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散歩のあいまにこんなことを考えていた 単行本 – 2006/4/13
松浦 寿輝
(著)
ぶらぶら歩きの途中で横道へ入り込む愉しみ。煙草にはマッチで火をつけたい。小動物が出てくる物語の魅力。親愛なるエッセイ八十余篇
- 本の長さ305ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/4/13
- ISBN-104163680306
- ISBN-13978-4163680309
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/4/13)
- 発売日 : 2006/4/13
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 305ページ
- ISBN-10 : 4163680306
- ISBN-13 : 978-4163680309
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,037,133位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 15,411位近現代日本のエッセー・随筆
- - 95,010位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・・・にどっぷりつかっている母へのプレゼントです。 毎日、気にいったところを何度も拾い読みしているそうです。
2024年6月4日に日本でレビュー済み
最初に正直に言えば、評者は著者の批評・評論に感心したことがありません(つけくわえれば、著者の詩はそれなりに読んできましたが、小説は一篇も読んだことはありません)。
ただ、今回、著者のこのエッセー集はなかなか楽しく読めました。
いつだったか著者は、屹立する大著、つまり机の上に垂直に立てられるほどの分厚い本を出したいと言っていたように記憶しています。
じっさい、その後著者が刊行した『エッフェル塔試論』(筑摩書房)や『明治の表象空間』(新潮社)、それにたしか日本での学術博士学位取得論文でもある『表象と倒錯』(筑摩書房)はまさにそういう物理的な意味で屹立する分厚い本でした。そして最初に挙げた二冊は何か賞を取っているはずです。
評者はといえば、それらの本を、出版されたばかりの頃、少し読んでみたことがあります。
ただ、著者の扱うテーマにあまり興味なかったせいもあるのか、読むのがつづかず、ついには半分も読まないうちに本を閉じてしまったのを覚えています(その後出た『知の庭園』(筑摩書房)は最後まで読んだと思いますが、これも何か賞を取っているものの、評者にはつっこみの足りなさを感じました)。
というよりむしろ、勝手ながら、なんでこんな分厚い本を書くのだろうと、そんな違和感ないし不審の念を読みながら感じていました。
著者は、上のような本を書くことにおいてなにか妙に学者たらんとすることにこだわっているように見えるのですが、他人事ながら、しかしなんでそこでそういうアイデンティティが大事なんだろうかと思うばかりです。著者の師匠である蓮實さんなど、大著であれ、そういうアイデンティティを意識して本を書こうとしたことは一度もなかったのではないかと思うし、著者が(じつは評者もそうなのですが)日本の批評家としてただひとり尊敬している、やはり大学教授であった川村二郎なども、どんな本を書くときもそんな意識とはまったく無縁だったのではないでしょうかねえ。
まあ、人それぞれといえば人それぞれなんですが…
ともあれ、『明治の…』を除いた、あとの三冊はすべてたしか中島かほるさんの装丁だったはずで、それ(だけ)が本の記憶として残っています。
ふと、柄谷行人がここで思いかえされてきます。松浦寿輝と柄谷行人と並べると、批評家の資質というかその志向のちがいを感じさせられます。
柄谷行人は、最近はともかく、どちらかといえば薄い本を出しつづけていました。でも、薄くても、その知的刺激は絶大なものだったと記憶しています。とにかく知的興奮をもって読んだものです。
さらに浅田彰なんかは、あれほどの知的能力がありながらも、自分は書くことの才に恵まれていないとみずから語って、若き日の『構造と力』以後、実質、薄い本どころか本を出すことさえしなかった人です。
まあでも、思えば、三者それぞれに書くことの倫理があるということなのでしょうね。
いっぽう、屹立する本を、という野心や気負いとはちがい、書くべきことは書きながらも、思うまま、好きなように書くことを楽しんでやろうというちょっと遊び心、いたずらっ気もまじった気分が感じられる、著者最初期の『スローモーション』(思潮社)などはたしかとても面白く読んだ記憶があるのですが…
(しかしほぼ同時期に出した『口唇論』(青土社)はやはり書くことの気負いばかりが目立つ、著者の悪しき面が出た本でした)。
前置きが長くなりました。
本書『散歩のあいまにこんなことを考えていた』(こういう長い文のタイトルは著者の師匠である蓮實さんに倣ったものなのでしょうか)は、上で挙げた大著に見られる、読むほうもしんどくなる、妙な気負いはなく、身辺雑記のようなかたちで著者の日常や身に起こった出来事などについて書きつづった短いエッセイをまとめたものです。隅々まで神経の行きとどいた、気持ちのよい、落ち着いた日本語が堪能できます。
なお、ひとつ驚いたエピソードは、四十半ばの歳になって著者が、禁煙嫌煙キャンペーンのさかんな今の風潮にさからうかごとく、反時代的(?)に、煙草を嗜みはじめたという話でした。
ただ、今回、著者のこのエッセー集はなかなか楽しく読めました。
いつだったか著者は、屹立する大著、つまり机の上に垂直に立てられるほどの分厚い本を出したいと言っていたように記憶しています。
じっさい、その後著者が刊行した『エッフェル塔試論』(筑摩書房)や『明治の表象空間』(新潮社)、それにたしか日本での学術博士学位取得論文でもある『表象と倒錯』(筑摩書房)はまさにそういう物理的な意味で屹立する分厚い本でした。そして最初に挙げた二冊は何か賞を取っているはずです。
評者はといえば、それらの本を、出版されたばかりの頃、少し読んでみたことがあります。
ただ、著者の扱うテーマにあまり興味なかったせいもあるのか、読むのがつづかず、ついには半分も読まないうちに本を閉じてしまったのを覚えています(その後出た『知の庭園』(筑摩書房)は最後まで読んだと思いますが、これも何か賞を取っているものの、評者にはつっこみの足りなさを感じました)。
というよりむしろ、勝手ながら、なんでこんな分厚い本を書くのだろうと、そんな違和感ないし不審の念を読みながら感じていました。
著者は、上のような本を書くことにおいてなにか妙に学者たらんとすることにこだわっているように見えるのですが、他人事ながら、しかしなんでそこでそういうアイデンティティが大事なんだろうかと思うばかりです。著者の師匠である蓮實さんなど、大著であれ、そういうアイデンティティを意識して本を書こうとしたことは一度もなかったのではないかと思うし、著者が(じつは評者もそうなのですが)日本の批評家としてただひとり尊敬している、やはり大学教授であった川村二郎なども、どんな本を書くときもそんな意識とはまったく無縁だったのではないでしょうかねえ。
まあ、人それぞれといえば人それぞれなんですが…
ともあれ、『明治の…』を除いた、あとの三冊はすべてたしか中島かほるさんの装丁だったはずで、それ(だけ)が本の記憶として残っています。
ふと、柄谷行人がここで思いかえされてきます。松浦寿輝と柄谷行人と並べると、批評家の資質というかその志向のちがいを感じさせられます。
柄谷行人は、最近はともかく、どちらかといえば薄い本を出しつづけていました。でも、薄くても、その知的刺激は絶大なものだったと記憶しています。とにかく知的興奮をもって読んだものです。
さらに浅田彰なんかは、あれほどの知的能力がありながらも、自分は書くことの才に恵まれていないとみずから語って、若き日の『構造と力』以後、実質、薄い本どころか本を出すことさえしなかった人です。
まあでも、思えば、三者それぞれに書くことの倫理があるということなのでしょうね。
いっぽう、屹立する本を、という野心や気負いとはちがい、書くべきことは書きながらも、思うまま、好きなように書くことを楽しんでやろうというちょっと遊び心、いたずらっ気もまじった気分が感じられる、著者最初期の『スローモーション』(思潮社)などはたしかとても面白く読んだ記憶があるのですが…
(しかしほぼ同時期に出した『口唇論』(青土社)はやはり書くことの気負いばかりが目立つ、著者の悪しき面が出た本でした)。
前置きが長くなりました。
本書『散歩のあいまにこんなことを考えていた』(こういう長い文のタイトルは著者の師匠である蓮實さんに倣ったものなのでしょうか)は、上で挙げた大著に見られる、読むほうもしんどくなる、妙な気負いはなく、身辺雑記のようなかたちで著者の日常や身に起こった出来事などについて書きつづった短いエッセイをまとめたものです。隅々まで神経の行きとどいた、気持ちのよい、落ち着いた日本語が堪能できます。
なお、ひとつ驚いたエピソードは、四十半ばの歳になって著者が、禁煙嫌煙キャンペーンのさかんな今の風潮にさからうかごとく、反時代的(?)に、煙草を嗜みはじめたという話でした。
2007年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の作「あやめ」に、捨て猫のエピソードが出てくる。痛切を超えて、怨みの域の話だと感じて読んだ記憶がある。パラパラと本書をめくりながら、猫に関するページをいくつか読んだ。いづれも短いものだ。小説から著者をイメージしてきたものとして、
ああ、そうだったんだ。と思えるものが沢山出てきた。著者の小説だけを夢中で読んだ者とすれば、本作は、著者を友人にできたような錯覚が起きる親しみやすい随筆です。
作者の息遣いは、このように伝わるのです。
ああ、そうだったんだ。と思えるものが沢山出てきた。著者の小説だけを夢中で読んだ者とすれば、本作は、著者を友人にできたような錯覚が起きる親しみやすい随筆です。
作者の息遣いは、このように伝わるのです。
2006年6月4日に日本でレビュー済み
2006年に入って松浦寿輝のエッセイ、評論、書評の単行本が立て続けに出ているが、本書はそんな中の一冊。僕は著者の小説のファンなんだけど、どうも著者自身が強く表に出てきてしまうエッセイという形式は、小説に比べて魅力を感じない。自制がないと言うかユルいというか、小説という形式に凝縮していく際のストイックさがスコンと抜けているのだ。ネクタイとか万年筆とかノートとかそういったマテリアルへの思いを直接的に語る時、小説では制御されていたペダントリーが表出する。それは余剰なものではないか。本音なのか冗談なのかわからないけど、ほんとうにこれが松浦寿輝?っていう陳腐で凡庸な感受性にも肩透かしを喰う。「居酒屋」より「ビアホール」とか、40歳過ぎてから煙草を吸い始めたとか、ところどころ素敵なセンスも垣間見られるのだけど。バイクの話とか“インテリの中年デビュー”のようで、なんでそんなことあえて語るのだ?という失望感がある。僕にとっては、早く小説が読みたい、そんな思いにさせるエッセイ集だった。