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寝ながら学べる構造主義 ((文春新書)) 新書 – 2002/6/20
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- ISBN-109784166602513
- ISBN-13978-4166602513
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/6/20
- 言語日本語
- 本の長さ216ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
登録情報
- ASIN : 4166602519
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/6/20)
- 発売日 : 2002/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 216ページ
- ISBN-10 : 9784166602513
- ISBN-13 : 978-4166602513
- Amazon 売れ筋ランキング: - 10,817位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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前半は『三番叟』(さんばんそう)という五穀豊穣を寿ぐ(ことほぐ)舞になる。特にストーリーはなく、足拍子が多い舞だ。演じたのは若き野村裕基だ。
後半の『靭猿』(うつぼさる)は、猿の皮を自らの矢を入れる筒(靭)に貼りたいという大名と子猿を連れた猿曳とのやりとりの舞だ。大名に92歳の野村万作、猿曳に野村萬斎が演じる。
画像
狂言ははじめてみたが、猿楽から発展し、能と狂言は分かれていったという。能は怨念をもった幽霊が出演し重い(悲劇)ため、その間に演じられるのが笑いを誘う狂言(喜劇)という位置づけのようだ。
能と比較すると、システムが自由なのが狂言になる。
観阿弥、世阿弥が確立した「複式夢幻能」というシステムは、物語が前半と後半に分かれていて、後半は、前半に登場した人物のみる夢が舞台上で演じられる形式だ。世阿弥が確立したシステムだが、今でも演じられ続ける定型システムだ。
これによって、能は量産が可能になった。平家物語などの文字文学をヴィジュアル化することになり、人間の深層心理を演ずる演劇となった。能には創作劇はなく、源氏物語、平家物語、知られた物語を次から次へとヴィジュアル化した。
狂言にはこれがない。
今回の野村家三代が出演する二つの演目にはまったくパターンはない。それぞれが違う流れになっている。
内田樹の『寝ながら学べる構造主義』(文藝春秋、2002)を読んでいたら、ニューチェによるギリシア演劇におけるコーラスの分析と比較して、次のことがまとめてあった。
「技芸の伝承に際しては、「師を見るな、師が見ているものを見よ」ということが言われます。弟子が「師を見ている」限り、弟子の視座は「いまの自分」の位置を動きません。「いまの自分」を基準点にして、師の技芸を解釈し、模倣することに甘んじるならば、技芸は代が下るにつれて劣化し、変形する他ないでしょう。(現に多くの伝統技芸はそうやって堕落してゆきました。)
それを防ぐためには、師その人や師の技芸ではなく、「師の視線」、「師の欲望」、「師の感動」に照準しなければなりません。師がその制作や技芸を通じて「実現しようとしていた当のもの」をただしく射程にとらえていれば、そして、自分の弟子にもその心像を受け渡せたなら、「いまの自分」から見てどれほど異他的なものであろうと、「原初の経験」は汚されることなく時代を生き抜くはずです。」
つまり、野村家三代は、野村万作の見ているものを、野村萬斎は見る。野村萬斎の見ているものを裕基が見る。これによって、時代環境により変化し、自らの芸が不易流行となる。
一方、B2B化してしまった日本企業を比べてみよう。
「ある暑い夏のころに、ある大手部品メーカーでペルソナのセミナーを依頼されたことがある。ペルソナとは、その会社のサービスや商品の典型的なユーザー像のことを示す。セミナー後の質問で、自社のペルソナがわからないので、どうやって導き出したらいいか、という質問をしつこく受けた。
また、あるカー用品チェーン店の創業者のところへ、別の大手部品メーカーの役員が訪ねてきた。モノづくりは得意なので何を作ったらいいか教えて欲しい、という役員の質問に、創業者は「帰ってください」と答えたという。」
おそらく彼らには、ユーザーは発注企業で、いわれたものを頑張って安いコストで作ってきた、という自負があるのだろう。しかし、自社のユーザー像がわからない、何を作ったら売れるのかもわからないのが実情だ。
さらに、B2B企業内で、働く社員が上司の方しか見ていなかったら、時代とともにビジネスはシュリンクするしかない。大きな環境変化が起きた途端に、対策すら思い浮かばないことになる。
多くの伝統技芸が、師の技芸を解釈し、模倣することに甘んじるならば、技芸は代が下るにつれて劣化してしまった。
B2B企業化してしまった現在の日本の将来を考えるとき、技芸の伝承システムが参考になる。
ポスト構造主義の中にいることを自覚できて、
自分が考えていることの整理がスッキリできました。
わたしはまもなく還暦ですが、目が開かされました。
秀逸な著作です。若い人にも是非。
マルクス、フーコー、フロイト、ソシュール、ロラン・バルト、レビィ=ストロース、ラカンといった偉人達との関係性を通して、構造主義に至るまでの流れを知ることができました。
たくさんの偉人の成果も学べるので、お得だと思います。
興味のある方は是非寝ながら読んでみてください。この本の真価を感じ取ることができると思います。
難しそうで私は中身を見るのを諦めました。