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中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史 単行本 – 2011/11/19
- ISBN-104163746900
- ISBN-13978-4163746906
- 出版社文藝春秋
- 発売日2011/11/19
- 言語日本語
- 本の長さ320ページ
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2011/11/19)
- 発売日 : 2011/11/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 320ページ
- ISBN-10 : 4163746900
- ISBN-13 : 978-4163746906
- Amazon 売れ筋ランキング: - 346,442位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。当時の専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。
歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。対談形式の共著に『「日本史」の終わり』(PHP文庫。池田信夫氏と)、『日本の起源』(太田出版。東島誠氏と)、『史論の復権』(新潮新書。7名との対論集)。ほか、寄稿した論文集等多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。2020年、斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』(新潮選書)で小林秀雄賞。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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偶然にも最近読んだ網野善彦さんの著書にも通じるまさに源平の時代、日本の中世、それも当時の中国から現代日本を投影させた本だった事に驚かされた。一千年の歴史文脈の中で見つめなければ今の日本はわからない、という認識は全く同じ。
ここで言われている中国化とは、ある意味では、海民化(自由化)と同義語かもしれない。つまり、貨幣経済の振興、既成貴族の排除、皇帝主導の人事、商業中心の政策、移動の自由の称揚。つまり、民主的な政治は無いが、野方図なまでに経済は自由な社会。
これらのシステムを「中国化」と言うのは、これらすべて一千年前の中国,宋朝の時代に到達されていたモノばかりだからで、現に、源平の争いとはまさに守旧派利権ヤクザ勢力である源氏に対して、中国化を進め新しい日本を作ろうとした平氏との争いだったし、さらに、「異形の王権」後醍醐天皇の建武の新制とは、同じくこの国の「中国化」を進めようとしたのが真実であったと、解説されている。
一方、「中国化」に対する概念として登場するのが「江戸化」。
ムラ(会社内組合)とイエ(男性の職業固定、終身雇用)の論理が、優先され、移動や、貨幣経済の自由は、かなり制限される。
よって、明治維新とはこの本では、中国化を目指した国づくりそのものだったとなっている。
中国社会の怖さとは、法の支配や、基本的人権、議会制民主主義の欠如。
では、逆に、遅れた西洋になぜ法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのかといえば、それらは、どれも中世貴族の既得権益が原点だから。
つまり、ヨーロッパ型の近代化とは、貴族の既得権益を下位身分のものと分け合って行くプロセスだった。そして、近世に貴族が絶滅した点では、日本は西欧より中国の方に近い。しかし、「江戸時代」があったため、ムラとイエという集団が貴族の代わりをした日本では、かろうじて一見、西洋型の法が存在している。しかし、3.11後、これらの江戸時代的生活保障のシステムが完全に崩壊して行き、あとは中国と同じ状況が作られようとしている。
晩婚化、少子化、ワーキングプア ネットカフェ難民、民衆の怨念のうような感情に基づく政党の台頭など、思い当たる現象はいくつも上げられる。
少子化による人口の激減が避けられない中、外国人参政権による人口の開国、そして原発事故による放射能汚染地域などにおいて、江戸時代の職分性と同様の「公共事業や規制政策による雇用維持を通じて生活保障を代替する」やり方が、通用しないのは自明。今こそ、「雇用に依存しない福祉」を作らねばならない。そして、これから私たちが生きてくのは、一千年も前に「歴史の終わり」を迎えて変化の止まった中国のような世界であり、そのような社会の正負の側面と可能性を今こそ歴史から学ばなければならない、と著者は語る。
中国化という言葉を聞くだけで、嫌悪感を感じる「濁った」歴史認識を捨てる事が現実を見つめる第一歩となる事がよくわかる。
この本の結びから以下一部抜粋。
「『中国が進んでるなんてあり得ない』『ましてや日本が追い抜かれるはずも無い』『待っていれば景気は良くなるから日本は大丈夫』『政権を変えれば政治も良くなるから日本はよみがえる。』・・・・・・(3年前大学で)教え始めた当初はまだまだ多かった、脱亜入欧の幻想が信じられていた時代の「古い歴史観」に固執する学生さん達は、その後の時代の流れによって自ずと淘汰され、いまではむしろある種の緊張感を持って、「新しい歴史観」に足を踏み入れる姿が目立つようになりました。」
現実を見つめる勇気とは、歴史を見つめる視点を変える事と同義語なのかもしれないとこの若い歴史学者の本を読んで強く感じた。これを読むと学校で習った歴史教育とは何だったのかと思う。過去の見方も日々、歴史学の進展とともに、刷新されていることがよくわかる。
本書の著者の名前は別のところで聞いていたけれど、別の著書の副題に「小津安二郎」の名前があったり
して、あ〜また安直なカルスタ的枠組みでトリビアを並べて研究と称する人か、とか思ってスルーしてました。
すみません。
看過し得ない暴言を頻発し、政策的には無能で(例の銀行の件ね)、品性的に甚だ疑問があり、その政
治的履歴も感心しない某都知事が、なんでかくも根強く支持されるのか、ずっと不思議でした。
どうして進歩的なはずの「左」の運動家が、論理をすっとばして感情に訴えるのか、どうして啓蒙主義的な
主張の一方で、独善的で傲慢なのか、ずっと謎でした。
なるほど、頭の中身が「江戸時代」だからなんですね。ものすごく納得。
この頭の中身が江戸時代ってのは、自分の振る舞いの中にも、いろいろ思い当たるところがあったりして。
他にも、日本史の明治維新における維新前の主張と維新後の政策のネジれといった積年の謎も、昨今の
欧州の無理めな通貨統一の後遺症的な金融不安までも、「なるほど!」と納得できる視座を示してくれま
す。いや、薄々そうなんじゃないかと思っていたことから、まったくの目鱗なことまで、統一的な視座でスッキリ
する快感があります。
「人権」や「議会制民主主義」なんてもんは、世界史的な位置づけとしてはド田舎の「封建残滓」にすぎない
ってところは、膝をポンと叩いたことをお伝え中。
しかし、今後の展望ってところでは、中国のあれこれや原理的な新自由主義が吹き荒れた70年代南米
軍事政権下を思って、「では、世界史の必然としては、人の命は軽いってことがデフォルトでOK?」と思い
つつ、命が軽いのと無理矢理な枠組みの中で逼塞するのとの選択ってことで、希望ではなくガッカリが勝るかも。
主要参考文献の冒頭で、本書の元となった著者の論文をまとめたものを刊行する予定とあって、これは是
非とも購入して読みたいと思います。
中国化と江戸時代化という二項対立で見ると、現在の閉そく的な状況が
こんなにもすっきりとして見えてくるんですね。(見えたら見えたで
色々と考えさせられますが)
クリアカットな文体や、豊富なネタから類似形・相似形を見付けて紹介
する構想力は天ぶの才だと思います。(ご本人は他の先生・同僚からの
受け売りという姿勢を崩しません)
このような若い論客の登場を、心から歓迎します。内田樹級の論客が
現れたと私は期待しています。
現在の日本人(私自身?)の目の前の状況は決して希望に満ちているわけ
ではないけど、想像力・当事者意識を欠いた現実認識や発言を耳にする
たびに、絶望的な気持ちにさせられます。そういう言説に終止符を打ち
たいという筆者の切実かつクールな思いに大変、勇気づけられました。
ただ、著者はあえて無視しているのだと思いますが、『 科挙と近世中国社会―立身出世の階梯 』にあるように、中国社会は決して誰にでもチャンスが約束された機会平等の社会ではありませんでした。科挙に挑戦できるのは、経済力のある一部郷紳層に限られ、事実上の身分制が形成されていたのです。
メリトクラシーの反対はアリストクラシー(貴族制)ということになるでしょうが、両者は截然と分けることができるものではありません。そもそも科挙自体、はたしてメリトクラシーの原則から作られた制度であるか疑問です。もしそうであるなら、科挙はもっと実学的な基準からえらばれたことでしょう。著者は諸々の歴史事象を二元論で説明しようとしているので、いろいろなことを見落としている。
1970年ごろから教条的マルクス主義史観の拘束が解けて、歴史の見直しが続いているのは確かですが、この本を読んで新しい歴史像がわかったつもりになるのはたいへん危険です。随所にちらばめられている現代社会批判からもわかるように、本書は歴史学に名を借りた政治論であると見るべきでしょう。
全く違う視点でスパッと切り開いてみせてくれる良書です。
とにかく面白く、読み始めたらノンストップでした。
発売と同時に読み終わってしまいましたが、
あれから3週間。もう一度読んでみようと思います。
「これが中国化?」「これは再江戸化願望?」とか
自分の身の回りの事象をこのような視点で考えるようになりました。
歴史は「単に昔の出来事を詳しく知る」だけの学問では無い、、、
そう感じさせてくれます。
あまりに、これまでの知識と違うので、自分の中で消化
仕切れていない所もあり、再読後の感想もまた書きたいと思います。
↓最初の読書感想
[...]
映画の引用まで加わり、映画好きな私はただただ感心するばかり。
(シネガイドとしても素晴らしい)
有史以来、日本は常に世界最強の国を手本とし、付き合って来た。
中国、オランダ、イギリスそして米国と。必然的に相手から見た
日本を学ぶことになった。
長らく欧米基準の日本史であった訳だが、中国が世界最強に返り咲きそうな
現代、こうした中国視点の歴史観が日の目を見るのもまた必然か。
(参考文献が本文中に記されるのはありがたい。
巻末に書かれてもいちいち見ないのだよ。)
出来れば読まなければ良かった・・・