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スクリーンの中の戦争 (文春新書 425) 新書 – 2005/2/1
坂本 多加雄
(著)
- 本の長さ274ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2005/2/1
- ISBN-104166604252
- ISBN-13978-4166604258
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2005/2/1)
- 発売日 : 2005/2/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 274ページ
- ISBN-10 : 4166604252
- ISBN-13 : 978-4166604258
- Amazon 売れ筋ランキング: - 771,302位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書で取り上げられている映画の内容は大体掴めるように書かれているので、事前に見ておく必要はない。それどころか、映画に全く興味のない人が読んでも有益な著作になると思う。なぜなら、著者が一番訴えたかったことは「表面的なことでなく本質を見極めろ」で、映画はあくまでも例の一つに過ぎないと思うからである。本書を読んで、日本絡みの戦争を一番的確に描いたのはスピルバーグの『太陽の帝国』だと思えるようになったのだが、日本で流行らなかったのは、多くの日本人が近代史に鈍感だったとの著者の推察には同意せざるを得ない。「太陽=日の丸」で、『太陽の帝国』が大日本帝国のことを指していることさえ、私も本書を読むまで気付かなかったのである。一見、戦争とは何の関わりもないような映画もいくつか取り上げられているが、『エマニエル夫人』では白人が妄想するアジアを指摘するなど、著者の洞察力は鋭い。戦争映画の人が殺されるシーンを指して、「だから戦争をしてはいけないのです」と言ったステレオタイプな反応をすることだけは避けたいものである。
2013年12月23日に日本でレビュー済み
著者坂本は1950年生まれ、学習院大学法学部教授。02年没。
遺作となる本書はハリウッド、日本映画を政治思想的側面からそこに隠された意味、記号を読み解いていく。スピルバーグの「太陽の帝国」論は白眉であるが、小津映画「東京物語」を解読し蓮実重彦の皮相的な読み方に反論を試みる。<一見淡々とした日常の中に存在をなにげなく潜ませているが故に、観る者の視点によって、変化に富んだ相貌を見せるのが小津映画でありそれ故多くの観客をひきつける。>
80年代の小津ブーム以降、日常をテーマに多くの日本映画がつくられたが退屈なものにしかならないのは現在では小津映画を支えた芸達者な役者がおらず、また芸達者を演じさせるすぐれた演出家がいないこと、それだけの演出力をもった映画監督がいないからだと断言する。<小津が丁寧に描く日常は、死や結婚により、家族の一員が欠けた時に生まれる空虚―寂しさをより強調します。起伏がないドラマがない故に要求される緻密で豊潤な世界を構築することは、なまなかな才能にできることではありません。>
そして小津作品の本質を見事にうきあがらせる。<小津作品の本質は和辻哲郎の人間の本質は「間柄」の中でこそ認められるものであり故に小津映画の登場人物が、別離に際しても泣かないのは、結局親の死、娘の結婚による、縦の親子関係の喪失にまつわる寂しさをどう受け入れていくかを描いているのであって、別離そのものが主題ではないからだ。>
多くの映画論集の中でも本書は「名著」として残されるべき一冊である。
遺作となる本書はハリウッド、日本映画を政治思想的側面からそこに隠された意味、記号を読み解いていく。スピルバーグの「太陽の帝国」論は白眉であるが、小津映画「東京物語」を解読し蓮実重彦の皮相的な読み方に反論を試みる。<一見淡々とした日常の中に存在をなにげなく潜ませているが故に、観る者の視点によって、変化に富んだ相貌を見せるのが小津映画でありそれ故多くの観客をひきつける。>
80年代の小津ブーム以降、日常をテーマに多くの日本映画がつくられたが退屈なものにしかならないのは現在では小津映画を支えた芸達者な役者がおらず、また芸達者を演じさせるすぐれた演出家がいないこと、それだけの演出力をもった映画監督がいないからだと断言する。<小津が丁寧に描く日常は、死や結婚により、家族の一員が欠けた時に生まれる空虚―寂しさをより強調します。起伏がないドラマがない故に要求される緻密で豊潤な世界を構築することは、なまなかな才能にできることではありません。>
そして小津作品の本質を見事にうきあがらせる。<小津作品の本質は和辻哲郎の人間の本質は「間柄」の中でこそ認められるものであり故に小津映画の登場人物が、別離に際しても泣かないのは、結局親の死、娘の結婚による、縦の親子関係の喪失にまつわる寂しさをどう受け入れていくかを描いているのであって、別離そのものが主題ではないからだ。>
多くの映画論集の中でも本書は「名著」として残されるべき一冊である。
2005年3月3日に日本でレビュー済み
”歴史の知識やセンスが乏しいまま映画を見て”、結果として、大変な誤読や誤解に陥ってしまうのが今の日本です。誤読や誤解自体の持つ価値を否定することはできませんが、作り手の意図をまったく無視して、まじめに誤読してしまうのは、喜劇的なピエロです。だとすると、この短い著作は、日本の戦った戦争(例外としてヴェトナム戦争も出てきますが)を理解する際の、sense of proportion と”文脈”の理解の重要性を取り戻すヒントを、過去の名画を題材として、与えてくれます。その意味で、映画業界関連の人々は、営業上意図的にか無意識なのかわかりませんが、基本的に、誤読や洗脳のヒントをばら撒いて混乱させていることが多いようです。私が、興味深く読んだのは、”太陽の帝国”と小津安二郎の部分ですね。
2009年11月18日に日本でレビュー済み
何気に手に取った本なのですが、いろいろな意味で面白い本でした。
いきなり映画のシノプシスを語りだしたので、退屈な本なのかな、と思ったのですが、色々な発見がありました。こういう映画評論もあるんですね。映画評論家にはできない芸当ですね。深読みも、ここまで深いと、すごいです。しかも全編を通じた深読みです。ここまで行くと、映画を観ることは本を読むことと同じですね。
映画の背景となる歴史的なことに触れているのですが、日本の戦前の昭和史を語るところなんか、真に迫っています。本当に体験した老学者が書いたのかと思ったら、著者は1950年生まれなんですね。いわゆる全共闘世代です。この世代の学者は基本的にノンポリです。全共闘だったら、大学残ってないですよね。意識してか無意識か、軽さを身上とし、テレビなんかに出るのを喜び、学生なんかには「マンガも読むよ。」みたいなことを言う人が多いです。あとスポーツ好きだったりして。文章も軽い人が多いです。優秀な人は、いわゆる"Wise Crack"的な、「頭よさそうな軽口」的な文章を書く人もいます。著者の文章には重みがあります。一世代前の学者を思い出させます。この世代に、こんな学者がいたんですね。お亡くなりになったのが残念です。
p.s.真に迫った歴史像が映画を経由したものだと思うと、ちょっと不思議な気がします。我々の歴史像はこのようにして、映画だの、本だの、テレビだの、メディアを経由して形成されていくんですね。話し好きの老人(語り部)も一種のメディアですね。
いきなり映画のシノプシスを語りだしたので、退屈な本なのかな、と思ったのですが、色々な発見がありました。こういう映画評論もあるんですね。映画評論家にはできない芸当ですね。深読みも、ここまで深いと、すごいです。しかも全編を通じた深読みです。ここまで行くと、映画を観ることは本を読むことと同じですね。
映画の背景となる歴史的なことに触れているのですが、日本の戦前の昭和史を語るところなんか、真に迫っています。本当に体験した老学者が書いたのかと思ったら、著者は1950年生まれなんですね。いわゆる全共闘世代です。この世代の学者は基本的にノンポリです。全共闘だったら、大学残ってないですよね。意識してか無意識か、軽さを身上とし、テレビなんかに出るのを喜び、学生なんかには「マンガも読むよ。」みたいなことを言う人が多いです。あとスポーツ好きだったりして。文章も軽い人が多いです。優秀な人は、いわゆる"Wise Crack"的な、「頭よさそうな軽口」的な文章を書く人もいます。著者の文章には重みがあります。一世代前の学者を思い出させます。この世代に、こんな学者がいたんですね。お亡くなりになったのが残念です。
p.s.真に迫った歴史像が映画を経由したものだと思うと、ちょっと不思議な気がします。我々の歴史像はこのようにして、映画だの、本だの、テレビだの、メディアを経由して形成されていくんですね。話し好きの老人(語り部)も一種のメディアですね。
2010年1月22日に日本でレビュー済み
戦後世代で最強の「思想的指南力」を遺憾なく発揮していた坂本氏の映画論である。
『国家学のすすめ』や『新しい福沢諭吉』などの手堅い論述とは、だいぶ趣の違う筆致が印象にのこる。
なにげないひと言にも鋭い(がけっして批評された人を傷つけない「余裕」の文章には独得のものがある)論点がかくれていて、今後なんども読み返すことになるだろうと予感させる。
「太陽の帝国」論がすばらしい。没落の英国という視点に、米国の実行した「原爆」の意味を(重ねきれずに)重ねるところで、わたしには少し物足りなさがのこった。米国は「謝罪」などする気もないように「見える」のが勘所である。米国の「無意識」には「原爆」という心的外傷が突き刺さっているように思える。その傷を見ることへの「恐怖」を描けるのはスピルバーグだけなのかと、この映画を見、坂本氏のこの本を読み、そう思った。
「東京物語」(小津監督)論もすばらしい。小津映画を理解するには、ハイデガーによりは、むしろそれを「批判という形を借りて」展開した和辻哲郎の「間柄」の視点が不可欠だという。ここをもっと掘り下げてほしかったが、いまとなっては、残されたものがそれを受け継ぐしかないのだろう。
「陸軍」(木下恵介)の田中絹代は(本書とは関係なく)すばらしく、「タクシードライバー」(スコセッシ)論も明晰である。
『国家学のすすめ』や『新しい福沢諭吉』などの手堅い論述とは、だいぶ趣の違う筆致が印象にのこる。
なにげないひと言にも鋭い(がけっして批評された人を傷つけない「余裕」の文章には独得のものがある)論点がかくれていて、今後なんども読み返すことになるだろうと予感させる。
「太陽の帝国」論がすばらしい。没落の英国という視点に、米国の実行した「原爆」の意味を(重ねきれずに)重ねるところで、わたしには少し物足りなさがのこった。米国は「謝罪」などする気もないように「見える」のが勘所である。米国の「無意識」には「原爆」という心的外傷が突き刺さっているように思える。その傷を見ることへの「恐怖」を描けるのはスピルバーグだけなのかと、この映画を見、坂本氏のこの本を読み、そう思った。
「東京物語」(小津監督)論もすばらしい。小津映画を理解するには、ハイデガーによりは、むしろそれを「批判という形を借りて」展開した和辻哲郎の「間柄」の視点が不可欠だという。ここをもっと掘り下げてほしかったが、いまとなっては、残されたものがそれを受け継ぐしかないのだろう。
「陸軍」(木下恵介)の田中絹代は(本書とは関係なく)すばらしく、「タクシードライバー」(スコセッシ)論も明晰である。
2008年11月7日に日本でレビュー済み
この本を読めば坂本氏が映画のどんな点に注目していたのかがよく分かります。それは普通の人間がちゃんと描かれているか、という点だと思います。普通の人間とは善人でもなく、悪人でもなく、善をなそうとして悪をなし、幸せになろうとして不幸になる、そんな悲しい人間像です。
この人間像は左翼の考える人間像とは対極にあるものです。左翼の考える人間像は良い人間が良いことをすれば良い結果になる、という人間像です(理想主義)。そのため悪い結果になれば悪い人間が悪いことをした、という結論になります(過去を断罪)。
この本を読めば保守主義者がどのような姿勢で映画、歴史、社会に向き合っているのかよく理解できると思います。
この人間像は左翼の考える人間像とは対極にあるものです。左翼の考える人間像は良い人間が良いことをすれば良い結果になる、という人間像です(理想主義)。そのため悪い結果になれば悪い人間が悪いことをした、という結論になります(過去を断罪)。
この本を読めば保守主義者がどのような姿勢で映画、歴史、社会に向き合っているのかよく理解できると思います。