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グランドセントラル駅・冬 単行本 – 2001/11/1
元デザイナーでNY、グランドセントラル駅に屯するホームレスとして10年を過ごした著者が語るストリートの恐怖と都市の深奥
- 本の長さ267ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2001/11/1
- ISBN-104163579206
- ISBN-13978-4163579207
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
元デザイナーで、身内の不幸が重なったことや、ドラッグに溺れたことにより、ニューヨークのグランドセントラル駅に屯するホームレスとして12年を過ごした著者が、ストリートの恐怖と都市の奥深さを語る。
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2001/11/1)
- 発売日 : 2001/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 267ページ
- ISBN-10 : 4163579206
- ISBN-13 : 978-4163579207
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,151,027位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12,675位英米文学研究
- - 154,044位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から欲しかった本が格安で手に入ったので満足しております。帯やカバーも綺麗で、お気に入りの一冊になりました。
2017年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
kindleで日本語訳だと思ったら英語でした。
カスタマーに即日連絡したところ返金に対応いただきました。
ありがとうございます。
後日感想を書きます。
カスタマーに即日連絡したところ返金に対応いただきました。
ありがとうございます。
後日感想を書きます。
2002年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
不況下の80年代アメリカ。貧しい家庭に生まれ育った筆者が薬物中毒&ホームレスとなりながら、その間に起こった日常の出来事、そしてそこからはい上がってゆく様をダイナミックに描いた本です。現在の日本の姿と照らし合わせて読むことによって、いっそう興味深い本となるでしょう。
2021年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マンハッタンのホームレスのための新聞「ストリート・ニュース」を売って、
一部1ドルを稼ぎ、その金で生きているホームレスたちの目を通して見た、
下から目線で描いた人間模様の人生物語です。
著者自身も、
「夏はセントラル・パークで、そして冬はグランドセントラル・ターミナルで過ご」(211頁)
すホームレスを「八年間」(223頁)も続けた人間です。
「十年に及ぶ路上暮らしとドラッグに溺れる生活の中で、わたしはほとんどあらゆるタイプの麻薬中毒者と出会うことができた」(244頁)
「『グランドセントラル駅・冬』は、ストリンガーがホームレスとなってからのほぼ十二年間の物語だ」(264頁、訳者あとがき)
何年ホームレスをやろうと、とにかく
「わたしたちはニューヨーカーなのだ」(220頁)
「ストリート・ニュース」紙にホームレスたちのニュースやコラムを書いている
新聞記者のような「わたし」が語るホームレスたちの人生模様。
記事やコラムを書いた後、仕事場である編集部のソファーでそのまま朝まで寝る、
変わったホームレスの「わたし」。
「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙。 金もうけのために読む新聞。
「ストリート・ニュース」紙。 読むかどうかは別として、ホームレスを支援するための新聞。
名前が、よく似た両新聞。なのに、中身は180度正反対。
株価が暴落すれば、一夜にしてホームレスに転落するかもしれない株式仲買人たちが働く
「ウォール・ストリート」
これ以上、落ちようがないホームレスたちが路上で寝るニューヨークの「ストリート」
どちらも、ニューヨーカー、「マンハッタン人」(218頁)
本書は「冷静で抑制のきいた文章」(2頁)で綴ったルポルタージュ。小説ではない。
本書「序文」で、そう書くのは、小説家のカート・ヴォネガット。
本書の著者「リー・ストリンガーさん」の力量からすれば、
嘘を交えた小説にして、
波乱万丈の人生物語に仕立て上げることだってできたはずなのに。
「センチメンタリズムが巧みに排除されている」(2頁)
この点をヴォネガットは高く評価しました。
リー・ストリンガーさん自身も、主人公で語り手の「わたし」同様に、
「あいにくとわたしは感傷的でわざとらしい原稿が大嫌いときている」(103頁)
人のようです。
読者としては、この本を読んで、現在(2021年)の日本において
「何がなされなければならないのか?」(2頁)を考えさせられました。
ヴォネガットは、「序文」を書いた1998年に、明るく朗らかな未来を予言しました。
「朗々たる新たな次元を見つけ出すことができるだろう」(2頁)
2021年に本書を初めて読んだ読者には、
残念ながら、「朗々たる新たな次元」のようなものを見いだすことはできませんでした。
もう一度、本書をしっかり読み直してみようと思います。
昨年(2020年)から今なお続く、思いがけないコロナ禍。
そのために、仕事を失い、新たにホームレスになった人たちもいます。
ヴォネガットの1998年の予言から、二十年以上も経ったというのに、
読者には「朗々たる新たな次元」のようなものは具体的には見えてきません。
「著者まえがき」で、リー・ストリンガーさんは、
「力のある者も社会的地位の低い者も等しく、深まるばかりの絶望感から逃れようと、どんなこともなりふりかまわずやっていた八〇年代のアメリカもまたそうだったと、ある程度まではいうことができる」(3頁)
「ある程度まではいうことができる」
なんて「冷静で抑制のきいた文章」でしょう。
「四〇年代のドイツがまさにそうだっただろう」(3頁)
「八〇年代のアメリカもまたそうだった」
言い切っています。
四十年の時を隔てたアメリカで、ドイツと同じような様相が生じていたようです。
さらに四十年を経た2021年の日本は、またまたそうなのか?
歴史的には、四〇年という長い年月を隔てても、
「自分がそうなりたいと望む人間になることが、より困難になる時代」(3頁)が
別の国で、同様に繰り返し起こりうるということなのでしょうか。
八〇年代の日本。
まさに、バブルの好景気に沸いていた時代でした。
そして今日、2021年の日本は、
繰り返しおそってくるコロナ禍の波にもまれつづけ、
権力のある政治家も社会的地位のふつうの国民も、感染拡大の恐怖に疲れ果てています。
コロナ禍の前の、ふつうの日常生活を取り戻そうと願っています。
八〇年代のアメリカのルポルタージュの本書を、今また読んでいます。
2021年の日本においても、仕事を失い、寝る場所さえ失う人間が出てしまう社会の現実。
いったい「何がなされなければならないのか?」
「オー、マイ、ゴッド!」(59頁)
このビックリ言葉、全然、冷静でもないし、抑制もきいていません。感嘆詞!
マイ、ゴッド(私の神様)は、ホームレスの<私>でも救ってくださるのでしょうか?
「ああ、神様」(165頁)
「神に誓って言うが」(165頁)
「わたしはそこを神の街角と呼んでいる」(257頁)
どうやら「わたし」は、神様を相当信じているらしい。
ホームレスだった著者は
「夜中にうろつきながら、大きな教会の前を数えきれないほど何度も通り過ぎたことがあったが、そのドアは夜間はしっかりと閉ざされていて、ホームレスたちは表の階段で眠るしかない。それは明らかに間違っている光景だ」(107頁)
教会のドアは閉ざされている。
「路上生活者たち」(150頁)を、教会も神様も救ってはくれない。
著者は「それは明らかに間違っている」ときっぱりと書いています。
リー・ストリンガーさんの目線は、ホームレスの目線。
「常夜灯として以外の ATM の有効な使い方を発見するとか、はたまた空き缶の払い戻しをしてもらうこと以外に、スーパーマーケットはどんな役に立つのかを見つけだすこと」(224頁)
は、ホームレスには難しそうです。
これには、笑っちゃいました。
視点を変えるだけで、こんなに違った見方ができるんですね。
おもしろかったです。考えさせられました。
<追伸>
表紙カバーの写真にも感心しました。
逆視線の、この本にぴったりの写真だと思います。
イースト・リバーの川岸からマンハッタンの<外>を眺めている写真だなんて。
対岸には高層ビルなんて全くありません。金融ビジネスが全くないんです。
後ろを振り向けば、マンハッタンの高層ビル群がひしめき合っているはずです。
著者らしい男がしけた煙草を手に、語らず、静かに物思いにふける白黒写真。
マンハッタンのホームレスは、いったい何を考えているのでしょう?
もう一度、本書を読み返したくなる表紙カバーです。
一部1ドルを稼ぎ、その金で生きているホームレスたちの目を通して見た、
下から目線で描いた人間模様の人生物語です。
著者自身も、
「夏はセントラル・パークで、そして冬はグランドセントラル・ターミナルで過ご」(211頁)
すホームレスを「八年間」(223頁)も続けた人間です。
「十年に及ぶ路上暮らしとドラッグに溺れる生活の中で、わたしはほとんどあらゆるタイプの麻薬中毒者と出会うことができた」(244頁)
「『グランドセントラル駅・冬』は、ストリンガーがホームレスとなってからのほぼ十二年間の物語だ」(264頁、訳者あとがき)
何年ホームレスをやろうと、とにかく
「わたしたちはニューヨーカーなのだ」(220頁)
「ストリート・ニュース」紙にホームレスたちのニュースやコラムを書いている
新聞記者のような「わたし」が語るホームレスたちの人生模様。
記事やコラムを書いた後、仕事場である編集部のソファーでそのまま朝まで寝る、
変わったホームレスの「わたし」。
「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙。 金もうけのために読む新聞。
「ストリート・ニュース」紙。 読むかどうかは別として、ホームレスを支援するための新聞。
名前が、よく似た両新聞。なのに、中身は180度正反対。
株価が暴落すれば、一夜にしてホームレスに転落するかもしれない株式仲買人たちが働く
「ウォール・ストリート」
これ以上、落ちようがないホームレスたちが路上で寝るニューヨークの「ストリート」
どちらも、ニューヨーカー、「マンハッタン人」(218頁)
本書は「冷静で抑制のきいた文章」(2頁)で綴ったルポルタージュ。小説ではない。
本書「序文」で、そう書くのは、小説家のカート・ヴォネガット。
本書の著者「リー・ストリンガーさん」の力量からすれば、
嘘を交えた小説にして、
波乱万丈の人生物語に仕立て上げることだってできたはずなのに。
「センチメンタリズムが巧みに排除されている」(2頁)
この点をヴォネガットは高く評価しました。
リー・ストリンガーさん自身も、主人公で語り手の「わたし」同様に、
「あいにくとわたしは感傷的でわざとらしい原稿が大嫌いときている」(103頁)
人のようです。
読者としては、この本を読んで、現在(2021年)の日本において
「何がなされなければならないのか?」(2頁)を考えさせられました。
ヴォネガットは、「序文」を書いた1998年に、明るく朗らかな未来を予言しました。
「朗々たる新たな次元を見つけ出すことができるだろう」(2頁)
2021年に本書を初めて読んだ読者には、
残念ながら、「朗々たる新たな次元」のようなものを見いだすことはできませんでした。
もう一度、本書をしっかり読み直してみようと思います。
昨年(2020年)から今なお続く、思いがけないコロナ禍。
そのために、仕事を失い、新たにホームレスになった人たちもいます。
ヴォネガットの1998年の予言から、二十年以上も経ったというのに、
読者には「朗々たる新たな次元」のようなものは具体的には見えてきません。
「著者まえがき」で、リー・ストリンガーさんは、
「力のある者も社会的地位の低い者も等しく、深まるばかりの絶望感から逃れようと、どんなこともなりふりかまわずやっていた八〇年代のアメリカもまたそうだったと、ある程度まではいうことができる」(3頁)
「ある程度まではいうことができる」
なんて「冷静で抑制のきいた文章」でしょう。
「四〇年代のドイツがまさにそうだっただろう」(3頁)
「八〇年代のアメリカもまたそうだった」
言い切っています。
四十年の時を隔てたアメリカで、ドイツと同じような様相が生じていたようです。
さらに四十年を経た2021年の日本は、またまたそうなのか?
歴史的には、四〇年という長い年月を隔てても、
「自分がそうなりたいと望む人間になることが、より困難になる時代」(3頁)が
別の国で、同様に繰り返し起こりうるということなのでしょうか。
八〇年代の日本。
まさに、バブルの好景気に沸いていた時代でした。
そして今日、2021年の日本は、
繰り返しおそってくるコロナ禍の波にもまれつづけ、
権力のある政治家も社会的地位のふつうの国民も、感染拡大の恐怖に疲れ果てています。
コロナ禍の前の、ふつうの日常生活を取り戻そうと願っています。
八〇年代のアメリカのルポルタージュの本書を、今また読んでいます。
2021年の日本においても、仕事を失い、寝る場所さえ失う人間が出てしまう社会の現実。
いったい「何がなされなければならないのか?」
「オー、マイ、ゴッド!」(59頁)
このビックリ言葉、全然、冷静でもないし、抑制もきいていません。感嘆詞!
マイ、ゴッド(私の神様)は、ホームレスの<私>でも救ってくださるのでしょうか?
「ああ、神様」(165頁)
「神に誓って言うが」(165頁)
「わたしはそこを神の街角と呼んでいる」(257頁)
どうやら「わたし」は、神様を相当信じているらしい。
ホームレスだった著者は
「夜中にうろつきながら、大きな教会の前を数えきれないほど何度も通り過ぎたことがあったが、そのドアは夜間はしっかりと閉ざされていて、ホームレスたちは表の階段で眠るしかない。それは明らかに間違っている光景だ」(107頁)
教会のドアは閉ざされている。
「路上生活者たち」(150頁)を、教会も神様も救ってはくれない。
著者は「それは明らかに間違っている」ときっぱりと書いています。
リー・ストリンガーさんの目線は、ホームレスの目線。
「常夜灯として以外の ATM の有効な使い方を発見するとか、はたまた空き缶の払い戻しをしてもらうこと以外に、スーパーマーケットはどんな役に立つのかを見つけだすこと」(224頁)
は、ホームレスには難しそうです。
これには、笑っちゃいました。
視点を変えるだけで、こんなに違った見方ができるんですね。
おもしろかったです。考えさせられました。
<追伸>
表紙カバーの写真にも感心しました。
逆視線の、この本にぴったりの写真だと思います。
イースト・リバーの川岸からマンハッタンの<外>を眺めている写真だなんて。
対岸には高層ビルなんて全くありません。金融ビジネスが全くないんです。
後ろを振り向けば、マンハッタンの高層ビル群がひしめき合っているはずです。
著者らしい男がしけた煙草を手に、語らず、静かに物思いにふける白黒写真。
マンハッタンのホームレスは、いったい何を考えているのでしょう?
もう一度、本書を読み返したくなる表紙カバーです。