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シドニー! 単行本 – 2001/1/22
- 本の長さ409ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2001/1/22
- ISBN-104163569405
- ISBN-13978-4163569406
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商品の説明
商品説明
村上春樹は、徹頭徹尾オリンピックというものに懐疑的である。そんな彼が、シドニー・オリンピックの23日間を取材見聞してまとめたのが、本書だ。
著者の取材態度は、一見していい加減。行く前から気になっていたトライアスロンとマラソン以外は、気の向くまま観戦したりしなかったり。開会式は途中で抜け出すし、天候が悪いといっては競技場を後にする。
まじめではない。しかし、怠惰ではない。サッカーを観戦するために、わざわざ片道1000キロを一昼夜かけてドライブする。オリンピック開催期間の地元の新聞から、せっせとゴシップを拾って紹介している。彼は、競技という側面からだけでなく、その周辺を丹念に歩き、輪郭を浮き彫りにすることで、オリンピックというものの全体像をあぶり出したかったのだ。
冒頭に有森裕子が登場する。その次に男子マラソン犬伏孝行の五輪前練習風景の描写が続く。なぜ、有森裕子なのか?彼女は、今回のシドニー五輪に出場しなかった。その彼女の、しかもアトランタ五輪でのマラソンレースを、村上はニュージャーナリズム風に描いて見せた。そのスタートからゴールまでの丸ごとを。さらに、最終章には、有森裕子のニューヨークシティ・マラソンの後のインタビュー。この構成もまた、村上のオリンピックにたいする懐疑的まなざしの表れなのだ。(文月 達)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2001/1/22)
- 発売日 : 2001/1/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 409ページ
- ISBN-10 : 4163569405
- ISBN-13 : 978-4163569406
- Amazon 売れ筋ランキング: - 500,427位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 13,789位スポーツ (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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村上春樹さんのノンフィクションは、本当に評価高いですね。この本がそれを証明してます。オリンピックの紀行ものは大好きですが、それらに共通するのが、開会式と閉会式を含め肥大化し過ぎたオリンピックの無用さと無意味さが指摘されます。現地を訪れた著名な作家達が口を揃えるのだから、ドリームチームと共に無用の長物の象徴でしょうか。
オーストラリアの複雑怪奇な歴史も実に簡素で分かりやすく描かれてます。トライアスロンの描写もプロフェッショナルな臨場感溢れる視点で実にストレスなく楽しめます。流石にアマランナーである村上氏の経験が生きてます。
最後に、オリンピックというものを実体のない曖昧模糊な巨大装置が産み出す共同幻想と揶揄して締め括るあたりは流石です。オリンピックの感動が幻想となり、資本とメディアが作り上げた幻想を産み出すそ巨大装置は、その幻想が退屈と化した時に消滅するのでしょうか。
一人のおじさんがシドニーにオリンピックを見るための旅行に行って、朝ジョギングしカフェで朝食を取り、オリンピックをビールなど飲みながらちょっと見学し、夜はまたビールを飲んで寝る、その一連の出来事について日記をつけたような感じの本でした。
各競技の描写は少し稚拙で、月並みな表現も多く、また高橋尚子がマラソンで金メダルを取り、万歳と叫ぶ日本人を見て、そういう問題でもないだろうという気がする、といったよくわからない記述もあり、総じて他の本と異なり、表面的で練られていない、まさにただの日記のような印象を受けました。
競技場にいる十一万人の観客も僕と同じことを感じていた、といった適当な独りよがりのような記述もあり、また面倒なので見に行くのをやめた、といった場面もあり、何だか何のノルマもないお気楽な取材のようで、オリンピックに賭けている選手に比べてどうなの?という感じでした。
村上春樹の本の中ではレベルが低いと思います。
本人はオリンピックはとても退屈だったとは書いているが、高橋尚子が金メダルを取った瞬間や、キャシー・フリーマンの400m優勝の瞬間に立ち会えるなんて、庶民からしたら羨ましい限りだぞ。でもおかげで、僕らもテレビに映っていない舞台裏を追体験したような気になれるわけだけれども。
スポーツジャーナリズムという視点に立てば、村上春樹の文体は僕の好みではない。やはり沢木耕太郎の方が上だ(失礼な言い方ですが)と思う。
でも、オリンピックのシニカルな捉え方、現場にまとわりつくある種の独特な空気を掴んでいるのは村上春樹だと思う。
ところで、クーベルタン男爵の有名な台詞「オリンピックは勝つことにではなく、参加することに意義がある」といったといわれているが、これは実際にはこういったらしい。
人生において大事なことは、勝利ではなく、競うことである。人生に必須なのは、勝つことではなく、悔いなく戦ったということだ
うーむ、味わい深い台詞だ。
である。豪の明るい雰囲気を感じさせる海外旅行記であり、ところどころに書かれる、
現地の文化、事件なども読んでいて楽しい。
軽くて読み進めやすいけど、著者の知的な質感を常に感じさせる文体でルポは進む。
時には、内省的、時には批判的、また感動的になったりと波もあり飽きない。
ただし、五輪というイベント自体については、かなり辛辣な見方もあり、五輪万歳で
進むような読みものではない。
”オリンピックというこの巨大で残酷な挽肉機に放り込まれ”という表現もあるが、
単純な競技の観戦記ではなく、五輪の真っ只中にいながら、イベント自体を外から
見ている。開会式は退屈なだけともある。
観戦記における一番のピークを紹介すると、それは、アボリジニのキャシー・フリーマン
の400m。著者の筆にも、かなり感情と熱が入る。
”オリンピックで力を得るには、特別な風をとらえる特別な帆が必要となる。”と
あるが、フリーマンは、大きな帆を持ってオーストラリアの歴史を見直す転換期に
一人のアスリートとして登場してきた。
多くのヒトの記憶にまだあると思うが、先住民族系との歴史的和解の象徴として
登場したし、登場させられた。
そして、決勝へ。
”キャシー・フリーマンが今夜、決着をつける。今日のレースに彼女の意地と、
選手生命と、人生のエッセンスがかかっている。なにがあろうと負けるわけには
いかない”
そして、勝利。
”巨大なアリンピック・スタジアムの表彰台ですべての観衆が共感する状態を
たったひとりで作り出した巫女的な女性でもある。”
これら400m決勝についてのページは、やはり、この本の中のクライマックだし、
読んでいて感動的でもある。
村上春樹ファンでなくとも、開放的な海外旅行記などが好きな方にはお勧めです。
オリンピック期間中の現地を著者と一緒に感じられます。
小説がアンダーグラウンド、異次元、異界のものなら、日記には村上春樹の
肉体、精神の温い(ぬくい)体温が感じられる。
「村上春樹」という特異なキャラクターが、オリンピックという余りに巨大化したイベントを見て歩くという面白さでしょう。
村上春樹さんは、そもそもオリンピックに全く興味がない(こんな人がいるんですね)人で、開会式も最後まで見ていられなかったという性質の方です。
しかし、良く知られている通り村上さんはマラソンランナーで、何度もレースに参加し、アスリートをこよなくリスペクトされている方でもあります。
当然、長距離レースやマラソン、トライアスロン等のレポーターとして期待する向きもあろうかと思います。
さらに、私が思いますに日本国籍ではありますが、世界市民的感覚の持ち主で、オリンピック開催中に勃発するナショナリズムに染まらない(むしろ嫌う)タイプなのではないかと思われます。
そういう人が、シドニーオリンピックに一日も欠かさず参加されました。
私達は普通オリンピックをテレビ画面を通して経験します。
村上さんの描いた実物のオリンピックはそれとは少し違います。ご本人も日本に戻ってオリンピックのビデオを見た時、全く違うものをみたように感じたと記されています。
多分それは真実なのでしょう。
そうして、オリンピックに参加したアスリート達にとっても、オリンピックというイベントは私たちがみているものとは異なっているのではないか、と思えます。
「オリンピック・ゲームとは僕らにとってひとつの大がかりなメタファーだ・・・」
この本を読んだ後、オリンピックの見方が随分変わっていると思います。
きっとこれからオリンピックを見る時に、選手を見る、ようになるでしょう。
村上さんのオーストラリア紀行としても味わえます。