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還ってきた台湾人日本兵 (文春新書 308) 新書 – 2003/3/1
河崎 眞澄
(著)
日本人として教育され、日本人ではないと捨てられた人々
敗戦の約30年後ジャングルで発見された中村一等兵を、高砂族ゆえに日本は日本人とは認めなかった。証言でたどる忘れ去られた現代史
敗戦の約30年後ジャングルで発見された中村一等兵を、高砂族ゆえに日本は日本人とは認めなかった。証言でたどる忘れ去られた現代史
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2003/3/1
- ISBN-104166603086
- ISBN-13978-4166603084
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2003/3/1)
- 発売日 : 2003/3/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 214ページ
- ISBN-10 : 4166603086
- ISBN-13 : 978-4166603084
- Amazon 売れ筋ランキング: - 500,121位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本には感動した!
2018年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人はどれだけ歴史に翻弄されるのでしょう。 台湾が日本に統治され、日本人としての教育を受けたことは知っていたのに、日本兵として戦地に赴いた多くの台湾人がいたことは知りませんでした。横井さん小野田さんが敗戦を知らずに、ジャングルの中で孤独に生き抜いてきたその年月よりさらに長く生きていた台湾人兵士がいたことも。彼の名は中村輝夫。台湾高砂族の民族名はスニヨン。戦後国民党政権下になってからの名は李光輝。なぜ彼が日本兵となり、戦後30年もジャングルで生きてきたのかを知ると、戦争のむごさと教育の責任を感じずにはいられません。日本兵として戦いながら、戦後は日本人ではないという理由で補償を受けられず、国民党政権下では日本語を使うことさえ認められず生きなければならなかった人々。知らずにいることがどれほど無責任なことか、文中の台湾人の言葉に改めて思い知らされます。『日本は戦後、戦争を否定すると同時に、戦争に参加したすべての人の存在も忘れてしまったようだ。過去に対すつ無反省、現実に対する無認識、植民地だった地域の将来に対する無方策。』『僕は命ある限り、日本の軍歌を歌いながら戦争に反対するよ。』
2012年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2003年、河崎眞澄氏の著書です。
本書は、2001年、産経新聞「日本人の足跡」のなかで、
中村輝夫をテーマにして連載された記事「台湾出身の元日本兵」をベースとして、
未掲載の内容・後の取材内容を盛り込み、大幅に加筆・修正したものです。
中村氏は、1919(大正8)年、台湾アミ族の生まれ。いわば、元日本人の台湾人です。
1942(昭和17)年に志願し従軍、終戦後もインドネシア・モロタイ島に潜伏。
発見されたのが1974(昭和49)年12月、台湾への帰郷が1975(昭和50)年1月。。。終戦後・約30年も、密林で1人で生き抜いていた残留日本兵です。
ちなみに、小野田氏が帰国したのが1974(昭和49)年3月ですから、小野田氏より遅い帰郷になります。
本書では、台湾人・日本人・インドネシア人への多くのインタビュー、書籍・記録などを通じて、
中村氏について、台湾人日本兵について等、書き綴られています。
著者がインドネシア・モロタイ島へ行っての取材も、とても興味深いものです。
特に、心に響いてくるのが、元高砂義勇兵への取材。
戦争に対して、日本に対して、戦後日本に対して、人それぞれの想いが語られ、
読み手としても、いろいろな想い・考え・感情などが、沸き起こってきて。。。目に涙が浮かんできました。
P191〜192にある、
「日本は戦後、戦争を否定すると同時に、戦争に参加したすべての人の存在も忘れてしまったようだ。
過去に対する無反省、現実に対する無認識、植民地だった地域の将来に対する無法策。
戦争は数年だったが、植民地支配は50年に及んだ。これは日本社会全体の責任だと考えるべきです」という台湾の方の言葉。
日本社会の一員として読むべき1冊だと思います。
本書は、2001年、産経新聞「日本人の足跡」のなかで、
中村輝夫をテーマにして連載された記事「台湾出身の元日本兵」をベースとして、
未掲載の内容・後の取材内容を盛り込み、大幅に加筆・修正したものです。
中村氏は、1919(大正8)年、台湾アミ族の生まれ。いわば、元日本人の台湾人です。
1942(昭和17)年に志願し従軍、終戦後もインドネシア・モロタイ島に潜伏。
発見されたのが1974(昭和49)年12月、台湾への帰郷が1975(昭和50)年1月。。。終戦後・約30年も、密林で1人で生き抜いていた残留日本兵です。
ちなみに、小野田氏が帰国したのが1974(昭和49)年3月ですから、小野田氏より遅い帰郷になります。
本書では、台湾人・日本人・インドネシア人への多くのインタビュー、書籍・記録などを通じて、
中村氏について、台湾人日本兵について等、書き綴られています。
著者がインドネシア・モロタイ島へ行っての取材も、とても興味深いものです。
特に、心に響いてくるのが、元高砂義勇兵への取材。
戦争に対して、日本に対して、戦後日本に対して、人それぞれの想いが語られ、
読み手としても、いろいろな想い・考え・感情などが、沸き起こってきて。。。目に涙が浮かんできました。
P191〜192にある、
「日本は戦後、戦争を否定すると同時に、戦争に参加したすべての人の存在も忘れてしまったようだ。
過去に対する無反省、現実に対する無認識、植民地だった地域の将来に対する無法策。
戦争は数年だったが、植民地支配は50年に及んだ。これは日本社会全体の責任だと考えるべきです」という台湾の方の言葉。
日本社会の一員として読むべき1冊だと思います。
2023年5月5日に日本でレビュー済み
河崎真澄 「還ってきた台湾人日本兵」
台湾の高砂族は、理論上の世界は無視して目に見える世界だけが全てだという思考パターンを持っているという。これは嘗て政権を執った民主党の政治家で台湾出身の国会議員が仮定の話には答えないと言った時の答弁を思い出させる。高砂族出身の人だったのですかねぇ。存じ上げませんが。思考パターンがまるで日本を滅ぼすために来たかと思うような人でした例えば、塩の備蓄の必要性を否定したり、と国家の未来を考える理論がなく、目先の現実しか見えていないような気がしました。
台湾は今では日本より経済力も上でいろいろな政策が好調で小さな島国ですが、蔡英文総統指揮下、独立国のように見えます。台湾には1930年に霧社の乱という高砂族の反乱があり、日本人小学校が襲撃されて134人が殺害される事件があったそうですが、今、2023年には何となく親日的に見えるのは大陸との関係で日本人を利用したいのかなという疑心暗鬼の心が起きます。大分以前ですが、1937年(昭和12)7月7日夜に始まった盧溝橋事件は中国側から発砲があって戦端が開かれたという今のロシアが行うニセハタ作戦に似た話で日本軍が因縁をつけて喧嘩を売ったと思い込んでいました。こうして、全ては日本人が悪者となっていたようですが、真実は当時の共産党軍が、共産党を攻撃の目標にする蒋介石軍を、日本軍に攻撃させて漁夫の利を得ようと言う作戦だったらしいことが新聞に発表されました。史実と言うのは、時が経っても本当は何があったのか分からないことだらけです。
日本人はいつも中国人に手玉に取られていいように利用させているように見えて、日本の中でも、もっとも優秀な人々が国家公務員となって政治家の政策を実現しようとしているのでしょうが、詐欺にあって踊らさせられることがないように、しっかり未来の利害を見据えて導いて欲しいものです。
高砂族には、敵が撃つ前に撃ってはいけない。そうすれば神様がお前を守ってくれるという教えがあるそうですが、中村輝夫さんはそれを守って生きてきたという。1975年1月8日に発見されて、1979年6月15日に肺がんで亡くなったと言う。帰国後、それまでの禁欲生活から解放されて、煙草を吸い、満腹食べて、肺がんになったと言う。何でも自由に好き放題、欲望に従っていると碌な目に遭わない、禁欲生活まではいかないにしても何事も節制が大切なのでしょうが。
台湾の元総統李登輝さんは、中村輝夫の死に寄せて日本人が台湾の残したものとして、勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法精神、清潔、この日本人精神が台湾を復興させたと述べていますが、どうなのでしょうか。今の日本人は、特に自己犠牲となると、韓国人や台湾人の足元にも及ばないのではないでしょうか。そんな気がします。随分、日本人が高く評価されているので驚きます。台湾も同じです。こんな精神があったならば、中村さんはもっと長命であったのではないでしょうか。社会にも大きな貢献をしたのではないでしょうか。
台湾の高砂族は、理論上の世界は無視して目に見える世界だけが全てだという思考パターンを持っているという。これは嘗て政権を執った民主党の政治家で台湾出身の国会議員が仮定の話には答えないと言った時の答弁を思い出させる。高砂族出身の人だったのですかねぇ。存じ上げませんが。思考パターンがまるで日本を滅ぼすために来たかと思うような人でした例えば、塩の備蓄の必要性を否定したり、と国家の未来を考える理論がなく、目先の現実しか見えていないような気がしました。
台湾は今では日本より経済力も上でいろいろな政策が好調で小さな島国ですが、蔡英文総統指揮下、独立国のように見えます。台湾には1930年に霧社の乱という高砂族の反乱があり、日本人小学校が襲撃されて134人が殺害される事件があったそうですが、今、2023年には何となく親日的に見えるのは大陸との関係で日本人を利用したいのかなという疑心暗鬼の心が起きます。大分以前ですが、1937年(昭和12)7月7日夜に始まった盧溝橋事件は中国側から発砲があって戦端が開かれたという今のロシアが行うニセハタ作戦に似た話で日本軍が因縁をつけて喧嘩を売ったと思い込んでいました。こうして、全ては日本人が悪者となっていたようですが、真実は当時の共産党軍が、共産党を攻撃の目標にする蒋介石軍を、日本軍に攻撃させて漁夫の利を得ようと言う作戦だったらしいことが新聞に発表されました。史実と言うのは、時が経っても本当は何があったのか分からないことだらけです。
日本人はいつも中国人に手玉に取られていいように利用させているように見えて、日本の中でも、もっとも優秀な人々が国家公務員となって政治家の政策を実現しようとしているのでしょうが、詐欺にあって踊らさせられることがないように、しっかり未来の利害を見据えて導いて欲しいものです。
高砂族には、敵が撃つ前に撃ってはいけない。そうすれば神様がお前を守ってくれるという教えがあるそうですが、中村輝夫さんはそれを守って生きてきたという。1975年1月8日に発見されて、1979年6月15日に肺がんで亡くなったと言う。帰国後、それまでの禁欲生活から解放されて、煙草を吸い、満腹食べて、肺がんになったと言う。何でも自由に好き放題、欲望に従っていると碌な目に遭わない、禁欲生活まではいかないにしても何事も節制が大切なのでしょうが。
台湾の元総統李登輝さんは、中村輝夫の死に寄せて日本人が台湾の残したものとして、勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法精神、清潔、この日本人精神が台湾を復興させたと述べていますが、どうなのでしょうか。今の日本人は、特に自己犠牲となると、韓国人や台湾人の足元にも及ばないのではないでしょうか。そんな気がします。随分、日本人が高く評価されているので驚きます。台湾も同じです。こんな精神があったならば、中村さんはもっと長命であったのではないでしょうか。社会にも大きな貢献をしたのではないでしょうか。
2015年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小野田少尉が最後だと思っていたが、台湾人が出てきたとは・・しかし小野田少尉と違ってこちらは何か悲しい。
2020年6月1日に日本でレビュー済み
星を一つ削った理由は、2001年取材ということで、その後の歴史資料研究で明らかになった重要な史実、例えば薫特攻隊が高砂族により編成されていたこと等の記述が近年出版された本に比べて弱いという、取材時の限界によるものだ。ただし、高砂族の元日本陸軍従軍経験者、本書タイトルになった元台湾人日本兵の中村輝夫/スニヨン氏の遺族へのインタビューは、オーラルヒストリーの記録として今も参照されるべき、非常に貴重なものだ。
特に、中村/スニヨン氏の台湾帰還後から現代(取材時)までの、余り幸せそうではない一族の様子に関する情報は、新聞記者による現地取材の賜物だろう。健康な状態でジャングルから帰還した当時50代の中村/スニヨン氏が、台湾帰国後わずか4年で不摂生により亡くなるまでの様子は、今の言葉でいうPTSDを連想させる。が、寧ろ彼の場合は、彼とっての終戦(インドネシアでの発見)と台湾帰還後の生活で、心を壊したように見える点が悲しい。(日本でも一時的に有名になった彼は、日本人観光客を相手に、ジャングル生活を再現したハリボテの中で愛想を振りまく見世物に出演していたという。)
彼も含め、旧台湾人日本兵士/軍属への日本政府の扱いは情けない限りだが、取材に協力した台湾人研究者の以下の言葉は、今読んでも耳に痛い。
「安っぽく過去を懐かしむだけでは将来はない。植民地の後処理をきちんとしないうちは、日本の戦後は終わらないし、未来も始まらない。」(p.191)
なお、本書の巻末には、あの李登輝氏があとがきを寄せている。
特に、中村/スニヨン氏の台湾帰還後から現代(取材時)までの、余り幸せそうではない一族の様子に関する情報は、新聞記者による現地取材の賜物だろう。健康な状態でジャングルから帰還した当時50代の中村/スニヨン氏が、台湾帰国後わずか4年で不摂生により亡くなるまでの様子は、今の言葉でいうPTSDを連想させる。が、寧ろ彼の場合は、彼とっての終戦(インドネシアでの発見)と台湾帰還後の生活で、心を壊したように見える点が悲しい。(日本でも一時的に有名になった彼は、日本人観光客を相手に、ジャングル生活を再現したハリボテの中で愛想を振りまく見世物に出演していたという。)
彼も含め、旧台湾人日本兵士/軍属への日本政府の扱いは情けない限りだが、取材に協力した台湾人研究者の以下の言葉は、今読んでも耳に痛い。
「安っぽく過去を懐かしむだけでは将来はない。植民地の後処理をきちんとしないうちは、日本の戦後は終わらないし、未来も始まらない。」(p.191)
なお、本書の巻末には、あの李登輝氏があとがきを寄せている。
2004年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この書を読むまで台湾人日本兵の問題を全く知らなかった。
台湾が日本の植民地であった以上、台湾人が日本軍に参加していたことは予想の範囲内であった。
本書は30年間ジャングルに潜伏した台湾人元日本兵を軸に、存命の他の元日本兵の取材を加え植民地統治時代の日本が台湾、特に先住民の心に残した足跡を描いた好著である。
この中村輝夫、李光輝、スニヨンと3つの名前を持つ元日本兵の人生は非常に興味深いものである。
台湾先住民の出身であり、日本軍に従軍、ジャングルで30年間の逃亡生活を終えると、大日本帝国は存在せず、台湾は中華民国となり大陸とは別政権となっていた。彼の故郷は台湾を含む日本であり、漢民族の支配する中華民国ではなかった。日本にとっても中華民国にとってもやっかいものとなっていた。
台湾への帰郷後も妻の再婚、日本政府からの多額の見舞金による周囲との軋轢などによって寂しく人生を終えた。
同じジャングルに逃亡していた旧日本兵の小野田寛雄や横井庄一と大きく違った後生であった。それは日本民族でなく台湾人であったことから来るものであろう。帰還時期も間が悪く、中華民国と日本に国交の存続している時期であったらまた少しは違った結末になっていたかもしれない。
旧日本兵中村輝夫の国際政治の荒波に翻弄された人生の中に日本の近現代史の軌跡が鮮やかに浮かび上がっている。
台湾が日本の植民地であった以上、台湾人が日本軍に参加していたことは予想の範囲内であった。
本書は30年間ジャングルに潜伏した台湾人元日本兵を軸に、存命の他の元日本兵の取材を加え植民地統治時代の日本が台湾、特に先住民の心に残した足跡を描いた好著である。
この中村輝夫、李光輝、スニヨンと3つの名前を持つ元日本兵の人生は非常に興味深いものである。
台湾先住民の出身であり、日本軍に従軍、ジャングルで30年間の逃亡生活を終えると、大日本帝国は存在せず、台湾は中華民国となり大陸とは別政権となっていた。彼の故郷は台湾を含む日本であり、漢民族の支配する中華民国ではなかった。日本にとっても中華民国にとってもやっかいものとなっていた。
台湾への帰郷後も妻の再婚、日本政府からの多額の見舞金による周囲との軋轢などによって寂しく人生を終えた。
同じジャングルに逃亡していた旧日本兵の小野田寛雄や横井庄一と大きく違った後生であった。それは日本民族でなく台湾人であったことから来るものであろう。帰還時期も間が悪く、中華民国と日本に国交の存続している時期であったらまた少しは違った結末になっていたかもしれない。
旧日本兵中村輝夫の国際政治の荒波に翻弄された人生の中に日本の近現代史の軌跡が鮮やかに浮かび上がっている。
2003年4月27日に日本でレビュー済み
この本の主人公は台湾出身の元日本兵で、終戦を知らずに30年もインドネシアのジャングルの中で生きていた、中村輝夫という人物である。 彼は台湾人ということで、戦後発見されたあともあまり多くのひとの記憶には残らずに、歴史のなかに消えていった。
彼の生きた数奇な運命。 ジャングルでの30年と、日本に対する愛国心、そして帰国して待っていた悲劇。 これを知ることは、日本の戦争が台湾の少数民族にもたらした物質的、精神的影響の大きさを知ることでもある。 日本の植民地政策の功罪も考えさせられる。 今も靖国神社に参拝するのが夢という台湾人の元日本軍兵士がいる反面、台湾と断交状態を続けている我が国の政策には、あきれてしまう以上に怒りさえおぼえる。
彼の生きた数奇な運命。 ジャングルでの30年と、日本に対する愛国心、そして帰国して待っていた悲劇。 これを知ることは、日本の戦争が台湾の少数民族にもたらした物質的、精神的影響の大きさを知ることでもある。 日本の植民地政策の功罪も考えさせられる。 今も靖国神社に参拝するのが夢という台湾人の元日本軍兵士がいる反面、台湾と断交状態を続けている我が国の政策には、あきれてしまう以上に怒りさえおぼえる。