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極夜行 単行本 – 2018/2/9
探検家にとっていまや、世界中どこを探しても”未知の空間“を見つけることは難しい。大学時代から、様々な未知の空間を追い求めて旅をしてきた角幡唯介は、この数年冬になると北極に出かけていた。そこには、極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間があるからだ。極夜――「それは太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い、長い漆黒の夜である。そして、その漆黒の夜は場所によっては3カ月から4カ月、極端な場所では半年も続くところもある」(本文より)。彼は、そこに行って、太陽を見ない数カ月を過ごした時、自分が何を思い、どのように変化するのかを知りたかった。その行為はまだ誰も成し遂げていない”未知“の探検といってよかった。 シオラパルクという世界最北の小さな村に暮らす人々と交流し、力を貸してもらい、氷が張るとひとりで数十キロの橇を引いて探検に出た。相棒となる犬を一匹連れて。本番の「極夜の探検」をするには周到な準備が必要だった。それに3年を費やした。この文明の時代に、GPSを持たないと決めた探検家は、六分儀という天測により自分の位置を計る道具を用いたため、その実験や犬と自分の食料をあらかじめ数カ所に運んでおくデポ作業など、一年ずつ準備を積み上げていく必要があった。そしていよいよ迎えた本番。2016年~2017年の冬。ひたすら暗闇の中、ブリザードと戦い、食料が不足し、迷子になり……、アクシデントは続いた。果たして4カ月後、極夜が明けた時、彼はひとり太陽を目にして何を感じたのか。足かけ4年にわたるプロジェクトはどういう結末を迎えたのか。 読む者も暗闇世界に引き込まれ、太陽を渇望するような不思議な体験ができるのは、ノンフィクション界のトップランナーである筆者だからこそのなせる業である。
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2018/2/9
- 寸法13.7 x 2.6 x 19.5 cm
- ISBN-10416390798X
- ISBN-13978-4163907987
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
光のない「極夜」の世界を冒険家とともに体感する
極夜(きょくや)とは南極圏や北極圏で起こる太陽が昇らない現象で、三〜四ヶ月から六ヶ月間は闇に包まれる。極夜の反対は白夜だ。
探検家の角幡唯介氏は、グリーンランド北西部にある地球最北のイヌイット村、シオラパルクに拠点を置き、極夜の中、グリーンランドとカナダの国境付近を四ヶ月かけて探検した。
角幡氏を極夜へと駆り立てたのは、イヌイットの言い伝えで「お前は太陽から来たのか。月から来たのか」と、今から二百年前、初めて部族以外の人間に出会ったイヌイットが発した言葉だという。この一言が角幡氏の心の琴線に触れた。「極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか」
四十年前、私は一ヶ月ほどシオラパルクで極夜を撮影したことがある。気温はマイナス四十度にも達し、吸い込んだ空気が肺の中で凍る思いがした。不覚にも滞在三日目、アザラシ猟の途中に犬ゾリで転倒し、右目を失明しかけた苦い経験がある。
こうして私は極夜の恐ろしさを思い知ったのだが、角幡氏は何も見えない闇の世界を、二台の橇(そり)に百五十キロもの荷物を乗せ、一頭の犬とともに標高差一千メートルの氷河を登高し、強烈なブリザードに足止めを食らいながら、ツンドラや湿地帯、ときには海氷をひたすら歩き続けた。平坦と思われる海氷も、乱氷群が立ちはだかり行く手を阻まれることも少なくない。
極夜行のため一年半前から食糧を設置しておいたが、保管庫が二箇所も白熊に食い荒らされていた。旅の半ばにして「完璧に終わった。すべて終わった」と吐露する。しかし、これが極夜だ、ノンフィクションだと自らを奮い立たせる。これが角幡氏の真骨頂だ。
食糧を失い窮地に立たされた氏は目的地を諦める。犬もガリガリに痩せてきた。人を寄せつけない闇の恐怖に怖れ、怒り、落胆する日々が続く。
ようやく現れた月光の輝きに心が癒されていく。壮絶なまでに美しく、地球上の風景のレベルを超えているとあるのは、いったいどんな光景なのだろうか。角幡氏の極夜行を追体験しているような臨場感にぐいぐいと引き込まれていった。
帰路の途中、テント内に日差しが差し込んでくる。戸惑い高揚する角幡氏。四ヶ月に及ぶ壮絶な極夜行で、優しい温もりがあることさえ忘れていたと述懐する。
極夜を歩き続けあれほど待ち望んでいた四ヶ月ぶりの太陽。空も雪原もオレンジ色に染める、丸く大きな太陽を見た角幡氏の頬を涙が伝う。イヌイットたちが見ていた本物の太陽だ。
評者:中村征夫
(週刊文春 2018年3月22日号掲載)極夜行
地球上には太陽光が何カ月も届かない「極夜」というものがあるという。著者はそのまっくら闇を約4カ月間ひとり+犬1匹で探検し、現代人が忘れつつある、闇や太陽への原初の感覚を体験しようと試みる。探検家であり、数々の文学賞を受賞したノンフィクション作家でもある著者による、渾身の探検記録だ。
生死を懸けた単独行の過酷さに圧倒されるとともに、探検の描写のひとつひとつに宿る生々しさにも魅了された。ここぞというところで用いられる「ぶーん」「すげえ……」などの単純な語彙が圧倒的なリアルさを持っているのだ。著者自身も言及しているが、表現者としていかに感覚を表現しうるか、あるいはできないのか、という強い自覚のもとで選ばれたことばの力なのだろう。迷いのない文体に、著者の強靱な精神を感じた。
評者:石原さくら
(週刊朝日 掲載)登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2018/2/9)
- 発売日 : 2018/2/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 333ページ
- ISBN-10 : 416390798X
- ISBN-13 : 978-4163907987
- 寸法 : 13.7 x 2.6 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 135,361位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 986位自伝・伝記
- - 1,470位紀行文・旅行記
- - 2,120位海外旅行ガイド (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
極地旅行家・作家。主な探検行はチベット・ツアンポー峡谷単独探検(02~03年冬、09~10年冬)、カナダ北極圏1600徒歩旅行(11年)、極夜の探検(16~17年冬)、北極徒歩狩猟漂泊(18年)、北極犬橇狩猟漂泊(20年)などなど。現在は国内では日高山脈地図無し登山を、北極ではグリーンランド最北の村シオラパルクに15頭の犬を飼い、毎年犬橇狩猟漂泊を継続中。『空白の五マイル』『アグルーカの行方』『漂流』『極夜行』『そこにある山』など。最新作は『狩りの思考法』。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
後半、雲行きが怪しくなりワンちゃんの運命やいかに?!
人間の強さ弱さ、親になることで変わる心持ちなど正直に書かれている。
ぜひ皆さんも極夜を追体験してみてください。
惰性でダラダラと毎日が過ぎているなぁと感じていた自分には、良い刺激になりました。
サバイバル登山の究極
生きて帰れて本当に良かった。毎年北極に通っているようで、次作に期待してしまう。どこまで行ってしまうんだろう?
しかし別のレビューでも書いたのですが、私が角幡さんの本の中で過去(世界地図が完成していない時代)の冒険者の記述が好きなのですが、本書は過去の作品と比べて、もっとも角幡さんの冒険の割合が大きいです。同じ北極ものであれば正直『アグルーカの行方』のほうが私は好きです。もちろん冒険としての価値(そんなのが比較できるとすれば)は本書のほうが高いのでしょうが。
チベット・ツアンボー峡谷での紀行文「空白の5マイル」も、読んでて辛い部分は有りましたが、その比ではありません。
視界が、殆ど効かない(ただ、漆黒の中にも、ぼんやりとした風景を描くシーンはあります)ので、筆者のイマジネーションの部分、体で感じる部分を言語化してある部分が多いのですが、これも、非常な苦労を感じました。おそらく、凡人なら、簡単な表現で終わってしまうことも、数ページに渡って書いていらっしゃいます。
後は、「なぜ、こんな危険、大変な苦行を自ら望んで行うのか?」を、本作品では、特に感じました。しかし、角幡さんの「本物の太陽を見たい」という言葉に、この探検の真意があるのでしょうね。
・極夜の旅行は地味でマニアックでいかにも一般受けしそうにないテーマなので退屈に感じる人がいるかもしれない。しかし、この本は、それを巧みな文章術で冒険物語に仕上げており、その文章術に感心させられる。変化に富む冒険談はどのような書き方をしてもその内容が面白いのだが、極夜の行動は、もし順調にいけば変化に乏しかっただろう。しかし、嵐の遭遇、六分儀を無くしたこと、デポ品を失くしたこと、食料不足などのアクシンデントが立て続けに起き、この本を面白くしている。それと人間と犬の関わりが、冒険にアクセントをつけている。
・冒険とは何かを考えさせられる。著者は、冒険と探検に質的な差を認めず、見方の違いとするようであるが(新・冒険論)、探検と冒険は異なるだろう。アムンゼンは探検家。植村直己は冒険家。極夜行は冒険だろう。一般の読者は本は面白ければよいのであって、それが冒険か探検かはどうでもよい。
・冒険では、アクシデントが多いほど困難性が高まる。嵐の遭遇、六分儀を無くしたこと、デポ品を失くしたこと、食料不足などは、冒険のためにはよかったという点は皮肉である。一般に、読者は冒険にアクシデントや悲劇を求める傾向がある。スコットの南極の探検は、その悲劇的な結末が日本の読者の人気を博している。冒険は危険でなければならないようだ。
・他方、探検では危険であることは必ずしも必要ではない。万全の準備をした探検はかなり安全になる。科学的な探検は危険性を排除することを徹底する。アムンゼンの南極探検は順調に行き過ぎて冒険性に欠けるが、探検としては大成功である。ヘディンの探検は学問的価値が高いが、道案内を雇い、資金をかけて準備をし、冒険と言えないだろう。
・この本は、犬と人間の旅行の物語でもあり、犬が大きな存在感を示している。
・衛星電話がつながる点は現代的。文明の機器を排除すればするほど危険性が増し、冒険性が高まる。
・この本の極夜体験は興味深いものがある。経験しなければわからないことが多い。
・この本は、極夜体験だけでなく極夜の中のリスク行動にポイントがある。極夜体験だけであれば定住イヌイットが何年も体験している。極夜下の冒険行動がリスクを高くしている。
4カ月にも渡る壮絶な極夜の旅が細かく書かれており、読み終わった後、一息つかなければいけないほど面白かったです。