既に出版されている単行本、文庫本に未収録の短編が10編収録されています。
ファンは買いです。
全ての短編に登場する、どの登場人物も異常というか変態的でした。
でも、あとがきにも書いてある通り、宇宙人の視点で人間を書いた小説とのことで、致し方ないのかなという思いです。
やたら、初老の男がメインで登場します。
小説家の初老の男が、老婆に手を出す話など。
あと、老婆や老人も多数登場します。
社会的にあまり力を持たない人達がよく登場します。
行列に沿って延々と歩き続ける謎の世界や、4人家族がある意味ゼリー状になって混然一体となっていく家族ゼリー。
普通に見当たらない題材の話ばかりで新鮮でした。
愛、恋、友情、努力、勧善懲悪、そういう話に飽きた人は読んでみるといいかもです。
あと、仕事とか人間関係に疲れた人も。。。
人間ってこんなもなんだーって思えて楽になれるかもです。
ただ、上級者向けのグロテスクな描写もあるので、心してください。
途中で破たんする話もありますが、、筆力がすごいので、作品テーマというか、
「人間は一本の管」、「言葉が無意味」という、著者の言いたいことは伝わってきます。
ほとんどの作品が文學界に掲載されていたようで、この著者の作品と、又吉「火花」が同じ雑誌に載っていたと思うと
その差に、ちょっとびっくりします。
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虚ろまんてぃっく 単行本 – 2015/9/10
吉村 萬壱
(著)
「日本社会の現状に対する鋭い洞察と、異議申し立て」(佐藤優氏)「近年の日本文学におけるもっとも高次な、また豊饒な果実の1つ」(若松英輔氏)と絶賛された傑作「ボラード病」で新境地を切り拓いた吉村萬壱氏。あれから一年、吉村氏の2005年以降の10の短篇・中篇を一挙収録した作品集。シュールな近未来ものあり、不条理な家族小説あり、不気味で、不穏で、グロテスク、吹き荒れる嵐のように暴走する想像力が、読者を真実の深淵へといざなう。鬼才の筆が炸裂する、圧倒的作品集。
- 本の長さ308ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2015/9/10
- ISBN-104163903283
- ISBN-13978-4163903286
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2015/9/10)
- 発売日 : 2015/9/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 308ページ
- ISBN-10 : 4163903283
- ISBN-13 : 978-4163903286
- Amazon 売れ筋ランキング: - 217,739位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 61,357位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1961年愛媛県松山市に生まれ、大阪で育つ。京都教育大学卒。東京都、大阪府の高校教諭を務め、現在支援学校勤務。2001年「クチュクチュバーン」で第92回文學界新人賞、03年「ハリガネムシ」で第129回芥川賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『独居45 (ISBN-13: 978-4163281803 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
証明写真が出るのを待つのに、外にでると目が合った。
料金箱を回収に来た30近くの男の子。
目が死んでいる。下から上へと見あげた目は、
虚ろだが、はっきりいやらしく気味が悪かった。
今でも、遇えば判る位に憶えている。
『虚ろまんてぃっく』を読んだ。
虚ろでいやらしい。
そこまで想像した事もない。
氾濫した濁流のごとく、ほとばしりがあふれ出て、
のみこまれそうになったが、
不思議と気味が悪くない。
深くしずんでいるものを受けとりたいと思った。
料金箱を回収に来た30近くの男の子。
目が死んでいる。下から上へと見あげた目は、
虚ろだが、はっきりいやらしく気味が悪かった。
今でも、遇えば判る位に憶えている。
『虚ろまんてぃっく』を読んだ。
虚ろでいやらしい。
そこまで想像した事もない。
氾濫した濁流のごとく、ほとばしりがあふれ出て、
のみこまれそうになったが、
不思議と気味が悪くない。
深くしずんでいるものを受けとりたいと思った。
2015年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品群は、現代文学に風穴を開ける力がある。今年のベストワンです。(^_^)v
2018年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度も読み返してしまう。でも、その度に考えて出てくる言葉は
「キモっ」の一言。
感覚的に訴えてくるだけの、人間の持つ動物性への嫌悪感、協調性という概念への反発心、目を背けたくなる現実の一部を、あえて目を背けたくなる形のまま物語に込めてしまった作品群。
作者の人間性の汚点も容赦なく浮かび上がっており、性癖とか、一部の人の需要に応えるために書かれたものではなく、
きっとこれは喜んで読む人間がいないように研究されたものだと思う。
「キモっ」の一言。
感覚的に訴えてくるだけの、人間の持つ動物性への嫌悪感、協調性という概念への反発心、目を背けたくなる現実の一部を、あえて目を背けたくなる形のまま物語に込めてしまった作品群。
作者の人間性の汚点も容赦なく浮かび上がっており、性癖とか、一部の人の需要に応えるために書かれたものではなく、
きっとこれは喜んで読む人間がいないように研究されたものだと思う。
2015年12月22日に日本でレビュー済み
吉村萬壱短編集「虚ろまんてぃっく」については、短編集なので一作ごとに評していく。遅読で、集中力がなく、途中でほかのことにはまっていたりする僕は読了するころには、最初の方について忘れるだろうから。
それでも本は一冊読み終えてからしか評せないというのは原則であり、長編小説については掟とさえ言えるが、短編小説の場合は作品ごとの評をその都度書くのも許されるだろう。
「行列」。彼がまだ「クチュクチュバーン」で文学界新人賞をとる前にこの草稿は読んだことがあった。そのときは、おもしろい仕掛けを編み出して小説の幅を広げたものだなという興味をもっただけだった。それから今回までにどれだけ改めての手が入っているかは不明だが(たぶん、パソコンを精査すれば外付けハードから草稿が出てきて比較は可能だが、そこまでの情熱はない。)今回読んで、こんなに世界観というものをちゃんと提示していたっけか?と驚いた。これはおもしろい仕掛けを考えただけではなく、確実にひとつの世界観の提示に至っている優れた作品だ。「クチュクチュバーン」や「バーストゾーン」に到る系譜の最初に位置する作品のひとつではないかと思った。
「ボラード病」がある程度の話題になったので、この作品も社会にもう一度提示するチャンスもできたのは、よかったと思う。
「夏の友」。夏休みの宿題の冊子名である。それを小説の「小道具」として有効に用いている。
一作目との作風の違いを目立たせる書きだし。しかし、小学生の身辺雑記と思いきや、後半への人生の宿題に思い回らさせる展開はお見事。人の生き死にの断片を短編小説という形に切り取った秀作になっている。様々なタイプの小説を書けることを見せつけた一作目から二作目への流れだ。
ラストシーンのイメージは大好きだが、「目を凝らしていると」「現れたかと思うと」の「と」の連続は、いただけなかった。せっかくの名シーンのイメージが一瞬汚れてもったいない。ここは二文に分割するように編集者が促すべきだったと思う。
「こんな炭が解答では答え合わせは到底望めない」という最後の一文は「夏の友」というモチーフとしての小道具への回帰を表現しているが、これで、ぴしっと決まったという意見と、これがなくても、そのぐらいのことは、読者がすでに理解しているから、説明になってしまうという意見に分かれる気がした。後者の意見では同じページに「彼らに対して誰ひとり宿題をしろとは言わない」とあるから、もう小道具への回帰は十分果たしているということになるだろう。
表題作「虚ろまんてぃっく」これは文学界初出のときに読んだな。
出だしからの三作の中では、もっとも僕の感性には合わない。これが表題作か・・・と思った。タイトル自体は、全体の題名としてはイケてると思うのだが。
この作品は、ある意味、テーマははっきりしているが、読み物としてはおもしろくないと思う。すべてのエクスキューズを廃した言葉を越えた世界、美学に反する世界と作者は言うのだが、逆にこの作品にこそ、作者の個人的な美学や言葉へのこだわりを感じる。そして、それが自分の感性に合わないと、この作品を読むのは、結果的に苦痛になる。
もしかしたら、作者も書くのが苦痛だったのではないかと想像した。
「家族ゼリー」これも初出の「文学界」で読んだな。
僕の感想では、ごく初期の作品と、「ボラード病」の間に挟まれたこれらの作品群は、ちょっと付いていけない。ただただ嘔吐を感じた。それこそ、狙いだというなら、成功していることになる。
「コップ2030」。これは初めて読んだ。ひとつの路線があるレベルにまで達したと感じた。言ってしまえばこの作品は哲学的におもしろかった。
ときどき、このように意味を成さない文章が白紙のページに読む先、読む先に出現してきて、それを自分が読んでいる(書いているといえなくもない)夢を見ることがある。その、「言葉」と「意味文節を成さない存在性」の境界線を思い出させる小説だった。
敢えて言うならここには、意識の命綱と、認識の還相がない。だが、その崩壊性のままに投げ出すのが、彼の小説のニッチであるならば、この小説もまた成功している。ただ(コアな読者はつかめるとしても)あまりにも狭いニッチなので、ベストセラー化が無理だ。当分、彼には何かおごってもらえそうにないと思った。笑。
だが、前二作に比べれば、はるかに一般受けすると思う。そう思う僕もまた認識のお化けなら、この書評も崩壊するのみだが、僕はたぶんちゃんと通常意識的な「論」を書いているはずだ。
モチーフにコップを選んだのは、(なぜそう思うのか説明はできないことなのだが)秀逸だと思った。
「大きな助け」。
「大きな助け」と「天地不仁」は反意語なのに同意語だ。そのことを小説にするのに成功したのは稀有なことだと思った。
だが、気のせいかもしれないが、構成を成功させるために、かなり苦しんだ跡を、読んでいるときに感じてしまった。その苦しんだ跡を見るのがちょっと苦しかった。
彼の作品に付き合うということは、つまり、こんな作品に寄り添い、理解し、書評まで書くというのは、作中に出てくる人生貸借対照表において、「貸し」をつくることのように思った。僕は友達ということもあって、それをしているわけだが、友達でもないのに、それをやっている(少なくとも読んでいる)フアンは偉い。固定フアンがつくということは、やはり「ブツ」としてのそれだけの強烈な魅力があるからだろう。
「大穴」再読はしていないが、これにて、『虚ろまんてぃっく』読了とさせていただく。
それでも本は一冊読み終えてからしか評せないというのは原則であり、長編小説については掟とさえ言えるが、短編小説の場合は作品ごとの評をその都度書くのも許されるだろう。
「行列」。彼がまだ「クチュクチュバーン」で文学界新人賞をとる前にこの草稿は読んだことがあった。そのときは、おもしろい仕掛けを編み出して小説の幅を広げたものだなという興味をもっただけだった。それから今回までにどれだけ改めての手が入っているかは不明だが(たぶん、パソコンを精査すれば外付けハードから草稿が出てきて比較は可能だが、そこまでの情熱はない。)今回読んで、こんなに世界観というものをちゃんと提示していたっけか?と驚いた。これはおもしろい仕掛けを考えただけではなく、確実にひとつの世界観の提示に至っている優れた作品だ。「クチュクチュバーン」や「バーストゾーン」に到る系譜の最初に位置する作品のひとつではないかと思った。
「ボラード病」がある程度の話題になったので、この作品も社会にもう一度提示するチャンスもできたのは、よかったと思う。
「夏の友」。夏休みの宿題の冊子名である。それを小説の「小道具」として有効に用いている。
一作目との作風の違いを目立たせる書きだし。しかし、小学生の身辺雑記と思いきや、後半への人生の宿題に思い回らさせる展開はお見事。人の生き死にの断片を短編小説という形に切り取った秀作になっている。様々なタイプの小説を書けることを見せつけた一作目から二作目への流れだ。
ラストシーンのイメージは大好きだが、「目を凝らしていると」「現れたかと思うと」の「と」の連続は、いただけなかった。せっかくの名シーンのイメージが一瞬汚れてもったいない。ここは二文に分割するように編集者が促すべきだったと思う。
「こんな炭が解答では答え合わせは到底望めない」という最後の一文は「夏の友」というモチーフとしての小道具への回帰を表現しているが、これで、ぴしっと決まったという意見と、これがなくても、そのぐらいのことは、読者がすでに理解しているから、説明になってしまうという意見に分かれる気がした。後者の意見では同じページに「彼らに対して誰ひとり宿題をしろとは言わない」とあるから、もう小道具への回帰は十分果たしているということになるだろう。
表題作「虚ろまんてぃっく」これは文学界初出のときに読んだな。
出だしからの三作の中では、もっとも僕の感性には合わない。これが表題作か・・・と思った。タイトル自体は、全体の題名としてはイケてると思うのだが。
この作品は、ある意味、テーマははっきりしているが、読み物としてはおもしろくないと思う。すべてのエクスキューズを廃した言葉を越えた世界、美学に反する世界と作者は言うのだが、逆にこの作品にこそ、作者の個人的な美学や言葉へのこだわりを感じる。そして、それが自分の感性に合わないと、この作品を読むのは、結果的に苦痛になる。
もしかしたら、作者も書くのが苦痛だったのではないかと想像した。
「家族ゼリー」これも初出の「文学界」で読んだな。
僕の感想では、ごく初期の作品と、「ボラード病」の間に挟まれたこれらの作品群は、ちょっと付いていけない。ただただ嘔吐を感じた。それこそ、狙いだというなら、成功していることになる。
「コップ2030」。これは初めて読んだ。ひとつの路線があるレベルにまで達したと感じた。言ってしまえばこの作品は哲学的におもしろかった。
ときどき、このように意味を成さない文章が白紙のページに読む先、読む先に出現してきて、それを自分が読んでいる(書いているといえなくもない)夢を見ることがある。その、「言葉」と「意味文節を成さない存在性」の境界線を思い出させる小説だった。
敢えて言うならここには、意識の命綱と、認識の還相がない。だが、その崩壊性のままに投げ出すのが、彼の小説のニッチであるならば、この小説もまた成功している。ただ(コアな読者はつかめるとしても)あまりにも狭いニッチなので、ベストセラー化が無理だ。当分、彼には何かおごってもらえそうにないと思った。笑。
だが、前二作に比べれば、はるかに一般受けすると思う。そう思う僕もまた認識のお化けなら、この書評も崩壊するのみだが、僕はたぶんちゃんと通常意識的な「論」を書いているはずだ。
モチーフにコップを選んだのは、(なぜそう思うのか説明はできないことなのだが)秀逸だと思った。
「大きな助け」。
「大きな助け」と「天地不仁」は反意語なのに同意語だ。そのことを小説にするのに成功したのは稀有なことだと思った。
だが、気のせいかもしれないが、構成を成功させるために、かなり苦しんだ跡を、読んでいるときに感じてしまった。その苦しんだ跡を見るのがちょっと苦しかった。
彼の作品に付き合うということは、つまり、こんな作品に寄り添い、理解し、書評まで書くというのは、作中に出てくる人生貸借対照表において、「貸し」をつくることのように思った。僕は友達ということもあって、それをしているわけだが、友達でもないのに、それをやっている(少なくとも読んでいる)フアンは偉い。固定フアンがつくということは、やはり「ブツ」としてのそれだけの強烈な魅力があるからだろう。
「大穴」再読はしていないが、これにて、『虚ろまんてぃっく』読了とさせていただく。