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勉強の哲学 来たるべきバカのために 単行本(ソフトカバー) – 2017/4/11
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勉強とは、かつての自分を失うことである。
深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、
それは恐るべき快楽に身を浸すことである。
そして何か新しい生き方を求めるときが、
勉強に取り組む最高のチャンスとなる。
なぜ人は勉強するのか?
勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか?
思想界をリードする気鋭の哲学者が、
「有限化」「切断」「中断」の技法とともに、
独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論。
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2017/4/11
- ISBN-104163905367
- ISBN-13978-4163905365
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
哲学者・千葉雅也「世間に迎合も孤立もせずに生きていくためには“勉強"が必要だ」
博士論文を改稿した『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』でデビュー、翌年、ツイッターでの140字内の短文考察を再編成した『別のしかたで ツイッター哲学』が話題を呼び、3冊目の単著となる本書は何と「自己啓発本」。発売2カ月を待たずに5刷4万5000部と快進撃中だ。
「“勉強する"ということを面白くポジティブに言えないかな、と思ったんです。雲行きの怪しい今の世の中で、世間に迎合も孤立もせずに生きていくためには勉強が必要です」
日常の中で「周りのノリ」に合わせることが苦しくなってきたら勉強を始める好機。そして勉強を始めると必ずますます「ノリが悪い人」になる。
「日本は同調圧力が強いけれど、たとえば大学教育は安易に同調させないようにするための教育だし、安易に同調しないということが知性の正しいあり方なんです」
勉強を進めるにあたり「ツッコミ=アイロニー」と「ボケ=ユーモア」の二方向の方法を説くが、喩えが面白い。「アイロニー」とは、ケーキ・バイキングで盛り上がっている時、感想を問われ「おいしいって答え以外、許されてるの?(笑)」と返し、場を凍らせること。「ユーモア」とは、AとBの恋バナで皆がAを道徳的観点から槍玉にあげている最中「音楽なんじゃない?」と、恋愛の起伏を音楽にたとえる発言をし、周りをポカンとさせること。根拠を疑い見方を変えることで、状況を相対化し、慣れ親しんだ環境からはずれていく。
しかし、勉強で本当に大切なのは次の段階だ。その時の自分の趣味、嗜好、興味、必要等を手掛かりに小さな範囲を決めて新しい物事を学び、少し変身して、また皆のところへ「ノリを良くもできる人(来たるべきバカ)」として戻っていく。その後も脱出と帰還を繰り返すこと。
「締切がないと仕事が終わらないように、範囲を決めないと勉強は進まない。まずこの3冊の本を読み較べる、とか最初の範囲を狭くとることが大事。狭い範囲設定がむしろ生産性に繋がるという発想です」
社会人の論文指導をしていることも執筆を後押ししたかもしれない。
「勉強とは新しい言葉の使い方を学ぶこと。キャリアを積んだ方々は言葉遣いと人生がぴったりくっついている。それを引きはがすにはどうしたらいいか、工夫していますから」
評者:「週刊文春」編集部
(週刊文春 2017.06.08号掲載)勉強とは、自己破壊である
千葉雅也『勉強の哲学』は、こんな刺激的なフレーズではじまる。『動きすぎてはいけない』で注目された気鋭の哲学者は、自己啓発系勉強本にありがちな、現状の自分に効率よく新しい知識やスキルを付け加える方法などは紹介しない。
まずは、〈勉強とは、別の考え方=言い方をする環境へ引っ越すことである〉として、自分を取り囲んできた環境(会社や学校や友人たち)に順応する言語ではなく、興味を持って得た新たな言語をとにかく使ってみることを勧め、〈深く勉強するとは、言語偏重の人になることである〉と説く。そうして言葉を玩具のように操作できるようになれば、周囲から「ノリ」が悪いと訝られようが、自由に考えられるようになる。そもそも勉強する目的はこれまでの環境から自由になるためなのだから、周囲から浮いても気にしない。
さらに千葉は、〈ノリの悪い語りが、自由になるための思考スキルに対応している〉と喝破し、アイロニーとユーモアという思考方法について解説。その上で、私たちひとりひとりの個性=「享楽的こだわり」にも言及する。
ここまでがこの勉強論の原理編で、後半は実践編となる。どのように勉強を開始すればいいか、千葉は自身の体験もまじえて語り、専門分野への参加の手続きも詳しく案内してくれる。哲学者らしく厳密な言葉によって書かれているが、斬新な視点と丁寧な論旨の展開に何度もうなずき、私は読後、勉強のもつ危険な魅力にあらためて興奮した。
もうお気づきのとおり、この本を読むことは、そのまま哲学の勉強にもなっている。
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2017/4/11)
- 発売日 : 2017/4/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 237ページ
- ISBN-10 : 4163905367
- ISBN-13 : 978-4163905365
- Amazon 売れ筋ランキング: - 20,267位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。
『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』は博士論文を元にしたもの。紀伊國屋書店じんぶん大賞2013、表象文化論学会第五回学会賞。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
本の文章自体は「ノリ」とか「キモい」とか「ボケ・ツッコミ」など、きっと本来難しいであろう哲学用語を日本人の感覚にわかりやすい表現で説明し展開されているので、読めないことはないです。
しかし、読めても「何を言っているんだ??」と考える時間は私は必要でした。
ただ、それらが喉元を通った時は、背筋が痺れる感覚と共に感動を覚えました。
「勉強とは何か」「言語とは何か」そして「来るべきバカ」とは
多くの気付きと感動がある一冊です。
私なりの解釈も多分に含みますが、得に印象的だった項目を少し紹介。
1 ノリの良さ、悪さ
勉強をする、ということは、筆者曰く「ノリが悪くなる」ことである。
私たちは普段、なんとなくで形成された周りの「ノリ」に合わせて生きている。
「(友達どうしで)ここの料理美味しいよね」「(社会的に)犯罪ってよくないよね」「(原発反対派集会で)やっぱり原発ってよくないよね」「戦争はダメだよ」などなど。
ノリが悪いとは、「キモい」「居心地が悪い」「ダサい」ことである。
今までの心地よいノリにあえて異議を唱え、意識的に反対する行為。
今までとはあえて異なる視点に移動することを勉強という。
そもそも勉強は、さまざまな知識をつけて「得をする」ものではなく、逆に元々の自分の地盤を揺らがす「損をする」「自己破壊」行為である。
2 言語の自由さ
「丸い四角形」「この金庫の中にくじらがいます」のように、ありえないことを言えてしまうほど、元々「言語」の自由度には際限がない。
「りんご」は、「りりり」でも「りんごん」でもなかったし、外国では全く違う。
「りんご」という「音」から、赤い果物を連想するだけであって、そもそもはただの「音」でしかない。
辞書も絶対的な意味ではなく、言うなれば言葉の「歴史書」であり、定義に違いがあれば変遷もある。
言語は、人に命令しながらも解放し、束縛しながらも自由にするもの。
勉強とは、また別の言い方をすれば、「言語の音への意識を高める行為」である。
元々自分にあった「犯罪」「原発」「戦争」の音が持つイメージを変える。
勉強の結果「〇〇ができるようになった」などは、あくまで勉強の副次的効果。
今まで知っていた音と出会い直す、一度切り離して改めて再定義してみる。
これこそが「勉強」というものの行為である。
3 ツッコミ、ボケ、しかし行き過ぎるとナンセンスに
勉強の手順は、ノリにまずツッコミ(=別のノリへの移行)があって、そして、そこにさらにツッコミもしくはボケが続く。
まず自分がいた「ノリ」について「おかしいのではないか」「そもそも」と考えることが「ツッコミ」。
そして、さらにツッコむ場合は「ではあの〇〇は」「しかしこの場合は」と広げることが可能。
しかし、これが行き過ぎると酷く抽象的になってしまう。
例えば「不倫は悪いことか」について考えている内、「悪とは何か」「性とは何か」という極論、真理を求めてしまう結果となり、ナンセンスに陥る。
逆に、ボケる場合は、「それはそれとして」話を進めてしまう。
「不倫は悪いことだよね、それはそれとして、恋って音楽のようだよね」と僅かに繋がった話を次々と逸らしてしまう方向、若しくは「不倫と言えば、どこからが不倫になるのだろうね」と、元々倫理観を確認するはずだったのがいつしか不倫を深掘りする方向に進んでしまい、いずれにしろボケも行き過ぎるとナンセンスに陥る。
わかりやすくいうと、例えば経営を勉強しようとして、経済学の他、社会学や歴史、心理学などどこまで勉強すれば良いか、簿記や秘書検定は取るべきか、取るとしたら何級まで取るべきかと、キリがなくなる状態。
よって、ここで必要になってくるのが、この「行き過ぎ」を止める方法である。
それは、今後一切の考えを放棄する「決断」ではなく、一旦自分の”好み”で考えを仮固定する「中断」である。
その”好み”を筆者は「京楽」と言っている。
【追記】
4 ノリの悪さを楽しむ
前述のとおり、勉強とは「ノリを悪くする」ことである。
それは、周りから冷たい目で見られたり、自分で自分をあえて引き剥がしたりするような”痛み”を伴う。
大事なのは、その”痛み”を楽しもうとすること。
「この状況っておかしいよな」「そもそも、なんで〜」というメタ的な視点を持つ。
自分がどう踊らされているかを自覚する。
それらの痛み(を楽しむこと)なしに、勉強はない。
5 主題の「来るべきバカ」とは
選挙で誰に投票する、ある課題について賛成反対のどちらかを表明する。
どれだけの時間を割き、勉強してきたかは関係ない。
勉強を始める前と後で、表明する意見が変わらないかもしれない。
こういった意味で、「ただのバカ」と「来るべきバカ」という言葉を使っている。
この2つの「バカ」の見分けはつかない。
注意すべきは、「こっちしか考えられないに決まっている」と「決断」してしまうこと。
どんな根拠があれ、もしくは根拠などなく、他方の意見など全く考えようとしなくなる「決断」。
それは勉強の放棄を意味する。
よって、「今のところはこう思う」という、「中断」という意識を持つことが必要。
そこからさらに、「でもこの意見ではまだ弱いかもな」「他方の意見の方がメリットが大きいのかもしれない」と、”ノリを悪く”することにより、さらなる勉強が可能。
絶対的な勉強(=最後の勉強)を求めてはならず、むしろそんなものはない。
6 読書のスタンス
「魔法」という一言ひとつとっても、ゲームや漫画によりその意味や役割は千差万別になる。
読書も同じで、異なる著者が同じ言葉を使っていたとしても、その使い方や含む意味は異なる。
言葉に対して、半分は自分が知っている、もう半分は新しく出会い直すくらいで読むのが良い。
でも、私は哲学という学問興味を持つきっかけになりました
そして、学ぶという意味も、考えるきっかけになりました。
賢い人の考えることは、すごいなーと、関心しつつ
私も、来るべきバカに成っていくのだと、楽しくなりましたよ
是非読んでみてください
友達に勧めたら、読まずに返ってきましたが😥
読んだら何か変わりますよ
勉強を言語としてとらえ、勉強することと言語を対応させている所が面白く読め、言語行動(でしたっけ?)を理解することができた。
残念なのは文体で「ですます」と「である」が混合し、「~とさせてください」みたいな表現が気になった。これは編集者の問題かもしれないが。
おもしろかった。
勉強するとノリが悪くなる。
でも、その向こう側には新しい世界が開けているよ、っていう話。
勉強の重要性と、「勉強」という行為の意味を掘り下げて考える一冊。
そもそも「ノリが良い、悪い」という表現がおもしろい。
この場でいうノリとは、既存の空気との適応度合いのこと。
すっかり溶け込んでしまっているならそれは「ノリが良い状態」だし、その場から浮いているなら「ノリが悪い状態」ということ。
勉強すればするほど、ノリは悪くなる。
つまり周囲と知識量や熱量の釣り合いが取れなくなるので、必然的に「浮く」。
つまり同調圧力に屈しない、まぁいうとヘンテコリンな人間になる。
その場から浮く、ということはマイノリティになることで、自然と大多数が気づかなかった点に気付きはじめる。
マジョリティはその「ノリの悪い状態」が気持ち悪い。
でも、メタ的な視点や、別アングルからの視点を持つということは、そういうことである。
著者が語るには、一つのコードに居続けること(環境や分野とも言い換えることができる)はその場に適応し、馴染んでいくため、自然とノリが良くなる。
これでは新しい発想や、問題提起は生まれない。
そのためには別ジャンルのコードを学び、複数のコード(環境や分野)に板挟みになりながら、半端な位置に身を置くことで常に「ノリの悪い状態」にいることができるのだ。
みんなと楽しくワイワイやっていたのに、急にノリが悪くなるなんて。
と思う方もいるだろうが、勉強とは自己破壊なのだ。
既存のノリをぶち壊して、そこから自由になること。
勉強とは別のノリへの引っ越しであり、新たな自分を再構築することなんだね。
さらにおもしろいことに、著者は深く勉強することで言語偏重になると語る。
つまり、言語が行為を上回った状態。
それは言語が道具的な役割から、玩具的な役割へと昇華する。
詩人を考えてみれば分かる。
電気器具の取り扱い説明書は、意味を伝えるに過ぎないが、詩人の言葉はおもちゃのように自由に働く。
そしてアイロニー=ツッコミ、ユーモア=ボケという構造で、それらを駆使することで(勉強には必要な行為)言葉や思考の幅は広がっていくのだ。
アイロニー=ツッコミは追究すること、つまり掘り下げる行為。
ユーモア=ボケはずらすこと、つまり横幅を広げること。
この両方の力を発揮することで、より高い位置から物事を見ることができる。
高次元から物事を捉えることで、言葉と思考は自由になるのだ。
さまざまな思考や学習プロセスをしることにもなる興味深い本。
著者も書いているとおり、「すぐに役立つ何か」を得られるわけではないが、
ものの考え方や捉え方に新たな示唆を得ることはできるだろう。
章ごとの繋がりがわかりづらかったり、
著者の物言いに好き嫌いはあったりすると思うが、
総じて刺激的な一冊。
つまり、本書の第2章の< 言語論的な考察 >の最後で、千葉先生は、< 深い勉強、ラディカル・ラーンニングの進展 >について、それは次のようになっている!と論じています(119頁)。
(1)アイロニーから始め、その過剰化をせずにユーモアへ転回し、
(2)そして、ユーモアの過剰化を防ぐために、形態の享楽を利用する。
(3)さらに、享楽の硬直化を防ぐために、アイロニカルにその分析をする。
この< 深い勉強、ラディカル・ラーンニングの進展 >の箇所を読んでいる時に、勉強が良くできる賢い人には< ポジティブフィードバックが作動している!のではないか? >と思ってしまいました。
< ポジティブフィードバック >というのは、< ある種の相互促進作用 >のことで、これが一旦作動を始める!と想像もできなかったような< 爆発的な結果 >を引き起こします。
なぜなら、< フィードバックのループが廻る! >たびに< 自己増殖的に結果が増えていく! >からです。
そして、< 深い勉強が進展していく! >ときには、(1)➡(2)➡(3)➡(1)➡(2)➡(3)➡(1)➡、、、、、、、というふうに、< ループが廻る!たびに爆発的に勉強が深まっていく! >のではないか?と思いました。
当の本人は、意識しているのか?それとも無意識でそうなっているのか?わかりませんが、< 深い勉強のポジティブフィードバックが作動している! >からこそ、そのひとは< 勉強が良くできて非常に賢い! >のではないでしょうか?
なお、< ポジティブフィードバック >に関心のある方は、東大の安冨 歩先生の『 満州暴走 隠された構造 』の17頁以下をお読みになって下さい。