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日本語の21世紀のために (文春新書 288) 新書 – 2002/11/20
近代国家になるためには共通の言語の成立が必要だった。しかし…。文明論の視野から日本語の混迷の背景を探り、対処法をも提示する
- 本の長さ179ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/11/20
- ISBN-104166602888
- ISBN-13978-4166602889
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/11/20)
- 発売日 : 2002/11/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 179ページ
- ISBN-10 : 4166602888
- ISBN-13 : 978-4166602889
- Amazon 売れ筋ランキング: - 898,341位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1925(大正14)年、山形県鶴岡市生れ。東京大学英文科卒。1957年『笹まくら』で河出文化賞、1968年「年の残り」で芥川賞受賞。その後、小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動を展開。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)『裏声で歌へ君が代』『後鳥羽院』(読売文学賞評論・伝記部門) 『忠臣藏とは何か』(野間文芸賞)「樹影譚」(川端康成賞)『輝く日の宮』(泉鏡花文学賞、朝日賞)等、多くの著作がある。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間的なアルファベット (ISBN-13: 978-4062160995)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい本だ。一読の価値は十分にある。一読と言わず、あと2回くらいは読みたい。
2002年11月27日に日本でレビュー済み
私が編集者であったとしても、この博学多才の座談の名手を起用して企画をたててみたい、という思いにかられると思う。日本語の問題については、二人ともこれまでさまざまに発言しているが、今回の目玉は、第三章の「日本語教育への提案」だろう。
話題はモダニズムから教科書、入試問題までと幅広く、文明批評あれば体験談あり、あちらと思えば、こちらへと話が飛ぶ。考えることの糸口がぎっしりとつまっている。中身は濃い。結論は、などと、試験勉強じゃあるまいし、イソガナイ、イソガナイ!
「義務教育では楽しいことをさせても仕方がない。義務教育では、しなければいけないことをさせるべきです」という発言に、うーむと感心する。小学校の先生は目をひんむくだろうけれど。
幼児の段階でもすでに母親と子供の間に言語表現を重んじない風潮があるという指摘に、はっとする。子供を抱きしめればいいって問題じゃないのだ。語る能力のない連中がのさばっているというのも、こわい。
あれもこれも、これまでの言葉の粗略な扱いのツケがまわってきたのだ。怒鳴り声やタンカは言葉ではない、ということだけは、上は文芸評論、政治家の言説から、下はわれわれの日常のつきあいまで、もろもろを顧みて、肝に命じておく必要がある。
話題はモダニズムから教科書、入試問題までと幅広く、文明批評あれば体験談あり、あちらと思えば、こちらへと話が飛ぶ。考えることの糸口がぎっしりとつまっている。中身は濃い。結論は、などと、試験勉強じゃあるまいし、イソガナイ、イソガナイ!
「義務教育では楽しいことをさせても仕方がない。義務教育では、しなければいけないことをさせるべきです」という発言に、うーむと感心する。小学校の先生は目をひんむくだろうけれど。
幼児の段階でもすでに母親と子供の間に言語表現を重んじない風潮があるという指摘に、はっとする。子供を抱きしめればいいって問題じゃないのだ。語る能力のない連中がのさばっているというのも、こわい。
あれもこれも、これまでの言葉の粗略な扱いのツケがまわってきたのだ。怒鳴り声やタンカは言葉ではない、ということだけは、上は文芸評論、政治家の言説から、下はわれわれの日常のつきあいまで、もろもろを顧みて、肝に命じておく必要がある。