トリュフォーの名作と同タイトルの小説でデビューした、若手作家の初映画論集。この著者のレビューは、
雑誌やパンフなどでもちょいちょい目にすることがあったが、「同意」はするも「感銘」を受けた記憶は無いという、
まあ、そんな感じの印象を持つ書き手だった。
今回大部の本書を通読したが、その印象は余り変わらず、「この著者は封切を待ち遠しく思ったりした経験が、
希薄なのではなかろうか?」との感も受けた。この著者の持ち味かも知れませんが、語り口に余り熱気が感じられない。
ただ、文章は生硬過ぎることなく、読み進め易いと思う。
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映画覚書 Vol.1 単行本 – 2004/5/25
阿部 和重
(著)
スピルバーグ、あるいは「マトリックス」からゴダール、北野武まで――映画の現在と可能性を縦横無尽に論じた骨太な評論・対談集
- 本の長さ528ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2004/5/25
- ISBN-10416365920X
- ISBN-13978-4163659206
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
タランティーノからゴダール、スピルバーグ、北野武、黒沢清を同一の地平で論じ尽くす新世紀の映画批評。デビュー10周年にして初の映画論集。
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2004/5/25)
- 発売日 : 2004/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 528ページ
- ISBN-10 : 416365920X
- ISBN-13 : 978-4163659206
- Amazon 売れ筋ランキング: - 705,105位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 492位映画論・映像論
- - 4,142位演劇 (本)
- - 29,334位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年6月18日に日本でレビュー済み
阿部にとっての映画とはいったい如何なるものであるのか。それがこの本の本質である。
著者は日本映画学校に在籍し、映画の世界から文学の世界にやってきた人である。トリュフォーの「アメリカの夜」と同名の小説で群像新人賞を受賞しデビューした。(しかし、この小説は当初「生ける屍の夜」というロメロのゾンビ映画のタイトルであったことが本書では明かされている)初期の作品には映画そのものを表そうとした作品もある。このように阿部と映画とのつながりは非常に深い。
その彼の初の映画評論として注目される本書であるが、確かに映画評論としては彼の発言は、全体としては示唆でしかなく、具体的には直接体験を進めるものでしかない。(もちろん優秀な評論がないわけではないが。)しかし、それはあくまで映画評論という立場からの評価であって、この書物の本質ではない。
現在として文学の世界にいる阿部が映画を評するとはいかなることか。それは、映画に対しての阿部和重の視点を表明することに他ならない。いわば、この書物は現在"最強の純文学者”である彼の視点を読む書物なのである。
その点においてこの本のタイトルが"覚書"に留まっていることは非常に示唆的である。
"阿部和重という視点から映画の世界を覗く" それは非常にスリリングな現在体験となるのではないだろうか。
著者は日本映画学校に在籍し、映画の世界から文学の世界にやってきた人である。トリュフォーの「アメリカの夜」と同名の小説で群像新人賞を受賞しデビューした。(しかし、この小説は当初「生ける屍の夜」というロメロのゾンビ映画のタイトルであったことが本書では明かされている)初期の作品には映画そのものを表そうとした作品もある。このように阿部と映画とのつながりは非常に深い。
その彼の初の映画評論として注目される本書であるが、確かに映画評論としては彼の発言は、全体としては示唆でしかなく、具体的には直接体験を進めるものでしかない。(もちろん優秀な評論がないわけではないが。)しかし、それはあくまで映画評論という立場からの評価であって、この書物の本質ではない。
現在として文学の世界にいる阿部が映画を評するとはいかなることか。それは、映画に対しての阿部和重の視点を表明することに他ならない。いわば、この書物は現在"最強の純文学者”である彼の視点を読む書物なのである。
その点においてこの本のタイトルが"覚書"に留まっていることは非常に示唆的である。
"阿部和重という視点から映画の世界を覗く" それは非常にスリリングな現在体験となるのではないだろうか。
2016年5月1日に日本でレビュー済み
文体がハスミ臭くて、全く読む気が起きませんでした。
残念です。
残念です。