私も皇太子殿下と同学年です。浩宮さまの(今で言う)グラビア満載の小学○年生などという雑誌を見ながら育ちました。学生時代、オックスフォード留学時代、皇太子妃が決まるまで、お二人のご婚約記者会見、輝かしかったご成婚パレード、その後の皇室のありようなど、世間並みにニュースを拝見しながら、皇太子殿下にも雅子妃殿下にも、僭越ながら同世代人の一市民として関心を寄せて来ました。
日頃の福田氏の著作を読んで、必ずしも共鳴できるものばかりではない、というのが正直なところです。ただこの本については、福田氏自身が私自身と同世代である、という事実をつくづく認識させられました。その点、書いている主張に論理としてではなく、感覚として共感する部分が多かったように思います。また、この一冊でこれを訴える!という主張が強くあるわけではなく、比較的中庸、というスタンスのように思われます。
本全体としては、むしろ天皇・皇后両陛下について考えさせられる部分が多々ありました。お立場の差こそあれ昭和一ケタのお生まれで、戦前・戦中・戦後の日本の荒波にもまれ、今日の日本という国が存在し、皇室が(制度の変化はともかく)存続し得たという事実の重みを今や一身に背負われているように思われる両陛下。福田氏は、両陛下の勤勉な(年齢を考えれば苦行のような)ご公務への姿勢は、逆に皇太子ご夫妻や今後の皇室にとって、ある意味では負担になって行きはしないかと危惧しています。その怖れは当たっているかもしれません。しかしさりとて、お二人に別の道があったでしょうか。戦後頑ななまでにご自分の「私」を封印された昭和天皇のもと、両陛下に課された責務は本当に重いものだったはずです。他国に対しても国民に対しても、お二人は失敗をすることはできなかった。皇室が皇室たりうる拠り所である祭祀に代表される日本独自の伝統を守るよう、日常も子育ても後ろ指をさされぬよう、ひたすらに勤められようとする両陛下の姿勢は、必然不可避のものだったように思います。責めることはできないのではないでしょうか。
青年時代の浩宮さまを見ながら、若いのによくできたもんだ、たいしたもんだ、これなら大丈夫だ…と思ったものです。完璧な子育てによって育まれた完璧な世継ぎ、むしろよくできてい過ぎた、というところが問題なのかも、と福田氏はいいます。確かにそうかもしれません。あの記者会見以来の天皇御一家それぞれのご発言のきしみについても、誰も悪意の人はいないのです。そこが問題なのだと思います。象徴天皇制というけれど、象徴すべき私たち国民が目指すべき日本国民像とはいったい何なのか。皇族だけを苦しませておかず、国民も真摯に考えるべきではないでしょうか。
私たちの世代は安保闘争前後に生まれ、大学紛争もよく知らず、高度成長社会の明るさの中で子ども時代を過ごしました。ある意味打たれ弱いかもしれません。それだけに、かの白洲正子が当時の美智子妃殿下に寄せたという、悩み抜くという貴重な体験、という強烈な言葉にははっとさせられました。悩みに悩んで、しなやかにつよくならなければ。また、紀宮さまは本当に聡明な女性ですね。かねてからそのお言葉には感心していましたが。
福田氏は現在文芸春秋に「昭和天皇」を連載しています。この先も楽しみに読ませてもらおうと思います。その期待で0.5ポイント上乗せして★5つです。本書は読みやすいけど、もっと強烈な福田節がお好きな向きには物足りないかも。
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美智子皇后と雅子妃 (文春新書) 新書 – 2005/10/20
福田 和也
(著)
夫と妻、母と子などの人間関係を多角的に検証し、これからの皇室のあり方を探る! 皇太子と同じ年に生まれた著者ならではの皇室論
- 本の長さ184ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2005/10/20
- ISBN-10416660466X
- ISBN-13978-4166604661
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2005/10/20)
- 発売日 : 2005/10/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 184ページ
- ISBN-10 : 416660466X
- ISBN-13 : 978-4166604661
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,309位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞。著書に『日本の近代(上・下)』『昭和天皇』など多数。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2007年2月20日に日本でレビュー済み
皇室ライターというわけではない著者による、皇太子夫妻の現状を憂えた分析である。
これが書かれた直接のきっかけはやはり、人格否定発言によるもので、著者が皇太子と同年代という共通点もあるそうだ。
全体の印象としては、まあ、ぶあついセーターの上から背中を掻いているような…「言えない」という強いプレッシャーが感じられる。
しかし、いくらか新しいものも提示されており、「雅子妃の不例は根本的に皇太子自身が抱えていた問題が原因」というのがそれだと思う。これは、女性週刊誌などの「手のかかる子供もいるのに病気の妻をかかえ、孤軍奮闘する健気な夫」という皇太子観とは甚だ異なるものである。
著者は「皇太子自身が背負っていたもともとの問題」について、「民間出身の母に恥をかかせまいとする健気な長男」「腹心となる人間がいないという孤独」などで説明しているが、どうも奥歯にモノがはさまった感じは否めない。
また、これが書かれた段階では仕方がなかったかもしれないが、「美智子皇后と雅子妃」そして「今上天皇と皇太子」を比較することで「いま皇室で、誰にどのような変化が起きているのか」を語るのなら、紀子妃をはずしてはならなかった。素人目に見ても、紀子妃は完璧に皇室の人間に成りえている。
著者は美智子皇后と雅子妃をそれぞれの実家の成り立ちから説明し、家風がこうだから、たぶん本人もこういう性質なんだろう、というふうに説く。
しかも、「父方の家風を受け入れたのか、それとも母方だろうか」などと念のいった分析まで。それは確かに人の一面である。
が、現代に生きる人とはもっと複雑に成り立っているのではないか。
「家風」で特定の人物の人と成りを説明しようとするのは、現代の人物に対する方法としては古いと思うし、それをするなら雅子妃の外交官時代を分析するほうが実があると思う。一般に、女性は働くことで多くを学び、変わるものだから。
これが書かれた直接のきっかけはやはり、人格否定発言によるもので、著者が皇太子と同年代という共通点もあるそうだ。
全体の印象としては、まあ、ぶあついセーターの上から背中を掻いているような…「言えない」という強いプレッシャーが感じられる。
しかし、いくらか新しいものも提示されており、「雅子妃の不例は根本的に皇太子自身が抱えていた問題が原因」というのがそれだと思う。これは、女性週刊誌などの「手のかかる子供もいるのに病気の妻をかかえ、孤軍奮闘する健気な夫」という皇太子観とは甚だ異なるものである。
著者は「皇太子自身が背負っていたもともとの問題」について、「民間出身の母に恥をかかせまいとする健気な長男」「腹心となる人間がいないという孤独」などで説明しているが、どうも奥歯にモノがはさまった感じは否めない。
また、これが書かれた段階では仕方がなかったかもしれないが、「美智子皇后と雅子妃」そして「今上天皇と皇太子」を比較することで「いま皇室で、誰にどのような変化が起きているのか」を語るのなら、紀子妃をはずしてはならなかった。素人目に見ても、紀子妃は完璧に皇室の人間に成りえている。
著者は美智子皇后と雅子妃をそれぞれの実家の成り立ちから説明し、家風がこうだから、たぶん本人もこういう性質なんだろう、というふうに説く。
しかも、「父方の家風を受け入れたのか、それとも母方だろうか」などと念のいった分析まで。それは確かに人の一面である。
が、現代に生きる人とはもっと複雑に成り立っているのではないか。
「家風」で特定の人物の人と成りを説明しようとするのは、現代の人物に対する方法としては古いと思うし、それをするなら雅子妃の外交官時代を分析するほうが実があると思う。一般に、女性は働くことで多くを学び、変わるものだから。
2011年1月26日に日本でレビュー済み
「禁欲と教養」をこととするブルジョア的な家の美智子と、「勤勉と実学」を掲げる官僚的価値観の家の雅子。というふうに図式化してはります。
んで、他のレビューにもあったように、奥歯に鶏肉の筋が挟まったような物言いになっていますけども、ようは福田せんせとしては、「雅子より美智子のほうが上」って言いたいわけですよね。
「キャリアウーマン」という言葉の軽さというか、時代に迎合した空気というか、立身出世はいいんだけどそれってようするに成り上がりってことだよね、というか、そんな感じのことが言いたいのだろうと思ったのでした私は。
たしかに、「強さの質」が違うのだろうなあと、思ったりします、美智子と雅子。天皇家の嫁としてはもちろん美智子的な強さが向いているということに、なるのでしょうけども。
┏━━━━━━━━━━━━━━━
総合職として手腕を振るうことを覚えた女性たちは、結婚した後も「有能」であろうとした。だが、家事や育児には仕事としての成果も評価も見え難い。(p86)
┗━━━━━━━━━━━━━━━
見え難いんですよねえ。テストの点数とか、職場での仕事のひとつの区切りとか、そういう短いタームで分かりやすい結果と評価が見える話じゃないもんね。そういう環境に慣れた人、ていうか殆どの現代人はそうだと思いますが、にとっては、そら鬱にもなるってもんだよね、「家」という場所は。
皇太子と雅子にしてみれば、もちろん結婚からこっち、想定外なことが余りに多かったのだろうと慮ってやりたくもます。個人の資質云々いう前に制度のほうに問題が多いのでしょう。
そういう思いもあるという前提で、でも、と思うのは、いわゆるひとつの「キャリアウーマン」と呼ばれる女性たちの、軽さというか、その言葉に酔ってないすかというか、「仕事で自己実現」的な空気への違和感というか。
仕事も結婚・子供も欲しいならカッコつけてないで自分から格下でも男さがして「婚活」してみいやというか、男と対等に仕事したいなら男と同じように自分から異性にアプローチして贈り物してセックスも主導して「家庭」を「築いて」みんかいや、というか、そういう違和感も、あるんです。
ようするに、中途半端な印象がいなめない。
あと、福田せんせは、男の子を産めない雅子に同情的だけど、どうなんかな、ほんとに「有能」な女なら、運も味方につけて、あっさりと男の子産んじゃって、「さすがスーパーキャリアは違うわあ」とかの評価を得るんちゃうかな。やっぱし運とか縁も実力のうちだと思うんです。
んで、他のレビューにもあったように、奥歯に鶏肉の筋が挟まったような物言いになっていますけども、ようは福田せんせとしては、「雅子より美智子のほうが上」って言いたいわけですよね。
「キャリアウーマン」という言葉の軽さというか、時代に迎合した空気というか、立身出世はいいんだけどそれってようするに成り上がりってことだよね、というか、そんな感じのことが言いたいのだろうと思ったのでした私は。
たしかに、「強さの質」が違うのだろうなあと、思ったりします、美智子と雅子。天皇家の嫁としてはもちろん美智子的な強さが向いているということに、なるのでしょうけども。
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総合職として手腕を振るうことを覚えた女性たちは、結婚した後も「有能」であろうとした。だが、家事や育児には仕事としての成果も評価も見え難い。(p86)
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見え難いんですよねえ。テストの点数とか、職場での仕事のひとつの区切りとか、そういう短いタームで分かりやすい結果と評価が見える話じゃないもんね。そういう環境に慣れた人、ていうか殆どの現代人はそうだと思いますが、にとっては、そら鬱にもなるってもんだよね、「家」という場所は。
皇太子と雅子にしてみれば、もちろん結婚からこっち、想定外なことが余りに多かったのだろうと慮ってやりたくもます。個人の資質云々いう前に制度のほうに問題が多いのでしょう。
そういう思いもあるという前提で、でも、と思うのは、いわゆるひとつの「キャリアウーマン」と呼ばれる女性たちの、軽さというか、その言葉に酔ってないすかというか、「仕事で自己実現」的な空気への違和感というか。
仕事も結婚・子供も欲しいならカッコつけてないで自分から格下でも男さがして「婚活」してみいやというか、男と対等に仕事したいなら男と同じように自分から異性にアプローチして贈り物してセックスも主導して「家庭」を「築いて」みんかいや、というか、そういう違和感も、あるんです。
ようするに、中途半端な印象がいなめない。
あと、福田せんせは、男の子を産めない雅子に同情的だけど、どうなんかな、ほんとに「有能」な女なら、運も味方につけて、あっさりと男の子産んじゃって、「さすがスーパーキャリアは違うわあ」とかの評価を得るんちゃうかな。やっぱし運とか縁も実力のうちだと思うんです。
2014年1月30日に日本でレビュー済み
福田和也という評論家を評価出来ずに、それでも皇室関連の著作物だからと購入しながら数年間も放置してた本書。
本書は200ページ超有りますが、巻末資料等を除けば120ページくらいの論説であり平易な文章であることもあって数年越しですが一気に読み通せました。
著者本人に対して好意を持ってない私が言うのもなんですが、もう十年近く前の著書なんですが現在だからこそ「日本人なら立ち読みしてでも読んでおくしかない」と言い切れる良書です。
この本の素晴らしいところは「理想とする皇室像」というものは世代や思想によって異なり相互理解が非常に難しいのですが橋渡しが成功していることでしょう。
皇太子殿下寄りだという批評は誤解だと思います。
著者は保守論客の雄だからこそ今上天皇への深い理解と敬意を持ち合わせています。そこに皇太子殿下と同年生まれだからこそが持てる視点が加わり新鮮かつ上品な論説に仕上げてるのですから、どんな立場に居る読者も安心して読めることでしょう。あ、陛下に対して神聖不可侵の立場をとる方は別でしょうが・・・
「皇室は永遠である。だが永遠とは、永遠に変わり続けるということである」という一節は保守思想の核心を突くものであり正論で有ります。
近代における明治、大正、昭和、今上という日本の長い歴史と比してこの短い間にも、求められる天皇像というものが其々違うものだったのですから。
そしてこの本は皇室の先行きに不安を覚える人間にとっての救いにもなるでしょう。
著者は言う。無頼を気取ることの多い著者としては珍しく極めて穏やかに「しかし、それでいいのだと私は思う」と。
赤塚不二夫の哲学ではないが「それでいいのだ」という言葉は深い。
本書は200ページ超有りますが、巻末資料等を除けば120ページくらいの論説であり平易な文章であることもあって数年越しですが一気に読み通せました。
著者本人に対して好意を持ってない私が言うのもなんですが、もう十年近く前の著書なんですが現在だからこそ「日本人なら立ち読みしてでも読んでおくしかない」と言い切れる良書です。
この本の素晴らしいところは「理想とする皇室像」というものは世代や思想によって異なり相互理解が非常に難しいのですが橋渡しが成功していることでしょう。
皇太子殿下寄りだという批評は誤解だと思います。
著者は保守論客の雄だからこそ今上天皇への深い理解と敬意を持ち合わせています。そこに皇太子殿下と同年生まれだからこそが持てる視点が加わり新鮮かつ上品な論説に仕上げてるのですから、どんな立場に居る読者も安心して読めることでしょう。あ、陛下に対して神聖不可侵の立場をとる方は別でしょうが・・・
「皇室は永遠である。だが永遠とは、永遠に変わり続けるということである」という一節は保守思想の核心を突くものであり正論で有ります。
近代における明治、大正、昭和、今上という日本の長い歴史と比してこの短い間にも、求められる天皇像というものが其々違うものだったのですから。
そしてこの本は皇室の先行きに不安を覚える人間にとっての救いにもなるでしょう。
著者は言う。無頼を気取ることの多い著者としては珍しく極めて穏やかに「しかし、それでいいのだと私は思う」と。
赤塚不二夫の哲学ではないが「それでいいのだ」という言葉は深い。
2005年12月31日に日本でレビュー済み
1960年代半ば、私は両親と行った「ボリショイサーカス」のテントで一人の少年を見た。彼一人、白いクロスを掛けた円卓に座りサーカスの団員達から次々とプレゼントを手渡されていた。彼は現皇太子であった。あの時は「なんで、あの子だけ特別扱いなの?」と云う疑問しか持たなかったが、今から思うとぞっとするほど孤独な少年の姿で。行儀良く、たった一人円卓に座り「公務」を勤めていた。その彼が「一生お守りする」契約で結婚した伴侶は、勤勉な家庭(父の兄弟は全員東大)で勉学に勤しむことを善として育った。二人とも自分の前に敷かれた道に抵抗することも反抗することも無く、且つ親を常に満足させて成長した。雅子妃は受験戦争の‘超勝ち組‘「男女雇用機会均等法」のパイオニア。女性は進学・就職までは「機会均等」であるけれども、結婚・出産から人生が一様ではなくなるのかもしれない。‘超勝ち組‘の雅子妃が「お世継ぎ」を産むという自分の努力だけではどうにもならない問題を抱えた時、自分の中で自分の「キャリア」が崩壊したのではないだろうか?この本は美智子皇后の厳しい子育て・正田家の精神性・小和田家の勤勉、等々家風から二人を論じている。小和田家の部分がもう一つ掘り下げられていないことが残念。又、肝心な「雅子妃回復へのマニュアル」といった視点は無いような読後感。反抗期が無かった皇太子夫婦を、皇太子と同年の著者が同情を持って論じている。所謂「いい子」が大人になって直面した難問ということでは受験戦争世代には共感出来る部分が多いのでは?