著者の山本七平氏(1921-91年)は、戦後の一時期を風靡した「本物の」保守系評論家である。本書は、『ある異常体験者の偏見』(1974年)および『一下級将校の見た帝国陸軍』(1976年)を一書に編集したものである。著者は自らの戦争体験を「異常体験者」と自称して、その立場から戦争にまつわる論争を記録したのが前者である。一方、後者は砲兵少尉という下級将校としてフィリピンで戦い、過酷な戦闘を経て逃避し、捕虜となった体験を綴ったものである。後者は自らの痛切な体験からから導かれた、現在は絶滅した「本物の」保守派による、戦争体験記と言える。
『一下級将校の見た帝国陸軍』では、著者の苛酷な体験を驚くべき程精密な記憶で詳しく述べている。戦後生き残った多くの将兵が戦記を書き残した。それらのほとんどは上級軍人の場合は言い訳が多く、また兵士の戦記は戦闘の全体像は見えていないので局所的な体験記とならざるをえない。そのような中で著者が高く評価するのは故・小松真一氏(1911-73年)の戦争体験記『虜人日記』(筑摩書房1975年刊、現在はちくま学芸文庫)である。山本氏が『虜人日記』を高く評価するのは、戦争体験記に欠かせない「現地性」と「同時性」(自ら体験したことを有り合せの粗末な「紙」に記録)を満たしていることである。小松氏は軍人ではなくガソリン代用品(ブタノール)を粗糖から製造する技術者としてフィリピンに派遣され軍人同様の辛酸(捕虜体験を含む)を舐めたが自らの発言に誰かへの迎合をする必要が全くないこと、また山本氏と非常に良く似た体験をしているので比較検証が可能であること、による。本書でも随所に『虜人日記』が引用されている。
山本氏(そして小松氏も)は「戦争熱」とは無縁の「冷めた知識人」である。黙々と与えられた運命に応じて、下級将校として懸命に任務を果たそうとしても、目の前には帝国陸軍の愚かしさ・愚劣さ・腐敗が否応なく立ちはだかる。その帝国陸軍の本質を著者は「事大主義」(大に仕え下を蔑にする保身主義)、「員数主義」(内容に関わりなく数が揃っていることにして、あらゆる責任を免れる形式主義)などと喝破している。また、兵士が懸命に任務をはたそうとしているのに、指揮官たちの無責任・無能・腐敗ぶりを数多くのエピソードで明らかにしている。このことがフィリピン戦を始めとする戦線で、多くの死者(それもほとんどが餓死や病死)という惨憺たる悲劇をもたらしたのだった。帝国陸軍という組織は(恐らく帝国海軍も)、大国と戦争して勝てるはずのない「まがいもの」だったと言って間違いない。
実際、戦後アメリカ軍は、旧日本軍を評して「兵士は一流、将校は三流」と的確に評している。
軍隊は国家を代表する、官僚組織中の官僚組織である。本書が抉り出したその悪しき本質は現在の官僚組織(そして政治家・政党や一部の大企業)にも脈々と受け継がれている。悪政・失政続きにも拘わらず安倍政権が延命しているのは、与党や官僚組織が権力者に忖度しまくる「事大主義」によるものだし、森友学園問題や統計不正問題では「員数主義」が暴露された。山本氏のように、物事の本質を見極める力を持った「本物の」保守派による戦争体験記の射程距離は、現在に至る戦後の日本社会にも達しているといえる。いまや新聞や雑誌・インターネットなどどこを見ても、冷静に物事の本質を見極める理性を持ち、しかも伝統を重んじる「本物の」保守派は、残念ながら皆無である。
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山本七平ライブラリー7 ある異常体験者の偏見 ペーパーバック – 1997/7/21
山本 七平
(著)
ルソン島での苛烈な戦闘、敗走、そして捕虜生活。自らの「異常体験」をもとに、帝国陸軍に代表される日本型組織の思考法を追及する
- 本の長さ581ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1997/7/21
- ISBN-104163646701
- ISBN-13978-4163646701
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1997/7/21)
- 発売日 : 1997/7/21
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 581ページ
- ISBN-10 : 4163646701
- ISBN-13 : 978-4163646701
- Amazon 売れ筋ランキング: - 443,158位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初出は月刊文藝春秋誌。30年程前に百人斬り競争を題材に、メディアの嘘と保身を自身の軍隊経験を元に暴いたもの。論争相手である本多勝一と毎日新聞の記者は途中で逃げ出して、山本氏の独壇場となる。本来なら2記者の文も掲載されるべきであるが、さすがに2記者にとっては容認できなかったのだろう。当時20歳前後であった私は毎月の文春誌の発売が待ち遠しかったのを懐かしく思い出す。この文が私に与えた影響は大きく、後に新聞、TV,等に左右されない思考はこの文によって創られたと思う。
2005年9月11日に日本でレビュー済み
何が偏見で何が正論であるのか?それは時代によって異なるし、体験してきたことにもよる。本書は大戦末期にフィリピンに派遣され、終戦を迎えたという筆者の体験を中心に描かれている。最悪の状況下で人間はいかなる行動を起こすのか。現代に生きる我々には考えのおよばぬところである。歴史を考えるとき現代の価値観でしか見ることは出来ないしそれは正しいことなのだと思う。けれども当時の経験者の考えを聞くことは、非常に意味のあることだと思う。全ては繋がっているのだから。