なによりも和田誠によるカバーデザインがいい。単行本と同じデザインだが、文庫本サイズになってもしっくりくる。落ち着いていて、それでいて楽しそうな雰囲気が伝わる。タイトル文字も美しい(背の色は残念。文庫としての統一感を出すためには仕方ないわけだけど)。
で、中味は、前半(3分の1)が「世界文学全集篇」で、後半(3分の2)が「日本文学全集篇」。文学のプロ3人が侃々諤々やりながら、新しい(架空の)全集を編んでいく、そのプロセスを楽しむという趣向の本。
自分の好みの作家がいるとすれば、まず、その作家が取り上げられるかが気になる。それから、その作家にどれくらいのページ数が与えられるか。2分の1巻なのか、1巻なのか、それとも2巻なのか。もちろん、どの作品が取り上げられるかも気になる。読んだことのない作家について2巻が与えられたら、「へー、そんなに価値のある作品なんだ」などと思う。もちろん、「いやー、それはないでしょ」と思うものもある。
三浦「折口(信夫)さんはどうしますか」 丸谷「もちろん一巻」 三浦「『死者の書』も入れますか」 丸谷「入れなきゃいけないだろうな。だけど、僕は『死者の書』はさっぱりわからないんだ」 鹿島「私もわからないんです。どこがいいの? 何度読んでもだめだった」 三浦「『した した した』って、最初の出だしからして、気持ち悪いよね」 鹿島「ああ、よかった。みんなわからないんだ(笑)」
なんていうやりとりが楽しい。
昭和30年代には、文学全集や百科事典のブームがあって、少しゆとりのある家庭の応接間などに置かれていた。実際には一部しか読まないにしても、タイトルを眺めているだけでも作家名や作品名を覚えて、その後に読むということもあっただろう。今はそれがない。これはインターネットでは代替できない。で、日本人は文学からどんどん遠ざかっていく。今さらながら、これはまずいことになっているのではないかなと思う。どうにもならないものなのか・・・。
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文学全集を立ちあげる ペーパーバック – 2006/9/30
「いま読んで面白い作品を」。新しい文学観で、従来とは全く違う刺激的文学全集(世界・日本篇)を編みなおす壮大な試み。議論沸騰必至
- 本の長さ327ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/9/30
- ISBN-104163684204
- ISBN-13978-4163684208
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/9/30)
- 発売日 : 2006/9/30
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 327ページ
- ISBN-10 : 4163684204
- ISBN-13 : 978-4163684208
- Amazon 売れ筋ランキング: - 439,297位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 174位文学史
- - 468位論文集・講演集・対談集
- カスタマーレビュー:
著者について
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1925(大正14)年、山形県鶴岡市生れ。東京大学英文科卒。1957年『笹まくら』で河出文化賞、1968年「年の残り」で芥川賞受賞。その後、小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動を展開。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)『裏声で歌へ君が代』『後鳥羽院』(読売文学賞評論・伝記部門) 『忠臣藏とは何か』(野間文芸賞)「樹影譚」(川端康成賞)『輝く日の宮』(泉鏡花文学賞、朝日賞)等、多くの著作がある。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間的なアルファベット (ISBN-13: 978-4062160995)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
丸谷才一氏は、自分の中で重要な作家であるし、文学者のひとり。
今までも彼の著作をかなり読んできて、刺激を受け続けてきた。しかしこの一冊は不発本。
カヴァー裏の説明文には、「全く新しい」考え方で、文学全集を編み直す、とあるが、
そんなふうになっていない。膨大な文学知識(読書量)を持つ3者が、
どの作者・どの作品が重要かを話し合っていくのだが、多分この全集に決定された本を1/10でも読んでいる人は
全国民のうち何%いるのだろう。「文学に専門的携わる者のための必読書」くらいの言い方ならわかるが。
このリストでは、出版企画として弱すぎる。まして今や池澤夏樹個人編集による、画期的に新しい文学全集が
書店に並んでいるときに、このタイトルの内容の本を読むのは、かなりハズレな読書体験になる。
今までも彼の著作をかなり読んできて、刺激を受け続けてきた。しかしこの一冊は不発本。
カヴァー裏の説明文には、「全く新しい」考え方で、文学全集を編み直す、とあるが、
そんなふうになっていない。膨大な文学知識(読書量)を持つ3者が、
どの作者・どの作品が重要かを話し合っていくのだが、多分この全集に決定された本を1/10でも読んでいる人は
全国民のうち何%いるのだろう。「文学に専門的携わる者のための必読書」くらいの言い方ならわかるが。
このリストでは、出版企画として弱すぎる。まして今や池澤夏樹個人編集による、画期的に新しい文学全集が
書店に並んでいるときに、このタイトルの内容の本を読むのは、かなりハズレな読書体験になる。
2023年4月30日に日本でレビュー済み
要するに、文学の評価に普遍的な価値基準はないということにつきる。好き嫌いは誰にでもあるし、情実や見栄も絡んでくるものだ。結局、鹿島茂と三浦雅士が丸谷才一の顔をたてたかたちでまるく収めている。だから、世界文学全集は英文偏重になり、丸谷訳のジョイス「若い芸術家の肖像」はともかく、ジェローム「ボートの三人男」やマードック「鐘」などまで収録してしまう。これはお遊びとして楽しむべき放談だろう。
2010年5月30日に日本でレビュー済み
世界全集の方は、論者の見識と趣味が直接に反映しているのでしょう。
日本全集の方は、否定的契機が横溢しており、鼎談の形式をとっていても、2者対立を第3者が抑えるといった底のやりとりが全く機能していません。
強い主張が言いっ放しに終わっています。
ここには無いもの。
たとえば丸谷氏が英国文学のユーモアに言及するとき、『ボートの三人男』が想起されます。
すると、それに代わるものとして、論者の批評眼が論証抜きの根拠としてあることになります。
もっと話を各論、具体論として聴いてみたいものです。
日本全集の方は、否定的契機が横溢しており、鼎談の形式をとっていても、2者対立を第3者が抑えるといった底のやりとりが全く機能していません。
強い主張が言いっ放しに終わっています。
ここには無いもの。
たとえば丸谷氏が英国文学のユーモアに言及するとき、『ボートの三人男』が想起されます。
すると、それに代わるものとして、論者の批評眼が論証抜きの根拠としてあることになります。
もっと話を各論、具体論として聴いてみたいものです。
2007年2月14日に日本でレビュー済み
台詞の上に名前が書かれていなくても誰が発言したかわかるほど個性的な面々による文学漫談。文学者としてビジョンを打ち出す丸谷才一に、どこか投げ遣りな鹿島茂。批評家としての主張を通そうとする三浦雅士。特に三浦雅士が、「『月夜だけとは限らない』と言われますよ、きっと」などと脅したりすかしたりしながら二人を説得し、主張が通ると「ありがとうございます」などと礼をいうところなど面白い。結局、求道的大河小説のない世界文学全集をつくろうという方針通り『ジャン・クリストフ』も『チボー家』もない原案が出来上がる。フランス文学32巻、ロシア文学10巻、ドイツ文学13巻。中国文学に至っては5巻。
日本文学は、「いま読んで面白いこと」を最大の基準に、なんと『古事記』も親鸞も入った全集が出来上がっていく。しかも芥川が落選しそうになるが何とか救われる。でも『真珠夫人』の菊池寛と抱き合わせ。日本文学は当然時代が下れば下るほど噂話になり、極め付けが「ドーダ」。これは東海林さだお氏の「ドーダ学」を拝借して「ドーダ、俺はこんなにエライんだぞ」と自慢することを意味し、森鴎外や幸田露伴は「ドーダ」の典型と決め付けられる。さらに、その「ドーダ」を「俺が俺が」というあからさまな自己肯定の「陽ドーダ」と装われた謙遜である「陰ドーダ」に分類し、鴎外や子規、それに小林秀雄は陽ドーダ、露伴は陰ドーダと言いたい放題。野間宏などはスピーチが長い、節度がないとまで悪口を言われる。日本文学編は芥川を救った司会の湯川豊がいい味を出している。
贔屓の作家が評価されると自分の鑑識眼が褒められたかのような気分になり、逆に分量が減らされると腹が立ち、心の中で反論を始めてしまう。前から気になっていたけれど読んでいない作家や作品名の解説を読んで、読んでみたいと意欲を掻き立てられた。全集の巻立てはともかく楽しく読める。
日本文学は、「いま読んで面白いこと」を最大の基準に、なんと『古事記』も親鸞も入った全集が出来上がっていく。しかも芥川が落選しそうになるが何とか救われる。でも『真珠夫人』の菊池寛と抱き合わせ。日本文学は当然時代が下れば下るほど噂話になり、極め付けが「ドーダ」。これは東海林さだお氏の「ドーダ学」を拝借して「ドーダ、俺はこんなにエライんだぞ」と自慢することを意味し、森鴎外や幸田露伴は「ドーダ」の典型と決め付けられる。さらに、その「ドーダ」を「俺が俺が」というあからさまな自己肯定の「陽ドーダ」と装われた謙遜である「陰ドーダ」に分類し、鴎外や子規、それに小林秀雄は陽ドーダ、露伴は陰ドーダと言いたい放題。野間宏などはスピーチが長い、節度がないとまで悪口を言われる。日本文学編は芥川を救った司会の湯川豊がいい味を出している。
贔屓の作家が評価されると自分の鑑識眼が褒められたかのような気分になり、逆に分量が減らされると腹が立ち、心の中で反論を始めてしまう。前から気になっていたけれど読んでいない作家や作品名の解説を読んで、読んでみたいと意欲を掻き立てられた。全集の巻立てはともかく楽しく読める。
2008年12月15日に日本でレビュー済み
現代の少年少女がこれを読んでおけば将来面白い小説家になれるように、面白い小説ばかりを集めたと言いながらも、フランス、イギリスの小説に大きく肩入れしており、スペイン、イタリアは周辺国呼ばわりで、当然ながらペルシャやインド、アラビア文学などは見向きもされていない。朝鮮もなし。英米文学では(仏文でも)学校で必ず暗唱させられるから、詩と戯曲が重要な要素だが、小説偏重のため、どちらもほんの少しだけ。ノルウェー、アイルランド、アメリカの戯曲の評価は低い。日本文学は面白くないものはカットといいつつ、面白くない作家ばかり。私小説でも面白いものはあると思うし、重要な要素と思うが、かなり無視。こちらは詩歌、評論も入れたりしていて、あれれっという感じ。南北への言及がないのは、どうして?
2011年1月1日に日本でレビュー済み
御三方のあまりに傲慢な物言いになんとなく引いてしまった(特に日本近代文学篇)。丸谷才一の小説はけっこう好きなんだけど、その文学論はどうも偏見に満ち過ぎているような気がして、ついていけない。老大家になって誰にも批判されなくなると、こんな風になってしまうのだろうか。鹿島さんはフランス文学研究においては大家なのだろうが、日本文学を語ると、その無知を曝け出しているような気がする。「今読んで面白いかどうか」という基準で選ばれたら、日本近代文学全集はずいぶん淋しいものになってしまうと思った。それと『全集』である以上、文学史的な流れを度外視することはできない筈だと思う。例えば、伊藤整の評論をを入れるなら、彼が『小説の方法』等の主要論文の立論に際して想定したところの大正作家・広津和郎を入れないのは明らかにおかしい。そういった近代文学における繋がりの「糸」を無視しているのがすごく気になった。御三方がやろうとしているのは、結局、「日本近代文学アンソロジー」を編むことであって、「文学全集」ではないと思った。
2011年2月11日に日本でレビュー済み
面白い企画である。
おそらく本書の土台には、「全集」とは何かとか「キャノン」をどう選ぶかという問題意識もあるのだろう。
だが解説の若島正さんもいうように、
読者が感じるのは、何より言いたい放題の「放談」の楽しさだろう。
仮にこれがまっとうな「批評」の本なら、説得力がないとか、論拠が不足だとかいう批判もあるだろうが、
この本の魅力はむしろその辺を無視した独断と偏見のぶつかり合いである。
文学好きな人間なら多かれ少なかれ、身近な仲間とこうした文学談義をしているはずだが、
そういう機会がそうそうあるわけでもない。
それをここでこの三人が代わりにやってくれる。
しかも彼らは、そりゃ一般人とは質が違う。
というわけで達人も交えて、
好き勝手褒めたりけなしたりの文学好きの集まりに自分も参加できているような楽しさがある。
文学全集に何を入れるか、という話だから、当然評価の問題になるが、
何しろ対象が膨大な量だから、これがいいのあれはだめだと言いながら、
必ずしもその根拠が示されるわけでもない。
そこで、何で?という疑問が生じたとしても、そこはこの本の性質上ある程度仕方がないし、
それはそれで、何でだろう?と自分で考えるきっかけにもなる。
それにしても、鹿島茂はまだしも、三浦雅士と丸谷才一の読書量とその範囲は驚異的だ。
一流のプロとはこんなものか。
個人的には三浦雅士のコメントが興味深かった。
おそらく本書の土台には、「全集」とは何かとか「キャノン」をどう選ぶかという問題意識もあるのだろう。
だが解説の若島正さんもいうように、
読者が感じるのは、何より言いたい放題の「放談」の楽しさだろう。
仮にこれがまっとうな「批評」の本なら、説得力がないとか、論拠が不足だとかいう批判もあるだろうが、
この本の魅力はむしろその辺を無視した独断と偏見のぶつかり合いである。
文学好きな人間なら多かれ少なかれ、身近な仲間とこうした文学談義をしているはずだが、
そういう機会がそうそうあるわけでもない。
それをここでこの三人が代わりにやってくれる。
しかも彼らは、そりゃ一般人とは質が違う。
というわけで達人も交えて、
好き勝手褒めたりけなしたりの文学好きの集まりに自分も参加できているような楽しさがある。
文学全集に何を入れるか、という話だから、当然評価の問題になるが、
何しろ対象が膨大な量だから、これがいいのあれはだめだと言いながら、
必ずしもその根拠が示されるわけでもない。
そこで、何で?という疑問が生じたとしても、そこはこの本の性質上ある程度仕方がないし、
それはそれで、何でだろう?と自分で考えるきっかけにもなる。
それにしても、鹿島茂はまだしも、三浦雅士と丸谷才一の読書量とその範囲は驚異的だ。
一流のプロとはこんなものか。
個人的には三浦雅士のコメントが興味深かった。