を覚えるのは、純粋な心で出家してきたサマナも麻原に見込まれ取り巻きになっていくうちに、麻原の側から見るような目で仲間や信徒を見るようになっていくことだ。事件に関しても、もはや確信犯としか言いようがない関わり方をしていく。麻原が解脱しているか否かよりも自分が解脱したいという思いよりも、麻原に重用され特権階級になるために頑張っていたのではないかと見えるような人物が何人かいる。
これは僕にもあったことで懺悔として告白しておかなければならない。僕から見て新新宗教ブームのころ出家した人には、純粋な求道心とは別に「勝ち馬に乗る」雰囲気があると感じていた。「バブルが来て物質的欲望が満たされ、いま宗教の時代になろうとしている。だから早く流れに乗り、他の人より先輩となっていた方が有利だ。」という、心の働きとしては芽のように小さいが邪(よこしま)な「算段」である。人の心は複雑で、もちろん動機のほとんどは求道心であり、救済活動に参加したいという気持ちだと思う。そうした後ろめたい思いを認めずに無意識に追いやってしまって無自覚な人もいたかもしれないし、あるいは僕の単なる錯覚だったのかもしれない。
なぜこのようなことを書くのだろう。青山が土地建物に対して執着を残しても「出家」した理由はそういうことだったのではないか。彼だけではない。オウム真理教が急速に全体主義化した理由は、純粋な求道心や救済願望だけでなく、そのような不純な動機を含めなければ説明がつかないと思ったからだ。
本書では麻原が天皇制を嫌い、攻撃しようとしていたことが井上嘉浩の証言から明らかになる。麻原がいつ頃からそれを本気で考え始めたかが気になるところだ。具体的に攻撃を試みようとした事件で明らかになっているのは、1993年の炭疽菌によるものだが、このころ天皇陛下(当時皇太子)のご成婚に関連して様々な行事が行われていた。その攻撃の動機は、皇后雅子さま(当時皇太子妃)の母方の祖父・江頭豊氏が水俣病の汚染源であった「チッソ株式会社」の社長だったからだと思う。「黄泉の犬」(藤原新也・著)によれば、少年時代に麻原の目が不自由なのは水俣病が原因ではないかと考えて、水俣病の患者登録の申請をしたが、却下されたという。彼は目が不自由であることを理由に、半強制的に寮付きの盲学校に入学させられたことを、親に捨てられたと考えていた。それによって自分の生きたい人生を生きられなかった恨みを、チッソに対しても抱いていたのではないか。調べてみると江頭豊氏がチッソ株式会社の専務から社長、会長までの企業トップの座にいたのは、1962年から1973年までの11年間だが、1955年生まれの麻原にとっては7歳から18歳のときのことであり、物心ついたころから20歳で東京に出るまでのほとんどの期間を務めていたことになる。彼自身、チッソの労働争議と水俣病でなにかと江頭氏の名前を耳にしていたに違いない。自分の恨みを抱いている人物の血が、皇室に伝えられていくことに彼は耐えられなかったのではないか。この婚礼そのものが水俣病をよりタブー化し、社会的に無実化しようとする工作なのではないかという疑念を抱いた可能性もあるだろう。「亀戸異臭事件」は炭疽菌を上昇気流にのせ、皇居に降り注いで攻撃する意図があったとされているが、その噴霧のスイッチを入れたのは麻原本人だったといわれている。その攻撃自体に、いかに彼の感情がこもっていたかを想像できる。
どうして麻原が皇太子妃の家系にチッソ社長がいることを知りえたのか。「麻原彰晃の誕生」(高山文彦・著)によれば船橋時代の彼が飲食した島寿司の店主の証言には、国レベルのことばかりでなく、船橋市役所の組織図をはじめ、派閥や構成、牛耳っている人物についてまでよく語ったという麻原の姿が見える。彼が政治や官僚などについて構成や人脈を系統的に追うタイプの見方をしていたのは間違いなく、当時国中の話題だった皇太子妃についても、同様に調査させていた可能性がある。その家系リストに「江頭」とあれば、すぐにピンと来たのではないだろうか。
もっともこれは当の江頭氏にしてみれば、言いがかりに過ぎないことであろう。江頭氏はもとはといえば、日本興業銀行の銀行マンであり、チッソ株式会社がメインバンクにしていたことから、労働争議や経営不振に対応するために当初、専務取締役として派遣された立場だったからである。時系列順に見れば、水俣病はそれ以前からの問題であり、本人の立場からは先任者たちの尻ぬぐいをさせられたというのが正しいようだ。ただしその対応が良かったとは思われない。被害状況の調査、賠償の遅れについては当時から問題視され続けていることだからだ。銀行から派遣された身としては、経済状態を改善させることが最優先の任務だったろうし、江頭氏にとっては賠償などは特に難しい問題だったに違いない。
こうしてみると麻原は現代の垢にまみれて生まれ育ったような男であり、社会のタブーにも揉まれ、周囲に語れない複雑な内面を持ち合わせていたのだと思わずにいられない。麻原はテレビなどでその人間像を破壊的と評されたが、その存在自体は何というか「人間版ゴジラ」のように、公害問題を起こしてまで利益を得ようとする資本主義への強烈なカウンターパワー、あるいはアンチテーゼとして見ることができる気がする。
自分の立場で言えることでないことは分かっているが、あえて書き残しておきたい。僕が麻原のしたことを許容することは生涯ないが、一方でいまの世界に反省すべきことはなかったのか、という問いもあらためて投げかけたい。
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オウム真理教裁判傍聴記 2 単行本 – 1997/10/1
江川 紹子
(著)
- 本の長さ345ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1997/10/1
- ISBN-104163534504
- ISBN-13978-4163534503
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
多くの弟子が離反し法廷で追い込まれる麻原彰晃。だが性懲りもなく無罪を主張し「平気でうそをつく」麻原は、オウム再結集の野望を未だ捨て去っていないのか。まだ残る謎を冷徹な眼でウォッチするオウム白書。
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1997/10/1)
- 発売日 : 1997/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 345ページ
- ISBN-10 : 4163534504
- ISBN-13 : 978-4163534503
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,045,536位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 24位オウム真理教(アレフ)
- - 81位裁判関連
- - 4,057位宗教入門 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月26日に日本でレビュー済み
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9月まで大急ぎで読ませて頂きます。これまで絶版でしたので、電車でかなり時間取り図書館へ借りて大変でした。
今後ものすごく参考にさせて頂きます。(W)
今後ものすごく参考にさせて頂きます。(W)
2023年2月1日に日本でレビュー済み
傍聴記①より②が断然良かったです。というのは①で科学班幹部がまだ洗脳が解けていないのに対し、②で登場した実働班幹部たちは洗脳から解放されていたからでしょう。麻原の公判証言に現れた端本、早川は後悔や呆れ、被害者への謝罪の意を話し始めていました。特に坂本弁護士や彼の妻を殺した端本の言葉は…キツかったです。
傍聴記録がここまで臨場感があるとは思いませんでした。昔の記録であり、死刑囚たちはもうこの世界にいません。どうしてあんな虚言癖の大ボラ、信じちゃったのかな?と改めて霊感商法、スピ系の恐ろしさを痛感しました。
傍聴記録がここまで臨場感があるとは思いませんでした。昔の記録であり、死刑囚たちはもうこの世界にいません。どうしてあんな虚言癖の大ボラ、信じちゃったのかな?と改めて霊感商法、スピ系の恐ろしさを痛感しました。