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ニ・ニ六事件蹶起将校 最後の手記 単行本 – 2013/2/12

4.1 5つ星のうち4.1 26個の評価

山本又予備役少尉は、事件後に安藤輝三大尉から「二・二六日本革命史を書いてください」と託された。裁判で禁固10年の判決を受けた山本は、安藤大尉の意を受けて、小菅刑務所の中で手記を書き始める。遺族がこの手記を発見したのは、2008年。蹶起将校の未公表手記が世に出るのは、おそらくこれが最後と思われる。
山本は、こう書き始めている。「獄中看守ノ嚴シクナイ夜中ニ手記ス。記事前后スルアリ、乱筆アリ、唯眞相ヲ後世ニ伝エントス」。そこには事件前夜に磯部浅一とともに歩兵第一連隊に向う場面(実は尾行されていた)から、獄中で同志が銃殺される音を聞いた瞬間までもが描かれている。
また山本は蹶起趣意書をガリ版で切る役を任されていたが、その直前、村中孝次の原案から、突如22文字が削られることになった。その一文とは――。
陸相官邸に当日朝乗り込んできた石原莞爾を誰何したのは山本だった。石原は「見当たり次第、殺害すべき人物」に指定されていたが、山本は「コノ人ヲモ亦味方ニセントス」と考え、案内したという。陸軍大臣告示の「蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ」に大喜びする将校たちの様子や、真崎甚三郎や寺内寿一ら軍事参議官との談判など、その場に居た者ならではの臨場感に富む描写がなされている。
山本は当時、42歳。20代~30代が中心の青年将校より一世代上のため、一歩引いたスタンスで事件を見つめている。また、各部隊との連絡役だったため、二・二六事件を網羅的に記述している。
大詔渙発か、討伐か――。情報が入り乱れる中、それを確認すべく、山本は石原や香椎戒厳司令官と単独で会見している。果たして、幹部たちはどう答えたのか。
出所後、敗戦を迎えた山本は、ひとり山小屋にこもり、悲憤の中で死んでいった。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2013/2/12)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/2/12
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 231ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4163760806
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163760803
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 26個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
26グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
179頁から180頁を抜粋します。
 なぜ青年将校たちは、このような惨殺劇を繰り広げたのだろうか。彼らの決行の目的は、当時配布した「蹶起趣意書」によくあらわれている。野中四郎大尉が書いた決意書をもとに、村中が北一輝邸で書き上げたという。この趣意書をよく読むとわかるのだが、彼ら青年将校が訴えていたのは、「一君万民主義」である。天皇と臣民が直結することによって、この国には精神の純粋性、文化と伝統の継続性が保持できるはずなのに、現状はそうなっていない。それはなぜなのかと問い、天皇の周囲にそれを妨げる「君側の奸」が存在するからだ、と結論づけているのである。
 続けて「君側の奸」とは、「所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等」のことであり、これらが「此ノ国体破壊ノ元凶ナリ」と弾劾している。こうした奸賊を決して許さないという思いの強さが、要人暗殺の残酷さにつながっていると考えられる。加えて青年将校たちは、自分たちの思いと行動が天皇に受け入れられ、昭和維新へと道が開かれるはずだと純粋に信じこんでいた。その「天皇のため」という彼らの思いは、妥協のない直線的なものではあったが、しかし天皇もまた妥協のないほどに、事件勃発当初から蹶起部隊を鎮圧する強い姿勢を崩さなかったのである。これが悲劇の通奏低音である。

ここの部分は、二・二六事件について凝縮して書かれた部分だと私は思いました。
君側の奸を暗殺するに至った蹶起部隊の純粋さと天皇の考えに温度差を感じました。
このレビューに手記の部分は、敢えて取り上げていませんが、ここの部分は個人個人が読んでそれぞれ思うところがあると思います。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年8月7日に日本でレビュー済み
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山本又予備少尉の行動と動きが主流将校と若干異なっていて面白かったです。もちろん年齢や昇進スタイルが異なっているからなのでしょうけれども・・・
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年7月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2-26事件に予備役から蹶起に参加するという特異な体験をした山本又の手記。蹶起からほぼ時系列に沿って記され、そのつど何を思っていたのかが詳細に述べられているので臨場感があって興味深いです。彼らの純粋さに心打たれるのもわからないではないが、私には「展望のない反乱だったな」と思えます。君側の奸を排除して、軍部が直接天皇の親政を仰ぐことが、どうして貧しい農民を救うことになるのだろうと思う。「〇〇は人物である」「××は逆賊だ」などと決めつけが激しいのも特徴と云えますが、その時代の気分も伝わってくるように思います。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まったく驚きました。77年前の亡霊が現れたようです。山本又は知られた存在ではありませんが、立派な蹶起将校です。もっとも首魁の磯部に「巻き込まれた」タイプであったようですが。大いに期待して読みましたが、読後感は2つの点でいささか物足りませんでした。新事実が少ないのです。二・二六事件オタクを自称する私ですが、ヘーと感心したのは「蹶起趣意書」の末尾の代表者署名は、当初は書いた本人の村中孝次だったこと。それから原文にあった20数文字が削除されたことです。これは池田俊彦「生きている二・二六」での回想と比べ合わせて考えるなら、蹶起目的に「アカ」と思われるような表現が当初あったためでしょう。でもそんな新事実がザクザク出て来るなんてことは奇跡です。ですから私の事前の読みとしては、知っている事実を立ち会った証言者として「イーハン付けてくれる」ディテールの描写を大いに期待しました。26日夜の陸相官邸で行われた軍事参議官との協議で、林銑十郎の手がブルブル震えていたとか。でもそれも考えてみれば、作家ではないのですから、著者に求めることは無理があったかもしれません。ただし筒井清忠「二・二六事件と青年将校」には、ヘッドコーターにいた陸相官邸の磯部浅一が各自の将校たちが旗で交信を行ったと記録がある。でも驚いたことには著者は熱心な法華経信者だった見えて、山場になりると「お経」が登場するのです。それと4日間、のべつくまなく雪が降っています。都心が26日以外は雪だったという気象記録はありません。逃亡した身延山中のことかと思われますが、おそらくは山本の心中では「二・二六事件=雪」なのでしょう、やれやれ。なお全体の三分の一が文語体の新資料、三分の一が現代語訳、残りの三分の一が解説です。保坂正康氏が二・二六事件の専門家だとは知りませんでした。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和史に残る日本の分岐点の一つと思われるニ・二六事件は、多数の著作や資料が現存しますが、この山本又予備役 少尉の記録程、当時の青年将校や陸軍幹部とのやり取りが生々しく読み取れるものは無いかもしれません。少尉の立場ながら、当時の陸軍幹部まで直談判できるというのは、いったいどのような人物背景だったのか?という疑問は残りますが、安藤大尉の記録など、興味深いものがありました。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年6月14日に日本でレビュー済み
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この時代を物語っているかの青年将校の蹶起が表れている。もうすこし作者の内容が描かれていればと思う。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年5月14日に日本でレビュー済み
午前五時頃突入。
高橋是清は寝室、ふとんの中にあり。2将校の顔を見て、ふとんをかぶる。
天誅と声をかけ、起きたこれを射殺、さらに切る。

是清の遺族は「何をする」と将校に言葉をかけ、最期まで威厳を持っていた、と後にインタビューなどに答えているが、真相は、この本に記されている通りだろう。
山本には、手記を脚色する必要はないが、是清の遺族には最期の姿を立派だったと演出しなければならない動機がある。

貴重な資料が、よくぞ出てきたものだ。
存在したことはむろん、失われずいたこと、にも敬意を表す。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年4月22日に日本でレビュー済み
山本又は事件当時42歳。所謂青年将校のほとんどは20歳代の初めから30歳代前半。安藤大尉31歳、山口大尉でさえ36歳。一兵卒から叩き上げで少尉になった信仰厚い苦労人の山本から見れば青年将校たちは直情径行で世間知らずのお坊ちゃまのような存在で、放っておけずに見守っていたのでしょう。磯部の手記を除けば出版されている二・二六関係の本は親族や事件の外郭にいた人の記述がほとんど。その中では渦中の山本の冷静な目で見た記述は貴重だ。創作風な記述の多い本の中でも具体的、かつ真実を伝えているように思える。山本が石原大佐を案内して陸相官邸に来た際の記述も、磯部が片倉少佐を撃った場面でも山本の見た眼が正確であろう。石原大佐が山本に案内されて官邸に入る際に雪上の血痕を見て「誰をやったんだ」山本にと聞く記述があるが、ある出版物では石原大佐はすでに官邸内にいて「片倉が来た」との騒ぎを聞いて山口大尉と玄関に出てきたとなっている。そこで銃声がしたとある。同じ状況がこの小さな描写でさえかくも異なるという事は後世の出版物はいかにあと付け、推測、創作が多いかとの証拠であろう。そう言った意味から山本の「革命史」の記述の信憑性は細部に渡って検証される価値あるものと思える。彼には創作の必要性もなく、刑死した同志を惜しんでも事件にはやや批判的でもあったからである。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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