古書注文だったが新品である。
本の中身は、批判に対する反論というより、親と子の関係の丁寧な心理学的解説であり。必読の書だ
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唯幻論物語 (文春新書) 新書 – 2005/8/19
岸田 秀
(著)
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強迫神経症の原因は、無限・無条件を装った母の愛だった。フロイドとの出会いによる解放、更に独自の理論へと至る思索のドキュメント
- 本の長さ212ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2005/8/19
- ISBN-104166604554
- ISBN-13978-4166604555
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2005/8/19)
- 発売日 : 2005/8/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 212ページ
- ISBN-10 : 4166604554
- ISBN-13 : 978-4166604555
- Amazon 売れ筋ランキング: - 496,951位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,040位文春新書
- - 2,278位臨床心理学・精神分析
- - 7,841位心理学入門
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2011年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、岸田論の集大成が収まっていると言える。
いわば、「脱」ものぐさ化した岸田論である。
今年の始め、『ものぐさ精神分析』に出会って以来、岸田氏の虜になった私は、ものぐさ的?に氏の著作を読み漁っている。
私と岸田氏の来歴は非常に似通っていて、精神分析という自己分析によって自我の認識を定めたところや、
母親との葛藤体験、歴史や事象の精神分析アプローチは、最近、私も同様にひらめき試してみた所である。
(母親が「クモ膜下出血」で死んでいる所まで同じ!)
私は神経症的性格に悩む30間近の男なのであるが、学生時代から歴史を勉強していて、
これまで無意識に囚われていた母性愛幻想から覚醒した時(同『母親幻想』も効いた)、
日本人やその歴史を精神分析できるのではないかと思い立った。
そんな中、そうしたアプローチで身を立ててきたのが他ならぬ岸田氏であることを知った。
実に衝撃的であった。
ところが、『ふき寄せ雑文集』(文春文庫)収録の「2人の父親の話」を読んで違和感を覚えた。
これまで私が首肯していた岸田論との矛盾が発見されたからである。
岸田氏は『ふき寄せ〜』において自身がもらい子であったことをもらしているのであるが、
ここで、氏が悩まされてきた母親は「育ての母」だということを私は初めて知った。
ということは、同書183ページでも書いているように、岸田氏は女郎屋の女主人に育てられた娼妓と同じで、
「投資の対象」として育てられたわけで、その点において、自分が母親の自己実現の道具として扱われたことを
どこかで消化できたのではないかと思ったのである。
氏はいまだに母親を憎んでいるそうだが、彼女は実母ではないのだから、母性愛幻想にそこまで悩まされるのは疑問であった。
岸田氏はその出生にまつわる話をいつ頃聞かされたのか、定かに書いていなかった。
むしろ、私だったら、育ての母親よりも、近所に住んでいたという実母(生物学上の母親)の方に憎しみを持つ。それが自然であろう。
私が子供時代に拭いきれない疑いとして常にあったのは、「この人は本当に自分の母親なのか?」という思いだったのである。
要するに、氏の論理説明には所々に「ものぐさ」的な部分が認められるということである。
本書は、本質的には岸田論への批判に答えることに端を発した反駁本である。
「私の理論の側にも何らかの弱点があるからではないか」(あとがき)と思える岸田氏はえらい。
その意味において、本書は氏が「勝手に書き始め、勝手に書き終えて、完成した形で編集者に提示し、
出版されることになった初めての本」(あとがき)というだけあって、不足なく岸田理論が説明されている。
『ふき寄せ〜』で私が感じた矛盾も解消できた。やはり「唯幻論」は正しいと思った。
実際に、本書の論敵である小谷野敦氏の『すばらしき愚民社会』も拝読したが、氏の批判は的外れであった。
文庫版には補論が追加されていて、さらなる反論を試みている。
しかし、それも誤読がもたらした批判であって、どうみても軍配は岸田氏に上げられる。
ついに岸田氏が「ものぐさ」を脱する本を書いてくれた(と言うか、書いてくれていた)。
「唯幻論」の啓蒙的説明書である。
神経症になやむ人々にとっては、きっと「杖のようなもの」(90ページ)となるだろう。
いわば、「脱」ものぐさ化した岸田論である。
今年の始め、『ものぐさ精神分析』に出会って以来、岸田氏の虜になった私は、ものぐさ的?に氏の著作を読み漁っている。
私と岸田氏の来歴は非常に似通っていて、精神分析という自己分析によって自我の認識を定めたところや、
母親との葛藤体験、歴史や事象の精神分析アプローチは、最近、私も同様にひらめき試してみた所である。
(母親が「クモ膜下出血」で死んでいる所まで同じ!)
私は神経症的性格に悩む30間近の男なのであるが、学生時代から歴史を勉強していて、
これまで無意識に囚われていた母性愛幻想から覚醒した時(同『母親幻想』も効いた)、
日本人やその歴史を精神分析できるのではないかと思い立った。
そんな中、そうしたアプローチで身を立ててきたのが他ならぬ岸田氏であることを知った。
実に衝撃的であった。
ところが、『ふき寄せ雑文集』(文春文庫)収録の「2人の父親の話」を読んで違和感を覚えた。
これまで私が首肯していた岸田論との矛盾が発見されたからである。
岸田氏は『ふき寄せ〜』において自身がもらい子であったことをもらしているのであるが、
ここで、氏が悩まされてきた母親は「育ての母」だということを私は初めて知った。
ということは、同書183ページでも書いているように、岸田氏は女郎屋の女主人に育てられた娼妓と同じで、
「投資の対象」として育てられたわけで、その点において、自分が母親の自己実現の道具として扱われたことを
どこかで消化できたのではないかと思ったのである。
氏はいまだに母親を憎んでいるそうだが、彼女は実母ではないのだから、母性愛幻想にそこまで悩まされるのは疑問であった。
岸田氏はその出生にまつわる話をいつ頃聞かされたのか、定かに書いていなかった。
むしろ、私だったら、育ての母親よりも、近所に住んでいたという実母(生物学上の母親)の方に憎しみを持つ。それが自然であろう。
私が子供時代に拭いきれない疑いとして常にあったのは、「この人は本当に自分の母親なのか?」という思いだったのである。
要するに、氏の論理説明には所々に「ものぐさ」的な部分が認められるということである。
本書は、本質的には岸田論への批判に答えることに端を発した反駁本である。
「私の理論の側にも何らかの弱点があるからではないか」(あとがき)と思える岸田氏はえらい。
その意味において、本書は氏が「勝手に書き始め、勝手に書き終えて、完成した形で編集者に提示し、
出版されることになった初めての本」(あとがき)というだけあって、不足なく岸田理論が説明されている。
『ふき寄せ〜』で私が感じた矛盾も解消できた。やはり「唯幻論」は正しいと思った。
実際に、本書の論敵である小谷野敦氏の『すばらしき愚民社会』も拝読したが、氏の批判は的外れであった。
文庫版には補論が追加されていて、さらなる反論を試みている。
しかし、それも誤読がもたらした批判であって、どうみても軍配は岸田氏に上げられる。
ついに岸田氏が「ものぐさ」を脱する本を書いてくれた(と言うか、書いてくれていた)。
「唯幻論」の啓蒙的説明書である。
神経症になやむ人々にとっては、きっと「杖のようなもの」(90ページ)となるだろう。
2016年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、筆者・岸田秀の「唯幻論」がどのやうにして生まれて来たかを詳しく丁寧に説明してゐる書き下ろし本です。書名に「物語」が付いてゐるのも筆者独自の体験の歩みによって「唯幻論」が創られた事を暗に示してゐます。発刊に至った経緯は、「あとがき」に書かれてある通り、尊敬する読者・小谷野敦の強い批判に反論するために出されたでありました。小谷野の主張は、筆者の神経症の原因が母親に起因したといふ考へ方に対して少し被害妄想的で無理があるのではないかといふ批判であります。親が子に家業を継がせようとする事は、そんなに際立って異常なものではないありふれた事ではないかと小谷野は言ひたいわけであります。それに対して、筆者は本書に詳述した具体的な状況を描いたのですが、内容を知れば読者である私も成程と言ふしかありません。欺瞞的な愛情は、精神を深く病むやうになる事がよく分かりました。そんな精神を深く病んだ状態から筆者は、藁(わら)をもつかむ思ひでフロイドの理論を頼りに自分の神経症を克服しようと精神分析にアプローチして十数年を要するのであります。特に、心理学の概念用語を筆者のリアリティある自己分析し、理解して行く過程の記述は圧倒的でありました。筆者はかう言ひます。「人間は、どうしてこんなことになったのか、どうすればいいのか、何が何だかわけがわからないから、あせって過剰、過激になるのであって、このような神経症的な怒りも、そのほかどのような衝動、症状、不安も、その起源、理由、構造が理解できるようになれば、ほかに何がなくても、ただ理解したというだけで、多かれ少なかれ鎮静し、それに引きずられるようなことはなくなるものである。(本書九十二頁)」 と。かういふ境地になって筆者は心理学的な分析を可能にして行ったのです。松尾芭蕉が詠んだ「夏草やつはものどもが夢のあと」ではありませんが、私は筆者の大いなる苦闘を少しでも理解出来て本当によかったと感じてゐます。そして、更に筆者の理論を学びたく存じます。
2005年8月30日に日本でレビュー済み
快刀乱麻を断つごとく、
唯幻論の切れ味鋭く、ばったばったと斬りまくる。
斬ったもの
史的唯物論
ラカン
ユング
精神分析関係者多数
歴史学者多数
小谷野敦(泣いて馬謖を斬る、かな?やはり刀の穢れか。)
精神分析関係者、歴史関係者、これから学ぼうとする方には必読書。史的唯幻論を理解する為の必読書。
この書は古典になるであろうことを予言しておく。
唯幻論の切れ味鋭く、ばったばったと斬りまくる。
斬ったもの
史的唯物論
ラカン
ユング
精神分析関係者多数
歴史学者多数
小谷野敦(泣いて馬謖を斬る、かな?やはり刀の穢れか。)
精神分析関係者、歴史関係者、これから学ぼうとする方には必読書。史的唯幻論を理解する為の必読書。
この書は古典になるであろうことを予言しておく。
2005年10月16日に日本でレビュー済み
この書籍には強い引力がある、と思いました。
筆者と筆者の母親、筆者と筆者の恋人のエピソードは、まるで自分の事であるかのように思え(そんな体験はしていないのに)一気に読んでしまいました。
私は岸田先生の書籍はこれが初めてですし、精神分析の事もそれほど知識があるとは思いませんが、非常に興味深く読む事が出来ました。
タイトルや表装から難しそうな印象もありますが、先入観を捨てて「先ず読んでみる」事をお薦め致します。
筆者と筆者の母親、筆者と筆者の恋人のエピソードは、まるで自分の事であるかのように思え(そんな体験はしていないのに)一気に読んでしまいました。
私は岸田先生の書籍はこれが初めてですし、精神分析の事もそれほど知識があるとは思いませんが、非常に興味深く読む事が出来ました。
タイトルや表装から難しそうな印象もありますが、先入観を捨てて「先ず読んでみる」事をお薦め致します。
2005年8月21日に日本でレビュー済み
あとがきによれば、著者にとってはじめての書き下ろしの本だということである。自分自身の神経症の経過、母との関係を通じて、唯幻論という卓越した理論を構想するに至った経緯が平易に述べられている。
岸田秀の長所は、彼自身も明確に述べている通り「本を書くときには著者が読者に近づいてゆくべきである」という信念を持っていることだろう。彼がここでユニークな比喩を用いて引き合いに出しているジャック・ラカンとはまさに対照的な姿勢である。
なお、本書は読者がすでに岸田唯幻論について十分な知識があることを前提にしていることに注意しておきたい。
彼の理論に関心のある人にとってはもちろん一読の価値のある本である。ただし、二度読むことはないのではないか。
岸田秀の長所は、彼自身も明確に述べている通り「本を書くときには著者が読者に近づいてゆくべきである」という信念を持っていることだろう。彼がここでユニークな比喩を用いて引き合いに出しているジャック・ラカンとはまさに対照的な姿勢である。
なお、本書は読者がすでに岸田唯幻論について十分な知識があることを前提にしていることに注意しておきたい。
彼の理論に関心のある人にとってはもちろん一読の価値のある本である。ただし、二度読むことはないのではないか。
2007年6月15日に日本でレビュー済み
岸田秀の本は、わかりやすいのでベッドに寝っ転がりながら読んだものである。しかし、そのうちにいろいろと考えさせられて、起き上がったりもした。
この本では、著者のわかりやすさへのこだわりも語られる。それは、自分が興行師の育ちだからかもしれないというが、そもそも、精神分析自体が常識的な人間理解をいくらか深めて体系化したものなのだという。それはすでに諺などでも言及されているとして、多数の語句が挙げられている。例えば「下司の勘ぐり」は「投影」を示しており、それに気付けば自分の無意識を見いだすこともできるのだという。なるほどと思わされる。
逆に、その精神分析をわざわざマルクス主義、構造主義や言語学などの別の枠組みに入れたり、独自の用語に特別な意味をつけて難しくしている人々のことを批判する。ある人物については、安っぽく見られないために、男にコストを掛けさせる女性に例えている。それは少し言い過ぎか。学者の世界などにいて、オリジナルな業績をあげなくてならなかったという人もいるであろう、一般の読者には関係のないことであるが。
この本でも、著者のわかりやすい語り口は発揮されている。『物語』は、母親との関係が出発点であり、その部分が丁寧に語られる。幸せな親子関係であった人は、このような話に関心を持たないだろうというのだが、そこから生み出された『唯幻論』が、意外な説得力を持っていておもしろく感じた人は、それが生み出された過程にも興味を持つと思う。私自身は、初めて書き下ろしたというこの本を読んで、いくつかのことが一段と腑に落ちた。ただし、史的唯幻論の部分については、まだもやもやする。
精神分析は常識的な人間理解を深めたものだというが、この本を書くきっかけをつくった小谷野氏は、浅い常識の範囲で岸田氏のことを語ってしまったということになるのか。反論されるのなら読んでみたいと思う。
この本では、著者のわかりやすさへのこだわりも語られる。それは、自分が興行師の育ちだからかもしれないというが、そもそも、精神分析自体が常識的な人間理解をいくらか深めて体系化したものなのだという。それはすでに諺などでも言及されているとして、多数の語句が挙げられている。例えば「下司の勘ぐり」は「投影」を示しており、それに気付けば自分の無意識を見いだすこともできるのだという。なるほどと思わされる。
逆に、その精神分析をわざわざマルクス主義、構造主義や言語学などの別の枠組みに入れたり、独自の用語に特別な意味をつけて難しくしている人々のことを批判する。ある人物については、安っぽく見られないために、男にコストを掛けさせる女性に例えている。それは少し言い過ぎか。学者の世界などにいて、オリジナルな業績をあげなくてならなかったという人もいるであろう、一般の読者には関係のないことであるが。
この本でも、著者のわかりやすい語り口は発揮されている。『物語』は、母親との関係が出発点であり、その部分が丁寧に語られる。幸せな親子関係であった人は、このような話に関心を持たないだろうというのだが、そこから生み出された『唯幻論』が、意外な説得力を持っていておもしろく感じた人は、それが生み出された過程にも興味を持つと思う。私自身は、初めて書き下ろしたというこの本を読んで、いくつかのことが一段と腑に落ちた。ただし、史的唯幻論の部分については、まだもやもやする。
精神分析は常識的な人間理解を深めたものだというが、この本を書くきっかけをつくった小谷野氏は、浅い常識の範囲で岸田氏のことを語ってしまったということになるのか。反論されるのなら読んでみたいと思う。
2006年1月23日に日本でレビュー済み
岸田さんの友人の探偵会社を経営している人の話が面白かった。探偵として有能な人材を雇うと、秘密の漏洩、寝返りなど困ったこともする。そういうことをしない正直な人を雇うと、探偵としては無能。我が社でも当てはまりそうな。。。